寒〜い2月上旬に同級生が他界した。友達だった。
母が名前を覚えていたので「これ、同級生じゃない?」と言って新聞のお悔やみ欄を見せてくれた。
年齢を見ると同じ早生まれなので私と同じ年だった。
私は、ショックだったけど2012年の春に私の頑張り方が足りないと、一方的に絶交を言い渡してきた友達に電話をかけてみた。
亡くなった友達と絶交友人と私は高校生の頃、いつも学校内では行動を共にしていた仲だったのだ。
電話をかけても出てくれないかな?と思ったけれど最初は繋がらなかったが、彼女から電話がきた。
彼女は昔のままの明るい声で話してくれた。
私は電話にでてくれて、ありがとうと言った。そして、亡くなった友達(ここからはM美ちゃんとします)の事を告げた。
何からどう話せばいいか2人とも考えてしまった感じだった。
ちょっとの間、信じられないといった無言の時間が流れた。
私も、なんて言えばいいのかと沈黙してしまった。
彼女もショックを受けたみたいだったけど、少しずつ最近の事を話し始めた。
彼女のお母さんが去年、亡くなった事や、お父さんが施設に入っていること、今も札幌で1人で頑張っていることなど色々と教えてくれた。
私は彼女が1人で頑張っていることに驚いた。
てっきり、新しい男性と結婚して生活していると思い込んでいた。
彼女は昔、お水の世界で頑張っていたことがあって、常連のお客様達に、そろそろ、自分のお店を持ってもいいんじゃないかって言われているのだと言ってたことがあった。いつも、いろんな男性と付き合っていて、結婚もしたが、バツイチになった。彼女の気の強さは昔から有名だった。だから、また誰かとつきあって幸せに暮らしていると勝手に思っていたのだ。
私がメンタルを病んで、入院した時、先生に言われた3ヵ月間、病院にいられなかったことや、ある事で警察に相談しても病気のせいで相手にされなかったことに、悔しくないのかと責められた。
どうして、3ヵ月、きちんと入院して病気を寛解させ、娘を助けられないのかと激怒された。そして社会復帰できない私に彼女はいらだっていたようだった。その頃の私は口だけ「頑張るね」というのがお決まりになっていた。私は、彼女にだけは全てを打ち明けていたので(お互いに)私の現状をよく知っていた。勝気な彼女には信じられなかったようだ。それでなくても病気やら何やらで落ち込んでいた私に彼女は絶交を言い渡したのだ。
私は、彼女には何を言っても火に油を注ぐだけだと思い、去る者は追わずで気にしながらもずっと放っておいた。13年も・・・。
私は彼女と絶交したあたりからブログを書き始めた。
ブログは気分転換になっていた。
いつか、私は社会復帰して色々と解決できたら彼女に電話したいと思っていた。「私も頑張っているよ」と言いたかったのだ。
だが無理があったので13年の月日が流れた。
彼女と電話で話してから1ヵ月後は私の誕生日だった。
彼女から誕生日プレゼントが届いた。バッグとお菓子の詰め合わせと可愛いメッセージカードが入っていた。
彼女に電話すると彼女が誕生日も住所も電話番号も何も見なくても今も頭に入っているからと笑った。私は、もう、びっくり!
ありがとうと何度もお礼を言った。私も彼女の誕生日の日がくる度に彼女もまた1つ年をとったな~って忘れる事はなかった。
彼女も覚えていてくれたなんて・・・!
とても嬉しかった。
M美ちゃんの事があってから再び連絡をとりあうようになっていた。
彼女は今は、普通に働いている。お水の世界はずっと前に辞めていた。元々、ホテルで働いていた人だった。
札幌で1人で生きていくために、お水の世界に入ったようだった。
彼女は今は私の病気の事を理解してくれていて無理はするなと言ってくれる。
今度、手紙を書くねと言ってくれた。レターセットを4つも買ったと笑って言っていた。
13年もの時が流れているのに私と彼女は昔のままだった。
いや、少しお互い、いい感じで大人になったかな?
どんなに時が流れても繋がる人とは繋がるんだって思った。
M美ちゃんの早すぎる死は悲しかったけれどまた2人は繋がれた。
心の中で手を合わせM美ちゃんのご冥福を祈った。
今もM美ちゃんの死が信じられないけれど。
昔、3人で笑いあった日々を思い出しながらM美ちゃん、ありがとうと心の中で呟いている。
