koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

箸の使い方

2007年01月12日 23時59分59秒 | 時事問題,ニュース

高校入試に箸の使い方が導入されるという記事を読んだ。
佐世保市内の私立女子校だそうだが,賛否を呼びそうな話題である。


実は,私は箸の持ち方が駄目だった。
小学校4年の時点で注意されたことを覚えているから,箸を使うようになってから数年は違う持ち方をしていたことになる。
親族や親の知人が家に来た時に注意されるのが厭で,一緒に食事をすることをひどく敬遠した記憶があるし,当時の大人たちは皆一様に口うるさく箸や鉛筆の持ち方について小言を繰り返したものである。


こちらを見ると,正しい箸の持ち方は実に美しく機能的だと思う。
当時の私を含め,正しい箸の持ち方をしていない者の大部分は,箸の上部を開かず,指先だけで箸を大きく開閉させてものを掴んでいたと思う。
これでは絶対に細かなものを掴むことが出来ないという機能の問題と,所作の美しさの点で問題があると思う。
正直言って,箸の持ち方が違っているのを目の当たりにするのはあまり気分の良いものではない。
勿論,それだけでその人の人間性を云々するつもりはないのだが,個人的には尊敬・信頼する人が箸の持ち方が違っていたらがっかりすることだろう(幸い今のところ無いが・・・)。


で,礼儀の部分と機能の部分,そして見た目の部分と考えて,これは直した方が良いと考えて矯正に取り組んだところ,割と簡単に直った。
小学校の終わり頃には多分直っていたと思う。
子どもの頃に直して良かった。
いい年になつていたら絶対直せなかったことだろう。


今朝,ローカルFM局の番組を出勤途中聴いていたら,当の高校の副校長という方が出演されていて,パーソナリティーの質問に答えていた。
先ず近年良く言われる食育という観点から重視したいということ。
さらには食文化に対する観点,そしてこの入試項目に対して努力の跡が見るといった観点も挙げられ,私は納得できた。
勿論,合否判定の一基準としてであり,それのみで全てを判断するという訳ではない,と聞いてさらに安心した。


生活が西洋化し,もしかすると箸を使わない家庭も我が国に多く存在するかもしれない。
しかし,世界に冠たる独自の食文化を持ち,箸という機能的で所作も美しい道具を保ち続けてきた我が国の伝統を「形式的」と短絡的に切り捨てるのはいかがなものかと思う。
皿のライスをナイフで掬いフォークの背に貼り付けて口に運ぶより,茶碗の飯を箸で運ぶ方が余程機能的であり,しっくりくる(米を食べない日本人は99%居まい)。


家庭での教育力低下が叫ばれて久しいが,箸の持ち方も躾の一つである。
今朝の話しでは,正しい箸の持ち方をしている小中学生は20~30%程度,という恐るべき情報もあるという。
だから,かつての私同様違った持ち方をしている我が子に口うるさく言うのも親の務めであり,ことこのことに関しては,
「人それぞれだろう」
とか
「持てりゃいいだろ」
のような考え方はして欲しくないのである。


伝統を軽んじてはならない。
伝統を非難・批判するならば,その伝統を完全に身につけて理解してからすべきである。こちらこちらが興味深い・・・。


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