昨晩,我が県の空港の滑走路付近で,不発弾が発見された。
今日は全便が欠航となり,空のダイヤが大混乱したことだろう・・・。
つい先日,所用で行ってきたばかりなので,人ごととは思われない出来事である・・・。
かつて,私が初めてその空港に行ったのは,小学校1年時の遠足まで遡ることになる。
その時初めて旅客機の着陸を見た(全日空のレシプロ4発だったと記憶している。ヴィッカース・バイカウントか??)。
当時,仙台空港という呼称は普及しておらず(何せ,某テーマパーク同様,冠した土地に無いので・・・),私の周りの年配者たちは矢野目飛行場と呼んでいた(名取郡玉浦村矢野目-現岩沼市玉浦地区-に有ったので)。
で,実際に飛行場を利用するようになったのは,80年代最後の年-つまり平成になってからだった・・・。
根多切れを理由に記憶を辿ってみると・・・。
1989年7月末 札幌便(ANA B767-300)
1990年8月初 大阪便(同)
1993年7月末 札幌便(同)復路は,JALの同機
1994年8月初 那覇便(同)
1996年8月初 那覇便(同)
1997年7月末 那覇便(同)
1998年7月末 札幌便(同)
1999年8月初 福岡便(JAS MD90)
2004年1月初 福岡便(ANA B737-500)
・・・となった。
圧倒的にB767-300ばかりなのは,時代のせいだろう。
先日行ったときは,CRJ-200,700といった小型のリヤジェットばかりだった(ASIANA航空のB767-300は居たが・・・)・・・。
因みに,04年1月の福岡便が現時点での最終フライトで,以降関西に行くのもJR利用になったので,もう8年以上飛行機に乗っていないことになる・・・。
・・・で,不発弾である(前置き長すぎ・・・)。
どうやらWWIIの米軍の500ポンド爆弾のようだ。
当時,陸軍航空隊の飛行学校が有ったので(航空大学校の前身か??),それを目標に空爆したのだろうか・・・。
或いは,昭和20(1945)年7月10日の仙台空襲の際に,ついでに落としていったのだろうか・・・。
実際B29が3機,蔵王山系の不忘山に激突して墜落したということもあったので(何と東京大空襲の前後),米軍機の空爆ルートだったのかも知れない・・・。
東京大空襲は仙台空襲の丁度4ヶ月前だから,当時硫黄島の飛行場はまだ米軍が使用していなかったと思われる。
・・・ということは,さらに南のサイパンから飛来したのか・・・などと考えてしまった・・・。
陸上でのことなので,山形の神町から陸自の不発弾処理班がやってきて,処理に当たったので,明日は通常通りの運行になるという・・・。
かつては成田や羽田は勿論,女満別,釧路,函館,帯広,旭川,三沢,新潟,松本,岡山,関西国際,神戸,広島西といった諸都市へのフライトも有ったが,今は私が乗った路線以外では,広島便と中部国際便,そして小松便だけのようだ・・・。
今年は受験生を抱えているので,家族で遠出する予定もなく,飛行機はさらに遠い存在になりつつある。
一度,仙台発の国際便に乗ってみたい気もするが,韓国とか中国,台湾,グァムに行きたいとは思わないので,それも無いだろう・・・。
それより,1日1便で夏は連日満席の那覇便にまた乗ってみたい気もする。
日本海側の海岸線に沿って飛ぶので,抜群に面白かったのは福岡便だったが・・・。
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