koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

關西紀行,其之八:侘び寂びは何処・・・

2014年01月13日 20時49分36秒 | 旅行,および「鉄」

御室仁和寺からバスに乗り,御室,塔の下町と経て,次が竜安寺前となる。
前回述べたように,前に訪れたのは高校の修学旅行なので,とんでもない年数が経っている。
あの時(何せ16歳だ・・・)は,9月下旬の残暑厳しき折だったが,朝の冷え込みというか日較差がえらく大きく,布団を剥いで寝て風邪を引いた記憶がある。
龍安寺(バス停は竜安寺だが,ここからはWebページに従って,龍安寺と表記を統一する)を訪れたのは,朝いちだったせいか,凛とした冷気が寺域に漲り,幻想的な白砂の織りなす光景が,たいそう気に入った。
大勢で訪れた筈だが,珍しく大騒ぎする者も居なかったのか,静かに見ることができた。その後,金閣-西芳寺-銀閣というルートだったが(どうも金閣-龍安寺だったような),苔がところどころ剥げかかっていた西芳寺より,朝の凛然たる空気が張り詰めた龍安寺の砲が気に入ったものだった・・・。


でもって,江戸中期建立という,慎ましいただすまいの山門をくぐる。

当時の記憶は全く無い。
地味だが味わいのある参道の右は,鏡容池なる池である。
水鳥が遊び,名の通り鏡のような水面を見ながら,石庭のある庫裏をを目指す。
椿の花びらが似合いそうな石段の脇は,龍安寺垣と呼ばれる割竹の組み合わせが,菱形を形成して,節度だった美しさを見せる。

良い寺だ-改めて,そう思った。
庫裏へ上がる際に靴を脱ぐと,石庭はすぐだった。
人は極めて多い。
皆,しゃがんで極力低い位置で石庭を味わっている。

「・・・・・」
前回見たのは朝,今回は午後。
そうした時間帯による空気の違いはあるだろう。
さらに,毎朝形づくられるという白砂の模様は,以前は真っ白く感じられたものだが,今回はどうも灰色がかっている・・・というか,黄色っぽいというか・・・,人が多いこともあって,どうも以前感じだ凛然たる空気感は極めて希薄だった・・・。
唯,決定的に違うのは,ここ2~3日,関西地方は記録的な寒波に見舞われたようで,その名残か,雪が少しあった。
それがまた,独特の情趣を醸し出しているのは間違いなかった。
深呼吸を繰り返して,気を静めつつ,シャッターを切る。
画像であれば,喧噪とは無縁か・・・と思った。


臨済宗妙心寺派大雪山龍安寺の開山は,15世紀半ばに遡る。
創建したのは,室町幕府の管領職にあった細川勝元。
応仁の乱の東軍の総大将として有名な人物である。
細川氏は,勿論足利氏の一門だが,斯波氏と畠山氏(いずれも足利氏族)と共に,三管領と並び称された(高校の日本史で暗記した)。
室町幕府には,他に四職(ししき)と呼ばれた侍所(警察と税務署を併せたような役職)の長官(所司)を交代で務めた諸族があった。
一色,京極,山名,赤松諸氏がそれである。
一色は,三河出自の足利一門,京極は宇多天皇の後裔たる近江源氏の佐々木氏族(婆娑羅大名と呼ばれた佐々木導誉の子孫),山名は,何と足利氏のライバルとも言うべき新田氏族(南北朝時代に,足利氏に付いた新田氏族もあったということか),そして赤松は,尊氏に仕えた円心入道則村が播磨の土豪から身を起こして守護職になったが,一応村上天皇の子孫ということになっている。
因みに,美濃の守護職だった土岐氏を入れて,五職と呼ぶこともあるらしい。
土岐氏は,大江山の酒呑童子退治で勇名を馳せた源頼光を先祖とする清和源氏(摂津源氏)であり,明智光秀もこの一族と言われる。
・・・とまたしても,余計なことを述べてしまったが,細川氏は多分勝元と,嫡子の政元の時代が全盛だったのではないだろうか。
なればこそ,このような大寺を勧請することができたのであろうし,応仁の乱においても,東軍の大将として,西軍の山名持豊(宗全)に対抗し得たのだろう。
その後は,幕府権力のさらなる弱体化を招き,16世紀に入ると,将軍か京を追われるという未曾有の事態が出来したりするのである・・・。
勝手に思うに,この15世紀後半の東山文化に代表される時代は,やはり臨済禅に基づく所謂わびさびの文化が,武士を中心に興ったのだろう。
なればこそ,少しばかり時代を後にする銀閣(正しくは慈照寺)同様,素朴で華やかさはないが,凛とした空気感が漂う庭園に,私が惹かれるのかもしれない・・・。
いずれにしても,室町幕府の取った守護領国制は,鎌倉幕府の模倣でしか無く,中央集権とは程遠いものとなり,各地に所謂戦国大名の跋扈を生んだが,その反面,民間では惣村の発展を齎した。
農業技術の飛躍的な発展も,この時代ならではだし,今なお伝承される昔話の数々を収めた「御伽草紙」の編集,そして能楽の茶の湯の体系化と興隆は,このわびさびの美学と完全に融合したものだろう。
中央政府が力を失うと,逞しい民衆が力を奮うものなのである。
果たして,現代はどうなのか・・・。


・・・といった思いで,鏡容池の対岸を戻る。
何度シャッターを押したことだろう。


龍安寺は,石庭こそかつての凍結したイメージのせいか,十分に楽しめなかったが,この鏡容池を中心とした庭園の美しさこそ,価値があると思った。


突然,尾籠な話題で申し訳ないが,冬場の遠出の際に,大きな問題となるのがトイレである。
特に,底冷えする季節故に,トイレの有無は死活問題であり,乗り物の中には無い故に,トイレを見つけたら即入るのが鉄則である。
ましてや,子連れだと尚更だ。
龍安寺の山門を出た東側に,茶店とトイレがあり,ベンチもあったので,小用を足した後,休憩にした。
抹茶でも点てれば良いのだろうが,紙コップ式の珈琲の自販機があったので,ついついそちらに走った。
最近,コンビニの挽き立ての珈琲に填っていたのだが,この旅行中は残念ながらコンビニ珈琲を喫することは無かった。
コンビニに行くのは,宿へ戻る途中の専ら夜であり,酒と酒肴とおやつを買うことは有っても,煎れ立ての珈琲を買う機会は得なかった。


・・・ということで,今日もワープロ2ページを費やして,龍安寺だけで終わってしまった。
勿論,この日の旅程は,まだ続く・・・。


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