決勝を前に,ビールを浴びつつF1の蘊蓄を語る。
今思うと,まさに至高のひとときである。
愛すべきゲルハルト・ベルガー関連だと,マクラーレン時代にボスのロン・デニスとワニ園に行った際に,ワニの居る沼にロン・デニスを突き落とし,「助けてくれ~」ともがくロンに年俸うpを要求したとか,パドックでファンにサインを求められると,男は断るくせに女にはしたとか,予選の不調をインタビューされ,「今からどうされます?」と聞かれた時に,「ホテルに帰って,・・・や・・・(自主規制)するだけだ」と言って,そのビデオを放送不能にしたとか,とにかく下根多関連は枚挙に遑がないくらいである・・・。
下根多以外だと,アレジと共謀してジャン・トッドの愛車を破壊したとか,引退レースと鳴った97年のヘレスで,ドライバーズパレードの際に全員が荷台に乗ったトラックのドライバーを引き受けて,急ブレーキを掛けて他のドライバーを薙ぎ倒したとか,まだまだある・・・。
ドライバーが個性で鳴らした,まさに古き良き時代であった・・・。
そしていよいよ決勝が近づく。
お莫迦なことに,私はグリッドに就くマシンは,ピットから引っ張り出されるので,シグナルがブラックアウトするまでは見ることができない,と思っていたのだが,グリッドに就くためにウォームアップランをすることに改めて気づいた。
サーキットに甲高い爆音が轟く。
先陣を切ってピットアウトしてきたのはHRTのマシン(多分リウッツィ)だ。
一番遅いとおぼしきマシンなのに,カスタマー仕様のコスワースCA2011エンジンの音圧は凄まじい。
はっきり言って,Fポンとは雲泥の差である。
特に2コーナーからS字にかけてシフトアップする際のエキゾーストノートの高まりは肺腑をに突き刺さるようだ。
どーでも良いことだが,赤牛と見間違いやすいトロ・ロッソのマシンを駆るセバスティアン・ブエミ(瑞)のことをCXの受け売りで「アルプスの若大将」と言ったら,周囲から笑いが起こった・・・。
そして,続々とカラフルなマシンがコロシアムに現れる。
音速の翼を持ち,極彩色の鎧を纏った現代のジークフリードたちの競演だ。
ひときわ鮮やかなモンツァレッドが艶々と美しい赤馬のマシンは,エンジン音も一層甲高く冴え渡る。
言うなれば,4管編成のフルオーケストラが,マーラーの交響曲かR・シュトラウスの交響詩でTuttiで鳴り響いた時のような感動と同種のものが身震いを伴って襲ってきた。
フェラーリ,メルセデス,ルノー,フォードといった各国の国威をかけたエンジンサプライヤー自慢のサウンドが,見事な交響楽を奏でる瞬間だった。
惜しむらくは,そこに我が国のトヨタとホンダが入っていないことだが・・・。
パレートラップを終えて,ひときわ爆音が高まったところで,シグナルブラックアウト。
赤牛のセバスティアン・ベッテルがトラクション良くコーナーへ飛び込み,これまた直線加速に勝るマクラーレンが続く。
期待の可夢偉は・・・・・・クラッチミートに失敗したらしく,順位を落とす・・・。
それならば今年も見せてくれ,怒濤のオーバーテイクショーを・・・。
と思い,可夢偉が通過するたびにフラグを振った・・・・・・。可夢偉~
ヤルノ~
・・・ということで,決勝は多くのサイトで語られた通りなので,敢えて書かない。
私にとっては極めて不本意な結果だったし,ラスト10周はさすがに見るに堪えない部分もあったし・・・。
しかし,あまりにも貴重な体験をすることができたのは,我が人生でもモニュメンタルなことだった。
しかもロハだし・・・(まともに行けば10万を超えていただろう・・・)。
唯々バーニーに感謝である。
サーキットを離れる際に,簡単なアンケートがあり,バーニーへのメッセージを・・・という項目を見つけたので,丁寧に感謝の意を表明した。
勿論,本人が日本語の手紙を読むとは思われないが・・・。
余程,
「バーニーさん,実はいい人だったんですね」
とか,
「今まであなたのことを権力と金の亡者と思っていました」
とか書くのは自粛したが,只一言
「訳の分からんレギュレーション変更はしないでください・・・」
とだけ書き加えた。
忘恩の徒である・・・・・。
・・・ということで,決勝のリポートが殆ど無いという尻切れトンボというか竜頭蛇尾というか,まさに私に相応しい結びとなった。
後は,少しずつ拾遺集を書けたら・・・と思う。
40字×40行のワープロにして16ページにわたる長大エントリとなったが,お読みくださったすべての方に感謝である。
で,今宵の結びに,こちらを紹介して終わる。
F1への愛情が感じられ,オールドファンの私には感涙ものだった・・・。
Fポンマシンのデモランに度肝を抜かれた後,次なる楽しみは何と言ってもオールドの心のデモランである。
ロータスジャッド101。
89年に中嶋悟がドライブしたマシンである。
前年までのホンダエンジンを失い,非力なカスタマーエンジンに頼らざるを得なかった当時のロータスの苦衷が伺えるマシンでもある。
翌90年から同じく英国の名門ティレルに移籍することが決まっていた中嶋にとって,最後のレースとなった89年最終戦豪州GPの舞台であるアデレード市街地は豪雨に見舞われた。
既に前戦日本GPで戴冠したプロストはレースを棄権。
多くのマシンが雨に足下をすくわれる中(完走8台),23位という後方からスタートした中嶋のロータスジャッドはFLを連発し,終盤には4位まで登り詰める。
前を行くのはウィリアムズりリカルド・パトレーゼ。
追いつけるか・・・と思いきや,エンジントラブル発生で追撃を諦めざるを得ず,4位+ FLという殊勲を上げた中嶋は,雨の中嶋の異名をとることになる・・・。
そのロータス101の走りを,それも中嶋のドライブで目前で見ることができるとは,何という喜びであろうか・・・。
甲高いジャッドV10エンジンの響きも,艶やかに美しいキャメルイエローの車体も,そして2周走ることができるかどうか・・・と語っていた白と赤のナショナルカラーのヘルメットの中嶋悟も,何とも格好良かった。
3周+αの周回を終えて今宮純さん(F1界のおりも政夫と言ったら周囲にウケた)と語る顔つきは,何とも穏やかで満ち足りたものだった・・・。
そして,ドライバーズパレードが始まる。
色とりどりのクラシックカー乗ったドライバーたちが愛想を振りまいて,コースを廻る。
よりによって,ハミルトンが私の方を向いて手を振って笑みかけてきた(ように見えた)。
私のご贔屓であるヤルノは親日家らしく日の丸を振ってくれたことが何とも嬉しかった。
可夢偉は,車を降りてコーナーエンドの応援席前で手を振ってくれた。
この時は,こちらも期待感でいっぱいだった・・・。
鈴鹿サーキットにおける最も素晴らしい瞬間は,その直後に訪れた。
オフィシャルたちが私たちの居るスタンド前のランオフエリアに横一列に整列して,
「本日は,当鈴傘へキットにお越しくださいまして,本当にありがとうございます。我々オフィシャル一同,皆様が楽しく思い出に残るひとときを過ごされますよう精一杯頑張っていきたいと思いますので,どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください(宜しくお願いします,だったか??)」
と言って,最後に深々と一礼したのだった。
感動的な光景だった。
世界最高峰のレースを見せてやるんだぞ,といったお高くとまった様子は微塵もなかったのが最高だ。
誰もがレースを愛し,マシンとサーキットを愛している,そんな気持ちがびんびん伝わって,熱いものが込み上げてきた・・・。
後は決勝まで,蘊蓄を分厚く語りながら過ごした。
最近は個性で鳴らすドライバーが居なくなったこと。
父ロズベルグなんて,いかにも危ねー・・・って感じのオーラを放ちまくっていたし,3度の戴冠に輝いたネルソン・ピケは男として最高の私生活を送ったはずだ。
そして何と言っても,前述のゲルハルト・ベルガー。
私生活のワールドチャンプ,快楽とスピードのシンドバッド,オーストリアのラテン系,女好きチロリアン,この男ただのスケベではなかった~,F1界のエロティカ・セブン・・・といった具合にベルガーの古舘語録を披露したり,フジテレビの中継で担当となった有賀さつきアナを川井一仁に紹介された時に「でかした,カズ」と言って口説いたとか,鈴鹿サーキット近くの居酒屋には平仮名で「べるがー」と書かれた焼酎がキープされていたとか,96年のメルボルンの開幕戦前に,ライダーの故バリー・シーンと一緒に女子高生に悪戯して訴えられた(をい)・・・とかの,とんでもないエピソードを語ったりした。
多分ベルガーの衣鉢を継ぐのが,1人IRAとか無差別テロリスト,サーキットのチーマー(爆),走るイエローカード,札付き男と呼ばれたエディ・アーバイン(ピラニアーバインとも言われていた)だろうと思う。
この男も,品行不良ドライバーで,大いに私を楽しませてくれた。
ベルガーのような下系の根多で語られるドライバーは見られなくなって残念だが,昨年だかにマッサが何でも決勝の前の晩は必ず・・・以下自粛・・・と,ベルガー並みのことを言っていたが,そうしたキャラではなかったのか,全く話題にならなかった・・・。
そして,いよいよ決勝が近づく。
現代のモンスターマシンを目の当たりにする瞬間が,刻一刻・・・。
平凡な昼下がりのことだった・・・。
夕べ遅かったので,9時過ぎまで寝ていたかったのだが,下の子が7時台に起き(相方と上の子は,配車当番+練習試合で6時に起きた),仕方なく起き出す。
持ち帰り仕事をしているうちに,実家の母から電話が来て墓参に行く。
昼食をご馳走になり,13時半頃帰宅。
仕事を再開させた途端,呼び鈴が鳴った。
はて,宅急便・・・何も通販で買った覚えないが・・・と思いつつ,封筒を開けると「トップツァー」の水色のロゴ・・・。
トップツァーというのは,かつての東急観光のことだが,学生の時会社訪問に行って二次で刎ねられたことがあったが,旅行のパンフレットを頼んだ覚えはないが・・・,と開けてみると・・・・・・
バーニーシート(バーニー・エクレストン氏招待席)
当選通知(Aプラン:観戦ツァー)
主催:株式会社モビリティランド 鈴鹿サーキット
協力:日本自動車販売協会連合会
岩手県,宮城県,福島県各支部
このたびは,「バーニーシート(バーニー・エクレストン氏招待席)」をお申し込みいただき,ありがとうございました。厳正な抽選の結果,当選されましたのでお知らせいたします。当選されました観戦ツァーご参加につきましては下記の通り・・・(以下略)
そう言えば,2週間ほど前,ディーラーの1年定期点検に行った相方が,申し込んだとか言っていたっけ・・・。
何と,F1日本GPの観戦ツァーに招待されてしまった・・・(絶句)
いやー,参った。
被災した3県から300組ご招待とは聞いていたが,よもや当たるとは思わなかった。
今更,
「嘘だと言ってよ,バーニィもといバーニー」
と言うわけもいかず,せっかくなので来月の3連休,今度はモータースポーツの聖地に行くことにした。
取り敢えず同行者を求めて,数少ないF1オタの先輩にTelしたら,飲んでる最中で2つ返事で行く・・・とのことだった。
しかし,予想通りの神風ツァーだ・・・。
10/8(土)
19:45集合
仙台駅西口貸し切りバスプール前
20:30発
10/9(日)
10:00着
鈴鹿サーキット 15:00~17:00決勝観戦(席はスプーンの立ち上がりの模様) 17:00頃発
10/10(月)
24:00着
品川プリンスホテル(発)
10:00発
16:00着
仙台駅
1泊3日。
翌日は勿論仕事・・・。
さて,観戦グッズを集めなくては・・・。
200mmの望遠持って,双眼鏡とラジオにグラサン。
キャップは,TOYOTAとHONDAとBenettonしか無い(どれも過去・・・)のでどうしよう・・・。
愛車が2度目の車検と相成った。
ついこの間乗り換えたばかりと思っていたが,あっという間に5年である。
以前は5年乗ったら買い換えたときが有ったが(独身の時だ),もう2度とそんなことは無いだろう・・・。
以前のブログで4度目の車検を通したと書いたら,4度目とは凄いというコメントをいただいたことがあった(下取りが高いうちに・・・ということだが,結局は長く乗った方が得に決まっている)。
ま,お金持ちなら3~5年で買い換えることができるだろうが,庶民の私にとって車は10年に一度の大きな買い物である。
リーマンショック以来,新車購入後3回以上車検を通す-つまり7年以上乗るという人が半数を超えたという情報が有った。
当然のことだと思う。
ディーラーとしては,早いサイクルでの買い換えが有りがたいのだろうが,かといってメーカーが耐久性を落として製造する訳にはいかない。
車の販売とは難しいと,つくづく思う。
中古を買うという手も有るのだが(個人的に,中古車探しというのは実に楽しい),私の場合,四駆+MTミッション(今はあきらめて5台目にしてATになってしまったが)のワゴン(今は全く流行らない)という条件が付くので,弾が殆ど無いに等しい。
・・・という訳で,相当の出費となった・・・(泣)。
ただ,予想していたよりは若干安くあがったので,ついでに添加剤を入れて試してみることにした。
クーラントブースターも入れてみたが,果たしてどうなるか・・・。
・・・で,08年の12月で生産販売が終わった我が愛車だが,先頃遂に新型が発売になった(欧州では既に販売されていたが・・・)。
ディーラーには実車の展示は無かったが,カタログを渡された。
う~ん誘惑が・・・と思いきや,え゛,1グレードのみで四駆無し・・・。
萎えた・・・(爆)。
アルテッツァ・ジータの中古でも漁るしか無いのか・・・。
或いは富士に鞍替え(浮気?)か・・・・・。
でもって,代車には最新のVitzが来た。
う~ん,素材のにおいの取れない新車は良い・・・(感動)。
1.0Lなので低回転域のトルクの細さは仕方ないが,とにかくくるくるよく走る。
内装もそこそこシックだし,居住空間の広さは5ナンバーとは思われない。
このクラスではベストだろう・・・。
なので,ついつい携帯で・・・。
F1は夏の欧州ラウンド真っ最中です。
先週のアイフェル山中のシュヴァルツバルトに囲まれたニュルブルクリングでのドイツGPから今週はブダペスト郊外のハンガリー平原の中のオンガロリングへ。
ファンにとってはたまらない中欧ダブルヘッダーです。
そこで,FS3直前のこの時間,ついつい昔語りに走ったりします・・・。
オンガロリンクがGPサーカスに組み込まれたのが旧ソ連崩壊前の86年ですから,旧東側で行われた唯一のGPということで,かなりのエポックだった記憶があります。
ま,ロシア人のドライバーも出てきたし,時代が確実に変わったということでしょう。
そういえば,ご当地ドライバーでミナルディからデビューしたゾルト・バウムガルトナー(英語表記だとショルト・バウムガートナーか?)はどうしているのでしょう・・・。
このオンガロリンク(近年はハンガロリンクと表記されるようですが,私としては80年代の表記にします)には,個人的に幾つかの思い出があります。
92年は「無冠の帝王」と呼ばれたナイジェル・マンセルが悲願の戴冠を決めました。
それも,ピット作戦の失敗で(ウィリアムズは伝統的にピット作戦が下手)入賞圏外に落ちてから,抜きどころのないコースでオーバーテイクショーを見せて2位入賞してのチャンピオン決定でした。
翌93年。
年俸交渉のもつれやチームの方針への反感から,マン太郎は2度目のF1引退を表明(翌年インディカーシリーズに参戦してチャンピオンを取ったのは周知の通り)。
1stドライバーには,マンセル在籍時に契約成立していたアラン・プロスト(仏)が座り,2ndとしてテストドライバーだったデイモン・ヒル(英)が前年末に抜擢されていました。
結局F1ラストイヤーとなったこの年のプロストの活躍は目覚ましく,開幕の南アに始まり,途中セナの神がかり的走りに脅かされたものの,サンマリノ,西,加,仏,英,独各GPを制覇。
一方のヒルは,予選ではプロストを凌駕する走りを見せたものの,地元英国GPではトップ走行中に最速ラップを叩いた直後にエンジンブロー,続く独GPでは同じくトップ走行中あと2周というところでリアタイヤがバースト。
その2つ前の仏GPではPPを取りながらチームオーダーで2位・・・と,リーチを欠けても上がれない状態が続いていました・・・。
スターティンググリッドはPPがプロスト,隣にヒル。
シューマッハー(独ベネトン・フォード),セナ(伯マクラーレン・フォード),パトレーゼ(伊ベネトン・フォード),ベルガー(墺フェラーリ)・・・と続きます。
ところが,フォーメーションラップに出る際にプロストがエンスト。
クラッチミートがかなりナーバスで,何度となくスタート練習したというのに皮肉なこととなってしまいます。
実質上ポールからのスタートとなったヒルは絶妙のトラクションでスタートダッシュを決め,ベルガーとの接戦を制したセナが2位に浮上。
1コーナーではバリチェロ(伯)のジョーダン・ハートがクラッシュ。
低速コースのオンガロでは,いつものようなウィリアムズのマージンは感じられず,セナは虎視眈々と首位を狙います。
ところが,セナのマシンにスロットルトラブルが起き,18周目にストップ。
同僚のマイケル・アンドレッティ(米)も,同様のトラブルで2周前にストップ。
さらにシューマッハーが大カウンターを切ってコースアウト。
ヒルを脅かす存在が次々に潰えていきます。
最後尾スタートのプロストは一時4位まで浮上したものの,リアウイング(この年,低速サーキットのトレンドとなったメゾネットウィング)のトラブルで再び最下位に落ちます。
さらにプロストのウィング修理作業がヒルのタイヤ交換と重なり,チームは1位を快走するヒルを優先させ,プロストはマシンをピット脇に移動されしばし待たされるという屈辱を味わいます。
その結果,真夏の陽光がハンガリー大平原に映える中,ヒルが悲願の初優勝。
2位には,ベネトン移籍後初表彰台のパトレーゼ(これが最後のボディウムとなった)。
3位にはワーウィックとの接戦を制したベルガーが入りました。
プロストは修理完了後最後まで走り続けて,最後尾でゴール。
FLを叩くなど,チャンピオンとしての矜持を見せつけて,日本のファンを増やしたと思われます。
ヒルとオンガロリンクの因縁はこの後も続き,引退の年まですべて入賞という記録を残すことになります。
初代モナコマイスターであった父グラハムのようにモナコでは勝てなかったヒルでしたが,オンガロリンクマイスターの称号が有るならば,ヒルにこそ与えられるべきでしょう。
この年のヒルは,これで勝ちの味を覚えたのか,続くベルギー,イタリアと快進撃を続けます。
そうした意味でも,モニュメンタルなGPでした。
また,最速のウィリアムズ・ルノーFW15Cというマシンを駆っての優勝に,勝って当然という疑問符もヒルに対して付けられる契機ともなったGPでした・・・。
しかし,F1へのステップの本流たるカートからの英才教育を受けず,親の七光りとは無縁で(逆にチャンピオンの二世というプレッシャーが有った筈),マイナーフォーミュラーから地道な努力を続けた結果,与えられたチャンスを最大限に生かしたヒルの勝利にけちは付けられないと思います・・・。
そして3年後の97年,さらにドラマティックなGPシーンが待っているとは,誰もが予測し得ませんでした・・・。
そのあたりもいずれ語ってみたいものです・・・・・。
改修なったシルバーストーンサーキット。
ほぼフルフラットな幅のあるコース。
元はRAFの飛行場だったというのも首肯できます。
周囲はノーザンプトンらしい平原。
ル・マン(サルテ)やスパフランコルシャン,或いはホッケンハイムやニュルブルクリング,エステルライヒリンク(A1リンク)といった中欧のオールドサーキットと異なり,森が見えないぶん無機的な印象を与えがちですが,観客の熱狂ぶりはモンツァやイモラのティフォッシを凌ぐものがあり,さすがGP発祥の地だけあると思います・・・。
英国出身のドライバーは勿論多く,また多くのコンストラクターもファクトリーを同国内に持っているので,当然のことながらファンの熱狂度も高いのでしょう・・・。
かつてはジム・クラーク(フライング・スコットと呼ばれたので,正確にはスコティナーですが),グラハム・ヒル,スターリング・モス(元祖無冠の帝王),ナイジェル・マンセル,デイモン・ヒルといったチャンピオンの他にも,ディレック・ワーウィック,マーティン・ドネリー,ジョニー・ハーバート,マーティン・ブランドル,マーク・ブランデル,エディ・アーバイン(本来はアイリッシュか?),ディヴィッド・クルサード・・・といった名前を聞いたことがあることでしょう。
その他,思いつくままに書き連ねますと,ブライアン・ヘントン,スティーブン・サウス,ルパート・キーガン・・・なんて知っている人いるのかな・・・(失礼!!)。
・・・という訳で,サッカーもF1も音楽も,ラテンよりゲルマン及びアングロサクソンが好みである私にとって,聖地シルバーストーンでの英国GPは特別な存在です。
特に86,87,91,92年のマンセル優勝,88年の非力なジャッドエンジンでの2位,93年のヒルの最速ラップ(直後にエンジンブローでリタイヤ),94年の優勝,99年の引退凱旋レース(ついでに兄シュー怪我),95年のハーバートの初優勝・・・と,私が最もF1にのめり込んだ80~90年代は,地元ドライバーの活躍に熱狂しました(85年はブランズハッチでの欧州GPでマン太郎がウィリアムズ・ホンダで優勝というのもありました)。
尤も,マンセル以外で英国GPで強かったのは何と言ってもフライング・スコットこと故ジム・クラークでした。
そのクラークのチームメイトにして彼がホッケンハイムのF2レースで事故死した68年のチャンピオンに輝いた元祖モナコマイスターのグラハム・ヒルは,何故か母国GPでは勝てませんでした(当時は,ブランズハッチやエイントリーで行われたこともあったようです)。
息子のデイモンが地元の大声援を背に優勝したのは,グラハム没後19年を経た94年になります・・・。
・・・で,レースです。
はっきり言って,可夢偉くんのリタイヤ(否,その前のピットレーン通過ペナ)で萎えました。
1回目のアクシデントは,どう見ても兄シューの強引なねじ込みですし(こういうミスが多い。限界と焦りか??),2回目のミスはピットクルーが1度上げたロリポップを急に下げたからで(後方確認ミス)で,彼のせいではないでしょう。
タイヤガンがヒットして何らかのダメージを負ったせいか,急にスピードを失ってルノーに抜かれたのも止む無しでしょう・・・。
あのままトラブルに見舞われずに走っていれば,間違いなく入賞だっただけに残念な限りです・・・。
マクラーレンは序盤にハミルトンが凄まじい走りを見せましたが,やはりタイヤがネックだったようです。
バトンは,ホイールナット未装着による脱輪というマクラーレンらしからぬピットミスで脱落。
どうも,コースが改修されてスタート位置が変わったせいか,真新しいピットレーンやパドックでのミスが多かったのでは・・・と勘繰ってしまいました。
あのパドックはやたら狭いように見受けられましたが・・・。
それに,旧コースの最終コーナー手前(インフィールドセクションの後)から入る旧ピットレーンがコースとなっているのも狭すぎでは・・・と,思いました。
後は,クレバーな戦い方をしたアロンソの走りが光りましたね。
最終ラップでのハミルトンとマッサの攻防は,当然マッサを応援しました・・・。
ベッテルはピットのミスで後退した後,ずるずると後退して最後はタイヤに来ていたようです。
次戦は,ホッケンではなくニュルなんですね・・・。
こちらも伝統の独GPなので楽しみです。
ブロウンディフューザーの規制が,果たして赤牛を止めるのかどうか・・・。
新大陸では,たっくんがダニカ・パトリック嬢とクラッシュして20位だったようです・・・(トロントのストリートコース)。
次戦は二週間後にエドモントン・シティセンター空港特設コース。
次のストリートコースは,9/4のボルティモア。
こちらも頑張って欲しいです・・・。
小林可夢偉の来季ザウバー残留が確定的という。
何とも言えない気持ちで,そのニュースを見た。
フェラーリやレッドブルといったトップチームが可夢偉に触手・・・といった噂が流れたが,現実問題としてあり得ることでは無いだろう。
F1はナショナリズム発揚の場であることは確かだが,以前程の国粋主義・国産主義は感じられない。
フェラーリのドライバーがイタリア人だったのは,多分09年のモンツァ~アブダビでのジャンカルロ・フィジケラが最後だろう。
御しにくい車だったようで,印度力で速さを見せつけて抜擢されたフィジケラが失速したのは気の毒だったが・・・。
しかし,だからといって東洋人がガバリーノ・ランバンテの騎手となることは到底考えられない。
人種差別・白豪主義と言ってしまえば全くその通りなのだが,所詮F1とはそういうものであり,欧州人・白人中心に動いているのである。
そういう意味では,ブラジル人として初のチャンピオンになったエマーソン・フィッティパルディの功績は大きいが,新大陸の人間もルーツは欧州の白人となる(勿論,当地の血も入るだろうが)。
だから,トップチームで可夢偉が走るとというのははっきり言って考えられない。
レッドブルがハミルトンに接触・・・という噂も有ったが,ベッテル+ハミルトンのジョイントNo.1というのも現実的では無かろう。
両雄並び立たずという例は,マンセルとピケ,セナとプロストの例からも明らかであり,レッドブル首脳陣はウェバーが2ndに徹してくれることがベストということになるのではなかろうか・・・。
そこに可夢偉が介入する余地は無いだろう・・・。
尤も,オーストリアの清涼飲料水メーカーたるレッドブルは,最近しきりと我が国でのプロモーションを行っており(先頃,横浜でマシンを走らせたのもその一環だろう),そうした意味では,可能性0とは言い切れないだろうが・・・(否,トロ・ロッソの誰かを引き上げるだろう)。
また,マクラーレンは英国の名門である。
考えようによっては,フェラーリ以上に国粋的だろう。
バトンはフェラーリに関心を示しているようだが,2人のチャンピオン経験者をチームが手放すのもあまり考えられまい。
マッサの速さがすっかりなりを潜めている現在,バトンの方が魅力的な選択肢だろうが・・・。
では,ルノーはどうか。
現在はジョイントNo.1体制のようで,ハイドフェルドは昨年可夢偉のチームメイトとして,何度か後塵を拝した。
だから,可夢偉を獲った方が・・・と思うが,怪我で療養中のロベルト・クビカが戻ってきたら,彼中心のチームで冷や飯を食うことになろう・・・。
後は,メルセデスはどうか・・・。
兄シューは,きっとキャリアの終わりを大恩有るメルセデスで・・・と,思ったのだろう。90年代後半の菅谷充(「ゲームセンターあらし」の漫画家)の近未来F1小説では,J・ヴィルヌーブがフェラーリで,兄シューはマクラーレンメルセデスとなっていたが・・・。
若くて速いロズベルグJrとのラインナップは変わるまい。
突如として兄シューが最終引退すれば別だが・・・。
・・・ということで,やはり可夢偉はザウバー残留が濃厚なのである。
噂では,ザウバーに供給される赤馬の心臓は,高回転域でリミッターがかかり,本家を脅かすことのないようになっている・・・とのことである。
現在のザウバーではQ3進出は不可能に近いので,何らかのアップデートで戦闘力が増せば・・・・・ということも無かろう。
かつて94年のティレルヤマハでの活躍が評価された片山右京が,兄シューのチームメイトとしてフラビオ・ブリアトーレ率いるベネトンからオファーが有ったが,それを断って故ケン・ティレルを初めとするティレルチームに義理立てして結局は・・・ということが有ったらしいが(真偽は定かならず),仁義なき世界であるF1に於いて浪花節は不要ということか・・・。
只断っておくが,私はザウバーというチームが嫌いではない。
デビューイヤーの93年は,漆黒のマシーンC13はテストから好調で,ドライバーのカール・ヴェンドリンガーとJJ・レートが幾度となく入賞をした。
以後BMWとのタッグ+上述クビカの活躍で優勝も勝ち取ったし,現在のゲルマン・ラテン同盟も赤馬心臓の噂はともかく魅力的ではある。
たたき上げのスイスの職人といった感じのペーター・ザウバーと可夢偉の関係も良好のようだし・・・。
いずれにしても近日中に発表になろう。
それは,F1GP発祥の地,シルバーストーンサーキットでのリリースとなるのかどうか・・・。
今から英国GPが楽しみである。
はっきり言って,久々に見た面白くないレースでした。
原因・要因は幾つか有りますが,可夢偉がレースできる状況ではなかったこと以外にも幾つか有りそうです・・・。
スタート時,タイトな右ターンの1コーナーで3位のハミルトンが出遅れました。
いつものような考え無しの(あれをアグレッシブと褒める方も居られるでしょうが)強引な割り込みも無く,あっさり引いてアロンソの先行を許す。
可夢偉はポジションキープでしたが,いつものようなジャンプアップもなく,期待を抱かせるようなオープニングラップではありませんでした。
その後,上位勢がコース上でのバトルをすることも殆ど無く,全24台が完走。
アロンソのピット作戦の妙,おっさんウェバーが例によって,何で俺ばっかり・・・のメカニカルトラブルぐらいで,特筆すべきことはありませんでした・・・。
可夢偉は全くセットアップが決まらなかったようで,久々に見るべきところのないレースに終始していたようです。
タイヤも保たなかったという話ですし,私のような素人からは見どころの少ない単調なレースに見えました・・・。
何かどのドライバーもリスクを避けてコンサバティブにレースをしていた感じで,見ていて面白いものではありませんでした。
今回ピレリが用意したハードタイヤはグリップがとんでもなく悪かったそうで(そのぶん保つのでしょうが),それが故にアグレッシブな切り込みは殆ど無かったということでしょうか・・・。
地中海を背景にしたベイエリアでのレースということで,モナコを彷彿させる紺碧の海と雲一つ無い空は実に美しく,沖合の大型客船やビーチの水着ギャル(をい)等,ついついリゾート気分に浸ってしまいましたが,正直言ってモナコほど建物が風景にマッチングしていないかなとも思いました。
ル・ドゥ・パリ等モナコには瀟洒な建造物が多いのですが,バレンシアの場合は現代的な建造物も多く,モナコほど欧州の格式や伝統は感じられませんでした・・・。
次戦はF1発祥の地,シルバーストーンでの英国GPです。
今公式サイトを見たら,何とスタート位置が変わっているではありませんか・・・。
スタート直後だった連続コーナー,マゴッツ・ベケッツ・チャペル,そして1977年のワールドチャンピオンだったケン・アカバ(実際はニキ・ラウダ)が3年後に事故死したストウコーナーは中盤に位置することになったようです・・・。
WWIIではRAFの飛行場だったというフルフラットのコースですが,無機的な印象とは裏腹にGP発祥の地に相応しい華やかな雰囲気が感じられ,毎年楽しみなラウンドです。色とりどりのスモークを引くBAEホークによる開幕前のアクロ飛行を今年も見られるかどうか・・・。
今朝6時半からビデオを回しました。
1時間見て,おっさんとハミルトンが1コーナーで絡んだのと,マクラーレンの2台がホームストレートで同士討ちして,ハミルトンが逝ったのを見て,可夢偉が2位となったところでSC導入・・・というところまで見てから出勤。
定時を10数分過ぎに慌ただしく仕事を切り上げ(否放り投げ)6時に帰宅して,ビデオ再開+ビール(もとい発泡性リキュール)のトリガーを引く・・・。
ところが,セントローレンス川が氾濫しそうな豪雨がモントリオールを遅う・・・。
遂に赤旗中断。
中継延長の限られた地上波を録画していたのが完全に裏目に・・・。
はて,どうしよう。
カナダGPの結果を私は19:00現在知りません・・・。
ネットのニュースを見たり,分家のF1見ている方々を訪うことで結果を知ることはできます。
しかし,それではもしかするとあったかもしれない歴史的瞬間を味わうことができなくなります。
或いは,20:00から始まるCX2の録画を見るという選択肢もあります(当然,それまではメディア断ちです)。
いずれにしてもリスキーであることに変わりはありません・・・。
このまま,ネットに繋いだ状態であちこち巡回すれば,きっと明け方までLive観戦された方々によって情報を知ることになるでしょう・・・。
う~ん,困った・・・。
20時過ぎから食糧の買い出しに行くと言っていたし・・・。
CX2の番組は23時までで,それまでネットとメディア断ちしていることは可能ですが,ブログの更新はともかく,他は何もできなくなります・・・。
よもやこんなに中断が長く,再開の見通しが付かない状況になるとは思いませんでした。雨が上がり始め,川のようだった路面の状況も良くなりつつあったようなので,再開された可能性は高いと思いますが,その後また強い雨が・・・という予報もありましたので,果たしてどうなったことか・・・。
取り敢えず,もう少し待ってCX2録画して後で見るか・・・。
それまでメディア断ちして・・・。
序盤,圧倒的な速さで後続を引き離しにかかるベッテルに対し,マクラーレンはバトンに対してオプション装着のショートスティント(3ステップ)による切り離し作戦を敢行。
タイヤ交換後,バトンが圧倒的な速さでベッテルをも引き離しにかかったところで,何とロウズヘアピンでマッサとハミルトンが接触。
パーツが飛んだ影響が有ったのか否か,その後のトンネルでレコードラインを外したマッサがガードレールの餌食に・・・。
さらに兄シューがトラブルによってコース上でストップ。
それによるセーフティカー導入がバトンのマージンを帳消しにしました。
逆にそれを利してのタイヤ順位を上げたのは,12位スタートの可夢偉でした。
さらに可夢偉はミラボーの脱出で先行するスーティルを躱して4位に浮上。
上位入賞への期待がいやが上にも高まります・・・。
そして,今回のモナコGPに於いて,最もスリリングでスペクタクルな瞬間が訪れたのは,その後でした。
先行するベッテルは1ストップでタイヤがアキレス腱。
それをアロンソが突くも名うての難コースであるモンテカルロ市街地。
抜きどころが有りません。
そしてタイヤを履き替えて最も勢いのあるバトンが背後から迫る。
三つ巴のテール・トゥ・ノーズに,すわ92年を凌ぐ大バトルが・・・という予感がした直後の69周目でした・・・。
何でクラッシュするかな・・・
パーツを撒き散らし,ガードレールの餌食となるペトロフ。
どうやらカムイと同じ作戦をとったもののタイヤがへたって挙動を乱したスーティルにハミルトンが当たり,その煽りでアルゲルとペトロフがクラッシュ・・・。
せっかくの上位三強+可夢偉の走りに注目していただけに,水を差された感は否めません・・・。
・・・で,これにて終了・・・と思いきやラスト6周やるとは・・・。
おかげで全車オプション履いた結果,カムイはおっさんに躱されて1つ落として5位。
ま,それでも大金星には変わりはないのですけど・・・。
ただ,もしあのまま三強がドッグファイとしていずれかが潰れたら・・・と思ってしまいますし,三強がそのままチェッカーでも4位は堅かったと思います・・・。
・・・というところで,見どころの多いGPでした・・・。
可夢偉は本当に素晴らしいです。
モナコだから・・・と言ってしまえばそれまでではありますが,スーパーソフトでロングランができたのは,タイヤに優しい走りが有ってでしょうし,ミス無く走りきる精神力と集中力も凄いと思います。
ご贔屓ドライバーを20世紀に失い,和製スクーデリアの撤退によって萎えかけていた私に,再び感情移入できるF1の世界を見せてくれる可夢偉の今後に期待せざるを得ません・・・。
ハミルトンは踏んだり蹴ったりでしたが,さすがに悪運強く生き残って入賞しました。
ロウズでマッサにねじ込んだのは,いつもの如くいささか強引に過ぎましたが・・・。
そのマッサは,トンネル内でラインを外してマーブルに乗って万事休す。
絡んだ影響が有ったかどうか分かりませんが,いずれにしてもまた株を下げたことは間違いないです・・・。
3年前のようなぎらついた走りは,もう見られないのでしょうか・・・。
2週間のインターバルで,唯一の北米ラウンドへ。
モントリオールのノートルダム島を中心とするジル・ヴィルヌーブサーキットが次戦の舞台です。
セントローレンス運河に沿った美しい公園の印象とは裏腹に,荒れるGPとしても有名です・・・。
セントローレンスシーウェイにオリンピックローイングストリップというロングストレートが有るだけに,今年もマクラーレン有利と踏みますが,果たして如何なることに・・・。
久々に青ざめた・・・。
モナコGP予選第3ラウンド。
Q1,Q2共に好調なマクラーレン勢を尻目に,1'13"556というスーパーラップを刻んだベッテルの速さに驚嘆した次の瞬間,衝撃的な映像が飛び込んできた。
初のQ3進出を果たしたセルジオ・ペレス(墨:BMWザウバー・フェラーリ)のマシンが,モナコ名物のトンネル出口先のヌーベル・シケインの衝撃吸収バリアに車体右側から当たっていた・・・。
右側のサイドポンツーンがバリアにめり込み,メディカルチームが到着してドライバーを救出して救急車に搬送するまで相当な時間がかかった・・・。
トンネル出口で走行ラインを外し,右のガードレールに当たって,海側にノーズを向けたままバリアにクラッシュ。
思わず悪夢のような94年を思い出した。
確か予選だったと記憶しているが,カール・ベンドリンガー(墺:ザウバー)同じ場所でクラッシュ。
意識不明の重体に陥り,一命は取り留めたものの,将来を嘱望されながら実質F1ドライバーとしての道を断たれることになった。
同じ場所で同じチームという偶然の符合に,本当に青ざめる思いだった・・・。
計測地点のセクター1を過ぎると右直角ブラインドコーナーのミラボーにさしかかり,車速はがたっと落ち,下り坂の途中に有るのがロウズヘアピンである。
車2台が並んで通れるかどうかという狭さで,93年にベルガーとヒルが絡んでベルガーが脱落した場所でもある。
そのロウズヘアピンを下ると紺碧の地中海が一瞬視界に入り,やはり直角の右ターンであるポルティエ。
そしてそこからがトンネルである。
徐々に加速して,モナコ最速の280kmオーバーで,レースでは問題のヌーベルシケイン前でブレーキング勝負となる。
車載カメラの映像を追うと,トンネルを出た瞬間目がくらんで何も見えなくなる。
多分コンマ5秒程度の時間と思うが,そこでラインを外したらお終いというわけだ・・・。
尤も今回のペレスのクラッシュは,解説の森脇さんが仰るようにトンネル内からアンダーステアが出ていて,それによってラインを外して海側に寄ってしまったことでのことかもしれないが・・・。
今日のモナコは快晴。
惜しみなく降り注ぐ南欧の明るい陽光に,私自身も疑似リゾート気分だった。
そこで起きたアクシデントは,改めてF1というスポーツが常に命の危険と隣り合わせであることを如実に示すものだった・・・。
明日の決勝,多重クラッシュのようなことが起きずに,無事に済むことを心から願いたい・・・。
紺碧のコート・ダジュールの海。
林立する瀟洒な建造物。
そして,その間を疾駆する極彩色のマシン。
モナコは別格,モナコは特別,そしてモナコは最高・・・と,どのドライバーも絶賛します。
前戦スペインGPの翌週開催というダブルヘッダーはファンにとって実に嬉しい限りです。
何よりも欧州が一番美しい季節と言われる5月に開催されるというのも,このGPの特徴であり,F1はやはり欧州のもの・・・という感を改めて強くします・・・。
そもそもモータースポーツなどというものは王侯貴族の娯楽であり,お抱え楽士に音楽を演奏させるのと同じ次元の遊びだったと思われます。
そうした意味でも,モナコ大公臨席の下で行われるこのGPは欧州の良き伝統を具現化したものであり,同地の芸術に憧れてきた私がF1にのめり込んだのもある意味必然だったと思われてなりません・・・。
極彩色の甲冑を纏った現代のジークフリードたちが,これまた極彩色の駿馬を駆り戦うのには,この曲がりくねった狭き道こそ相応しいのではないでしょうか・・・。
そしてモナコはカジノの街でもあります。
勇者たちは命というチップを1/1000秒に賭け,己の名誉と栄光のために戦います・・・。
市街地の公道を閉鎖して行われるGPだけに,コース幅は狭いどころの騒ぎではなく,ランオフエリアも殆ど無く(トンネル直後のヌーベルシケインぐらいか),ガードレールが待ち受けます・・・。
2005年だったか翌年だったか,ロウズヘアピンでヤルノがジャンカルロのインを突き,オーバーテイクするというシーンが見られ,TOYOTAのクルーと一緒に小躍りしたのですが,縁石でアンダートレイを壊して万事休す。
1コーナーのサン・デポーテでインに飛び込むのも,ガードレールの餌食になる可能性が高くリスキーでしょう。
優雅で瀟洒な印象とは全く裏腹に,ドライバーにとっては過酷以外の何者でもない難コースとなります・・・。
抜きどころは,上述ヌーベルシケインとトンネル内でスリップに張り付いて・・・なのでしょうが,今年はトンネル内でDRSの使用が禁じられたという情報が入り(危険を伴うからでしょう),FIA(国際自動車連盟)はホームストレートでのDRSの使用を認めると,GPDA(Grand Prix Drivers Asosiation:会長ルーベンス・バリチェロ)は,安全面から使用禁止を要求。
一体どうなるのか,皆目見当が付きません。
DRSの使用が可能になるアクティベーションポイントは最終コーナーのアントニー・ノーズから18m先に設置されるとのことですが,ホームストレートが短い上に狭いので,効果は期待できないのではないでしょうか・・・。
・・・ということで,見逃したFP1の結果を見ると,ベッテル-アロンソ-ロズベルグ-マッサ-ハミルトンの順。
おっさんウェバーはトラブルによってタイムは計測できず,兄シューとリウッツィにクラッシュした模様です。
可夢偉くんは15位。
セッティング探っている状況でしょうか・・・。
さ,9時からFP2だ・・・。
ほぼリアルタイムで見ました。
ようやく過剰な形容詞や無意味な絶叫の無いNextの実況・解説にも慣れてきたかな・・・という感じです。
イベリア半島は温暖なので,各チームが冬季テストに良く使用するのがこのカタルーニャサーキットとヘレスサーキット(かつて欧州GPが開催されたことも)ですし,今は欧州GPとしてバレンシアの市街地コースがGPサーカスのカレンダーに入っていますので,丁度一ヶ月後に再びスペインでF1が開催されることになる訳です・・・。
カタルーニャサーキットが日程に加わったのは,バルセロナで夏季五輪が開催され92年から・・・と記憶しているのですが,ホームストレートのコース幅が広く1コーナーまでも距離があるので,スタート直後にカラフルなマシンが幅一杯に広がってのサイドバイサイドと1コーナー進入のブレーキングが見物・・・と思って来ました(今でも92年のスタートシーンのマンセルの走りは鮮明に記憶しています)。
さて,ベッテルの連続PP記録を途切れさせたのは,同僚のウェバーでした。
そろそろ今年もツキが回ってきても良い頃では・・・と思ったのですが,見事に駄目でした・・・。
逆に見事に1コーナーを征したのが地元のアロンソでした。
アロンソ-ベッテル-ハミルトン-ウェバーの順で,バトンは後退・・・と思ったのですが・・・。
まず赤馬は,プライムとの相性が極悪でした。
オープニングラップを取ったアロンソがよもやのずるずる後退で,5位フィニッシュが精一杯。
妙なゴシップ記事で予想外の渦中の人となったマッサは,只でさえ精彩に欠ける走りなのに(前の晩の影響か・・・をい・・・)ずるずる順位を落とした終盤,よもやのトラブルに見舞われて万事休す。
来シーズン用のマシンの開発が始まったという情報もあって,今季の行く末に完全に暗雲が立ちこめた感じです・・・。
一方マクラーレンは,さすがエンジニアリングとレース戦略に長けており,2位に上がったハミルトンが終盤再三DRSを武器にトップのベッテルを脅かしましたし,バトンもピット作戦とタイヤチョイスが填って序盤で後退するも3位チェッカー。
さすがにな底力の有るところを見せてきました。
尤も,昔からこういうところが好きではないんですけどね・・・個人的に・・・(これ以上書くとセナ・プロ時代の確執とロン・デニスやニール・オートレイ,ハッキネンとクルサードとかいろいろ書きたくなって,完全に暗黒面に陥るので自粛します・・・。最近,ハミルトンがおねいさん方に人気だし・・・)。
終盤,KERSを失ったベッテルをコンマ3秒まで追い上げたハミルトンが,結局抜けなかったのはやはりタイヤでしょうね・・・。
5コーナーの左ヘアピン進入で,ブレーキスモーク盛大にあげていましたからね・・・。
何と言ってもピレリですから,タイヤに優しい走りじゃないと保ちません・・・。
その点,一度パンクで(誰と接触したのか??)どんけつに落ちながら,ステディな走りで入賞をもぎ取った可夢偉の走りは称賛に値するでしょう。
2度目のタイヤ交換で17位に落ちたときに,このまま入賞圏内までどうやって・・・と思った人は,私も含めて多かった筈です・・・。
現時点で入賞率5割は,非力なマシンを考えると上出来すぎてす。
特に今季は,開幕戦の失格さえなければ,現時点で前戦入賞な訳ですから・・・。
今後,トップチームからオファーが有ると良いのですが・・・。
ま,赤馬は保守的で白豪主義でしょうし,マクラーレンも東洋人は乗せたくないでしょうから,ルノーあたりはどうでしょう・・・。
いっそ赤牛でも,期待通りの走りは保証できると思うのですが・・・。
メルセデス2台は揃って入賞。
ザウバーはその次ということですので,完全に中堅チームでも一歩抜けた感じです。
後は予選トラブルで再下位スタートから8位まで持っていったハイドフェルドでしょうか・・・。
昨年後半,すっかり可夢偉の引き立て役になっていたので今季は??と踏んだのですが,さすがにルノーの慧眼というところでしょうか・・・。
予選で一発の走りを決めたペトロフがずるずる後退したのとは好対照でした・・・。
髭を蓄えたその風貌は,心なしか若き日のオビワン・・・というかユアン・マクレガーに見えるようです・・・。
白い服着てビームサーバー持てば・・・と,ついつい訳分からんことを思ってしまいました・・・。
さて,次はダブルヘッダーですので一週間後,地中海の宝石モンテカルロです。
あんな狭い市街地コースでF1マシン走らせるなんて順位は決まり切っている・・・と思いきや,幾多のドラマが繰り広げられてきた地でもあります。
このモナコGPとインディ500,そしてルマン24hを世界三大レースというのですが,それをすべて征したのはグラハム・ヒル(英1930-75)のみです。
96年のF1チャンプとなった息子のデイモンは2位が3回で,トップ快走の96年はエンジントラブルで涙を吞みました(ルマンは参戦している)。
わりと新しいところだと,モントーヤがインディとモナコを征しています。
近年は,インディシリーズ(死語か?)→F1という図式も無くなり(アンドレッティ父子,ヴィルニューブJr,モントーヤまでか。その逆は多々あり),3大レース制覇・・・というのは厳しいでしょう。
SWCなんて結構F1経験者居るのでしょうけど・・・。
因みに,インディ500の日本人最高位は高木虎之助の5位(2003年)。
ルマンでは95年に関屋正徳が総合優勝(マクラーレンF1 GTR。コ・ドライバーはヤニック・ダルマスとJJ・レートというF1OB),04年に荒聖治もプライヴェーターながら総合優勝(アウディR8。同僚の1人は「ルマン・マイスター」と呼ばれ,ティレルのテストドライバーも務めたトム・クリステンセン)。
で,モナコは3年前の中嶋Jrの7位が最高位です。
ぜひ可夢偉くんにはそれを更新して欲しいものですね・・・。
因みに,この三大レースに参戦した日本人は現時点では中野信治だけだそうです。
虎とか右京さんは2つでしょうね・・・。