☆・☆・☆富貴屋倶楽部☆

高齢者の目から見た、身の回りの出来事を、
そこはかとなく書き連ねました。

◆ 「世界一運が悪い男」との故山口彊(つとむ)さんは、本当は行動力のある凄い方でした!

2011年01月29日 | ▼核 関連・原爆
     ↑山口彊(つとむ)さんとキャメロン監督↑

1月21日のニュースで 【英BBC、二重被爆者を「世界一運が悪い男」と笑いの種に 日本大使館が抗義】
(記事概略~ 英BBCテレビのクイズ番組で昨年12月、広島と長崎で二重に被爆し昨年93歳で死去した長崎市の山口彊(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」などとジョーク交じりに紹介したことに対し、在英日本大使館がBBCと番組制作会社に書面で抗議していたことを、大使館と関係者が共同通信に明らかにした。
 在英日本大使館には無回答だが、抗議メールを送った複数の在英邦人に対しては、番組プロデューサーが18日に「不快にさせて大変残念」と電子メールで謝罪。一方、第二次大戦中の欧米人の悲惨な経験も「同様に取り上げてきた」とも訴えた。)
というもの。
今日、何気なくつけてたテレビの【この日本人がスゴイらしい。BRAND NEW JAPAN】
~毎回ひとつのテーマに焦点を当て、その分野で活躍する「スゴイ日本人」を紹介。日本と世界の関係や、日本の今を発見します。~という番組で、山口彊(つとむ)さんがスゴイ日本人として紹介されました。
なんとあのキャメロン監督に原爆の悲惨さを訴える映画の製作を一度は決意させた方だったんです。
しかし…残念なことに暗礁に…
その経緯は 私も2010年3月1日のブログ
◆ キャメロン監督の原爆映画 退役軍人の批判で 暗礁に。やはり…
に書いていました。
 今日の番組で知ったことは、広島に出張中に被爆し、まだ広島で焼けどの治療が必要だったが、責任感から長崎の上司に広島の惨状を報告すべく、治療を打ち切って長崎に帰って上司に報告の最中に又被爆されたそうです。
又、被爆直後のデマで被爆者であることを知られると、子供たちの結婚にも悪い影響があるので、多くの被爆された方が苦しみを世界に訴えることを避けて暮らしていたのだそうです。その事を山口彊(つとむ)さんが打破って二重被爆者であることを公表した裏には悲しい出来事、被爆した息子さんが、被爆によるガンで親の自分より先に亡くなられたという事で、沈黙を破り、二重被爆者の事実を公表し、積極的に原爆の恐ろしさを語りだしたのだそうです。英語が得意なので、アメリカに渡り、「原爆投下は戦争終結を早めた。いい事なんだ。」と教えられているアメリカの現高校生に、原爆の悲惨な実態と反戦の授業を英語で行い、アメリカの高校生に涙を流させ、国連でも被爆体験を語っていらっしゃるのです。
そしてキャメロン監督にも、英語で手紙を送り、感動した監督がガンで闘病中の病室を訪れたのでした。
これらの事を事前に知っていたら、「運が悪い…」など言える筈はないのに!と思います。
 今日の放送で、山口彊(つとむ)さんのご遺族の方も、安堵された事と思います。
二重被爆の方々は他にもたくさんいらっしゃいます。
救護に当たられた医療従事者の方々、家族を探しに被爆地に行った方々などなど、運で切り捨てて欲しくないです。
 外国のテレビも、「実験として、種類の違う原子爆弾を相前後して、非情にも投下し、きのこ雲を美しいと表現した科学者」、「今に至っても原爆投下が戦争終結を早めたと若い世代にも教える間違い」をこそ、取り上げて、反戦の番組を製作して欲しいものです。
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◆ 終戦記念日に際して、戦争のむなしさ・非情さを今更に感じています。

2009年08月15日 | ▼核 関連・原爆
 アメリカの歴史学者ガー・アルペロビッツの『原爆投下決断の内幕』上下2巻(ほるぷ出版)の内容の一部を知りました。
 【広島への1発目は、要するに原爆の開発に莫大な予算も使っていたから、完成したら使うのが大前提になっていた。
捕虜に対する日本軍の残虐行為への反感などもあって、原爆を投下しても道義的にあまり痛みを感じない、そういう状況下だったから、「1発目はあるいはやむを得なかったかもしれない」というのが、アメリカの考え方だそうです。(アメリカは、原爆投下が、非戦闘員を無差別に、警告無しに、突然に殺傷してしまう事だとは、思い至らなかったのでしょうか。戦争が止まらなくなるのは復讐心という、ドツボにはまりこむからでしょうか。)
  アメリカの陸軍戦略航空部隊が広島へも長崎へも爆撃機「B-29」を発進させる元だったそうですが、  そこのカール・スパーツ司令官が「私は広島への原爆投下後、もしどうしてもさらに一発落とすのであれば、都市を避けて、例えば東京湾にでも投下したらどうかと提案した。だが、上層部から拒否されたと。2つ目の原爆がなぜ長崎という都市に投下される必要があったのか、私にはその理由が分からない」と、こういうふうに述べているそうです。
 しかし、このマンハッタン計画の最高責任者だったレスリー・グローブス准将は、最初から2つの新型爆弾、すなわちウランを使った広島型原爆と、プルトニウムを使った長崎原爆の2発を投下して、おのおのの効果をテストすることを目的としていたのだそうです。
 実際に原爆を運んだ第509航空隊の報告書の中には、短期間のうちに2つの原爆攻撃を行うものとするという記載があって、投下時期についてはハリー・トルーマン米大統領から準備が整い次第として、空軍に任されていたということです。
 (投下以前、設計製造していた物理学者を含めて、原爆には「破壊力」という観点しかなくて、放射線障害とか後遺症など、核医学的な観点はいっさい存在していなかったそうです。それほど未知の新型爆弾だったのです。だからこそ試して、知りたかったのでしょう。でも、テレビで、原爆開発にかかわったアメリカの関係者の元を尋ねて質問するのを見てましたら、世界初の実験・TRINITYで、風下にいた人達が死んだ。思いの他、爆発規模が大きかった事。高温で輝くきのこ雲を美しかったとさえ答えていました。)
リトルボーイ(広島)ファットマン(長崎)
 私の過去のブログでご紹介した「橋本 公 氏」の核実験を目視化した作品↓
http://www.ctbto.org/specials/1945-1998-by-isao-hashimoto/
においても、広島・長崎は世界最初のアメリカでの1945年7月の実験名「TRINITY」に続き2番目と3番目のアメリカの実験として、表されています。
又、忘れてならないのは、パンプキン弾(模擬爆弾)のことです。
http://blog.goo.ne.jp/fukiya-kurabu/e/45496b48f2f83aa0c18d9c6cef546020
原爆投下の練習として、使用され、多くの命を奪いました。
 そして尚、この非情な新型兵器の開発の為の実験は、今紛争の最中の地でも行なわれているのです。劣化ウラン弾しかり、劣化ウラン使用の戦車しかり。戦車においては、自国民である兵士を結果的に実験台にさえしている。クラスター弾・地雷は、紛争終結後も、住民・子供を危険に晒し続けているのです。
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