↑↑1989年のアラスカ沖のタンカー事故。海の生き物たちにも被害が!
今回のメキシコ湾海底油田事故も爆発の原因は不明だが、油が大量に漂着のルイジアナ州知事は非常事態を宣言、米海軍も原油除去の支援に乗り出した。
現場海域はカキやエビ、クロマグロの漁場で、ウミガメやマッコウクジラ、野鳥などの生態系も危機にさらされている。
今回の海底油田事故は、事故の想定と対策も確立せぬままに進められてた事が暴露されたわけです。
タンカー事故による油流出は、タンカーの構造の見直しで危険を少しでも避ける方向へ漸く動き始めています。
●タンカー改良の一部●
★2001年4月に開催された国際海事機関(IMO)内の海洋環境保護委員会で、
海洋汚染防止条約対象であるシングルハル・タンカーの使用を
原則船齢25年で順次廃止し、最終使用期限も原則2015年に決定された。
2002年9月1日発効。
★例外事項
旗国の許可により、2017年まで使用可能。
海洋汚染防止条約終結国は、2015年以降
シングルハル・タンカーの入港を拒否できる権利を有する。
★ダブルハル(二重船殻構造)
1989年のタンカー「エクソン・バルディーズ号」の座礁事故での原油流出による大規模な環境汚染が発生したため、1992年よりIMO(国際海事機関)の取り決めで1993年7月以降に建造契約されるか、または1996年以降完成の積載重量600トン以上の新造油槽船については船体全部が二重船殻(ダブルハル:Double Hull)構造とし、既に建造済みの一重船殻(Single Hull)タンカーの廃船を促すなど、事故発生時の環境負荷リスクの低い油槽船への切り替えが義務付けられた。
★ミッドデッキ構造例外事項
日本発の建造規格である。原油タンクを上下の2層にだけ分け、舷側だけを二重船殻構造にして船底は一重船殻構造のままである。上下のタンクを分ける中間デッキが喫水線より下にある点が重要で、これにより下のタンクの原油の圧力は常に周囲の水圧よりも低く保たれる為、衝突・座礁によって下部タンクの底に穴が開いても海水より比重の軽い原油はタンクの上方へ押しやられ、理論上は原油が漏れる事が無い。国際海事機関(IMO)海洋環境保護委員会でも、ダブルハル構造と共に1993年7月以降建造が認められている。構造上、ダブルハル・タンカーより舷側の二重構造幅を広く取れるため、舷側から来る衝撃で起こるタンクへの損傷度合いも、ダブルハル・タンカーより軽くできる。
●通氣管
↓
↑ ↑
●下のタンクは喫水線より下●船底に穴が開いても海水に押し上げられ油は洩れない
●主な油流出事故●
★日 時 ①事故名称 ②事故場所 ③船籍船種(DWT=載貨重量トン数)④流出量⑤事故概要
【1】1965年(昭40)5月23日 ①ヘイムバード号岸壁衝突 ②室蘭港内
③ノルウェー、タンカー、35,355総トン
⑤原油27,283KLを積載し入港着岸作業中、
操船ミスで岸壁に衝突し、原油が流出、
直後に引火爆発し、28日間にわたって燃え続けた。
【2】1967年(昭42)3月18日 ①トリ-キャニオン号座礁 ②ランズエンド沖(英国)
③リベリア、タンカー118,285DWT
⑤ペルシャ湾から英国向け航行中、操船ミスにより座礁、
積荷約93,000KLが流出し英国南西海岸及びフランス北西岸一帯の
延べ約300kmが汚染された。
同船は、残存する油の流出を止める目的で、英空軍により破壊。
【3】1971年(昭46)11月30日16:50 ①ジュリアナ号座礁 ②新潟港外
③リベリア、タンカー11,684総トン ④オマーン原油 7,200KL
⑤荒天錨泊中、風浪に圧流されて座礁、
船体が二分されて積荷の原油流出。
【4】1974年(昭49)11月9日 ①第10雄洋丸衝突 ②浦賀水道 中の瀬航路北口 、
③タンカー、43,723総トン
⑤川崎向け航行中、君津から室蘭向け出航中の
パシフィック・アリス号(10,874トン、リベリア、貨物船)と
衝突炎上した。
【5】1974年(昭49)12月18日 ①三菱石油水島製油所流出油事故 ②水島港
④重油 7,500~9,500KL
⑤重油タンク底板亀裂により、重油が海上に流出し、
備讃瀬戸及び播磨灘南部海域に拡散した。
【6】1978年(昭53) ①アモコ・カディス号座礁 ②ブルターニュ沖(仏)
③リベリア、タンカー、228,513DWT
⑤アラビア湾から英国向け、原油約260,000KLを積載航行中、
舵故障により約12時間漂流したのち座礁。
荒天のため船体が3分割に破断し、積荷全量が海上流出、
海岸線が400kmにわたって汚染された。
ムース化した漂流油の回収に約2ヶ月、
漂着油の除去・処理・処分に約6ヶ月を要した。
【7】1978年(昭53)6月12日 ①東北石油仙台製油所流出油事故 ②塩釜港
⑤17:15発生した「宮城県沖地震」M7.4により、
重油タンク2基及び軽油タンク1基に亀裂を生じ、
推定2,900KLが海上に流出。回収はほぼ成功。
【8】1989年(平元)3月24日①エクソン・バルディズ号座礁
②アラスカ州バルディーズ港沖ブライリーフ(米国)
③ 米国、タンカー214,861DWT
⑤バルディーズ港からカリフォルニア州ロングビーチ向け
ノーススロープ原油約200,000KLを積載航行中
操船ミスにより
プリンス・ウイリアム海峡のブライ暗礁に乗り上げ座礁し、
タンク11個中8個を破損、
5時間で積荷の約20%の41,000KLが流出した。
流出油は、アラスカの海岸線1,100マイルに影響を与え、
米国における最大の流出油事故となった。
【9】1990年(平2)1月26日 ①マリタイム・ガーデニア号座礁 ②京都府経ヶ岬付近
③ベリア、貨物船、2,027総トン ④重油916KL
⑤経ヶ岬沖を空船で山口県笠戸向け航行中、
北よりの季節風により圧流され暗岩に底触、
舵脱落後浸水し、航行不能となった後陸岸に座礁、
船体が2つに分断し燃料油のほとんどが流出した。
海上では、船舶により処理剤、航行攪拌により油処理。
陸上では、京都府・福井県魚連の作業員による
人海戦術で油の回収にあたった。
回収油は水分約60%を含む高粘度のムースで、
汚染範囲は京都府網野町から福井県三方町までに至った。
【10】1991年(平3)1月19日 ①ペルシャ湾原油流出事故 ②ペルシャ湾
⑤平成3年1月17日イラク軍と多国籍軍の湾岸戦争勃発により、
イラク軍によるクウェートの石油施設破壊及び
イラク・タンカーの破投により、1月19日には、
クウェートより原油の流出が始まった。
流出原油の汚染状況(サウジアラビア東部海岸)は、
ジュベイルの北、アブアル島付近からカフジまでの
直線約200kmの海岸線は全て原油で汚染。
(流出量不明、妥当な量としては150~400万バーレル程度?)
【11】1992年(平4)9月20日04:15 ①ナガサキ・スピリット号衝突 ②マラッカ海峡
③船籍:リベリア、タンカー、95,987DWT ④原油13,000トン
⑤ブルネイからオーストラリア向け航行中、
Ocean Blessing号(22,600DWT、パナマ、コンテナ船)
と衝突し爆発炎上しながら原油を流出したが、
軽質油と熱帯気候による急速な蒸発と拡散、
消失のため被害は軽微であった。
【12】1992年(平4)12月3日①エージアン・シー号座礁②スペイン北西岸ラ・コルーニャ湾口
③ギリシャ、タンカー、114,036DWT ④原油73,000トン
⑤ラ・コルーニャ港に入港しようとしたA号が、
荒天のために操船を誤って湾口で座礁し、
落雷により爆発炎上し大量の油が流出した。
油汚染は5日後には海岸の100km及び沿岸の20kmに及んだが、
流出油の大半は炎上消失及び拡散、蒸発
したため被害は予想外に小さかった。
【13】1993年(平5)1月5日 ①ブレア号座礁 ②シェットランド島南西沖(英国)
③リベリア、タンカー、89,730DWT ④原油85,000トン
⑤ノルウェーからカナダに航行中主機関が故障、
強風により岩礁に乗り揚げ、積荷の原油が流出した。
荒天下のため防除作業は難航し、流出油は事故3日目には
現場から西方14マイル、東方6マイルまで50mの幅で漂流したが、
荒天により拡散等が促進され、被害規模は比較的小さかった。
【14】1993年(平5)1月15日 ①昭和シェルアスファルトタンクからアスファルト流出 ②釧路港
④アスファルト246KL
⑤釧路沖地震により陸上設置のアスファルトタンクに亀裂を生じ、
アスファルトが流出、その一部が排水口に流れ込み海上に流出した。
海面に浮遊するアスファルトについては、クレーン船を使用し粉砕のうえ、
作業船により揚収、
また海底に沈降したアスファルトについては、
漁具(はっしゃく)を使用して揚収、合計約200トンを回収した。
【15】1993年(平5)1月21日 ①マースク・ナビゲータ号衝突 ②スマトラ島北西アンダマン海(インドネシア) ③シンガポール、タンカー、255,312DWT ④原油25,000トン
⑤Sanko Honour号(96,545DWT、シンガポール、タンカー、空船)
が左舷中央部に衝突し、火災が発生するとともに、
原油を流出しながら漂流した。
【16】1993年(平5)5月31日①泰光丸衝突 ②福島県塩屋埼灯台南東4.6km
③タンカー、699総トン ④C重油521KL
⑤石巻向け航行中、第3健翔丸(499総トン、貨物船)と衝突し、
右舷の破口から積荷の重油が流出した。
6月3日早朝には、小名浜港を中心として、
南北約20kmにわたり陸岸に漂着した。
海上浮流油については、作業船及び船主手配の
ヘリを使用した処理剤散布による処理。
漂着油については、福島県魚連・茨城県魚連等による
人海戦術及び重機を使用した機械力利用による回収作業等を実施した。
【17】1994年(平6)3月13日 ①ナシア号衝突 ②トルコ、ボスポラス海峡
④ 原油30,000KL
【18】1994年(平63月31日①セキ号衝突 ②アラビア半島フジャイラ沖合15km(UAE)
③パナマ、タンカー、293,238M/T 約15,000トン
⑤バイヌナ号(57,000M/T、UAE船籍、タンカー)が
停泊中のセキ号に衝突、
セキ号の左舷側NO1タンクに孔が明き
積載していた原油が流出。
セキ号はイランの石油積み出し基地カーグ島で
原油を満載した後、日本に向かう途中だった。
【19】1994年(平6)10月17日 ①豊孝丸衝突 ②和歌山県海南港北防波堤灯台西1.6海里
③タンカー、2,960総トン ④ラビブレンド原油570KL
⑤錨泊中、第5照宝丸(タンカー)が衝突し、
右舷タンクの破口から積荷の原油が流出した。
洋上でオイルフェンスを早期に展張、
この中に溜まった大量の油をクレーン船バケットによる
つかみ取り等で回収することができた。
また、陸岸漂着油については、
自衛隊員等による人海戦術により6日間でほぼ、
全量の油を回収することができた。
【20】1994年(平6)11月26日 ①②千葉県袖ヶ浦のC重油流出
④富士石油(株)12万トン
⑤桟橋に係留中のタンカーにC重油を積込中、
荷役パイプ接続部3ヵ所からC重油が噴出し、
その一部が海上に流出。噴出量9KL、
うち2KLが海上に流出。流出油は全量回収され、
漁業被害等はでていない。
【21】1995年(平7)7月23日①シー・プリンス号座礁 ②麗水港沖所里島南西海岸(韓国)
③キプロス、タンカー、275,469DWT船主荷主ホナム石油 ④アラビア原油96,000KL
⑤S号は、台風3号接近のため麗水港の製油所における
荷揚げを中止し、麗水港外へ避難中に所里島へ圧流され座礁、
その後機関室の火災・爆発及び貨物タンクの破損により
燃料油・原油が流出した。
流出油は、事故後7日で事故現場から50マイル付近まで
到達し甚大な漁業被害をもたらした。
【22】1996年(平8)2月15日①シーエンプレス号座 ②ミルフォード・ヘブン入口(英国ウェールズ州)
③リベリア、タンカー、133,855DWT ④原油50,000~70,000トン
⑤ミルフォード・ヘブンのTEXACOターミナル向け
航行中座礁し、その後、荒天と海潮流のため離礁、
座礁を繰り返し、貨物油5万トン~7万トンが流出
したものと推定されている。
【23】1996年(平8)11月28日① 貨物船「東友(とんよう)」座礁 ②奥尻島群来岬沖南東数百メートル
③中国、貨物船、3,905総トン ④C重油100KL
⑤中国船籍の貨物船「東友」は11月26日13:00頃、
空船で苫小牧港をナホトカに向けて出港、
津軽海峡を出てまもなくエンジントラブルのため漂流。
巡視船が一時ロープで捕捉したが時化のため切れて、
11月28日奥尻島群来岬沖で座礁、以後搭載燃料油の流出が続いた。
(C重油130KL、A重油18KL、潤滑油4KL)
既に流出した油は島群来岬沿岸に漂着しており、
油汚染は海岸線500mに広がっている。
【24】1997年(平9)1月2日①ロシア船籍タンカー「ナホトカ号」油流出事故 ②島根県隠岐島北北東106km付近③ロシア、タンカー、1970年建造(船齢27)、9,684DWT ④C重油約6,240KL
⑤上海からペトロパブロフスクに向けC重油19,000KLを積載し、
日本海を航行中船首部分が折損、船尾部分が沈没、
船首部分は潮流と風に流されながら1月7日14時30分、
福井県三国町安東岬付近の岩盤に着底。
(当時の気象・海象:北西の風20m/s波浪6m、うねり4m以上)
【25】1997年(平9)4月3日①韓国タンカー(OSUNG NO.3)沈没②対馬沖西方約65km(韓国領海内)
③韓国、タンカー、786GT
⑤韓国タンカーOSUNG NO.3がC重油1,700KLを積載し、
ウルサンからプサンに向け航行中、
対馬沖西方約65km(韓国領海内)で座礁、
同日23時25分沈没した。
1タンク(186KL)から油が流出した。
(乗員9名は全て救助済み)
現場は、北西~南西の風16~18m、波浪3~4m。
韓国海洋警察庁が行っている油防除措置は、
荒天のため間もなく中止。
4月9日昼頃、対馬西海岸子茂田(こもだ)浜の海岸に
油が漂着したのが確認された。
長さ300m(浜の約1/2)に渡り、
黒色の油塊が海草、ゴミに混じって波状に漂着。
大きさは、米粒の半分大程度で、比較的柔らかい。
比較的密に点在している。
4月14日 海上保安庁は、関係各方面への要請を解除。
【26】1997年(平9)7月2日①ダイヤモンドグレース号油流出事故②横浜市中区本牧埠頭より約6kmの中の瀬航路付近
③パナマ、タンカー、258,000DWT ④ウムシャイフ原油1,550KL
⑤日本郵船㈱運航の「ダイヤモンドグレース号」、
(1994年8月建造、積載物は原油305,000KL、荷主は三菱石油㈱)が、
UAEから三菱石油川崎工場向けの原油を積載し、
東京湾中の瀬航路を航行中、船底が接触し座礁・漏油。
【27】1997年(平9)10月15日①シンガポール海峡タンカー衝突による油流出②シンガポール沖セバロック島の南約5kmの公海上
④ HSC重油28,463トン
⑤10月15日、シンガポール海峡で
2隻のタンカーが衝突。
EVOIKOSの3つのタンクが破損し油流出。
MPA(Maritime and Port Authority of Singapore)は10月16日、
流出量を25,000トンと発表した。
(1)タイ船籍 ORAPIN GLOBAL 129,702GT、
空船で東から 西向きに航行途中。
(2)キプロス船籍 EVOIKOS 75,428GT、
HSC重油120,000トンを積載し、
アラブ首長国連邦よりシンガポール向けに航行途中だった。
【28】1998年(平10)1月6日①アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故②アジュマン首長国領海とシャルジャ首長国とのボーダー付近、沖合約9km。
③船籍・船主などは正式には不明、バージ船、10,000DWT ④重油約4,000トン
⑤1月6日夕刻(現地時間)、バージ船(船籍、船主、荷主等未確認)が
UAEのアジュマン沖9kmで浸水沈没。
バージ船は、10,000トン程度の中間燃料油(intermediate fuel oil)
及びガソリンを積載、流出量は少なくとも3,000トン以上。
バージ船には依然半分以上の積荷が残っており、
1時間に1トン程度の流出が続いているが、
処理剤の散布が続けられ、まだ本格的な防除作業に入っていない模様である。
1月9日現在、油はアジュマン、シャルジャ海岸約18kmを汚染。
【29】1999年(平11)11月23日 ①豊晴丸 ②徳山港晴海埠頭沖合
③日本、タンカー、199総トン ④C重油約100KL
⑤タンカー豊晴丸がCOPILICO号と衝突。
衝突により豊晴丸は転覆し、船体は転覆したまま
近くの晴海岸壁に船首を南にして漂着した。
この事故で甲板に破口を生じ、積荷のC重油の一部が流出。
【30】1999年(平11)12月12日 ①エリカ号沈没 ②フランス沖
③船齢24年、36,000DWT ④重油約11,000トンが瞬時に流出
⑤NO2重質重油31,000トンを積載し、リボルノに向けダンケルクを出航。
荒天により船体が真っ二つに折れ沈没、
積荷の重油が流出。
400kmの海岸線に油が漂着、3月までに約145,000KLを回収。
【31】2000年(平12)1月24日 ①アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故 ②アラブ首長国連邦のザイード港の北東13km付近
③ホンジュラス、タンカー、船齢40年(本来は河川航行用)④ 重油約200トン
⑤ソマリア向け重油約1,000トンを積んだタンカーが沈没し、
約200トンの積荷重油が流出。
【32】2000年(平12)10月3日①シンガポールセントーサ 島南方付近(インドネシ ア領海)タンカー座礁 ②シンガポールセントーサ島8km南方BatuBerhanti Beacon付近(インドネシア領海)
③パナマ船籍のタンカーNatuna Sea ④Nile Brend原油7,OOOトン
⑤パナマ船籍のタンカーが座礁、
Nile Brend原油7,OOOトンが流出
【33】2002年(平14)10月1日①ハルヨーロッパ座礁・炎上 ② 伊豆大島波浮港の東約500Mの海岸で座礁
③バハマ船籍 自動車運搬船
⑤1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが、
ほとんどは抜き取りされていた。
ハルヨーロッパは台風21号により10月1日伊豆大島で座礁。
同船には4000台の車が積載されていた。
また、船内には1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが抜き取られた。
座礁から約2ヵ月後の 11月26日突然火災炎上。
【34】2002年(平14)10月6日 ①ランブール号爆発炎上 ②イエメン南部のアデン湾
③フランス籍原油タンカー
⑤同タンカーは約40万バレルの原油を積載
突然の爆発で開いた大きな穴から大量の原油が流出。
テロ行為による爆発炎上との見方も。
【35】2002年(平14)11月16日 ①プレスティージ号沈没 ②スペイン北西部ガリシア地方
③バハマ船籍の石油タンカー「プレスティージ号 ④約1万トン以上が流出。
⑤13日暴風雨に会い遭難した石油タンカー「プレスティージ号」が、
77,000トンの燃料油を積んだまま、19日沖合いで真っ二つに折れ、沈没。
今回のメキシコ湾海底油田事故も爆発の原因は不明だが、油が大量に漂着のルイジアナ州知事は非常事態を宣言、米海軍も原油除去の支援に乗り出した。
現場海域はカキやエビ、クロマグロの漁場で、ウミガメやマッコウクジラ、野鳥などの生態系も危機にさらされている。
今回の海底油田事故は、事故の想定と対策も確立せぬままに進められてた事が暴露されたわけです。
タンカー事故による油流出は、タンカーの構造の見直しで危険を少しでも避ける方向へ漸く動き始めています。
●タンカー改良の一部●
★2001年4月に開催された国際海事機関(IMO)内の海洋環境保護委員会で、
海洋汚染防止条約対象であるシングルハル・タンカーの使用を
原則船齢25年で順次廃止し、最終使用期限も原則2015年に決定された。
2002年9月1日発効。
★例外事項
旗国の許可により、2017年まで使用可能。
海洋汚染防止条約終結国は、2015年以降
シングルハル・タンカーの入港を拒否できる権利を有する。
★ダブルハル(二重船殻構造)
1989年のタンカー「エクソン・バルディーズ号」の座礁事故での原油流出による大規模な環境汚染が発生したため、1992年よりIMO(国際海事機関)の取り決めで1993年7月以降に建造契約されるか、または1996年以降完成の積載重量600トン以上の新造油槽船については船体全部が二重船殻(ダブルハル:Double Hull)構造とし、既に建造済みの一重船殻(Single Hull)タンカーの廃船を促すなど、事故発生時の環境負荷リスクの低い油槽船への切り替えが義務付けられた。
★ミッドデッキ構造例外事項
日本発の建造規格である。原油タンクを上下の2層にだけ分け、舷側だけを二重船殻構造にして船底は一重船殻構造のままである。上下のタンクを分ける中間デッキが喫水線より下にある点が重要で、これにより下のタンクの原油の圧力は常に周囲の水圧よりも低く保たれる為、衝突・座礁によって下部タンクの底に穴が開いても海水より比重の軽い原油はタンクの上方へ押しやられ、理論上は原油が漏れる事が無い。国際海事機関(IMO)海洋環境保護委員会でも、ダブルハル構造と共に1993年7月以降建造が認められている。構造上、ダブルハル・タンカーより舷側の二重構造幅を広く取れるため、舷側から来る衝撃で起こるタンクへの損傷度合いも、ダブルハル・タンカーより軽くできる。
●通氣管
↓
↑ ↑
●下のタンクは喫水線より下●船底に穴が開いても海水に押し上げられ油は洩れない
●主な油流出事故●
★日 時 ①事故名称 ②事故場所 ③船籍船種(DWT=載貨重量トン数)④流出量⑤事故概要
【1】1965年(昭40)5月23日 ①ヘイムバード号岸壁衝突 ②室蘭港内
③ノルウェー、タンカー、35,355総トン
⑤原油27,283KLを積載し入港着岸作業中、
操船ミスで岸壁に衝突し、原油が流出、
直後に引火爆発し、28日間にわたって燃え続けた。
【2】1967年(昭42)3月18日 ①トリ-キャニオン号座礁 ②ランズエンド沖(英国)
③リベリア、タンカー118,285DWT
⑤ペルシャ湾から英国向け航行中、操船ミスにより座礁、
積荷約93,000KLが流出し英国南西海岸及びフランス北西岸一帯の
延べ約300kmが汚染された。
同船は、残存する油の流出を止める目的で、英空軍により破壊。
【3】1971年(昭46)11月30日16:50 ①ジュリアナ号座礁 ②新潟港外
③リベリア、タンカー11,684総トン ④オマーン原油 7,200KL
⑤荒天錨泊中、風浪に圧流されて座礁、
船体が二分されて積荷の原油流出。
【4】1974年(昭49)11月9日 ①第10雄洋丸衝突 ②浦賀水道 中の瀬航路北口 、
③タンカー、43,723総トン
⑤川崎向け航行中、君津から室蘭向け出航中の
パシフィック・アリス号(10,874トン、リベリア、貨物船)と
衝突炎上した。
【5】1974年(昭49)12月18日 ①三菱石油水島製油所流出油事故 ②水島港
④重油 7,500~9,500KL
⑤重油タンク底板亀裂により、重油が海上に流出し、
備讃瀬戸及び播磨灘南部海域に拡散した。
【6】1978年(昭53) ①アモコ・カディス号座礁 ②ブルターニュ沖(仏)
③リベリア、タンカー、228,513DWT
⑤アラビア湾から英国向け、原油約260,000KLを積載航行中、
舵故障により約12時間漂流したのち座礁。
荒天のため船体が3分割に破断し、積荷全量が海上流出、
海岸線が400kmにわたって汚染された。
ムース化した漂流油の回収に約2ヶ月、
漂着油の除去・処理・処分に約6ヶ月を要した。
【7】1978年(昭53)6月12日 ①東北石油仙台製油所流出油事故 ②塩釜港
⑤17:15発生した「宮城県沖地震」M7.4により、
重油タンク2基及び軽油タンク1基に亀裂を生じ、
推定2,900KLが海上に流出。回収はほぼ成功。
【8】1989年(平元)3月24日①エクソン・バルディズ号座礁
②アラスカ州バルディーズ港沖ブライリーフ(米国)
③ 米国、タンカー214,861DWT
⑤バルディーズ港からカリフォルニア州ロングビーチ向け
ノーススロープ原油約200,000KLを積載航行中
操船ミスにより
プリンス・ウイリアム海峡のブライ暗礁に乗り上げ座礁し、
タンク11個中8個を破損、
5時間で積荷の約20%の41,000KLが流出した。
流出油は、アラスカの海岸線1,100マイルに影響を与え、
米国における最大の流出油事故となった。
【9】1990年(平2)1月26日 ①マリタイム・ガーデニア号座礁 ②京都府経ヶ岬付近
③ベリア、貨物船、2,027総トン ④重油916KL
⑤経ヶ岬沖を空船で山口県笠戸向け航行中、
北よりの季節風により圧流され暗岩に底触、
舵脱落後浸水し、航行不能となった後陸岸に座礁、
船体が2つに分断し燃料油のほとんどが流出した。
海上では、船舶により処理剤、航行攪拌により油処理。
陸上では、京都府・福井県魚連の作業員による
人海戦術で油の回収にあたった。
回収油は水分約60%を含む高粘度のムースで、
汚染範囲は京都府網野町から福井県三方町までに至った。
【10】1991年(平3)1月19日 ①ペルシャ湾原油流出事故 ②ペルシャ湾
⑤平成3年1月17日イラク軍と多国籍軍の湾岸戦争勃発により、
イラク軍によるクウェートの石油施設破壊及び
イラク・タンカーの破投により、1月19日には、
クウェートより原油の流出が始まった。
流出原油の汚染状況(サウジアラビア東部海岸)は、
ジュベイルの北、アブアル島付近からカフジまでの
直線約200kmの海岸線は全て原油で汚染。
(流出量不明、妥当な量としては150~400万バーレル程度?)
【11】1992年(平4)9月20日04:15 ①ナガサキ・スピリット号衝突 ②マラッカ海峡
③船籍:リベリア、タンカー、95,987DWT ④原油13,000トン
⑤ブルネイからオーストラリア向け航行中、
Ocean Blessing号(22,600DWT、パナマ、コンテナ船)
と衝突し爆発炎上しながら原油を流出したが、
軽質油と熱帯気候による急速な蒸発と拡散、
消失のため被害は軽微であった。
【12】1992年(平4)12月3日①エージアン・シー号座礁②スペイン北西岸ラ・コルーニャ湾口
③ギリシャ、タンカー、114,036DWT ④原油73,000トン
⑤ラ・コルーニャ港に入港しようとしたA号が、
荒天のために操船を誤って湾口で座礁し、
落雷により爆発炎上し大量の油が流出した。
油汚染は5日後には海岸の100km及び沿岸の20kmに及んだが、
流出油の大半は炎上消失及び拡散、蒸発
したため被害は予想外に小さかった。
【13】1993年(平5)1月5日 ①ブレア号座礁 ②シェットランド島南西沖(英国)
③リベリア、タンカー、89,730DWT ④原油85,000トン
⑤ノルウェーからカナダに航行中主機関が故障、
強風により岩礁に乗り揚げ、積荷の原油が流出した。
荒天下のため防除作業は難航し、流出油は事故3日目には
現場から西方14マイル、東方6マイルまで50mの幅で漂流したが、
荒天により拡散等が促進され、被害規模は比較的小さかった。
【14】1993年(平5)1月15日 ①昭和シェルアスファルトタンクからアスファルト流出 ②釧路港
④アスファルト246KL
⑤釧路沖地震により陸上設置のアスファルトタンクに亀裂を生じ、
アスファルトが流出、その一部が排水口に流れ込み海上に流出した。
海面に浮遊するアスファルトについては、クレーン船を使用し粉砕のうえ、
作業船により揚収、
また海底に沈降したアスファルトについては、
漁具(はっしゃく)を使用して揚収、合計約200トンを回収した。
【15】1993年(平5)1月21日 ①マースク・ナビゲータ号衝突 ②スマトラ島北西アンダマン海(インドネシア) ③シンガポール、タンカー、255,312DWT ④原油25,000トン
⑤Sanko Honour号(96,545DWT、シンガポール、タンカー、空船)
が左舷中央部に衝突し、火災が発生するとともに、
原油を流出しながら漂流した。
【16】1993年(平5)5月31日①泰光丸衝突 ②福島県塩屋埼灯台南東4.6km
③タンカー、699総トン ④C重油521KL
⑤石巻向け航行中、第3健翔丸(499総トン、貨物船)と衝突し、
右舷の破口から積荷の重油が流出した。
6月3日早朝には、小名浜港を中心として、
南北約20kmにわたり陸岸に漂着した。
海上浮流油については、作業船及び船主手配の
ヘリを使用した処理剤散布による処理。
漂着油については、福島県魚連・茨城県魚連等による
人海戦術及び重機を使用した機械力利用による回収作業等を実施した。
【17】1994年(平6)3月13日 ①ナシア号衝突 ②トルコ、ボスポラス海峡
④ 原油30,000KL
【18】1994年(平63月31日①セキ号衝突 ②アラビア半島フジャイラ沖合15km(UAE)
③パナマ、タンカー、293,238M/T 約15,000トン
⑤バイヌナ号(57,000M/T、UAE船籍、タンカー)が
停泊中のセキ号に衝突、
セキ号の左舷側NO1タンクに孔が明き
積載していた原油が流出。
セキ号はイランの石油積み出し基地カーグ島で
原油を満載した後、日本に向かう途中だった。
【19】1994年(平6)10月17日 ①豊孝丸衝突 ②和歌山県海南港北防波堤灯台西1.6海里
③タンカー、2,960総トン ④ラビブレンド原油570KL
⑤錨泊中、第5照宝丸(タンカー)が衝突し、
右舷タンクの破口から積荷の原油が流出した。
洋上でオイルフェンスを早期に展張、
この中に溜まった大量の油をクレーン船バケットによる
つかみ取り等で回収することができた。
また、陸岸漂着油については、
自衛隊員等による人海戦術により6日間でほぼ、
全量の油を回収することができた。
【20】1994年(平6)11月26日 ①②千葉県袖ヶ浦のC重油流出
④富士石油(株)12万トン
⑤桟橋に係留中のタンカーにC重油を積込中、
荷役パイプ接続部3ヵ所からC重油が噴出し、
その一部が海上に流出。噴出量9KL、
うち2KLが海上に流出。流出油は全量回収され、
漁業被害等はでていない。
【21】1995年(平7)7月23日①シー・プリンス号座礁 ②麗水港沖所里島南西海岸(韓国)
③キプロス、タンカー、275,469DWT船主荷主ホナム石油 ④アラビア原油96,000KL
⑤S号は、台風3号接近のため麗水港の製油所における
荷揚げを中止し、麗水港外へ避難中に所里島へ圧流され座礁、
その後機関室の火災・爆発及び貨物タンクの破損により
燃料油・原油が流出した。
流出油は、事故後7日で事故現場から50マイル付近まで
到達し甚大な漁業被害をもたらした。
【22】1996年(平8)2月15日①シーエンプレス号座 ②ミルフォード・ヘブン入口(英国ウェールズ州)
③リベリア、タンカー、133,855DWT ④原油50,000~70,000トン
⑤ミルフォード・ヘブンのTEXACOターミナル向け
航行中座礁し、その後、荒天と海潮流のため離礁、
座礁を繰り返し、貨物油5万トン~7万トンが流出
したものと推定されている。
【23】1996年(平8)11月28日① 貨物船「東友(とんよう)」座礁 ②奥尻島群来岬沖南東数百メートル
③中国、貨物船、3,905総トン ④C重油100KL
⑤中国船籍の貨物船「東友」は11月26日13:00頃、
空船で苫小牧港をナホトカに向けて出港、
津軽海峡を出てまもなくエンジントラブルのため漂流。
巡視船が一時ロープで捕捉したが時化のため切れて、
11月28日奥尻島群来岬沖で座礁、以後搭載燃料油の流出が続いた。
(C重油130KL、A重油18KL、潤滑油4KL)
既に流出した油は島群来岬沿岸に漂着しており、
油汚染は海岸線500mに広がっている。
【24】1997年(平9)1月2日①ロシア船籍タンカー「ナホトカ号」油流出事故 ②島根県隠岐島北北東106km付近③ロシア、タンカー、1970年建造(船齢27)、9,684DWT ④C重油約6,240KL
⑤上海からペトロパブロフスクに向けC重油19,000KLを積載し、
日本海を航行中船首部分が折損、船尾部分が沈没、
船首部分は潮流と風に流されながら1月7日14時30分、
福井県三国町安東岬付近の岩盤に着底。
(当時の気象・海象:北西の風20m/s波浪6m、うねり4m以上)
【25】1997年(平9)4月3日①韓国タンカー(OSUNG NO.3)沈没②対馬沖西方約65km(韓国領海内)
③韓国、タンカー、786GT
⑤韓国タンカーOSUNG NO.3がC重油1,700KLを積載し、
ウルサンからプサンに向け航行中、
対馬沖西方約65km(韓国領海内)で座礁、
同日23時25分沈没した。
1タンク(186KL)から油が流出した。
(乗員9名は全て救助済み)
現場は、北西~南西の風16~18m、波浪3~4m。
韓国海洋警察庁が行っている油防除措置は、
荒天のため間もなく中止。
4月9日昼頃、対馬西海岸子茂田(こもだ)浜の海岸に
油が漂着したのが確認された。
長さ300m(浜の約1/2)に渡り、
黒色の油塊が海草、ゴミに混じって波状に漂着。
大きさは、米粒の半分大程度で、比較的柔らかい。
比較的密に点在している。
4月14日 海上保安庁は、関係各方面への要請を解除。
【26】1997年(平9)7月2日①ダイヤモンドグレース号油流出事故②横浜市中区本牧埠頭より約6kmの中の瀬航路付近
③パナマ、タンカー、258,000DWT ④ウムシャイフ原油1,550KL
⑤日本郵船㈱運航の「ダイヤモンドグレース号」、
(1994年8月建造、積載物は原油305,000KL、荷主は三菱石油㈱)が、
UAEから三菱石油川崎工場向けの原油を積載し、
東京湾中の瀬航路を航行中、船底が接触し座礁・漏油。
【27】1997年(平9)10月15日①シンガポール海峡タンカー衝突による油流出②シンガポール沖セバロック島の南約5kmの公海上
④ HSC重油28,463トン
⑤10月15日、シンガポール海峡で
2隻のタンカーが衝突。
EVOIKOSの3つのタンクが破損し油流出。
MPA(Maritime and Port Authority of Singapore)は10月16日、
流出量を25,000トンと発表した。
(1)タイ船籍 ORAPIN GLOBAL 129,702GT、
空船で東から 西向きに航行途中。
(2)キプロス船籍 EVOIKOS 75,428GT、
HSC重油120,000トンを積載し、
アラブ首長国連邦よりシンガポール向けに航行途中だった。
【28】1998年(平10)1月6日①アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故②アジュマン首長国領海とシャルジャ首長国とのボーダー付近、沖合約9km。
③船籍・船主などは正式には不明、バージ船、10,000DWT ④重油約4,000トン
⑤1月6日夕刻(現地時間)、バージ船(船籍、船主、荷主等未確認)が
UAEのアジュマン沖9kmで浸水沈没。
バージ船は、10,000トン程度の中間燃料油(intermediate fuel oil)
及びガソリンを積載、流出量は少なくとも3,000トン以上。
バージ船には依然半分以上の積荷が残っており、
1時間に1トン程度の流出が続いているが、
処理剤の散布が続けられ、まだ本格的な防除作業に入っていない模様である。
1月9日現在、油はアジュマン、シャルジャ海岸約18kmを汚染。
【29】1999年(平11)11月23日 ①豊晴丸 ②徳山港晴海埠頭沖合
③日本、タンカー、199総トン ④C重油約100KL
⑤タンカー豊晴丸がCOPILICO号と衝突。
衝突により豊晴丸は転覆し、船体は転覆したまま
近くの晴海岸壁に船首を南にして漂着した。
この事故で甲板に破口を生じ、積荷のC重油の一部が流出。
【30】1999年(平11)12月12日 ①エリカ号沈没 ②フランス沖
③船齢24年、36,000DWT ④重油約11,000トンが瞬時に流出
⑤NO2重質重油31,000トンを積載し、リボルノに向けダンケルクを出航。
荒天により船体が真っ二つに折れ沈没、
積荷の重油が流出。
400kmの海岸線に油が漂着、3月までに約145,000KLを回収。
【31】2000年(平12)1月24日 ①アラブ首長国連邦(UAE)における油濁事故 ②アラブ首長国連邦のザイード港の北東13km付近
③ホンジュラス、タンカー、船齢40年(本来は河川航行用)④ 重油約200トン
⑤ソマリア向け重油約1,000トンを積んだタンカーが沈没し、
約200トンの積荷重油が流出。
【32】2000年(平12)10月3日①シンガポールセントーサ 島南方付近(インドネシ ア領海)タンカー座礁 ②シンガポールセントーサ島8km南方BatuBerhanti Beacon付近(インドネシア領海)
③パナマ船籍のタンカーNatuna Sea ④Nile Brend原油7,OOOトン
⑤パナマ船籍のタンカーが座礁、
Nile Brend原油7,OOOトンが流出
【33】2002年(平14)10月1日①ハルヨーロッパ座礁・炎上 ② 伊豆大島波浮港の東約500Mの海岸で座礁
③バハマ船籍 自動車運搬船
⑤1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが、
ほとんどは抜き取りされていた。
ハルヨーロッパは台風21号により10月1日伊豆大島で座礁。
同船には4000台の車が積載されていた。
また、船内には1,300KLの燃料用C重油が搭載されていたが抜き取られた。
座礁から約2ヵ月後の 11月26日突然火災炎上。
【34】2002年(平14)10月6日 ①ランブール号爆発炎上 ②イエメン南部のアデン湾
③フランス籍原油タンカー
⑤同タンカーは約40万バレルの原油を積載
突然の爆発で開いた大きな穴から大量の原油が流出。
テロ行為による爆発炎上との見方も。
【35】2002年(平14)11月16日 ①プレスティージ号沈没 ②スペイン北西部ガリシア地方
③バハマ船籍の石油タンカー「プレスティージ号 ④約1万トン以上が流出。
⑤13日暴風雨に会い遭難した石油タンカー「プレスティージ号」が、
77,000トンの燃料油を積んだまま、19日沖合いで真っ二つに折れ、沈没。