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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

もうひとつの楽しみ

2010-09-11 14:22:53 | Weblog


☆初秋のキャンプ場
 久しぶりに心の底から癒され、浄化されるような素晴らしいキャンプだった。
 家人と水入らず過ごせた森の中は天気に恵まれ、ひたすら静かだった。理想的な条件下でのキャンプではあったが、それ以上に予期せぬ素敵な出逢いが待っていてくれた。

 先週の9月2日(木)から5日(日)までの4日間、遅い夏休みを過ごしたのは信州のわが家のホームグランドと化している高原である。
 当初の予定ではもう何日かよけいに休みをとるつもりだったが、直前になって、さすがに長い休みは困難になり、三泊四日のぼくとしてはありきたりの日程になってしまった。

 あらかたの学校の夏休みが終わった直後の平日、朝も遅めの出発だった。のんびりクルマを走らせ、キャンプ場へ向かう途中の地元スーパーでグダグダと買物をしたりして、現地へは午後3時をだいぶまわってからの到着となった。
 
 太陽が西に傾いたキャンプ場には作業をする管理人さんたちの姿しかない。それでも、もうひと組が先に着いているとのことだった。
 テントさえ見えないのは、きっと遠く離れた別のサイトに落ち着いているのだろう。結局、夜になっても気配さえなく、翌朝、はやばやと撤収していくクルマをチラリと見ただけだった。

 二日目こそ、キャンプ場全体に数組が入ったが、ぼくたちのテントのあるエリアは相変わらず独占状態で、わずかに隣のエリアにソロ用のテントがひと張りあったが、距離があるのでテントの主が若い男性らしいということくらいしか視認できなかった。

 三日目は土曜日とあって、さすがに朝から次々とクルマがやってきてにぎやかになったが、大半はただ遊びにきただけの人たちだった。午後も遅めになるとバイクキャンパーが主流になる。それも集団はおらず、1~3人の単位ばかり。ほかに四駆のグループがきていたが、静かなものだった。

 やはりこの時期のキャンパーはマナーがいい。
 わが家の二匹の老わんこたちもすっかりリラックスして木陰でくつろいでいる。むろん、ぼくたちもまたそれ以上にゆったりとくつろぎの時間を過ごしていた。



☆ステキなカップルがやってきた 
 午後も早い時間だった。ぼくたちがいるエリアにわんこ連れの若いカップルが現れた。
 さすがに週末はぼくたちだけで独占とはならないだろうと覚悟はしていたが、できるなら、しつけの悪い子供連れの、マナーをまるで心得ないファミリーやグループにはきてほしくなかった。

 遠目にもなかなかファッショナブルなふたりは、ひとしきりテントサイトを見てまわると、木陰でくつろぎながら彼らを興味津々で眺めていたぼくたちのところへやってきた。
 ふたり並んで、「あの木の向こうにテントを張らせていただきますのでよろしくお願いします」と、それは丁寧なあいさつがあった。

 思わず面くらった。
 キャンプ場へ到着してサイトを決めたとき、いつも先行者にあいさつに回ることはあっても、また、あとからきた人に、「犬がいるのでご迷惑をかけるかもしれませんがよろしく」とわざわざ断ることはあっても、もう何年も絶えて挨拶をされたことなどなかったからである。
 
 挨拶をするというのは、昔のキャンパーには常識だった。だが、いまでは知らん顔をしているのが常識と化しているらしい。こちらから挨拶をすると、うるさそうに逃げ腰になる連中もいるくらいだ。
 それにひきかえ、なんともさわやかな、絵にかいたような素敵なお似合いのカップルである。おとなしい二匹のキャバリアたちも愛らしい。

 やがて、50メートル以上向こうで彼らの設営がはじまった。手際のよさ、道具のラインナップ、そして、ふたりの身のこなしから、なかなか年季が入っているなと感じた。
 あとでまだ初心者だと聞いて「エ~~~ッ!?」と目を剥いたものである。もっとも、ふたりそろって正真正銘の初心者ではなく、ワケアリの若葉マークと聞いて納得。彼のほうはぼくなんかよりはるかにプロフェッショナルなキャリアの持ち主だった。
 なによりも、ふたりのセンスのよさが光っている。

 一泊二日、彼らも静かにキャンプを楽しんでいた。気になるふたりではあったが、むろん、互いに干渉することなく、目が合えば笑顔で会釈を交わしつつ、お互いに思いおもいのキャンプを楽しんだ。



☆キャンプの楽しみプラスワン
 最終日の日曜日、撤収が終わり、どちらからともなく別れの挨拶に歩み寄った。
 ぼくたちは、7月のキャンプで大変な渋滞にまきこまれているので、今回は前回よりも早めに撤収作業を開始し、午前10時過ぎにはここを出発するつもりだった。

 撤収は予定どおりの時間に完了していた。
 だが、キャンプ場をあとにしたのはそれから1時間を少しまわってからの11時過ぎだった。このキャンプでいちばん楽しいひとときだった。話してみると、おふたりとはなぜかいくつもの因縁があった。

 またどこかで……いや、もう決まったキャンプ場へしか出かけないぼくたちだから、また、ここで再会する機会があるかもしれない。
 次に会ったときの挨拶は、どんなふうになるのだろう。
 「もしかしたら、お会いできるかもしれないと楽しみにしてきたんですよ」
 
 できるだけ人けのない、できることならだれもいない場所でキャンプをしたいというのがぼくのキャンプをするときのいちばんの理想だった。だが、もうそれも崩れた。
 きっと、ここへくるたびに、いや、これからキャンプのたびに、このステキなカップルと愛らしいキャバリア兄弟との再会を願いながら出かけてくることだろう。
 
 あるいは、こんな人と人との出逢いを期待しながら……。
 いまさらながらだが、またひとつ、ぼくのキャンプの楽しみが増えた。


何をやろうと勝手だろ!

2010-08-22 11:39:45 | Weblog
   

☆あの集団さえいなかったら
 ちょうど1年前の8月22日(土)の夜の出来事である。
 場所は、静岡県・田貫湖キャンプ場。20余年通っている、ぼくが愛する数少ないキャンプ場のひとつである。

 真夏のキャンプ、まして、夏休み真っ最中である。この時期のキャンプは「絶対に行かない」と公言していたにもかかわらず、ノコノコ行ってしまった。お盆休みが一段落した時期との油断もあった。
 
 結果はなんとも不愉快きわまりないキャンプになった。
 夏休みという開放的な季節だからあまりうるさいことは言いたくないが、日本人というのは、なぜ、集団になるとこれほどまで身勝手になれるのかと呆れる。
 さらに、そこへ「旅の恥はかき捨て」感覚が加わる。何をやろうと勝手だろ!――そういう手合いが夏のフィールドに跳梁跋扈する。
 
 それでも、近年のフィールドのモラルはかなり向上している。
 去年の田貫湖で、唯一ひどかったのは新潟からきていた数十人のファミリー集団だった。あの日、あのキャンプ場に彼らさえいなかったら、おおむね気持ちのいい夏のキャンプを満喫できたはずだ。

 大勢のグループだから、多少の騒音は大目にみてやりたい。だが、大量の花火を持ち込んでいたので、21日の夕方、彼らに、「ここは打ち上げ花火は禁止ですよ」やんわりご注意申し上げた。ご注意したあと、いまでも「打ち上げ花火禁止」になっているかどうかを管理事務所で確認した。

☆自然塾のスタッフだからだいじょうぶ?
 管理事務所からは、「ああ、あそこのグループならだいじょうぶです。自然塾のスタッフがリーダーをやっているから」との返事。「自然塾」とは、キャンプ場の隣にある公共施設「田貫湖ふれあい自然塾」(http://www.tanuki-ko.gr.jp/)である。管理運営者に環境省、静岡県、富士宮市、(財)休暇村協会、(社)日本環境教育フォーラムなどが並ぶのだから生半可じゃない。
 それなら安心と思ったのがそもそもの間違いだった。
 
 22日の夜も9時を過ぎたころだったろうか、キャンプ場の一角ではガールスカウトたちがキャンドルを点しての静かなセレモニーの真っ最中だった。
 例の新潟の集団が全員で移動をはじめた。それまで宴会をやっていたので、親たちの多くが酔っていた。子供たちもそこそこに興奮している。悪い予感が頭をよぎる。
 
 やがて、道路を隔てた自然塾の駐車場から打ち上げ花火が派手に舞い上がった。大人と子供の歓声がキャンプ場にも響いてきた。
 集団の数が数だけに、花火の派手さもハンパじゃない。10分、15分、20分……キャンプ場はときならぬ騒音にさらされてしまった。
 ガールスカウトたちのセレモニーも、中断こそしなかったが、「花火に気をとられないの!」とリーダーから叱責の声が飛ぶほどスカウトたちは集中力を削がれていた。
 
 キャンプ場の外でなら何をやろうと勝手だろう――との論理だ。だが、そこは自然塾の駐車場。傍若無人を絵に描いたような暴挙である。怒りよりもただただ呆れるばかりだった。

☆迷惑をかけにわざわざ遠征してくるな! 
 翌日、ぼくは自然塾まで出かけて、本当にここのスタッフがリーダーをやっていたのかどうか確認した。事の顛末を簡単に説明すると、受付の女性は、「ああ、彼ならもうここを辞めた人間ですから……」とのつれない返事。

 たしかに、辞めた人間の責任まで自然塾が負えないのは当然だろう。道義的責任が自然塾にもあるなんて無茶を言うつもりはない(新潟集団の名誉のために記しておくと、駐車場には花火をやった痕跡は何一つなかった。むろん、「証拠隠滅」のつもりではあるまい)。 
 
 花火の跡始末はちゃんとやれる人間が、どうして、静かにキャンプをやっている他人の迷惑に気づかなかったのだろうか。そんなレベルの人間のひとりが、過去に自然塾のスタッフをやっていたとは噴飯ものである。
  
「自然体験を通じて、自然を楽しみ、学ぶことから、環境保全への関心を高め、それを日常の行動に結びつけることができるよう、さまざまな自然体験プログラムを展開しています」(田貫湖ふれあい自然塾ホームページ「自然塾って何?」から)
  
 自然とか環境ウンヌン以前に彼と新潟からはるばるやってきた彼らは、社会人としての良識が欠落していた。誰ひとりそれに気づかず、ブレーキをかけなかったのだろうか? 迷惑をかけにわざわざ遠征してこないでほしい。

 とりわけ、元スタッフのきみは、二度とキャンプリーダーなどやらないことだ。そして、「田貫湖ふれあい自然塾の元スタッフ」の輝かしいキャリアはきみの履歴から外したほうがいい――そう言ってやりたいが、ぼくの声など届きはしないだろう。届いたこところで、「場外で何をやろうと勝手だろ!」との反論が聞こえてきそうだ。

 去年の失敗を糧として、今年の夏、ぼくはフィールドに静けさが戻るのをひたすら待っている。


理想のスタイルに出逢えた!

2009-11-06 22:31:18 | Weblog
☆内緒のデビュー
 先の9月のキャンプに向けて、ひそかにスノーピークの新しいテントを用意した。
 このブログではレポしそこなってしまったが、だいぶ前からわが家のキャンプではランドブリーズの出番がなくなり、変わってリビングシェルのインナールームがキャンプの寝室になっていた。
“新しいテント”は、さらにこのインナールームに変わるキャンプの寝室である。

 ランドブリーズはクォリティーの高いテントではあるが、1泊あるいは2泊程度のキャンプにはいささか大げさに感じてしまう。そこでインナールームを使ってみると、セッティングは簡単だし、何よりも撤収がグンと楽なった。
 たちまちランドブリーズを張る気になれなくなってしまった。
 
 ただ、インナールームはリビングシェルのかなりの床面積を犠牲にするので、シェルの使い勝手は半減する。家人とふたりだけのキャンプなら苦にならないが、ほかに同行者がいて4人くらいで使うとなると厳しい。
 そこで思い切って用意してみたのが“新しいテント”だった。

 リンビングシェルのセッティングを手伝っていた家人は、当然、インナールームを使うものと思っていた。リビングシェルが立ち上がったそのあと、見慣れない形に設営が進みだして彼女はようやく「え?」と“新しいテント”の存在に気づいた。 
 今回、ぼくが家人に内緒で用意していたのはリビングシェルの「インナーテント」である。
 
☆トンネルの盲点
 そもそも、わが家のソフトハウスにスノーピークのラインナップをチョイスした最大の理由は、トンネルを使ってテントとシェルターをジョイントできるからだった。
 トンネルを使うことで居住空間が飛躍的に増す。広いサイトでないとなかなか使いこなせない組み合わせではあるが、使ってみると快適さは申し分なかった。
 
 何度か使って弱点もわかってきた。まず、設営に手間がかかる。美しく張ろうとするとサイトが完全な平面でないとかなり難しい。たとえサイトの条件に恵まれても微調整に手間取る。
 冬のキャンプを快適に過ごそうとしてトンネルを使ってみたところ見えにくい隙間から外気が容赦なく入ってくる。リビングシェル内の暖かさを維持するのが容易ではない。
 秋のテスト・キャンプではあまり感じなかったが、本番の年越しキャンプで寒さを痛感し、すっかり懲りてしまった。
 
 今年5月からのキャンプではランドブリーズの出番さえなくなっていた。トンネルにつづいてランドブリーズを排除したのがインナールームだった。
 吊り下げるだけだから設営撤収は簡単だし、リビングスペースに接して寝室があるのでわが家のニーズにピッタリだった。2匹の犬の1匹は、キャンプに連れて行くとすぐテントの中に入りたがる。われわれにとってはいつも犬たちを目の届くところに置いておきたいし、テントに入った犬もやっぱり飼主がそばにいてくれるほうが安心して過ごすことができるらしい。

 わが家のニーズには合致していたけれど、問題は前述したとおりリビングスペースの半分近くを犠牲にしてしまうことだった。
  
  そこで目をつけたのがインナーテントだった。
 リビングスペースも確保しつつ、インナールームの持つ機能も十分に担保してくれるにちがいない。フライシートを使うからインナールームよりは設営に少しばかり手間がかかるだろうがランドブリーズを張る手間の比ではないだろう。
  
☆せっかくだから使い分けよう 
 インナーテントを設営し、使ってみると想像した以上に快適なアウトドアライフを手に入れることができた。
 唯一心配したのが天井の低さだが、まるで苦にならない。入口のウオールを開けて出入りするにも窮屈さはない。床面積もかなり広い。家人とふたり、それにわんこ2匹だと広すぎてしまうくらいである。

 いまのところインナーテントの欠点は何も見つからない。まだ二度6泊しか使っていないので欠点が見えてこないだけかもしれないが、たとえあったとしても、大きな不満が生じることはあるまい。
 雨に対してはテント部をすっぽり覆う専用のフライを使っているから強そうだ。風に対しては立ち上がりが低い分、深刻な影響は考えにくい。
 
 かくして、ようやくたどりついたわが家の理想のキャンプ・スタイルである。
 最初からこのインナーテントにしておけばよかったと思う反面、結局はすべてを使ってみてようやくそれぞれの特性がわかったわけで、この順番が逆になっていていたら、そのたびに悔しい思いをしていただろう。
 
 これらの使い分けだが、ランドブリーズは年越しキャンプやそれに匹敵する長期滞在ができるとき(当分は無理だが)に、インナールームは1泊くらいの簡単なキャンプに使って、通常はインナーテントを愛用するつもりでいる。

愛しのピークワン・ランタン

2009-10-26 00:53:57 | Weblog
 10月のキャンプに久しぶりでピークワン・ランタンを連れて行った。
 いつ、このランタンをぼくの愛するギアに加えたのか正確には定かでないが、かれこれ20年ほどのつきあいになるだろう。ずいぶん久しくキャンプ道具を収納してあるコンテナの中で眠らせたままになっていたのは、それだけ、ぼくがひとりでキャンプに出かけなくなったためである。
 
 ソロ・キャンプのとき、ぼくはランタンはほとんど使わない。作業にはフラッシュライトがあれば事足りるし、灯りがほしければキャンドルランタンでじゅうぶんだ。
 ひとりフィールドに身を置く夜、ガソリンランタンの灯りは明るすぎてかえって苛立つ。焚火の美しさだって損なわれる。
 
 それでもあえてピークワン・ランタンを買ったのは、クルマでキャンプをするようになって、調理用のストーブをスベアやオプティマスからコールマンのピークワン・ストーブに変えたらとても調子よかったことと、何よりもピークワン・ランタンの姿がなんとも可愛らしかったからである。
 
 ピークワン・ランタンの燃焼時間は3時間。ぼくにはじゅうぶんすぎる時間である。暗くなってキャンプ地へ着いたり、焚火の最中に足りなくなった薪を拾いに河原へ行くときなど、フラッシュライトだと狭い範囲しか照らしてくれないが、ランタンを提げていくとかなり広い範囲を探すことができる。 
 もっとも片手がランタンでふさがるから抱えて戻れる薪の量もタカがしれているけど、たいして大きな火は焚かないから不都合は感じない。
 
 今回、久しぶりにキャンプに連れ出したのは、スクリーンタープの中でテーブルトップに置いておくランタンににちょうどいい大きさと光量だと気づいたからだった。
 最初はEPIのマイクロランタン(これも遊ばせたままになっている)を使おうと思ったが、カートリッジが増えるのが厄介なのでやめた。オレンジ色のやさしい光がなんともいい雰囲気なのだが……。
 
 今回、ピークワン・ランタンを使ってみてよかったのは、燃料タンクが空になり、灯りが消えたら、「さ~て、寝るか」とのきっかけができたことだ。いつまでもダラダラと起きていないでさっさと寝る準備に入る。
 
 使い続けていくことで愛着を増すキャンプ道具だけに、数こそ少ないけど、濃密な思い出が詰まったこの愛らしいピークワンをこれからまた親密なキャンプの友にしていきたい。まだ新品同様の輝きを持ったランタンなのだから。


浅ましきゲリラキャンパー

2009-10-25 09:41:41 | Weblog
★入口に設けられたゲートの意味
 キャンプ場にゲートがあって、夜、決められて時間になると閉じられてしまう。
 ときおり、そんなキャンプ場に出かけることがある。おかしなことをするものだと思っていた時期もあったが、ある年の夏、東信州の公営オートキャンプ場でゲートの意味を知る情景を目にした。
 ただし、そのキャンプ場にゲートはない。ないからこそわかった呆れた光景だった。
 
 夕暮れとともに管理棟が閉まり、下界の役場からきていたスタッフが帰った直後、まるで湧き出でたようにクルマが次々と入ってきた。
 空いているサイトを物色すると、手早くテントを建てる。大型テントはなく、コンパクトなテントばかりである。キャンプ道具もきわめて簡素。手早く簡単な食事を終え、夜も早めに消灯していた。キャンプの原点を見るようなスタイルである。
 
 はは~ん、こいつらキャンプ場の料金を払わずにキャンプをやろうとしているな――彼らの腹はすぐにわかった。やはりうしろめたさが少しはあるのだろう、どのファミリーも硬い表情で終始おとなしくキャンプをやっていた。
 
 朝、管理人が下界から上がってくる前にさっさと撤収を終え、次々と逃げて行った。設営も撤収も鮮やかきわまりない。このゲリラども、集団でやってきたわけではないのに、まるで統制の取れた組織のようだった。
 なるほど、こういう手合いの侵入を阻止するためにキャンプ場によってはゲートを設け、出入りの門限を定めているわけだ。

★そこまでして楽しいか 
 ぼくもキャンプ場の料金を聞いて「ふざけるな!」と思うことがある。むろん、キャンプ場経営者からの反論もあるだろうが、高額の料金に見合わない施設、設備のキャンプ場が大半である。納得できる料金ならしぶしぶだけど払って利用することがある。
 しかし、キャンプ場の料金が払いたくないからと言って管理人の目をかすめてキャンプをしたり、キャンプ禁止の道の駅やサービスエリアでキャンプをやるほど落ちぶれたくはない。そんな浅ましい心根のキャンプをして楽しいとは思えないからだ。
 
 今年9月のキャンプで、夜中、それもかなり遅くなってから、キャンプ場の駐車場に入ってきた1台のクルマがライトを点けたままで停車していた。
 こちらのクルマも停めてあることだし、あるいは、何かあったのかと見に行くと、クルマのライトを頼りにさして若くもない男性が小型テントを組み立てていた。隣には女性がひとり……。
 
 クルマは東京の近県ナンバーのポルシェ。
 こんなクルマでキャンプならテントも小型でやむをえまい――とは思わなかった。直感的に、「こいつも金を払わずにキャンプをやってるクチだな」とわかった。
 もちろん、翌朝、管理棟が開く直前にポルシェがさっさと逃げて行ったのは言うまでもない。
 
 ポルシェでやってきたカップルだけにそのさもしい姿がなおさら笑えた。


ダッチオーブン<性能の違い>

2009-10-19 22:14:46 | Weblog
☆奈良地方の郷土料理
 ダッチオーブンの話題に触れたので、忘れないうちに7月の経験を書きとめておきたい。
 
 7月20日にからむ三連休を、ぼくは例年どおり北八ヶ岳の森で過ごした。
 いつもと違っていたのは、グループキャンプだったことだ。しかも、ふたつのグループの合同キャンプとなった。

 若い人たち主体の5人グループが二日目にトレッキングに出かけるというので、それじゃ、その日はこちらで夕飯の食担をするから、初日はそちらで食担をしてくれないかと提案してあった。
 
 人数が多くなったときのメニューは汁ものにかぎる。カレーとかシチューの類である。
 以前、アメリカのアウトドア誌に載っていた「ハンターズシチュー」を作るつもりでロッジの12インチダッチオーブンを持参していた。

 買い出しの段になって、ぼくのフィッシングの師であるM氏が持ってきたキャンプ料理本に「牛乳鍋」というのを見つけた。奈良地方の郷土料理だという。
 見かけは洋風だけが、うどんを入れるのでボリュームも申し分なく、なかなかうまそうである。「よし、これに変えよう!」とメニューを変更した。
 本に記されたレシピに、家人のアドバイスをプラスして火から下ろす直前、においの強いチーズと白味噌を加えることにした。
 これをダッチオーブンでじっくり煮込もうというわけである。
 
 うどんを入れるので、12インチDO1個で合計11人分をまかなうのはつらい。M氏のDOも使わせてもらうことになった。ロッジではなく、某アウトドアメーカーがブランド名を変えて出している中国製のDOである。
 
 2個のDOを同時に使うので持参したスノピの焚火台(L)では乗りきらない。キャンプ場の炊事棟に備えつけの炉を使うことにした。

 ゆっくり煮込むために炭火を使いたいのだが、この炉が本来は薪を燃やして飯盒炊爨(はんごうすいさん)するための構造なので熱源と鍋との距離が大きくなってしまう。炭火の上に直接DOを置いてもいいが、炉が狭くてDOのコントロールに不安があり、そのまま炉に取りつけてあるグリルの上に置いた。

☆愕然とする格差 
 30分もたったころ、大きいほうのロッジのDOが噴きはじめた。
 「さ~て、焦げつかないように気をつけないと……」
 炭火の量を調整しながら最初はのんきに構えていた。だが、まもなく噴きはじめるだろうとタカをくくっていたもうひとつの鍋にいつまでたってもにさっぱり変化が見えない。
 鍋に触って驚いた。ロッジのカバー(蓋)は熱くて触れないのほどなのに、中国製のそれはまだカバーが素手で触れるほどぬるいではないか。
 
 写真のとおり熱源の条件はまったく同じである。
 明らかに熱伝導率の優劣の差だろう。はからずも、DOの老舗というか本家のロッジの優秀性が証明された。
 
 出来上がった料理の味にどれほどの差が生じるかまでを検証する余裕はなかった。はっきりしているのは、熱伝導率がいいだけ、ロッジは燃費が低いわけだから時間と燃料の節約になる。
 ふたつの鉄鍋の価格には大きな開きがある。燃費など無視して鍋の値段を取るか、多少値がはっても伝統の鍋を持つかは人それぞれだろう。
 
 ちなみに、「牛乳鍋」の味だが、わが家のキャンプメニューの上位にランクしたほどの美味さだった。
 関西在住の知人にこの話をしたところ、こともなげに「ああ、飛鳥鍋な」とひとことで片づけられてしまった。関西ではポピュラーな料理らしい。
 むろん、鉄鍋でなくても土鍋等でも美味しく作れるはずで、正式な作り方はネット上でいくらでも紹介されている。
 
 来月のキャンプでは、もうひと工夫してまた作ってみるつもりでいる。 

ステーキな日々

2009-10-18 21:56:29 | Weblog
 キャンプの楽しみのひとつ……というより、究極の楽しみがその土地の産物を美味しくいただくことにある。
 野菜、魚、肉――それらをキャンプという不自由な状況下でいかに美味しく野趣あふれた料理に変えていくか知恵をしぼり、慣れない手つきで料理する非日常性がまた楽しい。
 その土地ならではの果物の美味しさもこれまた捨てがたい。
 
 10月の八千穂高原は、20年余り通ったお気に入りのフィールドである。四季折々に美味しい野菜や果物などを味わってきたが、今回、これまで肝心なものを忘れていたことに気づいた。
 肉である。
 岐阜の高山では飛騨牛を、八ヶ岳の南麓では甲州牛をといった具合に、土地の肉屋さんへ出かけてステーキ肉を仕入れ、一夜のご馳走としてきた。八千穂へはさんざん通いながら、信州牛を失念していた。

 キャンプ初日、キャンプ場へ向かう道すがら、佐久穂町の佐久甲州街道(国道141号)沿いにある肉の専門店「やまぐち」へ行き、サーロインを300グラム切ってもらった。見るからにうまそうな肉である。

 これまで「やまぐち」さんの前はさんざん通って店の存在を知っていたのに「八千穂高原でステーキ」の発想がなぜか欠落していた。悔やんでも悔やみきれない。

 調理をする段になって、300グラム強の肉を家人が三分割した。
 いちばん大きいのがぼくの分、中くらいが家人、小さいのがわんこたちへの分け前である。わんこたちのはニンニクが使えないので、あとからフライパンで焼くことにする。
 
 まずは、10インチのダッチオーブンをツーバーナーで熱し、家人の指示にしたがって焼いた。
 以前、五光牧場キャンプ場のとき、野辺山駅の近くの肉屋でリンゴで育てたというぜいたくな牛肉を仕込み食べたステーキが忘れらない。あのときはフライパンだったけど、今度はダッチオーブンを使った。

 ダッチオーブンで焼いた信州牛がどれだけ美味だったかは絶筆に尽くしがたいしか言えない。帰りがけにまた同じ肉を買ってしまったことを記せば、その感激が伝わると思う。
 「やまぐち」さん、また来年お世話になります。

 家では家人が調理したのでダッチオーブンを使わなかった。味の違いは歴然だった。

 今日、家人の求めに応じてロッジの「スキレット」を買った。どうやら、やっとダッチオーブンの威力がわかったらしい。
 カバー(蓋)も一緒に買うつもりだったが、本体と同じ値段だから両方だとちょっといい価格になってしまう。オレのヘソクリで買うのだから遠慮はいらないはずだけど、「そんなに余裕があるの?」なんて見抜かれたらまずいので次回にまわした。

 店頭にはシーズニングずみのものしかなかった。11月のキャンプの楽しみに、自分でシーズニングをやりたかったが、シーズニングをしていない製品は置いていないというので渋々あきらめた。
 帰り道、ちょっと高級素材を扱っているスーパーで家人が国産ステーキ肉を買ってきた。さっそく、スキレットを試してみようというわけだ。やっぱりシーズニングずみでよかった。
 
 国産牛とはいっても味は信州牛にまるで及ばない。なんせ値段が違う。
 11月のキャンプでは、リンゴを食べて育った甲州牛をこのスキレットで焼くという楽しみができた。いましがたステーキを食べたばかりなのに生唾が出てくる。

素晴らしき収穫

2009-01-18 00:31:42 | Weblog
      

 今年も伊豆のキャンプ場で正月を迎えた。
 3泊4日、連日、それは素晴らしい晴天に恵まれた。今年も初日の出をしっかり迎えることができた。

 通算7回目の年越しキャンプというわけである。最初のころの2回は女房とふたり、次からの3回がキャンプ仲間ご夫妻と一緒、そして、去年は女房の従姉夫妻が一緒だった。
 今年はせがれも加わって家族だけの年越しキャンプとなった。
 
 われわれも常連の仲間入りをしているだけに、毎年お会いするわれわれよりも古くからの常連さんたちともすっかり顔なじみになっている。これがなかなかうれしいものだ。 
 1年ぶりの再会を喜び、そして、次回を約束して別れてきた。アドレスも交換せず、また、次回を信じて……。
 
 毎年、同じキャンプ場で出逢っている方と、5月の大型連休に出かけた長野のキャンプで偶然お会いした。年末年始のキャンプでは、お互いに犬の散歩ですれ違うときに挨拶を交わす程度の顔なじみだった。それでも5月のキャンプでは、「あれ?」と気づき、親しくお話をした。こんな喜びをえられるのも、同じ場所で年越しキャンプをやっている役得だろう。
 それが今回の年越しキャンプではお姿が見えなかった。管理事務所に訊ねると、犬(コーギー)が亡くなってしまい、今回のキャンプは見合わせるという連絡があったとのことだった。
 5月のときはあんなに元気だったのに……。
 
 ちょっと寂しい年越しキャンプを覚悟した矢先、神はわれらを見捨てなかった。
 ぼくたちの隣のサイトに、とっても素敵なカップルが現れたのである。挨拶を交わし、ちょっと立ち話をしただけで、ぼくたちはたちまち絵に描いたような若きカップルに魅了されてしまった。親子ほど年齢の違いがありながら、しかも、互いについての情報が皆無に等しいうちに、これは運命の出逢いだと直感できるほど、ひと目で魅かれた。
 人の出逢いの不思議さである。
 
 このブログでも、ぼくたちを魅了したカップルとの楽しいキャンプのレポートができるだろう。
 若いながら実にセンスのいいふたりである。ファッションのみならず会話も物腰もすべてにおいてハイセンスだから、もちろん、まだはじめて日が浅いというキャンプ道具のチョイスも実に素晴らしい。
 きっと、これからたくさん教わることがあるだろう。
 なんとも楽しみな年明けとなった。

失った時間を取り戻す

2008-11-03 20:52:40 | Weblog
 5月以来、このブログも放置したままになっている。
 この間、野遊びをしていないか、キャンプに行っていないかといえば「否!」である。仕事のほうで、たしかに2年越しの大きなプロジェクトを抱え、度重なる海外出張もあって落ち着かない日々がつづいて野遊びに集中できない年になってしまったが、それでも7月には信州・八千穂高原(写真上)へ、10月には富士宮の田貫湖(写真下)へそれぞれキャンプに出かけている。

 休日ともなると、山中湖は日帰りで足繁く通った。この三連休の初日は、やはり日帰りとはいえ八ヶ岳南麓の森で秋を堪能してきた。
 今年はキャンプも野遊びのいずれもが好天に恵まれ、それは気持ちよく過ごすことができた。そして、そのすべてに思い出深い出来事があった。いずれ、この備忘録へ少しずつ記していこうと思う。

 仕事のほうだが、今月で重いプロジェクトも完結する。その中には、ぼくにとっては生涯忘れることのできない思い出を刻むことになるであろうイベントも控えている。
 しかし、長く、厳しく、ときには、楽しくもあったが、けっこう消耗した2008年だった。
 そうしたぼくの労苦をねぎらってくれる野遊び仲間が、月末にはちゃんと「お疲れさんキャンプ」を準備してくれた。それもさりげなく‥‥。
 よき仲間たちに恵まれて幸せである。
 
 このあとも、失った時間を取り戻すべく野遊びに没頭したい。12月には休暇をとって平日キャンプを愉しもうと思っている。それと、今年の年越しキャンプは、久しぶりに家族だけで過ごすことになりそうだ。それもまた悪くない。

 このブログにも、時間の余裕ができたところで、少しずつ最近のぼくのキャンプスタイルの変遷について記録していこうと思っている。
 

夜桜キャンプを堪能する

2008-05-07 21:53:36 | Weblog
 スノーピークへの苦言めいたことを書こうと思っているうちにあわただしく大型連休に突入してしまった。
 10年ばかり前までは、難民キャンプなみの混雑を嫌って東京でのんびり連休を過ごし、連休が明けてから有給休暇をとってキャンプに出かけていた。だが、5月もなかばを過ぎると強風に見舞われる確率が増す。台風なみといいたいが、台風以上の突風に遭遇したことも一度や二度ではない。

 キャンプでの風対策は万全のつもりでいるが、5月以外のキャンプでそれらの装備やスキルが役立ったとことはほとんどない。台風が接近しているさなかにキャンプを強行するような素人ではないし、常に危険は避けているから当然といえば当然なのだが、5月の強風は現地へ行ってみないと状況がわからないことが多かった。
 
 大型連休にキャンプに出かけるようになったのは、連れ合いがキャンプについてくるようになってからだった。連休が終わったあとのフィールドは、風さえ吹かなければ申し分のない静けさに包まれている。キャンプ場でも場所によってはほかにだれもいないという、なんとも贅沢なキャンプを楽しめることもある。
 だが、連れ合いはその静けさを苦手にした。「ほかにだれもいないところで寝るなんて怖い」というのである。それと、世間が浮かれてレジャーを楽しんでいるときにじっとガマンをしているのも寂しいらしい。
 かくして、信条を棚上げしてぼくも連休キャンパーとなってしまった。
 
 連休に出かけていくようになっても、どうしてもやりたくないのが早々と予約をとってキャンプにいくというスタイルである。野遊びは自由であらねばならない。気が向かなければ出かけていかないことだってある。天候だって直前にならなければわからない。大雨の中で設営して、タープの下でちぢこまって過ごしたくはない。
 だいたい、以前はタープなどなかった。ぼくたちはグランドシートとコードを利用していまで言うところのタープを張り、その下で過ごしていた。

 人気キャンプ場になると、大型連休は予約で早々と満杯になる。人気の有無もさることながら、東京近郊のキャンプ場はどこも予約客でいっぱいになる。予約不要のキャンプ場の混雑ぶりは目をそむけたくなるほどである。
 それでもその年の穴場キャンプ場の目星をつけて出かけていた。前の年は満員でも、翌年は余裕があるような予約不要のキャンプ場がいくつかあるものだ。ネット時代になって、そうしたキャンプ場の情報について口をすべらせたら、たちまち満杯になって弾き出されてしまったことがあった。
 
 しかたなく、3年ばかり前からは遠くを目指すことにした。東京を遠く離れると、余裕のあるキャンプ場がまだいくつかはある。正確には「あった」。だが、それもキャンプ人口の増加ですっかりセオリーが崩れてしまった。
 今年利用したキャンプ場は、直前になってキャンセルが出たために、幸運にも行くことができたキャンプ場である。5月3日から6日までの3泊4日、お世話になった。初日、2日目と満杯だった。3日目は閑散としてなんとも静かなものだった。
 
 今回、例年の年越しキャンプで必ずお会いしていた名古屋のご夫妻に遭遇した。
 「ゴールデンウィークでこのキャンプ場がこんなに混雑するなんてはじめてだ」とやはり驚いておられた。
 キャンプ場のみならず、クルマの混雑も例年以上だった。
 初日の朝の渋滞を避けて深夜に高速道路へ乗ったのに、午前1時で八王子ICあたりは渋滞が発生していた。西を目指すクルマの量も例年より多い。どこのサービスエリアもパーキングエリアも仮眠をとるためのクルマであふれていた。もっとも、深夜に走ればETC利用の料金が半額になるという制度のせいかもしれないのだが……。
 
 今回のキャンプ場は桜が真っ盛りだった。去年はまだツボミだったと記憶している。
 そんなサクラ(ヤマザクラ)の梢の下に設営することができた。
 今回のソフトハウスはスノーピークの「ランドブリーズ5」と「ランドブリーズ・リビングシェル“シールド”」の組み合わせ。トンネルは使わなかった。
 小型犬2頭を連れた同行者のためにモンベルの「ムーンライト テント3型」も張った。
 
 ランドブリーズやリビングシェルの設営はこれで6回目だからかなり慣れてはきたが、張り綱の数には相変わらず辟易してしまう。よほどの風が吹かないかぎり、全部をペグで固定する必要は感じない。あるいは、雨の予報がなければ使わずにすませている張り綱もある。
 これがトンネルも使うとなると、「おい、おい、やめてくれよ」とばかり吹き出してしまうような張り綱もあっていくつかはパスしている。「なんでもかんでも張り綱で固定すりゃいいってもんじゃないだろうが」と声を大にして言いたい。

 スノーピークの布製品は、たしかに素材がいい、縫製もいい。ようやくカラーリングもよくなった。海外某メーカーのパクリからはじまっているかどうかは別にして、デザインもなかなか垢抜けている。
 だけど、張り綱でギチギチに押さえ込まなくてはならないとなると基本設計に問題があると考えざるをえない。布製品に関しては、やっぱりまだ発展途上にあるのかな?

スノーピークのテントたちと歩んだ半年間

2008-04-15 22:21:51 | Weblog
 昨年10月を最後に、このブログをすっかり放り出していた。ブログは放り出していたけど、この半年間、野遊びのほうは、けっこうアグレッシブにやってきた。キャンプだけでも、ほぼ、毎月出かけていた。
 11月頭の三連休は山梨・道志、勤労感謝の日がらみの四連休は山梨・清里高原へ、年末年始は恒例の年越しキャンプを静岡・大仁で、2月は海外出張を3月早々に控えてさすがに自重したが、3月には仕事を休んで清里高原へ、そして、4月は12日(土)~13日(日)で1泊キャンプを清里高原で楽しんた。
 
 上記のキャンプではすべて新しいテントを使ってきた。スノーピークのテント類である。
 キャンプの内容をもう少しくわしく記録すると次のようになる。

<11月の道志>
 これまで使っていた小川キャンパルのテント(スクート)がかなりヘタってきたのとシェルター(スクリーンキャビン)のほうはケチがついたりしたので、この際、スノーピークのテント(ランドブリーズ)とシェルター(リビングシェル シールド)のコンビネーションに乗り換えた。ついでに、このふたつをジョイントするフライシート(L/Bトンネル)も……。
 買ったからには、テストも兼ねてすぐにでも使ってみたい。さっそくキャンプ場銀座・道志川沿いのキャンプ場を訪ねた。ちょうど紅葉の真っ盛り。こんなベストシーズンなのに客はほかになく、なかなか素敵な1泊キャンプだった。
 テントやシェルターは、設営が予想外に厄介ではあったが、使い心地は申し分ない。

<11月の清里>
 YAHOO!掲示板で知りあったステキな仲間たちとのオフ会だった。キーワードは「ペット・キャンパー」。犬でも猫でも蛙でもペットと一緒にキャンプをしている人たちの集まり。別にペットがいなくてもかまわないという広い心のホットな仲間たちである。昨年のゴールデンウィーク以来の再会だけど、今回はトピ主のナオ嬢とその相棒も一緒の充実ぶり。
 だが、すでに冬の高原に集まって驚いた。もう1組、ワンコキャンプのオフ会とぶつかったからだ。われわれとはケタ外れのドハデぶり……いや、リッチな方々ばかり。競いあうつもりは毛頭ないけれど、こちらが勝っているのは、トピの年齢とメンバーの平均年齢の高さくらい。
 う~ん、やっぱりステキな仲間は大切にしよう。

<年末年始の大仁>
 年越しキャンプである。6年前から年越しキャンプはここと決めている。3年目からキャンプ仲間のM夫妻と3年間通い、去年から今年の年越しは女房の従姉夫妻が同行した。
 新しいテントは、二度、試し張りをやっているのでなんとかの扱いも漠然とわかったつもりになっていた。しかし、このとき、とんでもない失態を演じる。
 設営中の仮ペグを怠ったばかりに、テントを突風で50メートルほど飛ばされてしまったのである。フライシートには擦過傷多数。専用グランドシートも一部破損。帰京後、すぐに修理に出した。テントのフライシートは修理するより新しいものを購入したほうが安上がりと判明。グランドシートは一か所だけの修理ですんだ。
 肝心のキャンプのほうだが、テントが満身創痍、手負いながら雨に見舞われることもなく、とても快適に過ごすことができた――と言いたいところだが、テントとシェルターをつないでいるトンネル接合部から隙間風がひどく、冬には不向きだというのを実感した。

<3月の清里>
 2月にキャンプへ行かれなかった不満をいかんとしがたく、春分の日の翌日を休んで4連休とし、早春3泊キャンプを企てるが春分の日がひどい天気(東京が終日雨、現地はみぞれから雪)で初日は中止。
 翌日の朝、まだ雪が降っているという清里へ向け、なんとかなるだろうと当たりをつけて出発。たどり着いた午後の清里はポカポカ陽気で、キャンプサイトには雪なんか影も形もなかった。
 このキャンプでは、テントとシェルターをつなぐトンネルを使用しなかった。2泊ということもあり、また年越しキャンプのとき、せっかく暖めたリビングシェル内の空気が逃げてしまうのを体験している。もうひとつ、サイトがややせまいのでトンネルを使うレイアウトだとちと辛いため。
 このときも従姉夫妻が同行した。

<4月の清里> 
 連日の忙しさにひたすらフィールドが恋しい。1泊でもいいからキャンプへ行きたい。
 が、スノーピークのテントやシェルターは設営がかなりヘビーだ。1泊ならモンベルのムーンライト3に小川キャンパルのシェルターでもいいかなと思いながら、ふと、思い当たったのが、リビングシェルには「インナーテント」や「インナールーム」があったこと。
 さっそく、アウトドア用品の店へ――。
 「インナーテント」と「インナールーム」のどちらにするかでさんさん迷いはしたものの、扱いの簡便さが魅力でインナールームに落ち着いた。リビングシェル内のスペースは半分失うが、とにかく吊してペグダウンするだけというシンプルさが魅力。値段もはるかに安価である。
 さあ、これもフィールドテストをしないと……というわけで、4月の1泊キャンプとなった次第。これからは、テントよりもこちらのインナールームがわが家のセカンドハウスの主役になる予感が濃厚である。
 
 というわけで、この半年間はスノーピークのテントとシェルターがキャンプの主役だったが、ぼくはこれまでスノーピークのテントをことあるごとに批判しつづけてきた。品質が一級品だというのはよくわかっている。それでもなお容認できなかったのがオレンジのカラーリングだった。スノーピーカーを自認する方々の多くが、あのカラーリングに惹かれているのも知っている。しかし、ぼくはどうして好きになれなかった。
 モスのパクリかどうかはどうでもいいのである。あのオレンジ色の主張が森の中に入り込むとどうにも落ち着かないのが理由のすべてだった。むろん、これはきわめて個人的な嗜好に過ぎない。

 そんなに嫌いなスノピのテントを買ったのは、オレンジの部分が激減して、グレーが取って代わったからである。この程度のオレンジならむしろウェルカムだ。だけど、ぼくはスノーピーカーにはならないだろう。
 スノーピークの製品をたくさん使いながら、ぼくがどうしてもスノーピークというブランドに心を開けないのにはいくかの理由がある。それを公言すれば、多くの非難を浴びるかもしれない。それでもあえて、次の稿でそれらをぼくなりに検証してみたい。

草枕ならぬ……

2007-10-01 17:50:56 | Weblog
 草枕――「旅」にかかる枕詞(まくらことば)にして、それ自体に「野宿」とか「旅寝」をも意味している。
 今回のキャンプ場では夏草がほどよい褥(しとね)となってくれたが、それ以上に風流だったのが虫の音(ね)の合唱だった。とにかく、昼間からサイト中に虫の音が満ちていた。
 
 夜、テントのなかで体を横たえるとグランドシートの下で虫たちが鳴いている。まさに耳もとで鳴いているのである。草枕ならぬ「虫の音枕」だった。
 この季節にさんざんキャンプをやってきたが、はたしてこんな盛大に虫たちの合唱の歓迎を受けたことがあったろうか。
 
 夏の朝、夜明けとともに聞こえてくる鳥たちのさえずりがうるさいと管理事務所にクレームをつけたキャンパーがいたそうだが、そんな無粋な連中だったら、秋の虫の音も騒音以外のなにものでもあるまい。
 
 子供のころ、夜中に聞こえてくる虫の音はコオロギばかりで、なんとも心細く聞こえたものだった。マツムシやスズムシは夜店の虫籠の中で鳴いていた。スズムシなんていうのは弱い虫で、うっかり放してやるとコオロギたちに食われてしまうのだと教わった覚えがある。
 
 キャンプ場で鳴く虫たちは、コオロギも少なくないが、何種類かの虫たちによる混声合唱だった。
 これらの虫たちの声が次第に間遠くなり、やがて掻き消えたとき、よほどの物好きじゃないかぎりキャンプになんかやってこない。草を結んで枕としたくとも、肝心の草さえもう枯れ果てている。

 背中が寒くないようにたっぷりのダウンが入ったパーカを着て、火の粉に強い不燃性の生地のブランケットで身体をくりみ、焚火をあじわう季節がやってくる。さぞや星たちもきれいに見えるだろうから焚火もできるだけ控えめにしたい。
 
 聞こえてくるのは焚火の燃焼音だけ。こんなときは、焚火で沸かした湯で作るホットウィスキーがたまらなくうまい。お湯の中に溶け込んだ焚火の香りがウィスキーをワイルドな味わいに引き立てる。「不健康だよな」なんて言いながら、砂糖をたっぷり入れて飲む。凍てる野外ではこれにかぎる。
 
 そんな季節までもうすぐだ。

秋はやっぱりこれでしょう!

2007-09-27 16:32:24 | Weblog
山梨の山中で食べた秋刀魚 秋のキャンプの楽しみは、なんといっても秋刀魚である。
 炭火や焚火の熾きで盛大に焼いたアツアツの秋刀魚をたっぷりの大根おろしと醤油で食すとき、極上の幸せを噛みしめる。この日本という国に生まれてよかったと、無信心なくせに心から神に感謝していたりする。
 
 ところが、キャンプで秋刀魚を出すと眉をひそめる人たちがいる。彼らの顔には次のように書いてある。
――こんな下賎な魚を食わせやがって……。

 これまで2組の夫婦が顔をこわばらせ、目を背けた。決してハイソな生活をなさっている方々ではない。いずれも、「キャンプは非日常の追体験」というぼくの考えに同意してくれたはずだったのに……。
 どうやら、彼らの“非日常性”とは、たとえば、ギンガムチェックのクロスがかかったテーブルには野の花などが活けてあり、ナプキンを膝にナイフとフォークとスプーンで食事をする――そんなイメージだったらしい。
 
 先日、はじめて一緒にキャンプへ出かけた義理の従兄は、「う~ん、うまい! いい焼きぐあいだぁ」と言いながら内臓にいたるまでむさぼり、食べ尽くしてくれた。
 この人とはお互い体力がつづくかぎり末永く一緒にキャンプができると確信した。

 翌週の連休をぼくは静岡のキャンプ場で二泊三日を過ごした。一週間前のキャンプでの秋刀魚の味が忘れられず、さっそく初日の夕飯から秋刀魚の炭火焼だった。このキャンプ場は直火が禁止されているのでシチリンを持参した。珪藻土ではなく、スチール製のヤツだけど……。
 
 このとき、どうしても試してみたいことがあった。近江在住のキャンプ仲間から教わった秋刀魚を焼くときの驚くべきテクニックである。
 シチリンで焼くとき、周りに炭をおいて真ん中にキャベツを置くと、焼くときに秋刀魚からしたたる脂をすいとってくれるので炎が上がらず、秋刀魚が焦げて黒くならないというのである。
 
 初日――なるほど! いい具合に焼けている。片側は実にきれいに焼けている。すっかり気をよくして反対側を焼くときに油断した。ふと見ると盛大な炎が上がっているではないか。火が強すぎたのでキャベツが燃え尽きていた。
 あららら、いつもいり真っ黒じゃないか。

 2日目――今度は前日より火を弱めにして、キャベツの追加も用意しながら焼く。時間はかかったものの大成功! いい具合に焼けた。
 しかし……である。食べてみると、たしかにうまいのだけど、どうにも品がよすぎるのだ。
 あの口にジャリっとくる炭化した皮と一緒じゃないとせっかく炭火で焼いた秋刀魚を食べているという実感が湧いてこない。ガキのころから下品な食べ方をしてきたのが習い性となってしまったようだ(ぷりんさん、ごめんね)。
 
 でも、キャベツを使うテクニックは、口が上品な方々にはまちがいなくおススメのシチリンでの焼き方である。
 
 蛇足ながら、ダッチオーブンで蒸し焼きにした秋刀魚がうまいというのを信じ、キャンプで試したことがある。妙な味だった。あれは秋刀魚じゃない。
 せっかくの秋刀魚を……いまだにものすごく損をしたという思いが抜けきらない。

 秋は長い。
 来月、もう一度、黒い秋刀魚を食べに出かけよう。

満ち足りた真夏の休日

2007-08-14 17:49:50 | Weblog
 平日は、会社、電車、自宅でと、一日の大半の時間をエアコンの冷気にさらされている。せめて、休日くらいは自然の涼がほしい。いつも喘いでいるワンコたちにも涼しさをプレゼントしてやりたい。 
 しかし、世間はお盆休みでどこもかしこも人の波だろう。静かに避暑をなんていうのはどだい無理。
 
 わが家から高速道路を使わずに行き着ける気持ちのいいリゾートとなると、山中湖あたりが筆頭に挙げられる。
 「よし、明日は、山中湖だ!」
 先週の金曜日、そう思い立って、久しぶりにM夫妻に声をかけた。
 「ねえ、明日、山中湖あたりへ昼寝しに行かない? どこかで弁当仕入れてさ……」
 むろん、Mさんも異存はなく、一路、山梨の416号線を山中湖へ向かった。
 
 目指した先は、われらが春夏秋冬、四季を通じてお世話になっている湖畔の公園。適度な木立があってなんとも気持ちいい。道志のキャンプ場の混雑状況を冷かながら現地に着いたのは午後1時ごろ。
 いましたねぇ、先客が何組か……。考えることは皆同じ。少々の食べ物と、たっぷりの飲料水、椅子、テーブル、あるいは簡易ベッド(ポンポンベッド)まで持ち込んでマッタリ~ッ!としてる。
 
 マッタリ・スタイルこそ千差万別だけど、そろいもそろって共通点がある。ほとんどがカップルながら、すべて中高年ばかり。子供連れなんてひと組もいない。
 われわれもほかの人たちに距離をとりながら、しかるべき木陰に落ち着いたが、ときおり、その脇をワンコ連れで過ぎていく人たちも中高年ばかり。きっと子供連れは、湖畔の林間なんて退屈きわまりないから、真夏にふさわしいもっと刺激的な場所へ行ってしまったのだろう。
 
 聞こえてくるのはセミの音(ね)ばかり。ときおり、遠くのほうから遊覧船の案内アナウンスが聞こえてくるのが玉にキズだけど、草の上にグランドシートを敷き、デイパックを枕に、湖水の藍と空の青に酔いしれながらうつらうつら……。
 4頭のワンコたちも元気そのもの。やっぱり来てよかった。 
 
 とっぷりと日が暮れて寒いほどに涼しくなったころ、帰り道の途中にある「英国館」のテラスでノンアルコールのビールを飲み、毎度のことながら、416号線のさらに東京寄りの「遊楽食ほろほろ」(ここは、ほんとうに美味い)で夕飯をいただき、満ち足りて帰ってきた。
 
 毎月最低でも一度は出かけていた野遊びに、今年はほとんど出かけることができなかっけど、日帰りで、昼寝とおしゃべりだけが目的の、そして、ほんのちょっとゼイタクな一日もなかなかいいもんだと再認識した次第。
 
 ふと、年齢(とし)相応のスローな生き方って、こんなことなのかなと思いをめぐらせた一日でもあった。

まずは言い訳から――

2007-08-14 17:30:06 | Weblog
 時代のめまぐるしい変化のおかげで、リタイア世代に属するぼくのような老兵がある分野でのビジネスの表舞台に立たざるをえなくなってしまいました。
 長年、「ホラ吹き」といわんばかりに陰口をたたかれ続けてきましたが、15年前から予言してきた時代がついに現実のものとなり、新たな活動の場を得ることになったのです。
 「生涯現役」でありたいと願ってきただけに、この幸運にはひたすら感謝なのですが、日常の業務に忙殺され、生きがいでさえある野遊びに出かける時間と気力、体力をそがれてしまったのは大いなる誤算でした。
 
 おかげで、このブログも休眠状態のまま10か月を経過させてしまいました。
 その間にもたくさんの方が覗いてくださり、恐懼にたえません。
 「私家版」なのだからということでご容赦いただいているのかもしれませんが、今後は少しずつでも更新していきたいと思っています。
 
 こんな拙い内容のブログを見捨てずにいてくださった方々にお詫びと感謝をこめて再開の一歩を踏み出すことにいたします。