フランネル日記

新藤珈琲店 
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認知症予防

2024-08-26 14:41:29 | フランネル日記

今朝のラジオ「マイあさ」 健康は認知症予防でした。再放送です。俳優の山本学さんと朝田隆(筑波大学名誉教授)が出席。山本学さんは認知症と診断されてから、積極的に先生の指導を頑張っているようで、声も生き生きしていました。若い頃よくテレビで見ましたよね。

今日話していたのは、面倒がらないこと、面倒と思わずに行動することだそうです。特に、医師から認知症ですと診断されたら、それだけで動揺すると思うのですが、学さんは積極的に行動しているようで、だからお元気なんだなと思います。

最近はヘルパーさんたちの仕事や、介護の現場などを映像でみることが多くなってきました。私の友達も介護をしているので、現場の話などをよく聞きます。先日もヘルパーさんの忙しい映像を見て思ったのですが、私もお世話になるときがいつか来るので、ヘルパーさんの忙しさをみていると、介護される人もできることは自分でするといいのになと思ってしまいます。元気だからそう思うので、実際、手をだされて、かえってヘルパーさんの負担になることもあるので、今は、できることは自分でやれる年寄りになろうが目標です。

映像に移らない日々の生活は介護される側も日々自分でしなければならにことはいろいろあると思います。高齢者が多くなってきた今、いろいろな映像からわかることが沢山あるので少しずつ勉強してゆきたいと思います。


銀行員だった父は、定年後は自分の部屋(今珈琲店)でクラシックを聴きながら、好きなたばこをもくもくさせて「お~~い珈琲」、庭にでてはせっせと草むしり(父がいたときは庭に草はなかった、代わりにきれいな苔がありました。植木も大きかったのと植木屋さんが入っていました)両親がいなくなった庭をせっせと私が自分で刈りこんだので、苔は太陽のために無くなってしまいました。

そうそう、母が入院生活をするようになると、父は自転車で、駅のそごう(今は無い)で総菜を買ってきたり、ごはんとみそ汁は作れた。(鰹節問屋の息子は、出前が多かったらしい)母の洗濯物は入院したときもせっせと病院に運んでいたし、いままでしなかった家事をよくやっていました。4月に倒れたときも正月には障子の張替えをしたり(障子の桟を洗うことはしていたけれど張替はめずらしい)家事をしなかった父は亡くなるまで坂を下って母の病院、買い物と大変元気でした。母のために必死だったんだと思います。「母さんを頼む」。翌年、母も父のもとへ。

  まだ着物姿!

人に迷惑かけずに、自分の力で母を支えていた父の年にだんだん近づいてきましたので、両親の姿を思い浮かべながら、面倒だといわずにできることは頑張ろうと思っています。

人とのコミュニケーション、これは楽しいし、おしゃべりは女性は大好きだから、続けたいです。

店ひまなので、長くなってすみませんm(__)m



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