15日の手話通訳の反省
雨にもかかわらず沢山の方がみえていて嬉しかった。私は、始まるまでずっと胃が痛く、ムカムカ状態。それでも、補聴器の音が入ってるか?朗読のページは開いているか(以前は自分の聖書と典礼を持って読んでいたが、朗読台の聖書を読むようになっているので、ページをまたがっていたりすると緊張するから、事前に確認する)心配そうな担当の方に「大丈夫よ」などと自分を棚に上げて言っていると少し落ち着いてくる。
朗読は90歳になるSさんと一緒、冗談で「転んだらこまるね」などとおっしゃるが、しっかりと歩き、朗読も声がとおる尊敬する先輩。一緒にいると励まされる、私の洗礼式の時に侍者をしてくれた方。
席にもどって、しばらくすると後半神父の手話をする。あっ!献金袋(手話サークルは全員まとめて袋に入れてある)は、前で通訳するから、奉納の人に渡せないと思っていたら、Sさんは、目配せして、これ入れるのね、解ったよと合図してくれた。
司祭(ミサの時は神父は司祭)の言葉を手話で表わすのは、奉献文など、決まっているので、練習していれば楽勝だが、後からいつ声がするかな?と待っている時、また声が聞きとりにくいときがあるので、けっこうドキドキする。また、速いこともある。結局、いくつかの失敗をして終了。
閉祭の歌を手話する方の隣で、歌詞を読んであげて終了しました。
デニーズでみなで食事をして、帰宅したのは10時頃。しっかりハンバーグを食べて、残した友達の分も平らげて帰宅。もちろん失敗したところの反省もしました。解らない部分メモしておけばよかった。時間たつとすぐ忘れちゃう。
そんなにドキドキするなら、よせばいいのにね。でも経験を重ねて勉強するのは楽しい。特に手話で表わしにくい言葉はどんなふうに表現するかとか、必死で考えるのも好きです。
現在、カトリック八王子教会には聾者の方はいらっしゃいません。中途難聴失聴者の方だけですが、足もとが危ないので、雨の日はお休みです。以前、ろう者とかかわらないで自己満足だろう、ボランティアに参加もしないでとご批判をいただいとことがあります。信仰はそれぞれ違います。そして、ボランティアは働いているので無理。手話講座もすべて夜に勉強しました。それぞれのやり方で少しずつ努力することが大切と思っています。カトリック教会はそんなに堅苦しいところではありませんし、気軽に聞こえない方も参加できるようになることを願っています。
店にいらっしゃれば、手話でお話できます。よろしくお願いします。