風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

大山守皇子

2012-01-29 11:52:29 | 古代史
近所から見た大山、わずかに雪が積もってますね。
江戸時代には大山詣りが流行ったようで、藤沢からも大山道があります。
大山信仰の対象としては、いろんな説が考えられますが、よく判りません
・山頂の石尊大権現を信仰
・大山寺を開山した良弁を信仰
・大山阿夫利神社の祭神の大山祇命を信仰
・秦氏が徐福を大山祇命と見なして信仰
・大山守皇子を信仰
最後の説がもっともらしく思われます。大山守皇子とは応神天皇の第2皇子です。
ウィキペディアでは宇治川で死んだことになってますが、
富士古文献では、富士川で溺死したと見せかけて、相模国に逃亡しました。
大山に潜み、記念に岩石に「尊」と刻んだそうです。
相模国の大住郡の由来、大山山頂の石尊の由来につながる伝承です。
皇子はその後、富士吉田に戻り宮下家として代々阿祖山太神宮の宮司を務めます。

大山守皇子を中心に系図を表にして見ました。
【天皇】      【宮下家】      備考












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天照大御神
天之忍穂耳尊
火瓊々杵尊
日子火火出見尊
鵜茅葺不合尊
千穂高王命

岩仲彦王命
弥真都男王命
神武天皇
(日高佐野王尊)
綏靖天皇
安寧天皇
懿徳天皇
孝昭天皇
孝安天皇
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
崇神天皇

垂仁天皇

景行天皇
├────
成務天皇

仲哀天皇
応神天皇


├────





仁徳天皇

履中天皇
反正天皇
允恭天皇
安康天皇
雄略天皇
清寧天皇
顯宗天皇
仁賢天皇
武烈天皇
継体天皇
安閑天皇
宣化天皇
欽明天皇
敏達天皇
用明天皇
崇峻天皇
推古天皇
舒明天皇
皇極天皇
孝徳天皇
斉明天皇
天智天皇
弘文天皇
天武天皇
持統天皇
文武天皇
元明天皇
元正天皇
聖武天皇
孝謙天皇
淳仁天皇
称徳天皇
光仁天皇







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日本武尊


福地媛===


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天之御中主神
高皇産穂男神

高皇産霊神
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国狭槌尊
伊弉諾尊
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月夜見尊
大山祇命
加茂澤毘古命


山茂利毘古命

山茂男命
阿津山男命
熱都丹波彦命
宮守男命
宮方男命
宮志津目男命
山宮男命
奈流男命
眞米山男命
玉武男命
見奈加男命
久良高命
岩長男命
宮守男命
御身彌男命



阿祖彦王命
├────
↓養子
福地佐太夫命
├────
↓菊野媛を妻
┬────
大山守皇子
(明仁彦)
(記太夫明仁彦)
宮下源太夫明政
(不二尾田長彦)
宮下記太夫仁忠
(不二田一摩古彦)
宮下源太夫政正
宮下記太夫政宗
宮下源太夫仁良
宮下記太夫仁元
宮下記太夫仁家
宮下源太夫宗仁
宮下記太夫国仁
宮下源太夫元国
宮下記太夫仁成
宮下源太夫元政
宮下記太夫峰元
宮下源太夫元氏
宮下福地太夫元治
宮下記太夫元照
宮下源太夫元定
宮下福地太夫国富
宮下記太夫元長
宮下源太夫秀元



宮下福地太夫元長
宮下記太夫元頼
宮下源太夫元道
宮下福地記太夫元村
















祖佐男命
祖武男命
祖力男命
佐太男命
祖仲男命
祖木男命

津奈田命
尾豊田命
政利彦命


国田男命
国立彦命
勝田王命
知刀田命
尾羽張田彦命
美彌方男命
阿曾男命
眞田良男命
真田八代良男命
├弟:太仁志男命
│(又八良)
└兄:又久良男命
┌┘
福地記太夫命




↓桜山媛を妻

隼総別皇子
(政元彦)
(福地又八良政元彦)




(1)宇津峰の高座山(高/神皇産霊)

(2)小室菅原(国狭槌/毘女)
(3)笠砂碕の高燈(伊弉諾/冉)
(4)中室の麻呂山(天照)
小室阿田都山の大宮→元宮 阿祖山太神宮
(5)加茂山の山守の宮(大山祇、別雷)
(6)宇津峰の金山(2柱:ニニギ、木花咲夜)
(7)泉仙山古峰の根元野(作田毘古)
高天原元宮七廟阿祖山太神宮と称す

約50世代省略


橿原の宮で即位
2柱の霊石を阿蘇山大神宮(宮守の宮)に遷





徐福が富士高天原に来る
不二山→福地山
天照、御宝を大和国笠縫に遷
御宝を模倣し真神殿に安置
菅原の国狭槌→寒川大神と称す
三国国境に分祀→山宮阿祖山神社
元宮→小室阿祖山大神宮と称す
麿呂山の廟→古宮天照皇太神と称す
笠縫の天照を伊勢に遷
阿祖彦王が神都復旧の謀反
日本武尊が東夷征討
草薙して迎え火、記太夫を国造に

阿祖谷三陵:大山守、隼総別、根島

大山守を司長、徐福学を習得
小室の大柏木に高御久良(応神天皇)
神都復旧の謀反→敗退→相模に逃亡
大山、大住の里
武内宿禰 三国第一山
宮下の宮

















厩戸皇子が勅使
寒川大神+高久良神社→寒川大明神
笠砂の高燈大神→高燈大明神



中臣藤原物部麿 徐福伝を謄写



忍壁親王が勅使
寒川大明神→福地八幡大神と改称




坂上苅田麻呂が勅使
大神宮→先現太神と改称


西暦800年に富士山が噴火する前、高天原の略図です


この後、富士山が噴火します。 富士山の噴火後の宮下家の系図を表にしてみました。
長い歴史、いろんなドラマがあったようです
【天皇】      【宮下家】      備考

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桓武天皇


平城天皇
嵯峨天皇
淳和天皇
仁明天皇
文徳天皇
清和天皇
陽成天皇
光孝天皇
宇多天皇
醍醐天皇
朱雀天皇
村上天皇
冷泉天皇
円融天皇
花山天皇
一条天皇
三条天皇
後一条天皇
後朱雀天皇
後冷泉天皇
後三条天皇
白河天皇
堀河天皇
鳥羽天皇
崇徳天皇
近衛天皇
後白河天皇
二条天皇
六条天皇
高倉天皇
安徳天皇
後鳥羽天皇
土御門天皇
順徳天皇
仲恭天皇
後堀河天皇
四条天皇
後嵯峨天皇
後深草天皇
亀山天皇
後宇多天皇
伏見天皇
後伏見天皇
後二条天皇
花園天皇
後醍醐天皇
後村上天皇
長慶天皇
後亀山天皇
後小松天皇
称光天皇
後花園天皇
後土御門天皇
後柏原天皇
後奈良天皇
正親町天皇
後陽成天皇
後水尾天皇
明正天皇
後光明天皇
後西天皇
霊元天皇
東山天皇
中御門天皇
桜町天皇
桃園天皇
後桜町天皇
後桃園天皇
光格天皇
仁孝天皇
孝明天皇
明治天皇
大正天皇
昭和天皇


























源頼義
├(1)八幡太郎義家
├(3)新羅三郎義光
└(2)加茂二郎義綱
┌┘
三浦義明
三浦義顕

└────













光厳天皇
光明天皇
崇光天皇
後光厳天皇
後円融天皇
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宮下源太夫元秀
宮下記太夫仁元



宮下福地太夫元明
宮下記太夫明政
宮下記太夫明忠
宮下福地太夫明高




宮下記太夫明照

宮下源太夫明信
宮下福地太夫明清
宮下記太夫元景
宮下源太夫明景
宮下福地太夫元経
宮下記太夫親明
宮下源太夫政明
宮下福地太夫宗応
宮下記太夫明秀
宮下源太夫元頼
宮下福地太夫明頼
宮下記太夫明兼
宮下源太夫明富
宮下福地太夫明朝
宮下源太夫明廣

宮下記太夫政仁
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↓長女の婿養子

宮下源太夫義仁
(源甚吾重成)
富士宮下藤馬亮義国
富士宮下右近亮義政
富士宮下源太夫正忠
富士宮下左京亮正成

富士宮下源太夫義泰
富士宮下右近亮義忠
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富士宮下右近亮義高
(里宮丸、三浦義高)
(田貫次郎)

富士三浦左京亮義勝
(三浦六左衛門)


宇津左京亮義利
(道次)
宇津源太夫宗正
(田貫左京亮宗正)
富士源太夫義忠
宮下源太夫宗明
宮下甚太夫宗泰
宮下記太夫宗元
三浦兵部大輔宗忻
宮下右近亮宗義
宮下源太夫宗高
宮下甚太夫宗忠

富士源太夫義信
宮下甚太夫善治
宮下源太夫義広
宮下伴野太夫義根
宮下源太夫義貞
宮下伴太夫義真
宮下源太夫義伴
宮下甚太夫義光
宮下源太夫義照
宮下源太夫義興

福地又八良宗晴
├元宮麿
│(古屋元太夫正彦)
└大宮麿
 (富士又八郎)





























宮下記太夫国仁

宮下記太夫住家
宮下記太夫住国
宮下佐太夫国定
宮下記太夫政国

宮下佐太夫国明
宮下佐太夫明吉

福地山噴火(800年)
東相模国早女郷に東元宮寒川神社
太神宮→山宮(里宮の奥の院)とする
中山神部山に北元宮浅間神社
本沢表本宮に大宮浅間神社
坂上田村麻呂に命じ
4廟を再興(担当:寒川2、神部山2)
福地山→富士山と改称
太神宮=2所明神とも称す
再び富士山が噴火(864年)
宮守/幸燈/福地八幡を再興


紀貫之を勅使

宮守神社を福地八幡の東に遷
先現太神宮→阿座真明神大社








富士八流 最後の噴火





記太夫は東本宮寒川へ



源頼朝が富士12郷を与えた(1193)






馬入川氾濫(1282)
溺死、古文書流失
明吉の嫁が里宮丸を連れて実家へ



新田義貞の妹を妻、北条滅亡を支援
宗良親王を奉り、足利尊氏を討つ
敗れて自刃(1355)


宗良親王を守護
足利が古文書焼く
(義利のコピーが残る)








領主秋元喬知が古文書を焼く
(家人が一部を隠す)
棟梁にくくり付けて封印








宮下の邸宅焼失 小箱を開く(1883)
そう言えば今日、富士五湖あたりで地震がありました。
これ以上、いやなことは起こらないで欲しいんだけど

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