地震後、頭と心が半分宮城にあったこともあって
那須での避難所設置を「非常事態」と勝手に認識し
止まった新幹線から運ばれた方々への炊き出し手伝いに始まり、
いつのまに避難所の受付係をし、
避難者間のコミュニケーションのアイデアを思いつくまま実行し
音楽イベントをいくつか開き、避難者の皆さんと親しくなり、
ひなん所を代表するかのようにブログで発信し・・・
ていた私は、ただの「飛び込みボランティア」でした。
その越権行為?ぶりに途中で気付き、自主謹慎(?!)
その後「教育ボランティア」の役割と肩書きが降ってきて
避難所の子どもたちの勉強や転入手伝い、地元の子どもとの交流イベントをし・・・
でも、学習ボランティア、イベント共に「避難所の子ども限定」であるのにつまづきました。
地元の子たちも被災者で、楽しみにしていたことが多く削られているけれど
「慰問」として許可されるイベントに地元の子たちを公に呼ぶのは不可。
人数の少なくなった避難所には、イベントはある意味過多。
避難所は生涯学習課の管轄、ボランティアセンターは社会福祉協議会の管轄、
私が属するのは学校教育課・・・
その壁で、子どもたちも「避難者」と「町の子」に仕切られ。
避難所の子たちの転入が済んだタイミングでもあり
今までしていたことを「正規のボランティア」さんたちにお任せし
避難所を離れることにしました。
これからは避難所の子も「町の子」として、最高の授業をあげたいです。
町の子には、避難所の子にできたような、特別の機会をあげたいです。
個人としては「友達になれるかどうか」
仕事的には「いい結果を出そうとしているか(プロ意識があるか)」
で見てしまう視力のまま「お役所の仕事」に入り込み、
立場を考える前に動いてしまいました。
大人の皆さんを困惑させてしまったことと、申し訳なく思います。
おかげ様でたくさん学びました。こども界に戻ります。
(大人なのに、私のような存在に「困惑」しない学校教育課、町長、教育長・・・
のおかげで私はこの町でしごとができるのだな、と改めて感謝!)
※写真:ひなんじょの日常、のびのびコーナーから見上げる天井。