☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

高齢者の目から見た、身の回りの出来事を、
そこはかとなく書き連ねました。

◆ 熊本城までもが崩れるなんて・・・。

2016年04月30日 | 熊本地震
 ほんの先日の4月2日、中学の学年同窓会会場への道すがら、熊本城への御幸坂(みゆきざか)を満開の花の下、観光客の人並みが途切れることなく続くのを市電の中から眺めて、熊本城も有名になったと誇らしく思い、又、通常と違い満員の市電の乗客の殆どが、アジア系の外国の人で占められているのにも驚き誇らしくさえ感じたことでした。
それがほんの12日後には、熊本地震が襲い一変するとは!
 いつかは、活断層による地震があるとは思ってはいても、南海トラフの地震の方が緊急性があると思って、南海トラフの地震の場合熊本の震度が5強程度と予想されていた為、油断してしまっていました。
 4月14日21時26分の突然の未だ嘗て体験したことの無い震度6弱が!ガガガガガという激しい揺れに、パソコンの前の私は、「しまった!きた!」と心の中で叫びつつ、パソコン台のプリンターがあるので、身を低くも出来ず、パソコンが滑り落ちるのを抑えることしか出来ませんでした。揺れが収まりゴミ屋敷状態に散乱した部屋から脱出して、家財を踏みつけながら一階へ降り玄関から外へ。
パソコンの部屋は、コザコザはあっても、大きな家具が無かったので怪我もありませんでした。
 娘と孫たちはシャワー中で浴室にいたので、家具類の倒壊に会うことなく、少し遅れて服を着て出てきました。
 夫は隣接の自作のMY小屋に居たのですが、なかなかでてこないと思ったら、揺れが収まったところで自分の大事な物を持ち出そうと選別中。「早く出ないと又地震が来る!」と大声で呼びかけようやく出てきました。
孫たちは 地震の怖さとよく体を拭かずに服を来たせいもあり、震えていました。
震度6弱!まさか隣接地の益城で震度7で甚大な被害が出ていようとは!
携帯電話の普及は有難いもので、情報がすぐ伝わってきました。益城の被害状況の画像も道路に飛び出した近所の人々から見せてもらい、状況が掴めました、幸い停電しなかったので、夫の小屋の小型テレビを玄関外に持ち出して地震のニュースを見ることができました。
自宅前の4m道路には毛布で冷えを防ぎながら不安げなご近所の方々が、思い思いに座り込んでいます。
時折、ド~ンという音とともに揺れます。
我が家の猫ちゃんは外に出てきませんが、きっと驚いて隅っこに隠れてると信じました。
 道路上での眠れぬ一夜が明け、恐る恐る家屋内に入り、家財の散乱振りには驚きました。
台所だけでもと、割れた食器をゴミ袋に入れながら、片付け開始。
台所をリフォームして食器棚を処分していてよかった。
通り道だけ空ける程度の片付けでよしとして体力を残しました。
 ・・・最初の写真は我が家の震災時計です。震災時刻で止まっています。・・・
 それからが、ショッチュウ地震がきます。
震度1もカウントしたら1000回以上とか。
 「ゆれ疲れ=耐震性の低下」という言葉も知りました。(赤色の文字をクリックで 説明記事が表示されます。)
建物を擬人化した表現で、何回も揺れてると、家自体に緩みが来て、次に強い地震が来ると倒壊の危険が高まるというのです。
我が家もそうだと思うと怖くて、15日から28日まで車中泊をしました。
幸いスバルのサンバーバンなので、布団を敷いて足も伸ばせました。
 27日まで猫のさくらは怖いのか、隅っこから出ません。餌と水は取替えながら、食欲・気力の回復を待ちました。27日になると階段を下りて1階に現れるようになり安心しました。とたんに私も家屋の1階で、さくらの目の届く範囲で寝るようになりました。お互い近くなのが不安を打ち消しあっているようですし、猫の自然に対する本能を信じての私の行動です。
台風や洪水は、気象予報で過ぎ去ることが確認できますが、地震ばかりはいつ収束するのか判断できないのが厄介です。日常に戻っている部分もあり、あとは自分の決断次第。
揺れる間隔も長くはなっています。しかし、突然最大なのが一発来ないとも言いきれず、自然の力の前の人間の弱さを感じ、畏れつつもつかの間の運命を生きるしか仕方がありません。

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