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☆ナギの日記☆

家族5人。
両親と私と娘と、おっさんの日常を綴ります。

また友達と繋がった☆

2025-04-16 20:43:36 | 日記 雑談 50歳代
寒〜い2月上旬に同級生が他界した。友達だった。
母が名前を覚えていたので「これ、同級生じゃない?」と言って新聞のお悔やみ欄を見せてくれた。
年齢を見ると同じ早生まれなので私と同じ年だった。
私は、ショックだったけど2012年の春に私の頑張り方が足りないと、一方的に絶交を言い渡してきた友達に電話をかけてみた。
亡くなった友達と絶交友人と私は高校生の頃、いつも学校内では行動を共にしていた仲だったのだ。
電話をかけても出てくれないかな?と思ったけれど最初は繋がらなかったが、彼女から電話がきた。
彼女は昔のままの明るい声で話してくれた。
私は電話にでてくれて、ありがとうと言った。そして、亡くなった友達(ここからはM美ちゃんとします)の事を告げた。
何からどう話せばいいか2人とも考えてしまった感じだった。
ちょっとの間、信じられないといった無言の時間が流れた。
私も、なんて言えばいいのかと沈黙してしまった。

彼女もショックを受けたみたいだったけど、少しずつ最近の事を話し始めた。
彼女のお母さんが去年、亡くなった事や、お父さんが施設に入っていること、今も札幌で1人で頑張っていることなど色々と教えてくれた。
私は彼女が1人で頑張っていることに驚いた。
てっきり、新しい男性と結婚して生活していると思い込んでいた。
彼女は昔、お水の世界で頑張っていたことがあって、常連のお客様達に、そろそろ、自分のお店を持ってもいいんじゃないかって言われているのだと言ってたことがあった。いつも、いろんな男性と付き合っていて、結婚もしたが、バツイチになった。彼女の気の強さは昔から有名だった。だから、また誰かとつきあって幸せに暮らしていると勝手に思っていたのだ。

私がメンタルを病んで、入院した時、先生に言われた3ヵ月間、病院にいられなかったことや、ある事で警察に相談しても病気のせいで相手にされなかったことに、悔しくないのかと責められた。
どうして、3ヵ月、きちんと入院して病気を寛解させ、娘を助けられないのかと激怒された。そして社会復帰できない私に彼女はいらだっていたようだった。その頃の私は口だけ「頑張るね」というのがお決まりになっていた。私は、彼女にだけは全てを打ち明けていたので(お互いに)私の現状をよく知っていた。勝気な彼女には信じられなかったようだ。それでなくても病気やら何やらで落ち込んでいた私に彼女は絶交を言い渡したのだ。
私は、彼女には何を言っても火に油を注ぐだけだと思い、去る者は追わずで気にしながらもずっと放っておいた。13年も・・・。
私は彼女と絶交したあたりからブログを書き始めた。
ブログは気分転換になっていた。

いつか、私は社会復帰して色々と解決できたら彼女に電話したいと思っていた。「私も頑張っているよ」と言いたかったのだ。
だが無理があったので13年の月日が流れた。

彼女と電話で話してから1ヵ月後は私の誕生日だった。
彼女から誕生日プレゼントが届いた。バッグとお菓子の詰め合わせと可愛いメッセージカードが入っていた。
彼女に電話すると彼女が誕生日も住所も電話番号も何も見なくても今も頭に入っているからと笑った。私は、もう、びっくり!
ありがとうと何度もお礼を言った。私も彼女の誕生日の日がくる度に彼女もまた1つ年をとったな~って忘れる事はなかった。
彼女も覚えていてくれたなんて・・・!
とても嬉しかった。
M美ちゃんの事があってから再び連絡をとりあうようになっていた。
彼女は今は、普通に働いている。お水の世界はずっと前に辞めていた。元々、ホテルで働いていた人だった。
札幌で1人で生きていくために、お水の世界に入ったようだった。
彼女は今は私の病気の事を理解してくれていて無理はするなと言ってくれる。
今度、手紙を書くねと言ってくれた。レターセットを4つも買ったと笑って言っていた。
13年もの時が流れているのに私と彼女は昔のままだった。
いや、少しお互い、いい感じで大人になったかな?
どんなに時が流れても繋がる人とは繋がるんだって思った。
M美ちゃんの早すぎる死は悲しかったけれどまた2人は繋がれた。
心の中で手を合わせM美ちゃんのご冥福を祈った。
今もM美ちゃんの死が信じられないけれど。
昔、3人で笑いあった日々を思い出しながらM美ちゃん、ありがとうと心の中で呟いている。


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gooブログさん、終了しちゃうの!?

2025-04-15 05:57:28 | 日記 雑談 50歳代
一昨日、あるメールが届いてた。
gooブログって書いてる・・・。
去年の今日こんな記事を投稿していましたみたいな内容。
そういや、こんな記事を書いてたわって懐かしくてここへ来てみたら、
11月18日でサービス終了って書いている・・・。え!?ホント!?
びっくりしました。ここが終わるだなんて思ってもいませんでした。
そして、昔の記事を読んだりして思い出にふけっちゃった。

今、実は浮気して違う所に挑戦して記事を書いていました。💦
ごめんなさい!💦
それでもたまにこちらへ戻ってきて書こうかな?なんて思っていたのですよ。

自分の文章力?って言うのかな?
あまり自信がなくて他の方の記事を読んだり語彙力を高めようと漢検のお勉強をしたりしてました。

たまにこちらでも記事を書きたいと思いました。

11月に終了しちゃうなんて残念だけど・・・。

よければ読んでくださいまし♡

淋しいけれど今後とも宜しくお願い致します。



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りーちゃんの唯一のお楽しみ

2024-06-23 04:16:44 | 日記 雑談 50歳代
りーちゃん(娘)が、とってもお洒落になって、お年頃よね~と思う。
中でもコスメにはお金をかけてる。
先日、「お肌が綺麗なのが自慢なの!」と、のたまった。

ジバンシーのコスメセットの福袋が半額の値段だったから買っちゃった!とか、ディオールの可愛いから買っちゃった!などとせっせと有名なブランド物やら韓国コスメ、もちろん国産の人気のコスメもチェックしてる。

よく行く蔦屋書店さんの中に入ってるコスメのお店には足しげく通い、遂にVIP会員になったらしい。
どんだけ買ったの!?ってびっくり。

先日は某ドラックストアで毛穴ケアの商品を見ていたら美容部員さんに声をかけられたらしい。りーちゃんは正直に毛穴が気になってることを言ったそう。(実はポチんと一つ毛穴が開いたのを発見したんだって。私も見せてもらったら本当に、ぽちんと毛穴が一つ開いてた。苦笑。)そうしたら肌診断をしてあげますってんで、喜んでお願いしたみたい。
美容部員さんが毛穴チェックしながら、「あ~、この毛穴ですね~!」ってなったらしい。笑
それで、ケアの仕方や商品を紹介してもらったらしい。
ついでに、「ハイライトの発色が素敵ですが、どちらの物をお使いなんですか?」とおだてて訊かれ、りーちゃんが「Diorです💛」と答え、美容部員さんが「やっぱり違いますもんね~」とおだて、すっかり気を良くしたりーちゃんはスキンケア用品を一つ買って、お高い商品の試供品をいっぱいもらって帰ってきたの。
Z世代だからネットで研究しまくってて、プチプラのものやらデパコスまでも詳しい。めちゃ喜んでた。
その買いためた、お宝を収めるためにプロが使うようなバニティボックスまで買って収納してご満悦。

で、私はいつも訊くのです。「貯金してる?」と。
「うちは今、経済的にきついんだからね?」と言うと「わかってるよ。貯金はしてるから。コロナも流行ったから遊ぶこともなかったし、唯一の楽しみなの。」と言う。
洋服やアクセサリーや靴もセットで買って(某洋服店しまむら仮名たまに某イオンにたまに某ドンキ仮名)気合を入れてお洒落を楽しんでいます。
彼氏なんかできたら、もっと気合がはいるんだろうな~と、思いつつ長い目でみています。笑
お仕事も頑張ってるしね。
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父に、おやつの許可が。

2024-04-25 04:59:18 | 日記 雑談 50歳代
娘のお仕事がお休みだったので女衆3人で父のいる施設に面会に行くことになりました。(車の運転はもちろん娘ちゃん)
その際、ケアマネさんが、ちょっとしたおやつなら持ってきてもいいですよ~と許可をくれたのでプリンとヨーグルトを、買って持っていく事になりました。
どうして、許可がもらえたんだろう?今まで心臓食(心臓に負担のかからない食事のこと)だったのに・・・。
ひょっとして危ないんだろうかって少し不安になりました。
去年の7月から、ずっと病院食と心臓食で差し入れはダメですよと言われていたので食いしん坊の父には大変だったろうと思います。
甘い物が大好きだったのに少しも食べられないなんて・・・。
でも今日は喜ぶだろうなと女衆もはりきっちゃいました。
ただ、もう、最期が近いんだろうかってふと不安がよぎりました。

去年の7月、暑くてしんどい時に父が動けなくなったので救急車を呼んだのでした。
そのまま病院に入院したのですが脳梗塞とのことでした。
障害は残らなかったものの車椅子で移動するようになりリハビリもしていました。そうして転院になり地元の病院で過ごしていたのですが、病院には3ヵ月しかいられないのでケアマネさんから施設をいくつか紹介されていました。地元の施設は見学に行ったら空きがあったらとの事でダメでした。なので、すぐに受け入れてくれる隣町の施設に決めました。管理栄養士さんからも色々訊かれ心臓食になると言われ差し入れはダメだと言われていたのです。

そんな父におやつの許可が・・・。
行ってみると父は髪を切ってもらい、こざっぱりとして顔色も良かったのでビックリ!前回は歩けなくなっていたのにほんのちょっとだけですが歩けるようになっていました。
前回、父の脚はパンパンに浮腫んでいたのでネットで調べて足のマッサージの仕方や、なるべく足を動かすように紙に書いて渡していたのでした。父なら暇でせっせとマッサージをするのじゃないかと思って・・・。
それが、功を奏したのでしょうか?
色々と話したのですが頭がしっかりしていて、これで普通に動けたら、家で過ごしても大丈夫なんだけどな~と思いました。
でも食事は心臓食にしなくちゃいけないですし・・・。
残念です。
父はプリンなどは後で食べると言うので冷蔵庫にしまいました。
父は照れやなので何も言わなかったのですが心の中で喜んでいたと思います。
コロナの件で面会は2名で15分と決まっているので短い時間ですが、なんだか元気みたいで、ほっとしました。
母と私が外に出ると父が窓から見ていたので手を振りました。いつものことなのですが・・・。
淋しそうな父をみていると、1日~2日くらい、家に帰れないかとも思います。

スタッフさんの献身的な介護のお陰で父も元気でいられます。
今日はケアマネさんにお礼の電話をしたいと思います。
面会の時はいらっしゃらなかったので。

父がずっと元気でいる事を願っています。
なんとか家で介護と思うのですが母もあまり調子が良くないので、とても無理と言うので諦めています。
私もメンタルの持病があまり良くないので無理はできません。
父には可哀そうだけど、施設で頑張って元気にすごしてほしいと思います。
また来るね~!と言って帰ってきました。
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遠い親戚を発見

2024-04-18 07:01:48 | 日記 雑談 50歳代
りーちゃん(娘)は本当にスマホが無いと禁断症状がでるんじゃないかと思う程のZ世代。
何か体験したり、何かについて抱いた思いがあったりしたら、同じ人がいないかとスマホのSNSで調べては、いたいた!と共感したりして、私だけじゃないのねと私にも見せてくれます。
必ず、同じ体験をした人や同じ思想?の人がいて私もビックリします。

もう、何でもスマホ。(笑)

ある日、ママの曾祖父母は岡山県から来た屯田兵で北方警備と開拓の為に明治時代に船で北海道の旭川市に渡ってきたのよ。
屯田兵の本にも、どこからいつ来道して、どこの町を開拓したか記録が残っているのよと教えました。
りーちゃんは、曽祖父の名前を知りたがるので軽い気持ちで教えました。
しばらくスマホをいじっていた、りーちゃんは、「あ!1件ヒットしたよ!同じ名前の人が!」と、言って調べていました。
「ほら見て!」と、言うので見てみると確かにX(旧twitter)に同じ名前のポスト(発言のこと)があるではないか!?
あら〜、本当だ!と言って、ポストをよく読んでみました。
その名前をポストした人は札幌市に住んでいるかたで、お墓参りの事をポストしていたのです。
名字もうちと同姓でアイコンが、その男性の顔写真でした。
お墓参りは5ヶ所まわらなくちゃいけない事や、そのかたの祖父の事も書いてありました。そのかたの、お嫁さんが旭川市の墓地にある石碑に偶然、曽祖父の名前も刻まれているのを発見したのだそう。
それで、曽祖父の名前を言っていたのです。
石碑の写真もありました。
あら〜、曽祖父が同じ人を偶然発見しちゃったね!と、ビックリ。
曽祖父が同じって事はそのかたの祖父と私の祖父は兄弟だったのねと……。遠い親戚を発見しちゃったわとSNSの凄さを実感しました。
どちらか忘れちゃいましたが今はロシア領の島に住んでいて命からがら北海道に戻ってきたそう。
うちの祖父は横須賀海軍に入隊した後、北海道の室蘭市の鉄工所で働いていたのでした。長男以外は皆、いろんな所へ散らばっていったのだとわかりました。
確か、兄弟姉妹が10人くらいいたらしいのでもし親戚とすれ違っても、わからないわね〜と、りーちゃんと笑って話していました。

りーちゃんのお陰で曽祖父が、どこに眠っているかわかったし、今も旭川市まで、お墓参りに行ってる親戚がいることも知り感動しちゃいました。

それで祖父母にとても可愛がられて、なついていた従弟に連絡してみました。
X(旧twitter)で遠い親戚を発見したよと。
連絡してみようか?となったんですが従弟
の反応がイマイチだったので、これはやめ
ておいたほうがいいかな?となりやめてお
くことにしました。

私も曾祖父母が旭川市に入植した事は知っていたので若い頃は旭川市を見たくて一人旅?に出かけたものです。
軍都の旭川市。
クリスチャン作家の三浦綾子さんを知ったのも旭川市を調べてからです。 
氷点を知ったのも、その時です。

時々、その遠い親戚のかたのポストを拝見させてもらっています。
なかなか勢力的に活動されていて私も頑張らなくちゃと思います。
従弟も見ているかしら?と思うのですが、多忙な人なのでわかりません。

ネットって凄いなぁと思います。
Z世代の娘に感謝しました。
いつか私も墓地と石碑を見てみたいです。
なかなか機会はありませんが。



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