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こども界りゅうがく記

教える人のふりして、大好きな人種・小→中学生の国に毎日留学中
英語技の種、見つけたらどうぞ持っていって植えて下さい

おとな界りゅうがく記

2011年04月11日 | 那須避難所

地震後、頭と心が半分宮城にあったこともあって
那須での避難所設置を「非常事態」と勝手に認識し

止まった新幹線から運ばれた方々への炊き出し手伝いに始まり、
いつのまに避難所の受付係をし、
避難者間のコミュニケーションのアイデアを思いつくまま実行し
音楽イベントをいくつか開き、避難者の皆さんと親しくなり、
ひなん所を代表するかのようにブログで発信し・・・

ていた私は、ただの「飛び込みボランティア」でした。
その越権行為?ぶりに途中で気付き、自主謹慎(?!)

その後「教育ボランティア」の役割と肩書きが降ってきて
避難所の子どもたちの勉強や転入手伝い、地元の子どもとの交流イベントをし・・・

でも、学習ボランティア、イベント共に「避難所の子ども限定」であるのにつまづきました。

地元の子たちも被災者で、楽しみにしていたことが多く削られているけれど
「慰問」として許可されるイベントに地元の子たちを公に呼ぶのは不可。
人数の少なくなった避難所には、イベントはある意味過多。

避難所は生涯学習課の管轄、ボランティアセンターは社会福祉協議会の管轄、
私が属するのは学校教育課・・・
その壁で、子どもたちも「避難者」と「町の子」に仕切られ。

避難所の子たちの転入が済んだタイミングでもあり
今までしていたことを「正規のボランティア」さんたちにお任せし
避難所を離れることにしました。

これからは避難所の子も「町の子」として、最高の授業をあげたいです。
町の子には、避難所の子にできたような、特別の機会をあげたいです。

個人としては「友達になれるかどうか」
仕事的には「いい結果を出そうとしているか(プロ意識があるか)」
で見てしまう視力のまま「お役所の仕事」に入り込み、
立場を考える前に動いてしまいました。
大人の皆さんを困惑させてしまったことと、申し訳なく思います。

おかげ様でたくさん学びました。こども界に戻ります。

(大人なのに、私のような存在に「困惑」しない学校教育課、町長、教育長・・・
 のおかげで私はこの町でしごとができるのだな、と改めて感謝!)


※写真:ひなんじょの日常、のびのびコーナーから見上げる天井。

馬頭琴&ホーメイコンサート

2011年04月07日 | 那須避難所
☆明日9日(土)16~17時、那須町文化センターで、馬頭琴&ホーメイコンサート。

☆対象:避難者の皆さん、地元小学生とご父兄。
   空きがあれば一般の方も。
☆モンゴルの衣装体験、お菓子プレゼントあり。

今日始業式を迎えた、ひなん所の小中学生と地元の小中学生が一緒に集える場所を、との願いに
テンゲルさんが応えてくれました。

http://www.tenger.jp/mongolia/index.html

今、那須で必要なこと

2011年04月05日 | 那須避難所
那須に住むご父兄から「避難所に何かできることはないですか」と申し出頂くことがあります。

始業式に伴い、福島に戻るご家族と、那須の小中学校に転入するご家族に分かれます。
ここスポーツセンターでは、10名ほどが黒田原小中に転入予定です。
(ウインディ那須の避難所からは那須小・中に転入)

しかし、福島県から湯本の旅館などを住居として準備するという計画もあり、
そうなると子どもたちはまた那須小・中に転校となります。
「2,3日で転校してもいいから学校に行きたい」という子どもたちがほとんどです。

那須町は、転入生を全面的に受け入れします。学用品、教科書共に、教育課や受け入れ校で手配中です。


ひなん所にいる5,6年生の姉妹。
3月末、福島の小学校から「避難所近くの小学校に転入してください」とメールが来た時は
大きなショックを受けましたが、その後、ひなん所の小さい子たちのとてもいいお姉さんになり、
ボランティアに来てくれた黒田原小の友達もでき、学校が始まるのを楽しみにしています。

他にも3,4年生が転入予定。友達になれる機会・アイデアなどあればお願いしたいです。


今、チャレンジが求められているのは子どもより大人、避難所よりも地元の黒田原小のような気がします。
黒田原小は地震で校舎が被害を受け、朝日小(低学年)と黒田原中(高学年)に分かれて勉強することに。

PTA役員や教育委員会が日夜、献身的に動き、修理すれば夏には校舎が使え、
数値的に、全面建て直しの必要がなく、バスの送迎があり、

命があって水があって灯りがついて校舎があって勉強道具があって友達と先生がいて

何より
子どもたちが全員無事で

それでも父兄から、教育課やPTA役員に心配や苦情が寄せられるそうです。

子どもたちは大丈夫!適応力と創造力で、まもなく「新しい学校」を見せてくれると思います。

大人の私たち、見習って、「新しい町」を作りましょう。
地震の後の、新しいメンバー、新しい価値観で。


以下、あるお母さんからのメールです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

避難してくる子供に、朝日小で出会えるという事ですね。

全校生徒100人が一気に260人になるって、みんなが仲良くつながる気がして、私は楽しみです。

子供たちの可能性を信じています!きっとうまくいく!

何かありましたら、微力な私ですが協力させていただきます。


人類はじめての、共同作業

2011年04月02日 | 那須避難所
(2日コンサートの朝3時に思いついてチラシに書いたこと)

地元の人以上に黒田原に詳しくなりそうな人
「ありがとう」がとても上手な小学生
オーボエが大好きな高校生

  ↑ひなん所にいます

頼むと「ラブ注入」してくれる男子
舘ひろし似で町づくりにも熱心な農家さん
自分の店に入った強盗のこれからの人生を心配する女性

  ↑那須にいます

町ごと流されても「大丈夫、復興しましょう」と笑顔で言うおじいさん
来ない電車を座って待つ人々にダンボールを渡すホームレスの人々
「全て失った」と泣くおばあさん「僕たちが復興しますから」と肩をたたく高校生

  ↑日本にいます

13年前の那須水害の記憶から、今でも雨が怖い人
気仙沼のおばあちゃんちが津波で流された人
学校の校庭からお母さんの車に乗せられ、かばんも持たず栃木に逃げてきた人

  ↑今日の会場にいます

音楽が好きな人
いい友達がほしい人
いい友達になりたい人

  ↑ あなたの近くにいます

それぞれの「これまで」を持ち寄って今の那須ができています
那須での「今」を材料に、それぞれの「これから」をつくります

一人ひとりの「これから」が思いがけない幸せに向かうよう
一緒に「今」をつくりましょう

~~~~~~~~~~~~~~~

今こそ世界が一つになるとき。
宝物である命が多く失われている今 これ以上知らないふりはできない
変化はぼくらが、ここで起こせる。 僕たちは大きな家族だ
明るい明日、今までよりいい世界をつくろう、君と僕で

世界は 一人ひとりがつくってる (We are the worldの歌詞を意訳)

第3回 那須ひなんじょコンサート

2011年03月31日 | 那須避難所
☆4月2日(土)15:30~17:00(15:00開場)那須町文化センター 入場無料

☆出演:黒田原中学校吹奏楽部、地元ミュージシャン(ゴスペルグループ、ドラマー、ギタリスト他)

☆第1部:ピアノ演奏(中学3年生)
 第2部:吹奏楽
 第3部:参加型コーナー(歌、演奏飛び入り歓迎!)
    キャサリンの音楽喫茶(ジブリ、演歌他)
    パーカッション体験→ゴスペル(Joyful Joyful)に参加
    We are the world
 
お問い合わせ:黒田原中学、瀬尾 (090-7227-2992)
______________________

「避難者のために演奏したい・踊りたい」という申し出が多数あります。

ピーク時で350人ほどいた那須(スポーツセンター)のひなん者は現在約130人。
一時転校や就労などを視野に入れての長期滞在者の割合が高くなってきました。

見せる、聞かせる、(して)あげる、から一歩進んで
同じ町に住む者として「(ひなん者と)一緒に何かする」「(ひなん者に)何かしてもらう」
という支援の形もあるかと。


☆先週の那須中学コンサートの感想(一部)です。

・練習時間のない中、こんなに心のこもった演奏してくださって本当にどうもありがとう。
・げんきな那須町の中学生の演奏で、避難所で楽しく過ごせました。元気をありがとう。
・すごく元気をもらうことができました。ずっと忘れません。
・心に明るい火がともりました。これからもガンバってください。
・相馬から来ました。みんなの心に寂しさがある時、素晴らしいことだと思います。
 素晴らしい国です。
・子供さんたちの元気のよさ、明るさが、明日への希望を運んでくれました。
・曇りがちな気持ちが演奏を聴き元気が出ました。那須町の皆さんの温かい心に感謝します。
・避難中ということを忘れられる時間でした。げんきをありがとう!
・音楽で人を元気にできるって素晴らしいですね。一生懸命中途半端にならずに生きる姿が
 人の心を動かすと思います。音は消えてしまうのになぜか心に残る元気をもらいました。
・福島の人と那須の人たちが交流できたことは、大変良かったと思います。
・今日のことを忘れずに練習してもっとうまくなって下さい。自分たちの幸せを忘れずに。
・子供さんたちの元気に「力」を頂いた。“音”の持つ力は人の心を変える可能性を持っている。
・イイネ!がんばれ日本!ガンバレ若人!

※写真は、この時↑のコンサートの様子。

はたらく理由

2011年03月28日 | 那須避難所
昨日、町長と話す中で「今回の支援は、町の想定の範囲内」という言葉がありました。

福島からの避難者を受け入れるにあたってそういえば町長は言っていました。
「那須水害では私たちが日本中からお世話になったから」


平成10年那須水害、言葉では聞くものの、今までちゃんと知ることはしませんでした。
夜、体験者の1人・Sさんに当時のことを教えてもらいました。

写真で見る水害の様子は、今回津波に襲われた東北の町に重なります。
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/kaze/saigai.htm
海のない栃木で、町が水に流され、全国からの支援を受けた経験を持つ那須町。

那須の上に3日間、(4000年に一度の)豪雨をもたらす雲が留まったのがいまだに不思議だと
Sさんは言っていました。


避難所にいる福島の方々が「なぜ那須の人たちはこんなに親切にしてくれるのか」
と不思議がります。

例えば数十年後、復興した東北の港町に、他の地域で災害に遭った人々が避難してきたら。
今回の地震を知らない避難者の若者たちは、熱烈なもてなしを不思議に思うでしょう。

さかのぼり、トルコの「エルトゥール号」の有名な話。
なぜ危険を冒してまで、トルコの人たちは日本人を助けたのか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

不思議にはたいてい、理由があります。

pay back は「受けた恩を、相手に返す」こと
pay forwardは「受けた恩を、他のだれかに渡すこと」
(映画『Pay Forward』機会があればぜひご覧下さい)

歴史を待たず、受けることを待たずに今、自分が、渡せるものを渡す。

そうやって私たちは今、バトンをつなぎ、日本史・世界史を刻んでいます。

なかよしという力

2011年03月27日 | 那須避難所
(ひなんじょライブ、助川・中嶋・井ノ浦さんライブのメッセージ
 また朝に思いついて、チラシの裏に印刷しました)

助川さんと中嶋さんと井ノ浦さんは仲良しです。
食べたり飲んだり、1台の車にぎっしりつまって岩手ツアーをしたり。

私は助川さんに、いろんなお願いをします。
「おふろかして」「英語のCD作るの手伝って」
2年前はそんなこと言えませんでした。まだ仲良しじゃなかったから。

助川さんは最近、ある人と黒田原ぎょうざを食べに行き、家に泊めました。
その人は“避難者”から“はづきさん”に変わりました。

町長さんは毎晩、ひなん所の人たちとゆっくり話をします。

3月12日、止まってしまった新幹線からスポーツセンターに避難した人々の所に行って
「必要なものありませんか?」とおそるおそる聞いたら答えは皆
「いえ、別に」でした。
受験に行く途中と見える制服姿、いら立って電話を続けるスーツ姿・・・
無力感max。

どうしたら本当の答えを教えてもらえるかな、と、授業で高久小学生に相談しました。
「もっと笑顔で」「あきらめずに聞く」「とらさんのことを話す」・・・
さすが、友だち作りのプロたち!

そのアドバイスを活かして今回、避難所に毎日いたら
「ねえとらさん、これしたいんだけど」「とらさん、聞いて」
私は「ちょっと待ってよ」「逆にこれお願い」。

かくさなくてきもちいい。


避難者という人はいません。
個性的で魅力ある人たちが今、スポーツセンターという家に住んでいます。
かわいそうな人はいません。
大変な状況にあっても冗談を言い、新しい生活を考え、創っていく人たちです。

日本は、そういう人たちでできています。
仲良くないと、もったいない!



※写真:助川さん即興ライブ@校長室、全校生集合!

なすひなんじょコンサート

2011年03月26日 | 那須避難所
(当日朝3時にちらしを作ることを思いつきました。そこに書いたことばです)

「文化センターでコンサートをしよう!」と教育長が口にしたのが21日の夜、
「オーボエを吹く息子が地元の中学生と交流できないか」という
泰治君のお母さんの要望がひなん所の事務局に届いたのが22日の朝、
「これができます掲示板」に「オーボエ吹けます」と書いた
琴美ちゃんとやっと出会えたのが22日夜。

はじめは別々だった3つの「思い」がつながり、
吹奏楽部員、顧問の布野先生やご父兄の思い、
ひなん所を支える皆さんのサポートが加わり、
今日のコンサートが生まれました。

琴美ちゃんは家を離れる時、
「避難所で自分ができることは音楽を聴いてもらうこと」と気付き、
荷物にオーボエを入れました。
ひなん所で1週間、音を出す機会がなく、
お母さんに勧められて掲示板に書き込んだそう。

今日のコンサートは、琴美ちゃんたちが起こした小さな奇跡です。

あなたには何が起きるでしょう?
あきらめや批判ではなく「願い」をことばにして、小さな一歩を踏み出したら。
福島や日本に何が起きるでしょう?多くの人の小さな奇跡が、次々につながったら。

今、あなたにしかできないことは?
答えはきっと、あなたの中に。

 (by“つなげ係”とらさん。那須在住、仙台出身、気仙沼生まれ)

新聞記事↓
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011032600317



※写真:小2男子がひなんじょを去る時に町長、剛朗議員、私にくれた贈り物の中身
    那須観光パンフレット!!

そなえ

2011年03月24日 | 那須避難所
※なすひなんじょコンサート@那須町文化センター小ホール 無料 

・3月26日(土)16~17:30(計画停電後)、那須中学吹奏楽部による
  吹奏楽、バンド、ジャズ演奏with避難者の中高生2人
  町長あいさつ など

・3月27日(日)15~16:30
  助川久美子↓、中嶋竜一、井ノ浦英雄
  http://www.sukekumi.com/

 対象は避難者の方、席に空きがあれば(または立ち見)一般の方も。
 暖房がありませんので、暖かくしてお越しください。
 
※那須町は今のところ、食料・物資は足りています。

==============

以下、わたくしごと

地震当日、珍しく平日休み(インフルエンザ学級閉鎖)。午前、遠くの町に自然食品を
たくさん買いに行った。昼過ぎから激しい頭痛、寄り道をやめて家に帰った。

地震前日、いつも2000円しか入れないガソリンを満タンにし、
夜、youtubeでWe are the world を何度も見ていた。
町の子供たちにとにかく自分を全部使おう、と決意を日記に書いた。

地震の1ヶ月前2月11日、東京でThe Gate(原爆の火ドキュメンタリー)を見て
関東大震災復興記念館を訪ねた。ほぼ貸切。世界から日本へ援助を呼びかけるポスターを撮った。

冬は特に頻繁に、那須の温泉(地球からの栄養)めぐり。

8月に子宮筋腫発覚。以後、玄米菜食(マクロビオティック)の食事療法。
多少高くても、自然で体にいいものだけを食べるようになった。

1年前、「動く」町長と教育長が選ばれた。

2年前、那須町に越してきた。

3年前から冷蔵庫電子レンジ扇風機なし、ストーブもほとんど付けず。
お風呂の水は洗濯→トイレに使う。

各地で、少ない(または0)予算・材料でイベントや授業や人のつながりを作ってきた。
(特に子供の)命に関わる仕事を求めて転々とした。

気仙沼の病院で生まれ、仙台で育った。

~~~~~~~

あさってコンサート開催。準備は3日間。
次々の電話、打ち合わせ、取材
合間に受ける避難者の皆さんの相談、子どもたちからのリクエスト、たくさんの顔顔・・・
さすがに疲れて後ろ向きになった今日、
こうして時間を後ろ向きに見てみる。

~~~~~~~

放射能に強い体、不便に強い生活、0から何かを作る経験・・・
(放射能対策の食べ物:玄米、梅干、味噌、ゴマ、海草・・・)

今まで、蓄えていたんだな。
今が、放出の時だな。

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

お金の代わりに自分丸ごと、世界に寄付!


※写真:関東大震災復興記念館にて、日本への援助を呼びかけるポスター

避難所という町

2011年03月22日 | 那須避難所
とても貴重な過程を見ている気がして、見逃せないこともあり
朝から晩まで避難所にいて、思いつくままに動いています!

今日のこと(すべて、自然発生的)

・マッサージができる方が申し出てくれて、フロア一画にサロン開設
・ハンドマッサージできる方もそれに参加
・断熱シートが敷いてあるその場所に、「のびのびコーナー」設置
 グデグデ転がる延長で子供たちと、ストレッチ、お絵かき、書道、英語遊びをした
 屈託ない会話の中に「部屋がめちゃくちゃで、車の鍵がみつからないまま逃げてきた」
 とか、怖い夢の話とか。
・お年寄りの方が、子供たちに読み聞かせをしてくれた。
・自治会?スタート。明日から毎日、定時にミーティングすることに。
・洗濯に困るという声が多く、近所の洗濯機を貸してもらえるよう議員さんが動いてくれ
 明日からスタート。該当家庭に黄色いタオルを結んで回った。
・掲示板係が組織され、必要なコーナーを皆さんが自分たちで企画、掲示。
・靴に穴が開いてしまった女性。同じサイズのスタッフが履いて来たほぼ新品の靴を
 匿名でプレゼント。
・お笑い主婦トリオ発見。
・うち2人が、ヤマハ音楽講師と判明。通りがかった教育長&町長に話したら、
 +地元中学校ブラバン、地元ミュージシャン助川久美子さんなどのライブ企画スタート。
・真剣に、那須に住みたいと望む方たち現れる。

文化?文明?ができる早送りのような日々、
300人の避難者(いい呼び名ないかな)と、スタッフと、ボランティアの化学反応。

地震も原発も全ての人のこれまでも含めた、
今だけの、ここだけの歴史。