koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

龍馬伝-第29回「新天地,長崎」

2010年07月19日 22時25分53秒 | 龍馬伝

いよいよ第3部,長崎からスタートです。
しかし,タイトルバックが替わった(AdventureからNavigator)以外には,弥太郎くんの話だと,龍馬の性格まで変わってしまったということなのですが,果たしてどうなんでしょうね・・・。
亀山社中-海援隊-土佐商会-馬関海戦-薩長同盟と,龍馬の活躍は確かに慶応年間に凝縮されており,後の五箇条のご誓文の元となったと思われる「船中八策」の起案とか後藤象二郎とご老公の容堂を動かしての離れ業とも言うべき大政奉還等,歴史上の奇跡とも言える偉業をはたしたことになっているのですが,だからといって性格が変わったと断ずるのは早計と思うのですけどね・・・。
だいたい三部構成(否四部になるのかな)ということ自体が,「立志編」,「怒濤編」,「回天編」と初期に副題の付いていた「竜馬がゆく」から脱却しえていない印象を受けます。
勿論,何度も言うように私自身が「竜馬がゆく」の呪縛から逃れられないでいる訳ですが・・・。


いやー,冒頭でぶっ飛びましたね。
48歳の弥太郎にお灸を据えていたのは,もう二度と出番は無いと思われたおねいさんでした。
一瞬喜んで鼻の下を伸ばしかけた私ですが(をい),待てよ・・・確かに佐那こと千葉さな子は維新後華族女学校(現学習院)の舎監を務めた後,足立区千住仲町で鍼灸を営んでいた筈ですが,それは明治19(1886)年からのことで,弥太郎が亡くなった翌年のことになります。
今回の設定である1882(明治15)年は華族女学校の舎監に就任した年であり,弥太郎に灸を据えるにはちょっと無理があると思いました・・・。
灸を熱がる弥太郎に大笑いしてしまいましたが・・・。
で,今度こそもうおねいさん出てこないんだろうな・・・。


長崎といえば丸山です。
江戸の吉原,京都の島原と並んで当時の三大「男の社交場」でした(現代では,すすきの,国分町,歌舞伎町・・・否中州と宗右衛門町か・・・,吉原・堀之内・栄町か・・・退場!!)。
そんなところで刃傷沙汰起こした上に,高杉が発砲。
如何に幕府を嘗めていたからといって,あり得ることではございません・・・。
だいたいこの時期に津和野藩士と偽って高杉が長崎にいること自体不思議で,伊藤と井上まで・・・って,この時期っていつなんだ・・・。
先週武市が切腹したということは,慶応元(1865)年6月か・・・。
ということは,既に亀山社中は存在していなくてはいけないし,この時期の龍馬は鹿児島の小松帯刀邸に居て,熊本の横井小楠や太宰府の三条実美を訪ねている筈です。
以前述べたように,龍馬初の長崎行は前年(というか風雲前夜ともいうべき)の元治元(1964)年1月に勝に付き添ってということになります。
ですから,そのあたりの考証の甘さは否めません・・・。
考えてみたら,この時期の高杉は佐幕に戻った藩論を覆すべく起こしたクーデターがきわどく成功し,藩論を倒幕に再び戻した時期であり,馬関にて八面六臂の活躍をしていたと思われます。
ですから,長崎に来るのは不可能と思われます。
因みに,伊藤と井上が武器の買い付けに長崎に来たのは事実ですが,亀山社中創立後の同年7月になります・・・。


初登場の蒼井優嬢(以前蒼井そら嬢と間違って大顰蹙を買ったのは私ぐらいか),個人的には○ですが,芸妓にはちょっと見えないかも知れません・・・。
で,長崎奉行の間諜だった・・・??
何かよう分からん設定でしたが,次回はもっと見えてくるのでしょうか・・・。
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