みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

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訳し上げるか訳し下ろすか

2012年02月18日 23時25分40秒 | お仕事・学び
この連載の目次

(前回から続く)

前々回から2回にわたって、
This is the pen with which he wrote the novel.
という文を例にとり、翻訳にあたって語順をどうするか検討しました。訳し方は何とおりも考えられます。
これは、彼がその小説を書くのに使ったペンです。
これがそのペンだ。これで彼はあの小説を書いた。
これだ。このペンで、彼はあの小説を書いたんだ。
訳し上げると文を読むときに頭の中に保留事項が増えてしまうので、訳し下ろすほうが文が理解しやすくなり、文の勢いもそがれないと述べました。

しかし、上記の訳文は原文の語順に厳密には従っていません。
... he wrote the novel.
彼 (he) はあの小説 (the novel) を書いた (wrote)。
he wrote the novelの部分は訳し下ろさなくてよいのでしょうか。元の英文の語順に忠実に翻訳してみましょう。
This is the pen with which he wrote the novel.
これがそのペンだ。これで彼は書いた。あの小説をね。
原文の語順に完全に従っています!

原文の語順に従ってはいますが……どうでしょうか。この訳は、ずいぶんもったいぶった感じがあります。名刑事を気取った印象を受ける人もいるでしょう。もちろん、状況によってはこのような訳も考えられますが、日本語を母語とする人がこのような日本語を発する場面はごく限られています (特に小説を強調しようという意図がある場合や、くだけた会話の最中に思いつくままに言葉を発している場合などでしょう)。

翻訳にあたって原文の語順に従うかどうかは、どのように判断したらよいでしょうか。

「he wrote the novel」という英文において、話し手 (書き手) は必ずしもhe→wrote→the novelという順に思考を進めているわけではありません。he、wrote、the novelそれぞれの観念が渾然 (こんぜん) 一体となって頭に浮かんでおり、そのひとかたまりを、英語の自然な規則に従って主語、動詞、目的語の順に並べて話した (書いた) に過ぎません。

「彼はあの小説を書いた」という文も同様で、「彼」→「あの小説」→「書いた」という順序で思考が進んでいるわけではなく、それぞれの観念が渾然一体となって頭に浮かんでおり、そのひとかたまりを、日本語で一般的な語順に従って並べたに過ぎません。

話し手 (書き手) が語順を意識していない場合に翻訳者が語順にこだわって別のニュアンスを加えてしまってはいけません。逆に、話し手 (書き手) の思考が語順に反映されている場合は、その語順や意味のまとまりを尊重して翻訳する必要があります。さらに発展させて、原文での順序にとらわれずに大胆に語順を (ときには文の順序さえ) 入れ替えることも必要です。

上記の英文を訳し下ろした例では、「This is the pen」と「with which he wrote the novel」をそれぞれ大きな意味のまとまりと捉えたわけです。

今回は単純な例として上記の英文を挙げています。この程度の文であれば、with which以下を訳し上げても理解しにくくなることはありません。理由は、後半の「with which he wrote the novel」が頭の中でひとかたまりの観念として捉えられる程度に小さいためです。しかし、原文が長くなってくると、訳し上げによる弊害が顕著に表れてきます。

(連載終了)