☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

高齢者の目から見た、身の回りの出来事を、
そこはかとなく書き連ねました。

◆ 刑務所 避難所

2016年11月06日 | 熊本地震


引用 2016/6/3 1:45
日本経済新聞 電子版
 全国の刑務所や拘置所が自治体と防災協定を結ぶ動きが広がっている。災害時に施設の一部を避難所や物資の集積拠点として提供する。刑務所は収容者や刑務官の非常用食料を独自に備蓄し、自家発電などの設備もそろう。法務省の担当者は「刑務官を避難所の運営にあたらせるなど、人材面でも貢献できる」と話している。

 「受け入れてくれて本当に助かった。感謝以外の言葉がない」。熊本地震で避難所として開放された熊本刑務所(熊本市)に夫婦で身を寄せた土本洋治さん(80)は振り返る。

 自宅の損壊は免れたが、収まらない余震に恐怖を感じ、近所にある指定避難所の小学校を訪れた。しかし、すでに避難者で満杯になっていた。行き場がないことを近くに住む長男に相談したところ、同刑務所が避難所になったことを知った。

 刑務所は災害時も受刑者の収容などの業務を継続する必要があることから、一般的に関連施設を含めて頑丈な建物が多いとされる。

 今回の熊本地震でも同刑務所に大きな被害はなく、受刑者らに混乱も起きなかった。本震直後の4月16日に近隣の住民が相次いで助けを求めてきたことから、刑務官が使う道場を急きょ避難所として開放した。

 刑務所に収容されている受刑者らは、自治体に住民の安全確保などを義務付けた災害救助法が適用されない。自治体の支援を受けられないことから、刑務所は普段から災害時用の食料を備蓄し、自家発電装置も整う。

 熊本刑務所には避難した住民のために近県の刑務所からも3万5千食の非常食や水などが届いた。同刑務所には一時、280人が身を寄せた。

 土本さんも5月下旬まで避難生活を送った。「刑務所が避難所になったと聞いて最初は半信半疑だったが、トイレ掃除や食べ物の配給など管理が行き届いていて快適に過ごせた」と話す。職員は一部の避難者の自宅の片付けにも協力した。

 熊本刑務所と熊本市は防災協定の締結に向けた交渉の最中。協定案には災害時に施設を避難所や消防などの活動拠点にできることが盛り込まれており、法務省の島孝一参事官は「準備段階にあったことがスムーズな避難所開設に役立った」と話す。交渉は最終段階にあり、両者は協定の正式な締結を急ぐ。

 熊本刑務所は住民が少なくなったことを受けて、5月24日に避難所を閉鎖した。法務省から派遣され、現場の陣頭指揮に当たった大竹宏明企画官は「不安そうだった子供が最後は笑顔で帰宅して行ったのが感無量だった。災害時に刑事施設をどう役立てるか、今後も考えていきたい」と話している。
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◆ 認知機能の衰えには栄養不足が関与?!大災害後に要注意。

2016年08月14日 | 熊本地震
 70歳過ぎた頃から、物忘れが酷くなり、あ~ぁついに私も・・・と確実な老いの始まりを実感していました。
 そんな最中の熊本大地震!
震源地から少し離れていたので、震度6弱で、幸いにも自宅の被害は小さくて済み、
揺れのせいで縦にギザギザ状に破れた壁紙、外れたフスマ、和式便器への落下物による使用不可の破損、浴室のタイルの剥離・ヒビ、外壁に走る多くのクラック、屋根瓦のズレと浮き上がり、すべての家財が引き出し・棚から飛び出してゴミ屋敷状態に積み重なり割れたガラス・陶器で危険に、
程度で済みました。(その後の度重なる余震で、外壁のクラックは現在も増えつつあるのが不安ですが・・・。)
 一番主婦として困っているのが、歩いて12~3分の行き付けの鉄骨4階建てのスーパーが倒壊したことです。
生鮮食品を入手するのが困難な状態が長く続きました。
それに、認知の症の予防になるからと、日頃食べていたコリン・レシチン(参考・健康長寿ネット)が多く含まれる 大豆・豆腐・納豆・卵・肉類を食べる機会も大幅に減っていました。
 そんな中、一人暮らしの71歳の知人に電話してみると、気分の落ち込みが酷くてつらいとのこと。食べる気力もわかないというのです。
老人通所施設に通えば気分転換できると思い、市役所に相談の電話をしてみたら、介護認定を受けていないので、ダメだとのことです。
その上、知人と同じ状態の方々が介護認定を受けたいと殺到しているので、2~3ヶ月待ちとの返事です。こんな緊急時でも規則に縛られているのです。
結局、彼女が持病で通院していた内科医の手配で、精神科専門病院へ三ヶ月間の避難的入院ということになりました・・・。
 その後会った別の知人から、共通の知人が被災後「欝」で苦しんでることを聞きました。
家が全壊し、ご主人と近くの指定外避難所に避難したそうですが、食料が極端に不足し、ペットボトル1本と菓子パン1個のみの日が続いたとのこと。
体が弱り気力まで衰え、見るに耐えなくて心配した知人の誘いでついに指定外避難所から知人宅へ移ったそうですが、欝との診断で通院。顔から笑顔が消えているとの話しに驚きと心配になりました。
 翻ってわが身をみると、気分にムラが多く、しかも直ぐに怒り出すし、かと思うと気分が沈みこみ涙が流れる。
しかし他の人と接する時は、元気で明るく振舞う。
一番困ったのが、記憶力の著しい減退と、行動の混乱・・・例・孫息子のお弁当をリュックに入れる際、頭で「これは〇〇君のお弁当」と思っているのに、孫娘のリュックに入れており、孫息子のリュックに孫息子のお弁当を入れようとして捜しまわったり、水筒も入れ間違うのです。
 それと、チョイ置きした場所を思い出せないこと。
玄関の鍵はケータイにストラップみたいにぶら下げて、置き場所を思い出せなくても、固定電話から呼び出し音を鳴らすことで解決しましたが、そのほかの物に関しては、探し回る毎日です。暇だからいいのですが、時間的ロスは甚大で、情けないです。
それが最近酷くなるので、「認知症」の専門医に見てもらおうとネット検索し、熊本県に10箇所。内市内に2箇所の病院内に設置されている「認知症疾患医療センター」を受診すればいいことがわかりましたが、自分では認知症と自覚してるが、診断で確定される恐怖・・・
それで、薬ではなく食べ物で認知症を軽くしたり、予防することは出来ないかを調べてみました。
分かったのは、ある種類の栄養素の不足が一因だということがわかりました。
 震災後、欝になったり自殺者がでてしまう原因の一つに、食べ物のバランスの崩れがあることを知り、一昨日から、料理下手になって家族が食べ残すことが多くなっているのを解決する早い方法として、既製の弁当を当分の間頻繁に購入して食べてみることにしました。
ある意味主婦道としては邪道ですが、認知症気味の家事担当者の救いはそれしかありません。
 早速コンビニで「着色料・防腐剤無添加」がキャッチフレーズの、野菜が多く使ってある何種類かのお弁当を買って夕食で食べました。
久しぶりに、おなかイッパイに食べた気がしますし、家族も完食!
そして一夜明けた今日、なんだか、目がパッチリ開いて、頭もいつもよりはっきりしている感じです。
 暫く食べ物で改善を図りたいと思います。
 それにしても、食べる物によって 認知症 になるとは!
自殺する人や、認知症の発症を防ぐ為にも、自治体は大震災後被災者の食事の水準維持に努めるべきだと思います。
 下記は(荒川泰昭ホームページ「生命と微量元素」講座、講座:「栄養と微量元素」の項 http://www.arakawa-yasuaki.com/より引用)
2.脳の機能を円滑にするビタミン
” 脳が活発に働くには、エネルギー源となるブドウ糖の他に、種々の脳機能を円滑に働かせる栄養素が必要である。
ビタミンは脳機能の円滑化に極めて重要であり、種々の神経活動に関与し、糖を分解してエネルギーを生成する時に消費される。
とくに、ビタミンB群は「神経ビタミン」と呼ばれ、ビタミンB1(チアミン)、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB3(ニコチン酸)などはエネルギー代謝に関与し、ビタミンB6(ピリドキサール)、パントテン酸、葉酸などは神経伝達物質の合成に関与する。
一般に、ビタミンが欠乏すると、興奮し易く、疲れ易く、意気喪失し易いが、不安感から過敏となり、怒りっぽくなる。また、記憶や概念の抽象化が著しく減退する。ビタミン欠乏の脳への影響は高齢者に出現し易いが、短期間の欠乏は補給により改善する。以下、主なビタミンについて概説する。
 チアミンはATPの存在下でリン酸化され、チアミンピロリン酸となり、ピルビン酸脱水素酵素やα-ケトグルタル酸脱水素酵素など触媒の役割をしている酵素の補酵素(活性部分)として働く。従って、ブドウ糖を完全に二酸化炭素と水に分解(酸化)してエネルギーをATPに変換している脳にとって、チアミンの欠乏はブドウ糖の酸化が阻害されるため、致命的となる。このビタミンは“道徳ビタミン”とも呼ばれ、これが不足すると協調性や道徳性が低下する。症状として、興奮性、うつ、攻撃性、非協力性、不幸感や頭痛、吐き気、嘔吐などが見られる。また、慢性アルコール中毒を併発すると、記憶障害、時間・空間に関する見当識の喪失、運動失調症などが見られる。食生活においては、糖分の取り過ぎ、アルコール、コーヒーの飲み過ぎ、タバコの吸い過ぎによるチアミンの過剰消費や生魚(チアミナーゼ多含の)の過食によるチアミンの破壊などもチアミン不足の要因となるので注意すべきである。チアミン類は消化管でも血液脳関門でも遊離のチアミンとして通過する。チアミンは一日につき1000カロリー当り0.5 mgの摂取が適当とされている。穀類の胚芽に多く含まれ、牛肉、豚肉、堅果、豆類などにも含まれる。
 ニコチン酸は体内でニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド(NAD)とそのリン酸化物(NADPH)に変わり、解糖および細胞呼吸に関与するので、脳のエネルギー代謝には必須の栄養素である。脳内では肝臓のようにトリプトファンからのニコチン酸合成系は存在しないので、ニコチン酸そのものを摂取する必要がある。ニコチン酸が欠乏すると、痴呆、皮膚炎、下痢を三大徴候とする「ペラグラ」と呼ばれる病気にかかる。この病気はトリプトファンの欠乏さらには肝臓で合成されるべきNADの欠乏によるものである。中程度の欠乏では痴呆にまでは至らないが、うつ病、不安、情緒不安定、刺激に対する感受性の増大、短期記憶の消失などの症状が発現する。
 
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◆ 宮大工の卵が倒壊神社の再建へ汗 熊本の球磨工高生、知識生かし装飾保護

2016年07月13日 | 熊本地震
 全国で唯一、宮大工の養成課程がある球磨工業高(熊本県人吉市)の生徒たちが、熊本地震で倒壊した同県益城町の木山神宮の再建支援に乗り出した。「住民の心のよりどころを取り戻したい」。そんな思いから、地震から3カ月となるのを前に、12日、装飾品の取り出しなどの文化財保護作業に取り組んだ。東日本大震災でも支援経験がある同校の生徒たちは培った知識や技能を活用して、地元の人々を勇気づける。

 木山神宮は町内最古の1752(宝暦2)年建築。4月の地震で本殿や拝殿、楼門、鳥居など境内の全建築物が全壊した。復旧への公的な補助金が出ない未指定文化財のため、自力で再建しなければならず、苦境を知った同校は「解体時の装飾品の損失を防ぐ」などとして保護作業を申し出た。

 作業は12、13日に行い、建築科3年の3人と伝統建築専攻科2年の3人、職員4人が取り組む。12日は現状を写真に収め、部材の名称と位置を記録。工具を使い、つぶれた本殿内から長さ約3メートルの柱を引き抜いたり、一刀彫の装飾品を取り出したりした。

 同校は東日本大震災で被災した神宮に社殿(高さ2・6メートル、幅2メートル)を贈呈したことがある。ただ、今回のような大型の本殿の再建協力は難しく、今後は、破損した仏具「厨子(ずし)」の修復などに加勢できないか検討していくという。

 伝統建築専攻科2年の蓑田崇馬(はりま)さん(19)は「墨や手彫りの跡など歴史を感じた。神社が前に進めるように役立ちたい」。作業を見守った矢田吉定宮司(66)は「復興への長い道のりの一歩が始まった。生徒たちの支援に感謝したい」と語った。

=2016/07/13付 西日本新聞朝刊=
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◆ プロパンガスも進化。熊本地震後もすぐに煮炊き・お風呂沸かしが出来ました。

2016年06月17日 | 熊本地震
 震度6弱の最初の地震が襲った時、孫たちはシャワー中でした。
狭い浴室内での洗髪中で揺れに気付くより、シャワーが冷たい水になった事が印象深かったようです。
と言う事は、危険な揺れでボンベが大きく揺れると、自動的にガスボンベからガス出なくなる遮断装置が働くのです。ボンベが万一倒れても、バルブ部分が閉まってガスは漏れないのです。
 揺れが収まったら備え付けの指示書にしたがって自分で解除できました。
隣家との間にボンベが設置されているので、実際のところ地震が襲った時に隣家に迷惑なことになりはしないかと不安でしたが、遮断装置が有効でした。
 都市ガスも各家庭の調理器具や機器に遮断装置があり、今回ニュースになるほどの火事が起きなかったことは、不幸中の幸いと言えると思います。
 プロパンの利点は、遮断を解除さえすれば、すぐに煮炊き・シャワーが出来ることでしょうか。
▼参考記事「教訓生きた熊本地震の初期対応・進化した都市ガス復旧応援隊」
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◆ 熊本地震は 私の体の一部にも 痕跡を残した! 

2016年06月13日 | 熊本地震
 熊本地震から一月半後の5月31日の熊本城を、電車通りを挟んだ市役所本庁の14階から私のガラケーの携帯で写しました。
テレビでは見てましたが実際に目にすると、あまりの甚大な被害の有様に驚きました。
ブルーシートに覆われ土埃を被ったお城・石垣は、黒と白で異彩を放っていた面影すら感じられない酷さです。
眺めていた他の方々も、驚きを同伴者と小声で語り合っていました。
 地震前の壮大で美しい熊本城は「熊本城公式ホームページ」でご覧ください。
 ところで、手の爪は平均一日0.1ミリ伸び、約三ヶ月で生え変わるそうですが、地震後手をじっくりと見る暇も無く過ごし、地震から1ヶ月と十日後の5月26日に何気なく手の爪を見てエエッ!爪に段が付いているのです。右手の親指と人差し指の爪です。
            
 調べてみると
親指の横線・・・ 精神的ストレス、過労
人差し指の横線・・・皮膚病や皮膚疾患
中指の横線・・・  尿酸の排泄が良好でない
薬指の横線・・・  喉など気管系の病気、目の病気
小指の横線・・・ 神経痛などの病気
という紹介記事があり、他も同じような指摘の記事が多いです。
やはり、震度6強と震度6弱の地震の恐怖を表してるのだなと納得しています。
人差し指の線の件は、私は納得しかねて今は通院せず保湿クリームですませている医師曰く「老人性湿疹」のせいなのかなと思っています。
 現在の爪です。横線は痕跡が薄くなってきています。                                
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ピカチュウのキャラクターとモデル

2016年06月12日 | 熊本地震

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◆ 熊本地震 被災から一ヶ月。体験しないと分からなかった三つもある判定の紛らわしさ。

2016年05月22日 | 熊本地震
 熊本地震から一ヶ月が過ぎたのに、台風・豪雨と違い いつまでも震度3の揺れ、時には4も!収束がいつなのかが分からない重圧感は精神を痛めつける。
我が家の孫は軽症だが、一人になることを怖がる。幼児返りしてお母さんに抱かれて登校している学童も見かけました。
 熊本市教育委員会は、熊本地震に伴う小・中学生6万1.039人への心と身体の健康観察調査を実施し、カウンセリングが必要と思われるのは全体の約3.5%にあたる2,143人にのぼることが判明し、市教育委員会は児童生徒が相談できる体制を整え、各県からのスクールカウンセラー派遣依頼も実施した。
 又、熊本から脱出のため転校する動きもあり、近所のお友達も父親を残して県外の実家へ避難。
先の3.11大震災による放射能問題で熊本に避難した東京の親子さんたちが、熊本から安全な県へ転校する動きもあります。
それらを羨ましいと感じつつも、此処に居るしかないので、覚悟を決めてテレビの情報や地震雲の出現を気にしながら 非日常と日常が混在する中、体調管理に気を配り、時にはズボラを決め込んで長期戦に臨んでいます。
 ところで、熊本地震 で被災して 被災度の判定が今知る限りでは三つあり、判定基準がバラバラなことです。
▼①応急危険度判定~3段階ー 応急危険度判定士
 
▼②罹(り)災証明   ~被災した住宅や事業所の被害程度を市町村が公的に証明する書類。
            東日本大震災後、改正災害対策基本法で速やかな発行が義務づけられた。
          ・「全壊」・「大規模半壊」・「半壊」・「一部損壊」・「床上浸水」
          ・「床下浸水」・「被害なし」
          この証明書によって住宅が全壊(全焼・全流失)した世帯、
          あるいは住宅が半壊または敷地等に被害が生じてやむなく解体した世帯、
          大規模半壊世帯と認定されると、被災者生活再建支援金の支給対象となる。
          家屋の被害の度合いに応じて支援金の額や支援の規模も異なる。 
▼③地震保険損害認定~「全損」・「半損」・「一部損」ー調査員は1級・2級建築士で所定の研修受講。
       
    ・家財は 家財保険加入者のみの適用です。
 ●参考記事 「国の被害認定と地震保険の損害認定どう違う」
罹災証明書では「全壊」でも、地震保険で「全損」になるとは限らないし、
地震保険では「半損」でも、罹災証明書で「半壊」になるとは限らない。
 我が家は、応急危険度判定では、「要注意」でした。罹災証明は申請中。、
地震保険の認定は「基礎部分にダメージあり」で 半損!外壁の亀裂に気をとられていましたが、半損に衝撃を受け、膝を付いて基礎部分を確認したら、ゾーッ、ボロボロ!
家はまだ傾いてはいませんが、補修する前に 大きな地震が発生しないことを祈るのみです。
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◆ 熊本城までもが崩れるなんて・・・。

2016年04月30日 | 熊本地震
 ほんの先日の4月2日、中学の学年同窓会会場への道すがら、熊本城への御幸坂(みゆきざか)を満開の花の下、観光客の人並みが途切れることなく続くのを市電の中から眺めて、熊本城も有名になったと誇らしく思い、又、通常と違い満員の市電の乗客の殆どが、アジア系の外国の人で占められているのにも驚き誇らしくさえ感じたことでした。
それがほんの12日後には、熊本地震が襲い一変するとは!
 いつかは、活断層による地震があるとは思ってはいても、南海トラフの地震の方が緊急性があると思って、南海トラフの地震の場合熊本の震度が5強程度と予想されていた為、油断してしまっていました。
 4月14日21時26分の突然の未だ嘗て体験したことの無い震度6弱が!ガガガガガという激しい揺れに、パソコンの前の私は、「しまった!きた!」と心の中で叫びつつ、パソコン台のプリンターがあるので、身を低くも出来ず、パソコンが滑り落ちるのを抑えることしか出来ませんでした。揺れが収まりゴミ屋敷状態に散乱した部屋から脱出して、家財を踏みつけながら一階へ降り玄関から外へ。
パソコンの部屋は、コザコザはあっても、大きな家具が無かったので怪我もありませんでした。
 娘と孫たちはシャワー中で浴室にいたので、家具類の倒壊に会うことなく、少し遅れて服を着て出てきました。
 夫は隣接の自作のMY小屋に居たのですが、なかなかでてこないと思ったら、揺れが収まったところで自分の大事な物を持ち出そうと選別中。「早く出ないと又地震が来る!」と大声で呼びかけようやく出てきました。
孫たちは 地震の怖さとよく体を拭かずに服を来たせいもあり、震えていました。
震度6弱!まさか隣接地の益城で震度7で甚大な被害が出ていようとは!
携帯電話の普及は有難いもので、情報がすぐ伝わってきました。益城の被害状況の画像も道路に飛び出した近所の人々から見せてもらい、状況が掴めました、幸い停電しなかったので、夫の小屋の小型テレビを玄関外に持ち出して地震のニュースを見ることができました。
自宅前の4m道路には毛布で冷えを防ぎながら不安げなご近所の方々が、思い思いに座り込んでいます。
時折、ド~ンという音とともに揺れます。
我が家の猫ちゃんは外に出てきませんが、きっと驚いて隅っこに隠れてると信じました。
 道路上での眠れぬ一夜が明け、恐る恐る家屋内に入り、家財の散乱振りには驚きました。
台所だけでもと、割れた食器をゴミ袋に入れながら、片付け開始。
台所をリフォームして食器棚を処分していてよかった。
通り道だけ空ける程度の片付けでよしとして体力を残しました。
 ・・・最初の写真は我が家の震災時計です。震災時刻で止まっています。・・・
 それからが、ショッチュウ地震がきます。
震度1もカウントしたら1000回以上とか。
 「ゆれ疲れ=耐震性の低下」という言葉も知りました。(赤色の文字をクリックで 説明記事が表示されます。)
建物を擬人化した表現で、何回も揺れてると、家自体に緩みが来て、次に強い地震が来ると倒壊の危険が高まるというのです。
我が家もそうだと思うと怖くて、15日から28日まで車中泊をしました。
幸いスバルのサンバーバンなので、布団を敷いて足も伸ばせました。
 27日まで猫のさくらは怖いのか、隅っこから出ません。餌と水は取替えながら、食欲・気力の回復を待ちました。27日になると階段を下りて1階に現れるようになり安心しました。とたんに私も家屋の1階で、さくらの目の届く範囲で寝るようになりました。お互い近くなのが不安を打ち消しあっているようですし、猫の自然に対する本能を信じての私の行動です。
台風や洪水は、気象予報で過ぎ去ることが確認できますが、地震ばかりはいつ収束するのか判断できないのが厄介です。日常に戻っている部分もあり、あとは自分の決断次第。
揺れる間隔も長くはなっています。しかし、突然最大なのが一発来ないとも言いきれず、自然の力の前の人間の弱さを感じ、畏れつつもつかの間の運命を生きるしか仕方がありません。
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