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「山に登る」? 「山を登る」? (後編)

2011年06月18日 22時53分31秒 | お仕事・学び
(前回から続く)

物事を学ぶ上での基本的な姿勢について、山登りになぞらえてお話したときに、以下の表現を使いました。
学ぶうちに、次第に山を登るための要領が分かってきます。

「山に登る」ではなく「山を登る」と書いた理由は、前回説明したとおり、経路としてのニュアンスを出すためです。

しかし、一般には「山を登る」とは言わずに「山に登る」と言います。

「山に登る」と「山を登る」。

この違いを、助詞「に」の働きから詳しく掘り下げてみます。

大辞泉では「に」の語義を以下のように解説しています。
[1] [格助] 名詞、名詞に準じる語、動詞の連用形・連体形などに付く。
1 動作・作用の行われる時・場所を表す。「三時―間に合わせる」「紙上―発表する」
…(中略)…
3 動作・作用の帰着点・方向を表す。「家―着く」「東―向かう」
…(後略)…

ここで、「山に登る」の「に」がどちらの意味かが問題になります。

助詞「に」は場所を表せるので (語義1-1)、「山に登る」の「に」は「登る」という動作を行う場所を表すと解釈できそうです。実際、「川に遊ぶ」という表現が可能です (文語的ですが)。「山に登る」の「に」が登る場所を表すと解釈できるなら、「に」は山頂までの経路のニュアンスも十分に含んでいることになります。

「……にのぼる」と言う場合の「に」は場所 (語義1-1) を意味しているでしょうか。

前回例示した「……をのぼる」について考えてみます。
坂道をのぼる
階段をのぼる
はしごをのぼる

それぞれ「を」を「に」に言い換えることができるでしょうか。
坂道にのぼる (?)
階段にのぼる (?)
はしごに のぼる (○)

「を」を「に」に言い換えられるものと言い換えられないものがあります。違いは以下の点です。

  • 坂道や階段は、のぼった結果、坂道や階段に立つわけではない。坂の上や上階に到達し、そこに立つ。

  • 「はしごに のぼる」場合は、のぼった結果、はしごの上または途中に立つ。のぼることで屋上やロフトに出る場合は「はしごに のぼる」と言わない。

つまり、「はしごに のぼる」と言った場合の助詞「に」が表す意味は、「のぼる」という動作を行う場所 (語義1-1) ではなく、「のぼる」という動作の帰着点 (語義1-3) であることが分かります。

移動を表す他の動詞でも同様です。
山を歩く ― 山に歩く (?)
空を飛ぶ ― 空に飛ぶ (?)
東海道を進む ― 東海道に進む (←意味が変わる)

一般化すると、移動を表す動詞に助詞「に」が付く場合は、場所の意味 (語義1-1) とは解釈せず、帰着点や方向 (語義1-3) と解釈するという暗黙のルールがあると言えます。

最初に示した文
学ぶうちに、次第に山を登るための要領が分かってきます。
学ぶうちに、次第に山に登るための要領が分かってきます。
と書くことに抵抗があった理由は、これでした。「山に登る」と書くと、助詞「に」が帰着点や方向を表すため、山頂を目指すニュアンスが強くなり、苦労して登る途中経路のニュアンスが薄れてしまうのです。途中経路のニュアンスを強調したかったので「山を登る」と書きました。

「山を登る」という表現が一般的でないのは確かですが、この表現を避けて「山道を登る」と言うこともできません。必ずしも分かりやすい道が整備されているとは限りませんから。かと言って「山腹を登る」では、険しい岩場や切り立った崖 (がけ) などのリアリティがありません。

結局「山を登る」に落ち着きました。見慣れない表現によって読者の注意を引く効果も期待してのことです。

ところで、山伏が修行のために山に入る場合は「山に登る」と言うことができそうです。理由として、普段の生活や修行の場から山奥に場所を移すニュアンスがあるため、帰着点や方向という解釈に無理がないと考えられます。

このブログは、特に思慮をめぐらせずに文章を書き連ねているように見えるかも知れませんが、結構いろいろなことを考えながら書いているんですよ。

(連載終わり)