私も歳をとり、いとこ達も歳をとりました。
最近、凄く、いとこ達の祖父母への想いを感じるようになりました。
祖父は長男ではなかったため実家のある土地を離れて本州へ渡り横須賀の海軍に入って、その後、北海道へ戻り工業都市で働きだしました。そこで祖母と出会ったのです。二人は結婚して仲良く暮らしていたようです。やがて子供が生まれ幼い子供を二人、病気で亡くしましたが後の四人を大事に育てていたようです。
戦中戦後と苦労したようです。
四人とも独立して子供ができ、お盆やお正月には実家へと帰省するようになりました。親戚同士、まずは家へ上がると正座して手をついて挨拶をしてから、お互いの家の近況報告などをしていました。私達、いとこ達は無邪気に遊んでいました。礼儀にうるさく、何事も厳しかった祖父ですが孫たちにはとても手をかけてくれ、一緒に遊んでくれたり、お風呂に入れてくれたり、色々と可愛がってくれました。お手伝いもさせられましたが、それも愛情だったのだと思っています。祖母も一生懸命、お料理を作ってくれたり、孫たちのお世話をしてくれました。笑い上戸でいつも大声で笑っていたのを覚えています。
兄弟げんかをしているいとこ達を笑いながら仲裁したり、アドバイスしたり優しかったです。お正月などには、台所の仕事が終わった女性陣にワインをふるまったりしていました。祖父は仕事でバス通勤をしていて、叔母やいとことバス停まで迎えにいったりしました。いとこが嬉しそうに祖父の鞄を持っていたのが忘れられません。祖父と歩きながら家までお喋りして帰りました。平和で穏やかな時間が流れていました。
いとこ達には大切な思い出になっているのでしょう。もちろん、私にとっても大切な思い出です。いとこ達も人の親になり、あの幼かった頃がどれだけ平和で愛情にあふれた日々だったのか感じているのかもしれません。
私の父は長男なので、仏壇があるため、うちの事を、いとこ達は本家と言っています。本家ではないのですが。。。
いとこ達は、仏壇に自分の名刺やお供え物を持ってきてお線香をあげてくれます。先日のGWも東京で働いているいとこが妻子を本州に残して一人で北海道に帰って来て、祖父母の、お墓参りをして近くの山を登山して景色を眺め写真を撮って送ってきてくれました。奥さんと喧嘩でもしたの?と訊いても家庭は円満だと言っていました。
本当かはわかりませんが、マメにお墓参りにきてくれています。
祖父母に何か報告したいことがあるのでしょうか・・・?
原点に返られるのかもしれません。
お母さんになった女子のいとこは、娘に祖母と同じ文字を二文字入れた名前をつけました。理由はきいていません。ですが意識していないわけがなく多かれ少なかれ祖母に影響をうけているんだなと思っています。
本当にマメにお墓参りをしてくれたり、うちにお線香をあげにきてくれます。
それだけ、祖父母は私達、孫たちを可愛がってくれたのでしょう。
人生に迷った時、あの時代を思いだして私も、いとこ達も感謝したり反省したりしながら生きているのかもしれません。
じいちゃん、ばあちゃん、忘れませんよ。ありがとうって心の中でみんな、言っているのですね。
いとこ達の熱い想いを感じずにはいられない今日この頃です。