
■ ずっとテントにこだわりたい
今年も紅葉狩りキャンプへ出かけることができた。
春も秋も、たとえ同じころであっても景色は毎年同じではない。春ならば、桜の開花時期にバラつきがあるし、秋ならば落葉樹の色づく時期に狂いが生じる年がある。今年は、シラカバの黄葉にまだ早かった。だが、ツタの見事な紅葉はため息が出るほど美しかった。
カラマツが黄金色に染まり、一陣の風に秋色に染まった葉がくるくるとまわりながら落ちてくるとき、夕日を浴びた金糸銀糸が乱舞する光景に魅了されたのは、30年前、白州から30分ほど山に入った林道の脇だった。
またあの感動にめぐり逢いたいと、秋になると思う。だからキャンプはやめられない。まれにではあっても、都会にいては味わえない感動と遭遇できるからだ。
とはいえ、すでにこの高齢(とし)でいつまでキャンプをやっていられるのだろうか。今年の調子なら来年もなんとかなるかもしれない。だが、再来年はわからない。歳をとるのはしかたないが、体力的にキャンプができなくなるのがなんとしても悔しい。
キャンピングカーを勧めてくれる人もいるが、テントを張り、大地に寝てこそキャンプだとこだわり続けてきた。テントが大儀になったら潔く引退したい。
いまのところは、まだテントを張る体力は残っているので、手持ちのテントの中でいちばん設営と撤収が面倒(いかんせんペグの数が多い)なテント一式をクルマに積み込んで秋のキャンプへ出かけた。
先月の戸隠でけっこう寒い夜を経験しているので、やっぱり10月の高原はタープよりもシェルターのほうがいいやと思い、スノーピークのリビングシェルを選んだ。

■ やっぱり設営は楽しい
さて、問題は季節柄どこでキャンプをやるかである。暖かい伊豆のキャンプ場へいきたいと思ってキャンプ場のウェブサイトを見ていたが、人気のキャンプ場だけあってこの時期でも混んでいるらしい。しかたなく信州へ向かって走った。
敬老の日がらみの三連休だから混雑は覚悟の上だ。しかし、出発が遅かったせいだろう、高速道路の連休渋滞はすでに解消している。小雨模様の天気も回復しつつあった。
のんびり走ってキャンプ場への到着も昼を大きくまわっていた。最近はこの傾向が続く。まあ、年寄りだから急ぐことはない。近年、何度目かのキャンプブームでどこもかしこも混んでいる。めざすキャンプ場の片隅に設営できればいいやと覚悟しているから気楽だった。
さすがに10月だけあって想像していたよりはすいている。やれやれである。雨も上がって、寒さもさほどではない。午後2時、昼飯抜きで一気に設営にかかる。
今回はペグで膨らませているような設計コンセプトのテントながらやっぱり設営は楽しい。このリビングシェルとインナーテントの組み合わせはもう10年あまり使い続けてきてだいぶへたり気味になった。
年越しキャンプでこのリビングシェルの二か所の出入り口のファスナーが同時にいかれてしまい、春先、修理に出している。インナーテントを提げるシェルター内のゴムも伸びきっていたのでついでに交換してもらった。いまや、手持ちのテントの中でも古い部類に属する。

■ 満身創痍のシェルターながら
修理のとき、10年あまり使っているというので、ショップの若い担当者は、「もう、じゅうぶん使ったじゃないですか」とあきれていた。「そうね、キミよりこいつのほうがキャリアは長いぜ」といいたいところをぐっと抑えて修理をお願いした。
インナーテントを覆うフルフライシートも、数年前、キャンプ中にカギ裂き状に破れているのを見つけ、これも修理に出している。満身創痍のリビングシェルながら値段が高いだけあって幕体の素材や縫製がいいからまだしばらく使えそうだ。
生地が厚いのでかさばるし、重いのはしかたない。このメーカーのテント類は年を追って大型化しているが、ぼくにはこのモデルが限度である。
いまはシェルターとテントを一体化した製品が主流らしいが、持ち上げるのさえひと苦労だし、ワンボックスカーでないと積み込むのも大変だろう。クルマを使ってのキャンプが主流になっている昨今、テントに軽量を求めていないのが如実にわかる。
たいていの場合、いわゆるオートキャンプといわれるクルマを使ったキャンプの初心者は、まず、大きなテント類を買ってすぐにもてあまし、次第にコンパクトになっていく。
もうひとつ、現実の実生活の様相はともかくとして、キャンプくらいはオシャレでリッチに演出したいという理由からだろう、最近のキャンプ場はかなりケバくなった。むろん、オシャレやリッチの演出もキャンプの楽しみ方だし、時代の流れだから批判する気はない。
ただ、わが家のように古い道具も混じったサイトだと肩身がせまい。つい、人目に触れるのを避けようとする。
あえて、商業主義にカモられているとはいわない。むしろ、キャンプがオシャレでリッチになっていくのは大賛成だ。刺激的なキャンプ用品が次々リリースされているからである。
反面、シンプルな装備でスマートにキャンプを楽しんでいる人を見ると、これぞベテランの味だと感心してしまう。

■ キャンプ道具が好きだからね
心のどこかに昔のようなシンプルキャンプに回帰したいとの思いはぼくにも残っている。しかし、シンプルキャンプをいまの、ケバくなっているキャンプ場で実践したら、ベテランのシブい味を持っていないぼくだと貧相でしかない。
やるなら、オートキャンプ場は敬遠して、昔のようにキャンプ場ではない、渓流のほとりや林道から少し下った場所など、自分だけのサイトにかぎる。ただ、いまもあの秘密の場所が安泰かどうかは悲観的だ。
シンプルキャンプでないわが家の場合、クルマの後部の荷室のみならず、屋根にまで荷物を満載して出かけていく。決してオシャレやらリッチに見せたいからではない。ぼくの本来のキャンプのイメージがどうしても荷物を多くしてしまうのである。
たとえば、複数のガソリンランタン、使い古したジャグ、複数のダッチオーブン、焚火台、etc.。今回のキャンプでは、安物ながらローテーブルをゲットして持ち込んだ。これからは鍋ものの季節である。このテーブルを使えば、椅子から立って食べなくてもいい……な~んて言い訳をしながら買った。
10歳の夏の初体験から60年間、キャンプ一筋で生きてきた。シンプルキャンプにあこがれてはいても、キャンプ道具にかぎらず、日常的に物欲に支配されている人間は、きっとキャンプでも死ぬまでベテランの境地にはたどり着くことができないだろう。
玩物喪志。物にこだわり過ぎていると本来の志を失う。そんな意味だ。若いころから、物欲をおさえたいときに口にしてきたお題目である。それにもかかわらず、ぼくは実生活でも三流のままで生涯を終えようとしている。いくら「玩物喪志」のお題目を唱えても、さっぱり抑制のご利益がなかったからだ。
でも、いいさ。好きなキャンプ道具をもてあそんでいるときだけが幸せなんだから。もちろん、悔いなどまったくないまま70代を迎えている。