水向け:しきみの枝で餓鬼に水を施します
私は「施餓鬼」というと、小松左京の短編を思い出します
飢餓に苦しむ亡者への供養、有り難いです
行道:お経を唱えながら三門の前をグルグル回ります
みんなが元の位置に戻ると施餓鬼会の第一段の終わりです
続いて梶原景時の霊の供養が始まります
普段唱えない特別なお経を小さな紙を見ながら唱え、焼香します
建長寺ができた頃、施餓鬼会を終えた蘭渓道隆には
遅れて来て残念がる梶原景時の亡霊が見えました
以来、景時のためにもう一度施餓鬼法要を行う習わしです
最後に、もう一度ハンディ経典の開甘露門(施餓鬼)を唱えます
導師が最後のお焼香をして立ち去り、一連の儀式が終わります
施餓鬼棚:野菜や果物が供えられています
深沢小学校の裏にある梶原景時ら一族の墓と伝わるやぐらです
小学校の東隣には梶原の御霊神社があります
梶原景時は村岡五郎平良文の子孫、板東八平氏の一族です
源頼朝が石橋山の戦いで敗走中、洞窟に隠れてるところを見逃して恩人となる
頼朝に重用され、讒言により義経などの御家人を陥れたと言われる
頼朝の死後、御家人の恨みを買い排斥されます
餓鬼道に落ちたけど、憎みきれないところもあったのでしょうね
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