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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

いずれフィールドで瞑(ねむ)りにつこう

2015-12-22 20:42:37 | Weblog

■ さあ、銀山湖へ出かけよう!
 3歳年上の従兄が脳卒中でたおれた。
 血縁はないが、ぼくのフライフィッシングの師にして、キャンピングでは逆にぼくが先輩となる。こうしたつきあいのなかで、女房の従姉の連れ合いの彼がいまでは兄貴同然の存在となっている。

 実の兄弟でさえ冠婚葬祭でしか顔をあわせないというのに、彼とはこの10年近く春から晩秋にかけて年に何度となく老夫婦二組が寄り添うなかでキャンプを楽しんできた。
 60代同士で結婚した彼らがキャンプに目覚め、おきまりの道具遍歴を重ねてようやくたどりついた理想のテントの前で仲むつまじく過ごしている光景はなかなか味わい深い。そのスタイルが、すでにベテランの域にあるのはひと目でわかる。
 
 フライフィッシングの手ほどきだけは受けているぼくも、リタイアしたら彼の指導で本格的にフライのロッド(竿)を振る気でいる。まずは新潟と福島の県境にある、彼のホームグランドの銀山湖へ釣行しようという段取りだ。
 ぼくはビギナーズラックをひたら信じ、初回で大物を釣り上げる夢にずっと酔ってきた。願いどおりなら、ブラウントラウトの大物がヒットするはずである。夜、ベッドの中でそんなことを考えてしまうとわくわくして眠れなくなる。

■ もう話すことなんか何もないけどね
 さしあたっての時間はありあまるほどあるだろうから、まずは野営場にふたつのテントを張り、そこで寝泊まりしながらの長期釣行としよう。朝飯をしっかりすませてから自分たちで作った弁当をデイパックに入れ、ロッドを提げて湖に向かう。
 テントの脇には土をかけて熾きになった焚火の下に晩飯用の食材をしこんだダッチオーブンが埋まっている。夕闇のなか、空腹をかかえ、疲れ果ててサイトへ戻ったとき、冷えきった身体にエネルギーを充填できる熱々のメニューが待っているという寸法だ。
 
 ふたりそろって高脂血症だし、ほかにも共通の肉体的なリスクは歳相応にかかえている。だけど、ダッチオーブンのなかには高カロリーのメニューがたっぷりだ。蓋を開ければよだれがでるようないい匂いの湯気がたちのぼる。
 連れ合いたちが見たら、この命知らずの無謀なディナーに悲鳴をあげるに違いない。でも、湖に立ち込んでいるとき、あるいはテントで寝ていてお迎えがきたのなら、これに勝る幸せはない。
 
 身体が動くかぎり、そんなキャンプ釣行を続けていきたい。

 夜、焚火の前ではきっとその日逃した獲物への未練をくどくどと繰り返すだろう。新しい話題なんてそれくらいしかない。互いに70年以上生きてきたといっても、たいした話題しかない自分たちの人生に愕然とするのもいい。最初から、そうそう話すことなんてないのだ。それに、何度も同じ思い出話を繰り返し、もうとっくにネタは尽きている。かくして老人は寡黙になっていく。

■ 焚火の前が瞑目の指定席じゃないか
 湖にひそむ魚たちも寝静まり、ふたりは焚火をみつめてとろとろと時間をつぶす。お湯で割ったホットウィスキーの湯気にときどきむせるだけで無言のままだ。それでもなんという充足感だろう。
 魚なんか釣れなくてもいい。ふたりが湖面に流したフライに気づいた大物が、「だれがそんなものにだまされるかよ」と尾で叩いてゆっくりと潜っていく。そうやって、老獪な魚にからかってもらえただけでじゅうぶんだ。「惜しかった! もうちょっとだったのに!」なんて強がりをいいあっていっとき元気になれる。
 
 薄明のころ、朝靄のなかにぼんやり浮かぶのは、消えた焚火の前の椅子で古いブランケットにくるまって眠るふたりの老人である。足下には空になったバーボンの瓶がころがっている。
 彼らは二度と目覚めることがない。ブランケットは、裾が擦り切れ、色褪せ、焚火の火の粉で穴だらけだ。ふたりの死に装束としてこれにまさる衣装はない。ここにいたるまでの人生の来し方は互いにいろいろあったが、男の最期はやっぱりそんな至福とともにありたい。

 彼の連れ合いである姉貴には悪いが、ぼくは勝手に男同士の最期はかくありたいと希(ねが)ってきた。
 兄貴である従兄がフィールドに復活し、最後の夢で締めくくってくれる日を、まだ諦めるわけにはいかない。ぼくらの死に場所は病院のベッドの上じゃないはずだ。
 がんばれよ、兄貴!


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ジープ)
2016-01-18 20:57:19
お久しぶりです。
この冬、これまではいつになく暖かでいつもならとっくに入れなくなる山上の、期間終了のキャンプ場でひとり木こりの真似事をして過ごすのが生き甲斐です。

大げさではなく、泊まる度に童話の世界にいるような、子供に還ったような感動が毎回のように訪れます。傍の沼には水鳥のオオバンの番が草の根をついばみ、火を焚き続ける私にはあまり関心がないようです。寂しいつもりはないのですがその番が警戒を解くように「ほいほーい」と声を掛け続けていたのですが、つい先日訪れたときには沼全体が凍り番の姿はどこにもありませんでした。

従兄様が快気の後、楽しい釣りが出来ますように。
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Unknown (相模)
2016-05-19 13:09:29
初めまして。
通りすがりの者ですが、文章を書くお仕事をされていたのでしょうか?
ブログ記事とは思えない詩的で情景がありありと浮かぶ見事な文章で感服致しました。
他の記事も読ませて頂きます。
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