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万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

天地人-第30回「女たちの上洛」

2009年07月26日 21時18分36秒 | 天地人

小田原の役の次は,大和大納言逝去か利休切腹,そして文禄の役か・・・と思ったら,利休でしたね。


利休と上杉家の関係・・・となると,天正14(1586)年の上洛の際に茶席に招かれたことと,天正19(1591)年の切腹の際に,弟子たちが利休奪還に来るのを恐れた秀吉が景勝に利休の京都屋敷を包囲・警備させたことぐらいしか知りません。
今日のエピソードは,後者を膨らませたものでしょうが,実際どの程度景勝・兼続主従が関わっていたのかは不明です。
多分,秀吉の命で仕方なく警備についたのでしょうし,きっと後味の悪い仕事だったことでしょう・・・。
それよりも,何故に利休が失脚となったのか,一切の説明が無かったことの方が問題でしょう。
侘介と思しき椿が一輪落ちていたというわざとらしい演出を除いても,説明があって然るべしと思うのですが・・・。
ま,利休の切腹に関しては諸説が有りますが,それは敢えて私がここで語るまで無いでしょう。
ただ,景勝上洛の際にも相当な働きをしたと思われますし,それは関係が取り沙汰される大友宗鱗をはじめとする西国諸大名に対しても同様でしょう。
利休は豊臣家の影のフィクサーとして活躍するあまり,内情に深入りしすぎたのかもしれません。
黒田官兵衛(孝高・如水)が,隠居を表明して秀吉の疑心暗鬼を躱したのは有名ですが,身内の少ない秀吉の猜疑心は相当なものであったのでしょう・・・。


しかし,上杉家と直江家の妻たちの様子が何ともまったりと語られます。
さすがに後半は見ていて眠くなりました・・・。
大名の奥方を政府のお膝元に人質とするのはやはり秀吉が始めたのでしょうね。
後年,関ヶ原の前哨戦での細川ガラシャ夫人の悲劇はあまりにも有名ですし,他の東軍の大名の奥方脱出行にも,いろいろとドラマがあったようです・・・。
それにしても,菊姫は何て我が儘なんだ・・・。
お家のため,ということで覚悟して越後に来たはずなのに,あれではただの駄々っ子でしょう・・・。
お船が菊姫と共に上洛して伏見に住んだのは史実のようです。
ただ,どうやら今回の放映よりも5年後の慶長元(1596)年のことらしいですけど・・・。で,菊姫はその後上杉家の会津転封にも米沢転封にも同行せず,伏見で生涯を終えたようです。
そう言えば,弟の信清出てきませんね(出るわけ無いか・・・)。
出ないと言えば,前田慶次郎も出番無しですかね・・・。


文禄の役で景勝は高梨頼親等兵5,000率いて名護屋から渡海します。
その辺も次回は語られるようですね・・・。
でも,それ以上に豊臣ロイヤルファミリーと上杉・直江ファミリーのドラマに終始しそうな気配が・・・。


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