ヨナの福音こばなし帳

オリジナルのショート・ストーリー。一週間で一話完結。週末には、そのストーリーから人生の知恵をまじめにウンチクります。

あれっ、洗濯機は?(6)ウンチク編

2008-02-10 | 放蕩息子Part2
ストーリーのなかで、子どもの洗濯物がたまってどうしようもなくなっているのは、母親のせいではありません。母親は、ちゃんとそれを見越して、洗濯機の使い方を何度か教え、そして洗濯機を持たせて送り出しました。問題は、子どもが持っている洗濯機を使わないところです。

イエスは弟子たちを世に遣わすにあたって、それが「狼の中に小羊を送り出すようなもの」とわかっていました(ルカ10:3)。それで、弟子たちに「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授け」て、遣わしたのです(ルカ9:1-2、10:19)。後は、弟子たちに必要なことは、敵の力、悪魔の攻撃があるたびに、「イエス様、助けて、何とかしてください」と祈るのではなく、委ねられた権威を自分で適切に用いることです。

ある人たちは、クリスチャンになると悪霊、悪魔の働きを受けなくなると考えます。しかし、聖書は、はっきりと、クリスチャンも悪霊、悪魔の働きを受けることが記されています。

しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、
ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、
信仰から離れるようになります。
(テモテの手紙第一 4章1節)

-疑い。十字架のメッセージを何度聞いても赦されている確信を持てない。あとで疑いの思いがくる。
-恐れ。頭ではわかっているつもりだが、本当のところ、神様を信じて委ねきれない。踏み出せない。
-拒絶。あの人のことは神は愛しているが、自分はダメだ、違うと思ってしまう。
-怒り。聖書に記されていないことなのに、それが聖書の真理だと思っている。それを指摘されると、怒る。
-偽り。明確に聖書が語っていることなのに、それをそのとおり受け入れられない。
-・・・

上のすべてのケースが悪霊の働きであるとは言いませんが、どんなにしても変わらない、繰り返し同じ分野で問題がある、もしそうであるなら、悪霊が自らに働いていることをほったらかしにしているからかもしれない、と考えることは、聖書から掛け離れているしょうか。

クリスチャン(イエスを救い主また主として信じる者、キリストの弟子)には、神の権威、御名の力が委ねられています(マルコ16:15-18)。大切なことは、それを自分で適切に用いることです。


兄弟たちは、小羊の血と、
自分たちの証しのことばのゆえに
彼(悪魔)に打ち勝った。
(黙示録12章11節)





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