みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

学びの基本は独学

2011年06月03日 22時53分39秒 | お仕事・学び
何かを究めるという行為は、山に登るのに似ています。

世の中にはいくつもの山があります。

どの山に登るも自由です。

遠くから山を眺めて、どの山に登るかを決めます。

目指す先は山頂。

その山頂に立つべく、ふもとから山道を登っていきます。

遠くから眺めていたときには形もはっきり見えていた頂も、いざ山に入ってみると、見えなくなってしまうことがあります。

どちらに進めば山頂にたどり着けるか、道を見失うこともあります。どこを手がかりにしたらよいか分からない岩場に行く手をはばまれることもあります。足を滑らせることもあるでしょう。

そんなとき、頼れるガイドがいると、効率的に山頂に向かうことができます。

そのガイドが本であり、学校であり、先人です。

どのガイドを選ぶかは自由ですが、どの場合にも共通する重要な原則があります。

自分の足で山に登るということ。

ガイドに連れていってもらうのではありません。歩くのは (つまり物事を学んで身につけるのは) 自分です。ガイドはあくまで道案内に過ぎません。

学びの基本は独学です。

しかし、完全に自学自習だと効率が悪いことがあります。既に多くの人が登った山であれば、登るための要領はある程度明らかになっているはずです。先人の経験をいかさない手はありません。

本を読んで勉強する場合は、自分の足で山に登る感覚を得やすいでしょう。

講師や先人に教えを請う場合でも、自習が基本であることに変わりはありません。教えてもらうのではなく、自分で学び取るのです。講師は、道しるべを示すに過ぎません。

ただし、本や講師もピンからキリまでいろいろ。物事を学ぶにあたっては、的確な道しるべを示してくれる本や講師を選ぶことも鍵になります。

山に登る上で重要なことは、自分の足で歩くこと。そして、よいガイドを選ぶこと。

学ぶうちに、次第に山を登るための要領が分かってきます。

その頃には、もうガイドの役割は薄れ、自分で道を切り開くことも増えているでしょう。

ひとつの山に登った経験がある人は、次の山も要領よく登ることができます。何かを究めることで得られる一番大きな財産は、この「山に登る能力」でしょうか。もちろん、この能力には、よいガイドを選ぶ眼力も含まれています。

(6月17日追記) 本文中で「山を登る」と書きました。「山に登る」と書くか「山を登る」と書くかについて、6月17日の記事で考察しました。