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私の「後の雛」です。
昨日、テレビで 外国人のブランド陶器の販売の方が、あまり知られていない日本にある風習を掲げて、高額商品の販売に成功している話題が報道されました。
それは、「後の雛」です。
3月3日の雛人形を、年間売れる商品に!との発想です。しかも、対象は オ・ト・ナ!
ブランドのあるメーカーなので、簡単に手が出る価格ではありませんが、この方の手にかかると、買いたくなるらしいそうです。
「後の雛」という、一般に知られていない日本の風習に、外国の方が目をつけるなんて凄いです。
●Wikipediaには
春3月3日のひな祭りに飽きたらず、秋の節句にも雛人形を飾ったものである。江戸時代、おそらく貞享、元禄年間に始まるのであろうという。正徳年間のことについて、「滑稽雑談」に、「今また九月九日に賞す児女多し、俳諧これを名付けて後の雛とす」、「入子枕」に、「二季のひゝなまつり、今も京難波には後の雛あるよしなれど、三月の如くなべてもてあつかふにはあらずとなむ、播州室などには八朔に雛を立るとぞ」とある。また、「続五元集」に、「ひゝなかざりて伊勢の八朔」という句がある。9月の重陽の節句、8月朔日などの行なわれたが、3月のひな祭のように一般に行なわれたのではなく、またいつしか廃されたらしい。
とあります。
●9月9日重陽(ちょうよう・別名 菊の節句・後(のち)のひな)の節句の起源、由来
9月9日の重陽の節句の起源は、他の節句同様中国にさかのぼることができます。中国では奇数は縁起のよい陽の日とされ、一番大きい陽の数字である9が重なる9月9日を「重陽」として節句のひとつとしてきました。重陽の節句は別名「菊の節句」と呼ばれ、菊の花には長寿の薬効があるとされ、菊の被綿(きせわた)といって菊の花に綿を被せ、菊の香りと夜露を染み込ませたもので身体を撫でたりしていました。そのことは枕草紙や紫式部日記の中でも取り上げられています。
●「後の雛」とは、雛人形や五月人形を、重陽の節句の頃に虫干しを兼ねて飾る江戸時代からの風習です。3月3日の節句に飾る雛に対して、『後の雛』と呼ばれたようです。
との、現実的に納得できる考えもあるようです。
●季語「後の雛」
晩秋
三月三日の雛遊び同様、陰暦の九月九日にも雛を飾って遊んだという。江戸時代の慣わしである。
・奈良里や世に叮嚀に後の雛 嘯山 「葎亭句集」
・豊年の雨御覧ぜよ雛達 一茶 「七番目記」
・後の雛うしろ姿ぞ見られける 泉鏡花 「鏡花全集 」
との句もあります。
※乾燥剤の発達での虫干しの手抜きと、雛人形を並べるスペース確保が大変なのと、手軽さからと、売る側の狙いから、「後の雛」はシンプルに親王飾りのみでが現代風らしいです。オトナの女性の間に広まりつつあるそうです。
殺伐としている昨今、長女の嫁入りの遅れは気にせずに、雛人形を飾って心を癒すのもいいことかな、と思い、重陽の節句はすぎましたが、
我が家も旧の9月9日・新暦10月26日まで飾る事にしました。