今月の歌舞伎座では、昼夜通しで「仮名手本忠臣蔵」が上演されています。
3日に夜の部、4日に昼の部、5日に夜の部(これは、招待券をいただいたので急きょ……)を観にいきました。さすがに3日連続は疲れますね……。
本当は昼夜ぶっ通しで観るのがいちばんですが、あいにく都合がつかなかったので昼夜別々の観劇です。しかも、先に夜の部を観て、後から昼の部です(笑)。まあ、筋はよくわかっているので、順番が逆さになってもいいやと(笑)。
ずっと昔は、芝居といえば早朝から夕方まで「通し」(1つの芝居を序幕から大詰まで通して上演すること)で上演されるのが普通だったそうです。
しかし戦後、興行形態が昼夜二部制になったことにより、上演時間の関係から「通し」が難しくなり、「見取り」での上演が行われるようになりました。「見取り」というのは「よりどり見取り」からきた言葉で、長いお芝居のなかから面白いところを一幕ずつ抜き出して上演する形式です。
「見取り」が主流になった現代においても、通しで上演される機会の多い人気演目がいくつかあります。
そのうちの一つが「仮名手本忠臣蔵」です。
前回、歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」が通し上演されたのは、2002年10月。赤穂義士の討ち入り後300年を記念して上演されました(もちろん、その時も観に行きましたよ!)
その時は、昼の部の大星由良之助を市川團十郎丈、高師直(こうのもろのお)と夜の部の大星由良之助を中村吉衛門丈、塩冶判官(えんやはんがん)を坂田藤十郎丈(当時は中村鴈治郎丈)、桃井若狭之助と早野勘平を中村勘三郎丈(当時は中村勘九郎丈)、道行のお軽(腰元お軽)を中村福助丈、夜の部のお軽(女房お軽・遊女お軽)を坂東玉三郎丈がつとめておられました。
今回は、昼の部の大星由良之助を松本幸四郎丈、高師直を中村富十郎丈、塩冶判官と夜の部の早野勘平を尾上菊五郎丈、桃井若狭之助と夜の部の大星由良之助を中村中村吉衛門丈、道行の早野勘平を中村梅玉丈、腰元お軽を中村時蔵丈、女房お軽・遊女お軽を坂東玉三郎丈と、前回にひけをとらない豪華キャストです。
上述の配役を見て「おや?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
そう、同じ役を昼夜で別の役者さんが演じたり、一人の役者さんが昼夜で別の役をつとめたり……これが、通し狂言の醍醐味の一つでもあります。
それに、大看板の役者さんがほんのちょっとだけ出演されていたり。人気狂言ならではのぜいたくです。
余談ですが、配役をごらんになっておわかりのとおり、登場人物の名前は史実とは異なっています。
この芝居が作られた(最初は人形浄瑠璃で上演され、それが歌舞伎に輸入されました)江戸時代、武家社会で起きた事件を芝居に脚色することは幕府によって禁じられていました。
そのため、史実とは名前を変え、時代設定も南北朝時代に変えて上演されたのです。
大星由良之助は大石内蔵助、高師直は吉良上野介、塩冶判官は浅野内匠頭をそれぞれモデルにしています。
「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言では、大序「鶴ヶ岡社頭兜改めの場」から十一段目の大詰「炭部屋本懐の場」まで上演されます(ただし、今回の上演では、九段目「山科閑居」などいくつかの場が割愛されています)。
開演時間になるとまず初めに、定式幕が閉まったままの状態で、舞台中央に裃をつけた人形が登場します。この人形は「口上人形」といって、開幕に先立って配役を紹介するのです。
口上人形が終わると、定式幕がゆっくりと開けられていきます。
幕が開くと、足利直義、高師直、塩冶判官、桃井若狭之助などの登場人物が、下を向いて目をつぶった状態でじっと座っています。これは決して、寝ているわけではありません(笑)。人形浄瑠璃を意識した演出で、役者が人形の振りをしているのです。
そして、浄瑠璃(義太夫)が始まり、太夫によって順番に登場人物の名が語られていくと、それにあわせて舞台上の人物が一人ずつ動きはじめていきます。その瞬間はまさに、人形に命が吹き込まれたかのように見えます。
大序から大詰まで見どころだらけの「仮名手本忠臣蔵」ですが、なかでもとりわけ重要な幕が、四段目「扇ヶ谷塩冶判官切腹の場」です。
この幕は江戸の昔から、「出物どめ」の幕とされていました。
丸一日かけて芝居が通し上演されていたころは、芝居を観ながら食事をするのが普通で(興味ない幕だと寝転がってしまう人もいたそうですよ)、芝居茶屋から客席へ弁当が運ばれていました。
しかし、「仮名手本忠臣蔵」の四段目が上演されている間は、芝居茶屋からの弁当も運ばれず、観客の出入りも止められていました。
塩冶判官が切腹をする緊迫した場面で、雰囲気をこわしてはいけないという配慮からです。
その「出物どめ」の名残で、今でも四段目では開演後の客席への出入りが制限されます。ご注意くださいね。
もともと弁当も止められていた幕ですから、開演中の飲食も極力控えたほうがよいでしょう。塩冶判官が切腹するところで、飴の袋がカサカサ鳴る音が場内に響き渡ったら、幻滅ですし……。
忠臣蔵の四段目は、観る側にもそれなりの覚悟と心意気が求められる幕なのです。
<おまけ>
毎年、節分の日には舞台から豆まきが行われます。今年は、昼の部の切「道行旅路の花聟」の後で行われました。
以前は、昼の部・夜の部それぞれで1回ずつ豆まきが行われていた記憶があるのですが……(節分の日に行ったのは何年ぶりかなので、記憶違いかもしれませんが……)、今年は昼の部だけだったもよう。節分の日、夜の部を観に行くことにしていたから期待していたのですが……残念!
ちなみに寄席でも、節分の日は高座から豆や手ぬぐいがまかれます。寄席は太っ腹ですよ~、豆や手ぬぐいにまじって、寄席の招待券までまかれることがあるんですから! 歌舞伎座でもぜひこれにならっていただけると……モゴモゴ……(←寄席より入場料が高いのは重々承知のすけなので、遠慮がちに言ってます……笑)
それと、歌舞伎座では毎年2月の興行の折、ロビーに「地口行灯(じぐちあんどん)」なるものが飾られます。ご観劇の予定のある方は、こちらもどうぞお見逃しなく!(地口行灯の詳細については、次の記事でご紹介します)
3日に夜の部、4日に昼の部、5日に夜の部(これは、招待券をいただいたので急きょ……)を観にいきました。さすがに3日連続は疲れますね……。
本当は昼夜ぶっ通しで観るのがいちばんですが、あいにく都合がつかなかったので昼夜別々の観劇です。しかも、先に夜の部を観て、後から昼の部です(笑)。まあ、筋はよくわかっているので、順番が逆さになってもいいやと(笑)。
ずっと昔は、芝居といえば早朝から夕方まで「通し」(1つの芝居を序幕から大詰まで通して上演すること)で上演されるのが普通だったそうです。
しかし戦後、興行形態が昼夜二部制になったことにより、上演時間の関係から「通し」が難しくなり、「見取り」での上演が行われるようになりました。「見取り」というのは「よりどり見取り」からきた言葉で、長いお芝居のなかから面白いところを一幕ずつ抜き出して上演する形式です。
「見取り」が主流になった現代においても、通しで上演される機会の多い人気演目がいくつかあります。
そのうちの一つが「仮名手本忠臣蔵」です。
前回、歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」が通し上演されたのは、2002年10月。赤穂義士の討ち入り後300年を記念して上演されました(もちろん、その時も観に行きましたよ!)
その時は、昼の部の大星由良之助を市川團十郎丈、高師直(こうのもろのお)と夜の部の大星由良之助を中村吉衛門丈、塩冶判官(えんやはんがん)を坂田藤十郎丈(当時は中村鴈治郎丈)、桃井若狭之助と早野勘平を中村勘三郎丈(当時は中村勘九郎丈)、道行のお軽(腰元お軽)を中村福助丈、夜の部のお軽(女房お軽・遊女お軽)を坂東玉三郎丈がつとめておられました。
今回は、昼の部の大星由良之助を松本幸四郎丈、高師直を中村富十郎丈、塩冶判官と夜の部の早野勘平を尾上菊五郎丈、桃井若狭之助と夜の部の大星由良之助を中村中村吉衛門丈、道行の早野勘平を中村梅玉丈、腰元お軽を中村時蔵丈、女房お軽・遊女お軽を坂東玉三郎丈と、前回にひけをとらない豪華キャストです。
上述の配役を見て「おや?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
そう、同じ役を昼夜で別の役者さんが演じたり、一人の役者さんが昼夜で別の役をつとめたり……これが、通し狂言の醍醐味の一つでもあります。
それに、大看板の役者さんがほんのちょっとだけ出演されていたり。人気狂言ならではのぜいたくです。
余談ですが、配役をごらんになっておわかりのとおり、登場人物の名前は史実とは異なっています。
この芝居が作られた(最初は人形浄瑠璃で上演され、それが歌舞伎に輸入されました)江戸時代、武家社会で起きた事件を芝居に脚色することは幕府によって禁じられていました。
そのため、史実とは名前を変え、時代設定も南北朝時代に変えて上演されたのです。
大星由良之助は大石内蔵助、高師直は吉良上野介、塩冶判官は浅野内匠頭をそれぞれモデルにしています。
「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言では、大序「鶴ヶ岡社頭兜改めの場」から十一段目の大詰「炭部屋本懐の場」まで上演されます(ただし、今回の上演では、九段目「山科閑居」などいくつかの場が割愛されています)。
開演時間になるとまず初めに、定式幕が閉まったままの状態で、舞台中央に裃をつけた人形が登場します。この人形は「口上人形」といって、開幕に先立って配役を紹介するのです。
口上人形が終わると、定式幕がゆっくりと開けられていきます。
幕が開くと、足利直義、高師直、塩冶判官、桃井若狭之助などの登場人物が、下を向いて目をつぶった状態でじっと座っています。これは決して、寝ているわけではありません(笑)。人形浄瑠璃を意識した演出で、役者が人形の振りをしているのです。
そして、浄瑠璃(義太夫)が始まり、太夫によって順番に登場人物の名が語られていくと、それにあわせて舞台上の人物が一人ずつ動きはじめていきます。その瞬間はまさに、人形に命が吹き込まれたかのように見えます。
大序から大詰まで見どころだらけの「仮名手本忠臣蔵」ですが、なかでもとりわけ重要な幕が、四段目「扇ヶ谷塩冶判官切腹の場」です。
この幕は江戸の昔から、「出物どめ」の幕とされていました。
丸一日かけて芝居が通し上演されていたころは、芝居を観ながら食事をするのが普通で(興味ない幕だと寝転がってしまう人もいたそうですよ)、芝居茶屋から客席へ弁当が運ばれていました。
しかし、「仮名手本忠臣蔵」の四段目が上演されている間は、芝居茶屋からの弁当も運ばれず、観客の出入りも止められていました。
塩冶判官が切腹をする緊迫した場面で、雰囲気をこわしてはいけないという配慮からです。
その「出物どめ」の名残で、今でも四段目では開演後の客席への出入りが制限されます。ご注意くださいね。
もともと弁当も止められていた幕ですから、開演中の飲食も極力控えたほうがよいでしょう。塩冶判官が切腹するところで、飴の袋がカサカサ鳴る音が場内に響き渡ったら、幻滅ですし……。
忠臣蔵の四段目は、観る側にもそれなりの覚悟と心意気が求められる幕なのです。
<おまけ>
毎年、節分の日には舞台から豆まきが行われます。今年は、昼の部の切「道行旅路の花聟」の後で行われました。
以前は、昼の部・夜の部それぞれで1回ずつ豆まきが行われていた記憶があるのですが……(節分の日に行ったのは何年ぶりかなので、記憶違いかもしれませんが……)、今年は昼の部だけだったもよう。節分の日、夜の部を観に行くことにしていたから期待していたのですが……残念!
ちなみに寄席でも、節分の日は高座から豆や手ぬぐいがまかれます。寄席は太っ腹ですよ~、豆や手ぬぐいにまじって、寄席の招待券までまかれることがあるんですから! 歌舞伎座でもぜひこれにならっていただけると……モゴモゴ……(←寄席より入場料が高いのは重々承知のすけなので、遠慮がちに言ってます……笑)
それと、歌舞伎座では毎年2月の興行の折、ロビーに「地口行灯(じぐちあんどん)」なるものが飾られます。ご観劇の予定のある方は、こちらもどうぞお見逃しなく!(地口行灯の詳細については、次の記事でご紹介します)