1935年5月19日,1人の英国人が46歳で逝った。
T.E.ロレンス(1888-1935)。
軍人にして考古学者。
むしろ,巨匠サー・デヴィッド・リーン監督による映画「アラビアのロレンス」(62)の主人公,と言った方が分かり易いかも知れない。
「アラビアのロレンス」冒頭,オートバイに乗って出かけるロレンスの姿と続く事故のシーン,そしてロレンスの葬儀の場面から映画は始まる。
葬儀が行われたのは,もしかするとウェストミンスター大聖堂だろうか。
弔鐘が鳴り,葬儀に参列した人々が寺院の石段を下り,生前のロレンスに思いを馳せるところから,物語は若き日のロレンスと共に彼が終生愛した中東へと一気に飛ぶ。
以降のロレンスの行状は,「T.E.ロレンス」で検索していただいた方が私が駄弁を弄する100万倍も効果的だが,第一次世界大戦中,カイロの情報部に勤務していたロレンスが,アラブ人の反乱に乗じて現地のベドウィン族を結集。
断末魔状態にあったオスマン帝国の支配下にあったアラブ民族独立のために彼等と共に戦うことになる。
その結果,独立は勝ち得たものの英帝国の中東支配と,アラブの族長たちの思惑の相違に悩まされ,失意のうちに中東を去る,というものである。
ロレンスの私生活は生前から謎に包まれたものだったらしい。
両親の離婚等,複雑な家庭の事情,名門オックスフォード大学在学中に十字軍の研究を行い,シリアを現地踏査した結果,中東に魅せられたこと,日本でいう衆道(男色)の気があったらしく,常に稚児ともいうべき少年を帯同していたこと(映画でも同行の少年が砂漠の砂に飲み込まれる場面がある),失意の帰国後は精神を病んだこと,軍隊でのことが忘れられなかったのか,除隊後も偽名を使って空軍・陸軍に入隊したこと,東大が客員教授としてロレンス招聘を考えていたこと,等々,彼にまつわるエピソードは枚挙に遑がない。
しかし,映画はそうした面ではなく,飽くまでも人間ロレンスのヒロイズムと中東への愛着に焦点を当てた点で極めて秀逸な作品となった。
広漠たる白い砂漠は,まるで大海原のように見える。
そこを純白のアラブの婚礼衣装を着たロレンスが一人歩いていく。
壮大な映画を撮らせたら,デヴィッド・リーンの右に出る者は無い,と言っても良いかもしれない・・・。
主演のピーター・オトゥールは,噂によるとロレンスの遠縁らしい。
尤も,ウェールズ生まれのロレンスに対し,オトゥールはアイリッシュだが・・・。
ロレンスは長身が多い英国人にあって,身長165cmと小柄であったらしい。
それがコンプレックスだったらしいが,オトゥールは180cmを越える長躯で痩身であり,青い瞳が印象的だった(後にオードリー・ヘップバーンと共演した「おしゃれ泥棒」は実にスリムなコンビだった)。
「ラスト・エンペラー」(87)での,宣統帝溥儀の家庭教師レジナルド・ジョンストン役では,すっかり爺様になっていたが・・・。
当時気鋭だったフランスの作曲家モーリス・ジャールの手になる劇伴も,そうしたリーンの手法に寄り添うように,あるときは荒々しいアラブのバーバリズムとエキゾティシズムを,ある時はロレンスを示す第二主題のように叙情的に,またある時は冒頭で演奏される「メインタイトル」のように劇的且つ軽快に奏でられる。
また,カイロの英国軍司令部の場面では,アルフォード(同じくリーン監督の「戦場に架ける橋」では「ボギー大佐」が「クワイ河マーチ」として使用されている)作曲の行進曲「銃声」が効果的に導入されている。
また,打楽器を専攻したジャールらしく,極めて効果的に各種打楽器やオンドマルトノが多用されている。
英国PYE(ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団のLPで知られる)原盤によるサウンドトラックは,ホルストの「惑星」の初演者であるサー・エードリアン・ボールトの指揮ロンドンフィルハーモニーと,タイトルバックでクレジットされているが(CDでは作曲者の自演),ステレオとはいうもののレンジが狭く何とも古雅な味わいだ(私はLPを持っている)。
以前出ていたフィルムサウンドのCDは廃盤のようだ(因みに,私はジャールがBBCのオケをロイヤルフェスティバルホールで指揮した96年10月のライブ盤を手に入れた)。
実は,これだけ語っていながらDVDを持っていない。
愛蔵版を買うべきか,廉価版で済ませるか悩み中だが,今夜はVTR回して,冒頭の「メインタイトル」と,巡礼鉄道爆破のシーン,そしてアカバ港開放とダマスカス入場のシーンを見てから寝よう・・・。