みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

去年のアルバム (6月)

2008年06月30日 18時56分59秒 | 日常のあれこれ
grass005.jpg: 芝生に差す日差し
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=4.5, SS=1/125s), ISO200, WB=Cloudy (+0), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)

毎月1回の蔵出し企画として、1年前に撮った写真を振り返っています。1年前に撮った写真を見返して、撮影スタイルや趣向の変化をたどるのが目的です。今回は、2007年6月に掲載した写真から5枚を選びました。

選んだ写真は、5枚とも全部夕方の写真でした。1年前の外出は主に夕方だったようです。

grass006.jpg: 芝生を地面スレスレの視点から
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=4.5, SS=1/160s), ISO200, WB=Sunny (-3), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)

もうひとつ5枚の写真に共通しているのは、緑に囲まれた中で撮っていること。生き生きとした葉と赤みがかった日差しの組み合わせが何とも言えず好きです。柔らかく包み込む色。何も拒絶せずに、あらゆるものを受け入れてくれる時間。温かい景色が心の中に染み込んできます。

逆に、日本の夏や南国の真昼の日差しは強烈すぎて、私は苦手です。


plant015.jpg: ヤマモモの実

D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=5.6, SS=1/250s), ISO200, WB=Sunny (-2), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)

構図はこれでいいのかな? 被写界深度はこれくらいでよさそうだけど。枝から放射状に広がる葉はこんな感じの処理でいいのかな?

この写真を撮るときには、たぶん「絞りはこれくらいでいいでしょ。構図はこの辺りでいいでしょ。おりゃっ!」という感じで撮っていたはずです。うーん、いい加減だ……。

cloth002.jpg: 東屋に掛けられた布
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=3.8, SS=1/15s), ISO200, WB=Shade (+0), f=38mm (35mm-equivalent: 57mm)

紫色の布を撮ろうとして、どのように撮ったら引き立つかあれこれ試行錯誤。もうちょっと工夫の余地がありそうなのですが、いまひとつ判然としません。

flower076C.jpg: クチナシの花とハナムグリ
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W) and LEE Graduated ND 0.6 Soft filter, Manual exposure (F=6.3, SS=1/125s), ISO200, WB=Sunny (-2), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm)

夕方には気持ちも落ち着いて優しくなれます。小さな虫の動きものどかに見えます。本人は必死になって食べ物を探しているのでしょうけれど。

心に余裕がないと写真は撮れないね。



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去年のアルバム (5月)
去年のアルバム (7月)

母の秘密

2008年06月29日 19時46分53秒 | 性同一性障害 (GID)
母は、偶然、性同一性障害の人と知り合う機会があったそうです。しかし、「うちの子も性同一性障害なのよ」とは言わないし、今後も言うつもりはないと言います。

理由は、周りがうるさくなると面倒だから。

うちの母は世間体をかなり気にするのです。両親とも、私と一緒に外出してくれます。泊まりがけの旅行にも一緒に行きます。それでも、自分の子供が男の子として生まれたのに女性として生きているという事実は他人に知られたくないようです。

それはそうかも知れないね。

今の私は生き生きと輝いていません。

社会の偏見にさらされることもあると覚悟していたはずなのに、ささいな逆風でへこたれてしまいます。

逆風の中、うずくまって動かないのでは、親も私のことを人に知られたくはないでしょう。

しっかりしなきゃ。

元の性別を隠して女性として生活することに慣れてしまい、何事もないことが当たり前になって、世間の偏見に対する「免疫力」が落ちたのかも知れません。

あえて元の性別をオープンにする必要はありませんが、世間の偏見を恐れるあまり、社会との接触を最低限にとどめて生活するのはやめるべきでしょう。それでは、人間として世界が狭すぎます。

閉じこもるのも、引きこもるのも、やめ。

逆風に押し流されることなく、しっかりと大地を踏みしめて歩いていかないと。

うちの母が「自慢の娘です!」って大声で言いふらしたくなるくらいに輝かないと。

ということで、私、社会との接点を増やしていきます。よろぴく。

それでも女に生まれたい

2008年06月28日 18時58分56秒 | 性同一性障害 (GID)
母が切り出しました。
「原因は何だろうね」
「原因なんかどうでもいいよ」
「でも、お腹の中にいる間に治せたら……」
「変な治療をされて男の子として生まれてくるくらいなら、GID (性同一性障害) でいいから女の子として生まれたい」

母と私の会話。昨夜、テレビで放送された はるな愛さんの再現ドラマは、母と一緒に見ていました。最近、何かとMTF*の過去をなぞる再現ドラマが多いです。18日には椿姫彩菜さんの半生が放送されましたし。

*MTF …… Male To Femaleの略。体は男性 (male) として生まれたが、自分を女性 (female) だと認識している人。


母は、私を性同一性障害 (GID) で産んでしまったと負い目を感じているようです。「つらい思いをさせてしまって」と。それで、原因のことが頭をよぎったのでしょう。

性同一性障害の原因はまだ分かっていません。胎児期に性ホルモンに異常が発生して性同一性障害になるという説が唱えられてはいますが、まだ仮説の域を出ていません。

私としては、原因が分かって欲しくないという思いもあります。原因が解明され、心の性別を染色体の性別に合わせるための治療法が確立されたとしたら……

もし、生まれる前の私にその治療が施されたとしたら、私は心も体も男の子として生まれ育つことになります。

いやだーっ!

絶対、絶対に嫌だーっ!

体が女の子で心も女の子として生まれるならいい。それがかなわないなら、体は男の子でもいいから女として生まれたい。

もちろん、胎児期や出生して間もない時期に治療されるのであれば、本人の意思とは無関係に治療が進み、物心がついた頃には心と体の性別が一致した状態になっているはずです。

でも、嫌だーっ!

つらいことはいろいろありました。これからもあるかも知れません。でも、私は女に生まれてよかった。そう思っています。

私の母は「そんな体に産んじゃってごめんね」と言います。

でもね……

心も体も男の子で生まれるなんて考えられない。それより、今のほうがずっとずっと幸せだよ。

だって、女でいられるから。

丹精込めて

2008年06月27日 18時00分53秒 | 草木をめでる
hydrangea13.jpg: アジサイ
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Aperture priority AE (F=5.6, SS=1/125s), +0.7EV (Matrix metering), ISO200, WB=Cloudy (+0), f=70mm (35mm-equivalent: 105mm), Cropped

大きなアジサイの花。ハンドボールより大きいかも。きれいな丸い形に整っていて見事。丹精込めて育てられたんだね。

意図しないものが左辺に映り込んでしまっていたので、少しだけトリミングしました。

甘え下手

2008年06月26日 19時52分09秒 | 性同一性障害 (GID)
ただいま。カウンセリングに行ってきました。

性同一性障害 (GID) の人は、定期的に精神科医のカウンセリングを受けなければならないことになっています。今日は、その日でした。

今日は、医師に私の本心を打ち明けてきました。

1年前の転機。それからの模索。また首をもたげた過去の記憶。過去に縛られた引きこもり生活。毎日死ぬことばかり考えてた日々。先月訪れた転機。さらに、今月18日に椿姫彩菜 (つばき あやな) さんのドラマを見たこと。椿姫彩菜さんのブログから勇気をもらっていること。閉じこもってばかりもいられないこと。前に進むつもりでいること。

今の主治医に本心を打ち明けたことはありませんでした。人間を信用していませんでした。医師も信用していませんでした。医師の問いかけが核心に迫ると、「別に」とか「私は昔からそうですから」などと返して、自分の本心を隠していました。

今日は、私の本心を打ち明けました。

社会と接するのが怖いんです、って。

社会と接するのが怖くなった理由は、世間の偏見でした。

戸籍上の名前で呼ばれたりして元の性別が知られた瞬間に浴びせられる好奇の視線。それまでは誰も気に留めなかったのに。私の体をえぐるように なめ回す目、目、目。あからさまな嫌がらせ。

つらかったの。

社会に出るのが怖くて仕方なくなって、自分に自信をなくして、気がつくと閉じこもっていて、自分はこの社会にいてはいけないんだと思って、早く死にたいとばかり考えていました。

過去の記憶を掘り返して、ぽつりぽつりと医師に話すうち、涙がこみ上げてきました。

こんなこと、誰にも話してなかった。

涙は止まりそうにありません。バッグからハンカチを引っ張り出して下まぶたを押さえます。

こんなことなら、アイラインなんか引いてくるんじゃなかった。

医師の前で泣くつもりもなかったのに。

続きを話さなきゃ。

何とか声を絞り出そうとしても、出てくるのは涙だけ。

幸い診察室は個室で、医師と私しかいなかったので、他の患者に見られることはありませんでした。

今、私は自分の殻に閉じこもっています。仕事は、戸籍上の名前を隠してしています。この仕事はまだ続けられるので、閉じこもったままでも生きてはいけます。

でも、それって生きてるって言うの?

生物としては生きてるかも知れないけど、人間としては生きてるの?

閉じこもってばかりもいられない。だから、前に進むの。今は、そのステップとなる場所をこの社会の中で探してるの。

そう医師に伝えました。

私は甘えるのが下手です。つらいことがあったのに、自分ひとりの中で消化しようとしていました。さんざん殻に閉じこもって死のう死のうともがいた挙句に自分で結論を出しました。今日医師に話したのは、今の時点での結論です。

相手は精神科の医師ですし、そもそもこのカウンセリングは性同一性障害 (GID) の人の日常生活を支援することが目的なのですから、もっと話せばいいのに。まったく、人に甘えるのが下手なんだから。

そう自嘲 (じちょう) して、笑顔で診察室を出てきました。

笑顔の理由はふたつ。

ひとつは、医師を信頼して本当の気持ちを話したこと。

もうひとつは、上手に泣けたおかげでメイクがほとんど崩れなかったこと。診察室の中で少しだけメイクを直させてもらってから退室してきました。

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(7月23日追記) 関連記事へのリンクを追加しました。