7月27日(日)、28日(月)に観た、松竹座昼の部の観劇記です。
昼の部の演目は「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」「木村長門守 血判取」「伽羅先代萩 花水橋・御殿・床下・対決・刃傷」。
■春調娘七種
「春調娘七種」は曽我狂言の所作事で、春の七草を俎板の上でたたく節供の行事を曽我十郎・五郎と静御前が見せる趣向になっています。
菊之助さんの十郎、松緑さんの五郎、孝太郎さんの静御前という顔合わせ。
幕が開くと、七草の籠を手にした静御前と、鼓を持った十郎、五郎がせり上がりで出てきます。
舞を舞ううち、親の仇である工藤祐経を見つけて兄弟は勇み立ちます。ここでは「対面」でおなじみの、十郎が五郎を制する形も見られました。
私は、菊之助さんの十郎で「対面」を見るといつも、ここの様子がすごくいいなあ……と思うので、6月の博多座に続いてこのカタチを見ることができてよかったです。
静御前に制された兄弟は、はやる気持ちを抑えて鼓を手に舞い、静とともに七草をたたきます。
仇、鼓、七草で、「うつ(討つ、打つ)」つながりになっているんですね。
七草をめでたく「打ち納め」た兄弟は、時節を待って親の仇を討つことを決意し、静とともに舞い納めます。
幕開きにふさわしく、美しく華やかな一幕ですが、夏芝居にはちょっと「時知らず」な演目ですよね。
まあ、おめでたいし、きれいなのでいいんですが。
現在でも、正月七日には多くのご家庭で七草粥を召し上がっていると思いますが、七草を俎板の上で「トントンパタリ」とたたく儀式(?)からなさっているところは、きっと少なくなっているんだろうなあ……と思います。
我が家でも、いちおう擂り粉木や包丁で七草をたたいたりなんぞしてましたが、七草粥を作る前に母がさりげなくやっていただけで、かなり簡略化しちゃってました。
七草をたたく儀式は、悪霊や疫病を退散させ、一年の無病息災を願うためのものですから、本当はきちっと「本寸法」でやらないといけないんでしょうけども……。
そんなご時世だからこそ、こういうのを見て節供の行事を楽しみ、再認識できるという点で意義があるのではないかと思いますし、やっぱり初芝居でかけるのがベストなんじゃないかなあ……と思いました。
■木村長門守 血判取
十一世片岡仁左衛門が選定した「片岡十二集」の一つ「木村長門守」より「血判取」。
昭和16年以来上演が途絶えていたのを、昭和57年に十三世仁左衛門が京都南座で上演したそうですが、その後は、平成14年南座で我當さんが演じ、今回の上演はそれ以来6年ぶり。
その間、東京では一度も上演されていない、幻の演目です。
私は、6年前の南座で我當さんのを見たのですが(つい最近見たと思っていたのですが、もう6年も経つんですね……)、その時、定式幕が引かれた後の花道の引っ込みがすごく印象に残ったのです。
ほかの場面はすっかり忘れていたけれど、あの引っ込みだけは脳裏にやきついていて、「木村長門守」といえばその場面がぱっと頭に浮かんでしまうほどでした。
今回も6年前と同じ、我當さんの木村長門守重成、進之介さんの郡主馬之助(こおりしゅめのすけ)、左團次さんの家康という配役。
大坂冬の陣において、勅命に従って豊臣方と和睦を結ぶことになった家康のもとへ、和睦の神文を受け取りに、木村長門守重成と郡主馬之助が長裃姿でやってきます。
重成は若いながらも堂々と、かつ礼儀正しくふるまって家康と対面し、家康から神文を受け取ります。
しかし、受け取った神文に目を通した重成は血相を変えます。
隣にいた主馬之助が読み上げてみると、そこに書かれていたのは、和睦どころか、秀頼が家康に降伏するというような内容。
重成は、命を賭してこの場にやってきたのにこのような神文を出されたのでは、このまま帰ることはできない、大将(家康)の首をもらいうけると、刀に手をかけ詰め寄ります。
重成の気迫におされた家康は、「今のはほんの下書きじゃよ」と重成をなだめ、懐からもう一枚神文を取り出します。
あらためて受け取った神文を重成が読み上げると、そこには、家康方が近江まで引き上げ陣営を取り払うこと、大阪城の外堀を埋めさせた代わりに家康が紀伊、大和を秀頼に渡すことが書かれていました。
この神文に家康が血判を押したのを見届け、神文を受け取った重成は、あらためて威儀を正し、家康に礼を尽くします。
家康方の重臣たちも重成の武勇をたたえ、重成も一同に礼を述べて主馬之助とともに家康の本陣を後にします。
ここで定式幕が引かれ、重成と主馬之助の引っ込みとなります。
花道の七三で舞台のほうに向いて形を決めた後、客席のほうに向き直った重成は、包みに入れた神文を懐から取り出し、それを押し頂きながらゆっくりと一礼します。
この時の我當さんが、すごくいいのです。
命を賭して敵の陣中に赴き大役を成し遂げたことに対する安堵感や神仏への感謝、主君を思う気持ちなど、万感の思いが込められていることが、ひしひしと伝わってきます。
6年前の南座では2階席の前列から見て、それでも十分に伝わってきたのですが、今回は1階の、しかも花道に近い席で見たので、我當さんの表情まですごくよく見えて、感動もひとしおでした。
主馬之助をつとめる進之介さんは、6年前は正直目もあてられなかったんですが(ゴメンナサイ!)、今回は、口跡もずいぶんとよくなって、声もどっしりとしていたのでビックリしました。
特に印象的だったのは、1枚目の神文を読み上げる時、秀頼の降伏を求めるかのような内容であることに気付いて一瞬ハッとして声を止め、再び読み上げていくところ。
豊臣方の緊張感が高まっていく様子が、台詞や息づかいによく表れていて、こちらも固唾を飲んで見守る感じで引き付けられました。
読み上げる神文の文言が、一言一句きちんとこちらに伝わってきたのは、台詞が丁寧でかつ肚ができていた証ではないかと思います。
左團次さんの家康は、老獪で腹に一物ありそうな雰囲気と、若い重成の才能を認め一目おく鷹揚さのバランスが絶妙で、とても存在感がありました。
■伽羅先代萩
「花水橋」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」の、半通し上演。
「花水橋」では足利頼兼を菊之助さん、絹川谷蔵を愛之助さん、「御殿」では政岡を藤十郎さん、八汐を仁左衛門さん、栄御前を秀太郎さん、沖の井を魁春さん、松島を孝太郎さん、「床下」では仁木弾正を仁左衛門さん、荒獅子男之助を松緑さん、「対決」「刃傷」では細川勝元を菊五郎さん、仁木弾正を仁左衛門さん、渡辺外記左衛門を左團次さん、山名宗全を團蔵さん、渡辺民部を愛之助さんという、顔見世のような豪華配役でした。
私のお目当てはもちろん、山城屋さんの政岡。
歌舞伎座と博多座での襲名披露でなさって以来、2年ぶりとなります。
ただ、今回は襲名披露興行のときと違い、「飯炊き(ままたき)」を省略しての上演だったので、それがちょっと残念でした。
上演時間の都合でしかたないのだと思いますが……。
山城屋さんにとっては、「飯炊き」を省略するのは初めてのことだそうです。
「飯炊き」のなかで、空腹の若君をなぐさめるために「わしが息子の千松が 七つ八つから金山へ 一年待てども、まだ見えぬ」という唄を唄います。
若君を助けるために毒入りの菓子を食べ、八汐になぶり殺しにされた千松の亡骸に向かって政岡が「唄に出てくる千松は、(親元を離れて暮らしているとはいえ生きているのだから)いつか父母に姿を見せることもあるだろうが、こちらの千松は、百年、千年、万年待ったとしても会うことができない」と嘆く場面は、これをふまえているので、「飯炊き」が省略されると、政岡の台詞の深みが半減してしまうんですよね。
でも、さすがは山城屋さん、それを補って余りあるほどの熱演で、母の愛情を表現しておられました。
「御殿」の義太夫は谷太夫さんがつとめておられたのですが、山城屋さんとの息もぴったりで、芝居を盛り上げてくださっていました。
特に印象的だったのは、目の前で千松をなぶり殺しにされた政岡が、わが子の悲鳴が肝先にこたえるのをじっと我慢している場面。
微動だにせずこらえている政岡の悲しみを代弁するかのように、義太夫が思いきり声を張り上げて「涙一滴目に持たぬ男勝りの政岡が忠義は先代末代まで、またあるまじき烈女の鑑」と語ります。
そして舞台では、藤十郎さん演じる政岡が、柱に当てた手にぐっと力を込めています。
義太夫と役者が一体となり、高まる感情とそれを押し殺す理性を表現しているかのようでした。
これこそ義太夫狂言の醍醐味!といった感じでした。
栄御前から座をはずすように命じられた沖の井、松島、八汐が部屋を出て行く場面で、魁春さん演じる沖の井も印象的でした。
少ない所作のなかにも、義太夫で「沖の井が深き心もわだつみの」と語られている沖の井の人となりがきっちりと表現されていたように思います。
「床下」での仁左衛門さんの仁木弾正は、重厚かつ幻想的な雰囲気で、拍手するのを忘れてしまうくらいじっと見入ってしまいました。
まるで本当に妖術にかかってしまったように、客席も静まり返って仁木弾正に注目していました。
見ごたえたっぷりの昼の部、大満足でした~。
昼の部の演目は「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」「木村長門守 血判取」「伽羅先代萩 花水橋・御殿・床下・対決・刃傷」。
■春調娘七種
「春調娘七種」は曽我狂言の所作事で、春の七草を俎板の上でたたく節供の行事を曽我十郎・五郎と静御前が見せる趣向になっています。
菊之助さんの十郎、松緑さんの五郎、孝太郎さんの静御前という顔合わせ。
幕が開くと、七草の籠を手にした静御前と、鼓を持った十郎、五郎がせり上がりで出てきます。
舞を舞ううち、親の仇である工藤祐経を見つけて兄弟は勇み立ちます。ここでは「対面」でおなじみの、十郎が五郎を制する形も見られました。
私は、菊之助さんの十郎で「対面」を見るといつも、ここの様子がすごくいいなあ……と思うので、6月の博多座に続いてこのカタチを見ることができてよかったです。
静御前に制された兄弟は、はやる気持ちを抑えて鼓を手に舞い、静とともに七草をたたきます。
仇、鼓、七草で、「うつ(討つ、打つ)」つながりになっているんですね。
七草をめでたく「打ち納め」た兄弟は、時節を待って親の仇を討つことを決意し、静とともに舞い納めます。
幕開きにふさわしく、美しく華やかな一幕ですが、夏芝居にはちょっと「時知らず」な演目ですよね。
まあ、おめでたいし、きれいなのでいいんですが。
現在でも、正月七日には多くのご家庭で七草粥を召し上がっていると思いますが、七草を俎板の上で「トントンパタリ」とたたく儀式(?)からなさっているところは、きっと少なくなっているんだろうなあ……と思います。
我が家でも、いちおう擂り粉木や包丁で七草をたたいたりなんぞしてましたが、七草粥を作る前に母がさりげなくやっていただけで、かなり簡略化しちゃってました。
七草をたたく儀式は、悪霊や疫病を退散させ、一年の無病息災を願うためのものですから、本当はきちっと「本寸法」でやらないといけないんでしょうけども……。
そんなご時世だからこそ、こういうのを見て節供の行事を楽しみ、再認識できるという点で意義があるのではないかと思いますし、やっぱり初芝居でかけるのがベストなんじゃないかなあ……と思いました。
■木村長門守 血判取
十一世片岡仁左衛門が選定した「片岡十二集」の一つ「木村長門守」より「血判取」。
昭和16年以来上演が途絶えていたのを、昭和57年に十三世仁左衛門が京都南座で上演したそうですが、その後は、平成14年南座で我當さんが演じ、今回の上演はそれ以来6年ぶり。
その間、東京では一度も上演されていない、幻の演目です。
私は、6年前の南座で我當さんのを見たのですが(つい最近見たと思っていたのですが、もう6年も経つんですね……)、その時、定式幕が引かれた後の花道の引っ込みがすごく印象に残ったのです。
ほかの場面はすっかり忘れていたけれど、あの引っ込みだけは脳裏にやきついていて、「木村長門守」といえばその場面がぱっと頭に浮かんでしまうほどでした。
今回も6年前と同じ、我當さんの木村長門守重成、進之介さんの郡主馬之助(こおりしゅめのすけ)、左團次さんの家康という配役。
大坂冬の陣において、勅命に従って豊臣方と和睦を結ぶことになった家康のもとへ、和睦の神文を受け取りに、木村長門守重成と郡主馬之助が長裃姿でやってきます。
重成は若いながらも堂々と、かつ礼儀正しくふるまって家康と対面し、家康から神文を受け取ります。
しかし、受け取った神文に目を通した重成は血相を変えます。
隣にいた主馬之助が読み上げてみると、そこに書かれていたのは、和睦どころか、秀頼が家康に降伏するというような内容。
重成は、命を賭してこの場にやってきたのにこのような神文を出されたのでは、このまま帰ることはできない、大将(家康)の首をもらいうけると、刀に手をかけ詰め寄ります。
重成の気迫におされた家康は、「今のはほんの下書きじゃよ」と重成をなだめ、懐からもう一枚神文を取り出します。
あらためて受け取った神文を重成が読み上げると、そこには、家康方が近江まで引き上げ陣営を取り払うこと、大阪城の外堀を埋めさせた代わりに家康が紀伊、大和を秀頼に渡すことが書かれていました。
この神文に家康が血判を押したのを見届け、神文を受け取った重成は、あらためて威儀を正し、家康に礼を尽くします。
家康方の重臣たちも重成の武勇をたたえ、重成も一同に礼を述べて主馬之助とともに家康の本陣を後にします。
ここで定式幕が引かれ、重成と主馬之助の引っ込みとなります。
花道の七三で舞台のほうに向いて形を決めた後、客席のほうに向き直った重成は、包みに入れた神文を懐から取り出し、それを押し頂きながらゆっくりと一礼します。
この時の我當さんが、すごくいいのです。
命を賭して敵の陣中に赴き大役を成し遂げたことに対する安堵感や神仏への感謝、主君を思う気持ちなど、万感の思いが込められていることが、ひしひしと伝わってきます。
6年前の南座では2階席の前列から見て、それでも十分に伝わってきたのですが、今回は1階の、しかも花道に近い席で見たので、我當さんの表情まですごくよく見えて、感動もひとしおでした。
主馬之助をつとめる進之介さんは、6年前は正直目もあてられなかったんですが(ゴメンナサイ!)、今回は、口跡もずいぶんとよくなって、声もどっしりとしていたのでビックリしました。
特に印象的だったのは、1枚目の神文を読み上げる時、秀頼の降伏を求めるかのような内容であることに気付いて一瞬ハッとして声を止め、再び読み上げていくところ。
豊臣方の緊張感が高まっていく様子が、台詞や息づかいによく表れていて、こちらも固唾を飲んで見守る感じで引き付けられました。
読み上げる神文の文言が、一言一句きちんとこちらに伝わってきたのは、台詞が丁寧でかつ肚ができていた証ではないかと思います。
左團次さんの家康は、老獪で腹に一物ありそうな雰囲気と、若い重成の才能を認め一目おく鷹揚さのバランスが絶妙で、とても存在感がありました。
■伽羅先代萩
「花水橋」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」の、半通し上演。
「花水橋」では足利頼兼を菊之助さん、絹川谷蔵を愛之助さん、「御殿」では政岡を藤十郎さん、八汐を仁左衛門さん、栄御前を秀太郎さん、沖の井を魁春さん、松島を孝太郎さん、「床下」では仁木弾正を仁左衛門さん、荒獅子男之助を松緑さん、「対決」「刃傷」では細川勝元を菊五郎さん、仁木弾正を仁左衛門さん、渡辺外記左衛門を左團次さん、山名宗全を團蔵さん、渡辺民部を愛之助さんという、顔見世のような豪華配役でした。
私のお目当てはもちろん、山城屋さんの政岡。
歌舞伎座と博多座での襲名披露でなさって以来、2年ぶりとなります。
ただ、今回は襲名披露興行のときと違い、「飯炊き(ままたき)」を省略しての上演だったので、それがちょっと残念でした。
上演時間の都合でしかたないのだと思いますが……。
山城屋さんにとっては、「飯炊き」を省略するのは初めてのことだそうです。
「飯炊き」のなかで、空腹の若君をなぐさめるために「わしが息子の千松が 七つ八つから金山へ 一年待てども、まだ見えぬ」という唄を唄います。
若君を助けるために毒入りの菓子を食べ、八汐になぶり殺しにされた千松の亡骸に向かって政岡が「唄に出てくる千松は、(親元を離れて暮らしているとはいえ生きているのだから)いつか父母に姿を見せることもあるだろうが、こちらの千松は、百年、千年、万年待ったとしても会うことができない」と嘆く場面は、これをふまえているので、「飯炊き」が省略されると、政岡の台詞の深みが半減してしまうんですよね。
でも、さすがは山城屋さん、それを補って余りあるほどの熱演で、母の愛情を表現しておられました。
「御殿」の義太夫は谷太夫さんがつとめておられたのですが、山城屋さんとの息もぴったりで、芝居を盛り上げてくださっていました。
特に印象的だったのは、目の前で千松をなぶり殺しにされた政岡が、わが子の悲鳴が肝先にこたえるのをじっと我慢している場面。
微動だにせずこらえている政岡の悲しみを代弁するかのように、義太夫が思いきり声を張り上げて「涙一滴目に持たぬ男勝りの政岡が忠義は先代末代まで、またあるまじき烈女の鑑」と語ります。
そして舞台では、藤十郎さん演じる政岡が、柱に当てた手にぐっと力を込めています。
義太夫と役者が一体となり、高まる感情とそれを押し殺す理性を表現しているかのようでした。
これこそ義太夫狂言の醍醐味!といった感じでした。
栄御前から座をはずすように命じられた沖の井、松島、八汐が部屋を出て行く場面で、魁春さん演じる沖の井も印象的でした。
少ない所作のなかにも、義太夫で「沖の井が深き心もわだつみの」と語られている沖の井の人となりがきっちりと表現されていたように思います。
「床下」での仁左衛門さんの仁木弾正は、重厚かつ幻想的な雰囲気で、拍手するのを忘れてしまうくらいじっと見入ってしまいました。
まるで本当に妖術にかかってしまったように、客席も静まり返って仁木弾正に注目していました。
見ごたえたっぷりの昼の部、大満足でした~。