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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

愛するシュラフたち

2006-10-05 00:10:29 | Weblog
 現在使っているシュラフを引っ張り出してみたら、全部モンベル製だった。
 ある程度の品質をもちながら価格がリーズナブルだし、ぼくが住んでいるすぐ近くにモンベルショップがあったから――その程度の理由に過ぎない。
 これらのシュラフで満足しているわけではない。不満もある。最新のモデルは知らないが、ぼくが使っている古いモデルは必ずしも丁寧なデザインが施されていたわけではないからだ。よくいえばシンプルだけど、率直にいわせてもらうとおおざっぱ。造りが雑だという意味ではない。たとえていうと、シュラフ内にためこんだ体温を逃がさないようなきめ細かい工夫がもっとほしかった。
 
 写真の下段3個がダウンハガー#3、上段左がスーパーストレッチダウンハガー#0、右がスーパーバロウバッグ#3である。ダウンハガー#3は98年、#0は一昨年に買った。バロウバッグはかれこれ10年以上前になるはずだ。いうまでもないが、「ダウンハーガー」のシリーズのフィル(詰め物)はダウンであり、「バロウバッグ」はポリエステルである。

 ダウンハーガー#3をまとめて3個買ってしまったのにはそれなりの理由があったのだが、1個は初夏から初秋に女房が使っているものの、あとの2個はほとんど使っていない。たまにゲストがあると使ってもらっている程度である。
 20年近く前にキャンプに目覚めてしまった女房は、一貫してダウンのシュラフを愛用してやまない。ぼくにはあまり違いがわからないのだが、ダウンのもつ温もりがたまらなく心地いいそうだ。ダウンにくるまれて眠るのがよくてキャンプへいくのだとさえいう。だから、彼女は1年中、ダウンのシュラフを使っている。冬場なら#0を、前述したように夏を中心にした季節には#3を……。

 #0を購入する前の女房は、わたしがまだひとりでのびのびと野遊びを楽しんでいたころに買って、冬用にだけにしか使わず、大切にしてきた「天山」のシュラフを容赦なく使っていた。さすがに真夏以外、10年以上使い続けたので、数年前から保温力が衰えてきた。冬を前にした一昨年、#0に変えた次第。
 #3を使った経験上、#1あたりを買おうと思ったが、型番落ちで#0がバーゲン品に出ていたのでそちらにした。ちょっとオーバースペックじゃないかと心配したが、真冬のみならず晩秋から早春にもちょうどいいそうだ。
 おかげで、冬のぼく用のシュラフに天山が戻ってきた。真冬はシュラフカバーを使って落ちた保温力を補っている。スノーキャンプのようなシビアなキャンプじゃないからこれで十分ぬくぬくと寝ることができる。

 好みとして、真冬以外ならぼくはフィルが化繊のシュラフのほうがいい。ダウンよりもラフに使えるからだ。湿気の多い状況下でも、化繊のシュラフだとおおむねカラッとした寝心地を得ることができる。
 ぼく自身はシュラフを濡らしてしまったことはないが、濡らした経験者の話だと、化繊のシュラフなら吸った水分を絞り、風通しのいいところへ干せば、30分くらいで乾いてしまうという。ちょっと信じがたいが……。ダウンのシュラフだったらそうはいくまい。
 ただ、経験者によると、必ずしも化繊はダウンよりも湿気に対してすぐれているとはいえないそうである。濡れた化繊(ダクロンを例にしたとき)のシュラフにくるまって寝た場合、風にさらされているとすさまじく冷たくなるという。まあ、ぼくの野遊びに、そんな苛酷なステージはないだろうけど……。

 写真のバロウバッグのフィルは「エクセロフト」という速乾性がウリのポリエステル素材である。そこで、夏を中心とした雨の多い季節、ぼくはもっぱらこのシュラフで寝る。あえてこのシュラフを使い続けているもうひとつの理由に女房の存在が密接にかかわっている。
 なんらかのアクシデントで女房のダウンのシュラフが濡れてしまったとき、彼女にこの化繊シュラフを使わせ、ぼくはありったけの服でも着てシュラフカバーにくるまれば一晩くらいはなんとかなるだろうという計算である。だから、冬場でも雨が予想されるとなると、キャンプ地によってはバロウバッグもクルマのルーフボックスに放り込んでいく。
 以上がぼくの使っているシュラフの現状レポである。
 
 シュラフを保管しておくには、専用のスタッフバッグから取り出し、大きめの保管用のスタッフバッグにゆったりと詰めてふくらませたままで乾燥した場所に収納しておかなくてはならないというのは常識である。過去に、フィルが化繊(ダクロンだったが)のシュラフを携帯用のスタッフバッグに詰め込んだままにしておくと悲惨な結果になることも経験した。
 だから、もちろん、シュラフはすべて大きめのスタッフバッグに移して保管している。とはいえ、10個からのシュラフ全部を最適の状態で保管――#0には約53センチ×80センチのコットン製の保管用スタッフバッグがついていた――していたらそれだけで生活の場が侵される。そこでしかたなく、#0以外は53センチ×38センチのエントラント製のスタッフバッグへゆるめに入れ、つぶさないようにしながら保管している。
 よけいなシュラフは持たないほうがいい。しみじみそう思う。
 
 さて、シュラフについて勝手気ままに書き連ねてきたが、まだ、書きたいことは山ほどある。しかし、これだけも書き過ぎてしまったようだ。シュラフについては、とりあえずここでひと区切りつけて、次の機会に今回書かなかったことをぼちぼちと書いてみたいと思う。 

シュラフ遍歴

2006-10-04 22:21:31 | Weblog
 はじめてシュラフを買おうと思い立ったのは、中学生のころだった。
 米軍払い下げのシュラフが安くて、しかも羽毛が使ってあるからすごいのだ――だれかがそんな情報をもってきた。さっそく東京・御徒町(おかちまち)のアメ横へ出かけていったのだが、中学生の小遣いで買える値段ではなかった。
 記憶の中にある米軍のシュラフは、ずいぶん大きく、重量もけっこうあった。当時は、大きいとも、重いとも思わず、「いいなぁ」と憧れの目を向けていたのだが……。

 そのうち、「あれは戦死したアメリカ軍の兵隊を包んできたのを払い下げたんだぜ」とか、「繕ってあるところがほころびたら、血まみれの羽が出てきた」など、怪しげな情報が飛び交ってかなりビビったものだった。朝鮮戦争はとっくに終結していたが、まだ、記憶に生々しかったからこんな噂が飛び交ったのだろう。

 高校で山岳部へ入った友達が冬山へ米軍放出のシュラフを持っていって使ったら、凍えるように寒かったそうである。当時は、まだエンソライトマットなどなかった。雪の上にテントのグランドシートがあって、その上に寝るわけである。それだけでも寒いだろうと思うのだが、彼のシュラフは羽毛が身体の下から動いてしまいなにもない。グランドシートの側にはシュラフの裏表2枚のシェル(外被)があるだけ。いわば雪の上に直接寝ているのに等しい状態だったという。
 フィル(詰め物)だって、ダウンかどうかはわからない。大半がフェザーだったかもしれない。

 ぼくがはじめて手に入れたシュラフは、いまにして思うとひどいシロモノだった。
 紺色のゴワゴワのナイロン袋の中に得体のしれない“アンコ”が申し訳程度に入っているだけの、それこそ“寝袋”という表現がピッタリの製品だった。ジッパーは身体の上部にあった。それでも、筒状に丸めた毛布をザックの上にくくりつけていくよりはマシだった。二十代の後半は、そんなシュラフで過ごした。寒いときは毛布も併用した。
 専門店へいけば、ちゃんとしたシュラフがあったのだろうが、若かったから、遊びは野遊びばかりではなく、ちゃんとしたシュラフにまでカネをまわす余裕がなかった。

 まともなシュラフはモンベルのダクロンホロフィルⅡ・フィル以降だった。
 ぼくも三十代になっていた。モンベルのシュラフは、それまでのいい加減な製品と比べるとデザインもクォリティも本格的な製品だった。寝心地にいたっては天国と地獄ほどの差があった。
 シュラフばかりか、テントも充実し、ウェアー類もその当時ではかなりイケてるものをそろえられるようになっていた。装備が充実すると、野遊びもエスカレートしたくなる。仲間たちととともに「耐寒訓練」と称して冬のフィールドへ繰り出すようになった。

 そうなると、もうひとクラス上のシュラフがほしくなる。あまり高価ではなくて、それなりの性能があるダウンシュラフというと「天山(テンシャン)」だった。日本でデザインされて中国で製造された製品だということだった。
 値段は憶えていない。ひとつだけ記憶に鮮明なのが、天山を手に入れて数年後、アメリカの有名メーカー(シェラデザインズと記憶しているが、ザ・ノースフェイスだったかもしれない)の、それは本格的なシュラフが7万円台で売り出されたことだ。ヒマラヤ遠征や極地探検でもいけそうなほどの品質であるが、値段にため息をついた。たしか、天山の二倍以上していたはずだった。
 
 当時、カタギのサラリーマンをやりながら、サイドビジネスでもけっこう稼いでいたが、まだ三十代も前半だから夜の誘惑がやたら多い。バカな浪費をするたびに、あのシュラフが買えたのにと悔やんだものだった。
 天山が不満だったわけではない。このシュラフにどれだけ助けられたかはかりしれない。フィルが化繊のシュラフを使っている仲間たちが寒さで一睡もできずに震えながら朝を迎えても、ぼくはぬくぬくと惰眠を貪りつづけていた。
 
 山岳部に入っての本格的な登山や、ワンゲル部での苛酷なアウトドア経験などをぼくはまったくやっていない。たいていひとりか、ごく限られた人数の仲間との勝手気ままなキャンピングがぼくにとっての野遊びだった。二十代ではクルマもなく、装備も貧弱だったから、悪天候でも果敢に続けるなんていう蛮勇も持ち合わせていなかった。
 おかげで、シュラフがずぶ濡れになって泣きたいほどつらい思いをしたという類の経験とも無縁だった。そうした悲惨な体験談は高校や大学で山岳部あるいはワンゲル部などで苦労した仲間たちから仕入れた。

 とりわけ、ダウンシュラフが濡れたときの悲劇をさんざん聞かされていたので、天山のシュラフとほぼ同時にシュラフカバーも買った。まだゴアテックスは出現しておらず、素材はナイロン製だった。
 シュラフカバーの有用性がわかったので、スリーシーズン用にもダウンのシュラフを買った。買うときに迷ったが、ダクロンよりもダウンのほうが長持ちするというし、なんとも軽く、コンパクトになるのが魅力だった。「おお、サレワの寝袋かよォ」といって、そのメーカー「SLEWA」がドイツの有名なブランドだというのを教えてくれたのは、クライマー崩れ(?)の男だった。

 ここからさらに、半シュラフのよさなど、いくつかのシュラフ遍歴があるが、冗長になるだけなので、次の稿で、現在、愛用しているシュラフについて書きとめ、シュラフの話題はいったん終わりにしたい。
 
<写真>
 天山のシュラフ。
 下に敷いてある黒い布状のものは、初代のシュラフカバー。ジッパーではなくボタンで閉める構造になっている。

シュラフはお好みでいいけれど

2006-10-03 22:54:49 | Weblog
 前稿で夏用シュラフに懲りてキャンプをやめてしまった友人のことを記した。
 カネをかけて高価なシュラフを持てばいいというものではないが、やっぱり季節に合った品質のシュラフを持っていかないと寒さにふるえる夜がある実例を示したかったのである。
 
 シュラフは人形(マミー)型と封筒(レクタングラー)型に大別される。ぼくは、封筒型を使ったことがほとんどない。
 実は、あまりにも多くの人たちが封筒型を使っているので、そこそこの品質と思われる2組を買ったことがある。一度だけ使ってみたが、二度使いたいとは思わなかった。当時、キャンプをまだ数回しか経験していなかった女房でさえ同じ感想だった。
 封筒型シュラフ信奉者のご機嫌を損ねないようにその理由をきちんとご説明しておくと、まず、とにかくかさばる。さらに、構造上、シュラフの中に体温をためこむ効率がひどく悪い。買った製品の裏地がコットンだったので、湿っぽくて気持ち悪かった。 
 というわけで、封筒型とはさっさとおさらばしてしまったので、以下は、人形型のシュラフに限定しての話になる。
  
 真夏だけしかキャンプに出かけなければシュラフも必要ない。たいていのキャンプ場で、フリースの薄い毛布があればこと足りる。それさえ不要で、タオル地の夏がけですむようなキャンプ場も少なくない。
 だが、オールシーズンとはいわないまでも、春秋もキャンプとなるとそれなりのシュラフがほしい。春や秋も季節が浅いときと深いときとではウェアー類の準備がそれなりに変わってくるように、シュラフも使い分けたくなる。
 
 1枚のシュラフでフィールド遊びをやっちゃおうとするなら、寒いほうにあわせてチョイスする。たいていのメーカーが製品ごとに快適に眠れる外気の温度粋の基準を表記しているが、あまりアテにはならない。同じようなロフト(ふくらみ)であっても素材や縫製で相当違ってくる。
 とりあえずは、使う予定の温度域のもう一段階低いものを選んでおけば間違いない。暑いときにはサイドジッパーでいくらでも調整できるからだ。どうにも不安だったり、人一倍寒がりならもう一段階低い温度域でもいいだろう。
 
 冷え性だからといって、サイドジッパーのない、袋状のシュラフは絶対に避けるべきである。たしかに、寒いときはジッパーの部分から寒気が忍び込んでくるような気がするかもしれないが、もし、そんな時期にもキャンプをやるつもりなら、シュラフカバーを使うことでジッパーからの寒気の侵入は簡単に防ぐことができる。
 同じ秋、あるいは春でも、その時期や天候によって温度は大きく変わってくる。冬の寒さにさらされるときもあれば夏の名残りに悩まされることもある。それに対応してくれるのがサイドジッパーである。
 暑ければ、ジッパーの開閉で調整する。足元を少し開けてちょうどいいとき、全開にしてちょうどいいときなど、ジッパーの開きかげんでその季節、その日、その時間帯にあわせたシュラフになってくれる。
 袋状のシュラフは厳冬期の山岳高所のような極限でこそその能力が発揮される。普通のキャンプで使ったら、暑くて茹で上がり、脱いで寝たら明け方に冷え込んで風邪をひいたなんて笑うに笑えないことにもなりかねない。
 普通のキャンプでは汎用性がないし、着脱も面倒。バーゲンで安かったからと飛びつくと高い買物になる。初心者が陥りやすい失敗である。
 
 ジッパーの有効性は以上のとおりだが、さて、右にするか左にするかという問題が残る。これはお好みだが、原則として、右利きの人はシュラフにくるまったときに左にジッパーがくるほうが楽だとされている。右手で開くときに左側に手を伸ばしたほうが操作が容易だからである。とはいえ、自分が使いやすいほうを選べばいい。
 ぼくの利き手は右だが、持っているシュラフの大半が右ジッパーである。理由は簡単、バーゲン品が多いから選択の余地がなかったことと、右でも左でも使い勝手にそれほど差を感じていないからである。
 
 よく、同じ製品の左ジッパーと右ジッパー2枚を買い、つなげてダブルベッドのごとく使えると自慢する人を見受けるが、聞くだけで顔が赤らむ。よせばいいのに、メーカーも宣伝に使っている。
 いろいろな意味で、ラブラブでいるのは家のだけにしておいたほうがいいだろう。フィールドでは、安眠、熟睡がどれだけ大切か、少し経験すればわかってくる。
 ふたりで抱き合わないと眠れないという色情狂カップルはともかく、2枚つなげたシュラフなんて、想像するだに地獄の寝心地としかぼくには思えないからである。

<写真>
 古いシュラフだけを並べてみた。
 左からドイツ・サレワ社のスリーシーズン用でフィル(詰め物)はグースダウン、中央がモンベルでフィルはダクロンホロフィルⅡ、右もダクロンでICI石井スポーツのオリジナル。いずれも30年近いつきあいになるシュラフたちである。

 モンベルはすでに退役しているけど、処分するのが忍びなくて、家で仮眠するときなどに使っている。
 石井スポーツのヤツはかなり酷使したのと、専用スタッフバッグに入れたままクルマのトランクに常備していたため、数年で劇的にヘタってしまった。フィルにポリエステルを使っているシュラフの耐用年数は5年が目安だそうだ。同じポリエステルでもダクロンは中空繊維素材だからさらに耐用年数が短いといわれていた。そういう意味では寿命をまっとうしたわけである。

 サレワ社のはまだまだ現役を張れる。だが、このシュラフに適した季節だと雨が多く、ここには並べていないが、フィルに化学繊維を使ったシュラフの出番が多くなる。さらに、もう少し保温力のあるダウンのシュラフを導入してしまったために、サレワはいつも予備役にまわったままでいる。

シュラフをあなどると……

2006-10-02 21:47:09 | Weblog
 アウトドアでの生活を快適なものにできるかどうかの鍵を握っている大切なアイテムがシュラフ(スリーピングバッグ)だとぼくは思うのだが、キャンプ場を使ってアウトドアライフを楽しむ方々がお使いのシュラフを見るにつけ、その多くがかなり無神経で驚かされる。
 
 あれはたしかまだ紅葉を楽しむには早い秋、標高600メートルほどに位置するキャンプ場でのことだった。
 その朝、それなりの冷え込みがあった。ぼくは、いつものように、夜明けとともにテントの外へ出た。太陽はまだ山のはるか向こうにあって、空はまだすっかり明け切っているとはいえなかったが、どうやらきょうも快晴のようである。キャンプ場全体を靄がうっすらと包んでいた。
 頬にあたる冷気がなんとも心地いい。焚火が美味しい十分な冷え込みである。シャツはコットンながら、上にダウンベストを着てマウンテンパーカーをはおっているからこの時季ならちょうどいい。

 ふくらんだ膀胱を空にすると、一緒に体温を奪われた身体にゾクッと軽い寒気が走る。はやる気持ちをおさえながら焚火のしたくにかかった。夜明けの焚火がやりたくて、ぼくはキャンプに出かけてくるのである。薪の準備は前の晩にすませてあるし、ガソリンを少し使う強引な着火法なので、一気に炎が上がる。たちまち顔や手が熱くなり、身体に生気がみなぎっていく。まさに至福のひとときである。
 
 焚火に当たっているぼくの背に、靄の向こうからただならぬ気配が伝わってきた。振り向くと、そこかしこのテントの前、あるいはタープの下で、椅子に座り、シュラフを身体に巻きつけてうずくまる人たちがいた。ただならぬ気配の正体は彼らからの射すような視線だった。
 彼らはぼくがテントから出るよりも先にそこにいた。おそらく寒くて眠れず、夜明けとともにテントから逃げ出してきたのだろう。地面からの冷え込みにやられたのか、それとも降るような寒気に眠りを奪われたのか……。

 両方だったのかもしれない。
 彼らがくるまるシュラフはどれもお粗末きわまりないシロモノだった。夏のキャンプだったら、場所によっては邪魔でさえあったかもしれないが、秋や春のキャンプにはかなりつらい。地面からの冷え込みに対してもどれほどの認識をもち、どんな準備をして寝たのかおおよその想像がつく。
 寒さに耐えられずに目が覚め、寝ていられなくてテントから出てきても、焚火の準備なんかしていないから薄いシュラフにくるまってただ震えているしかなかったのだろう。彼らの何人かが、火に当たらせてほしいといってきた。もちろん、快く焚火を譲り、彼らに熱いコーヒーをご馳走するため、ピークワンストーブのポンピングをはじめた。
 
 翌年、学生時代からの友人ファミリーがキャンプデビューした。
 ちょうど、4WDがブームになったころで、それまでアウトドアになどまったく無関心だった男がガラにもなく本格的な4駆を買い、クルマを転がすだけでは飽き足りず、キャンプをやってみたいといい出したのである。当時、ぼくのまわりにはこういうにわかキャンパーがたくさん現れた。
 
 最初は体験キャンプということで、テントやシュラフ、食器類まで全部こちらで準備してやった。季節も初夏だった。彼らは着替えだけ持って、いかにも「どうだ、アウトドア!」といわんばかりのクルマで颯爽とキャンプ場へくるだけでよかった。
 次の体験キャンプが梅雨明けと同時、学校が夏休みに突入した直後だった。やってきた彼らのウェアがすっかりアウトドアの装いになっていた。
 3回目は彼の希望で8月最後の週末をからめてのキャンプだった。驚いたことに、クルマの荷台には新品のキャンプ道具が一式積まれていた。その装備たるや、当時のアウトドア雑誌の「オートキャンプ大全」なんていう特集のグラフから抜け出てきたような品揃えだった。
 「すげえなぁ……」
 そういって、ぼくは言葉を呑んだ。
 
 4回目は10月の朝霧高原だった。
 いくら朝霧高原程度とはいえ、彼らが持っていた夏用シュラフでは耐えられまいと判断し、こちらもそれなりのシュラフを用意していった。だが、彼らはぼくの言葉に耳を貸さず、自分たちのシュラフで寝ると譲らなかった。初回と二度目で使ったぼくのシュラフは窮屈だから嫌だというのである。
 なるほど、彼らのシュラフは封筒型、ぼくのシュラフは人形型だった。慣れないと人形型は窮屈と感じるだろう。慣れたらこの窮屈さまで快適に感じるのだが……。
 
 翌朝、ぼくの焚火を憔悴しきった無言の友人ファミリーが囲んでいた。湯を沸かし、インスタントの味噌汁を作って飲ませ、また、パックご飯で熱々のお粥を作ってふるまった。
 やがて、太陽が昇るとともに気温が上がり、彼らはまた自分たちのテントに戻ってようやくつかの間の安眠を得ることができた。
 
 この日を境に彼らがキャンプに出かけることは二度となかった。

8R追想

2006-09-28 22:34:52 | Weblog
 なぜ、8Rなのかと訊かれて、いつも返答に窮した。
 このオプティマス8Rを買った当時、ガソリンストーブは圧倒的にスベア123が人気だった。理由は簡単、バックパッキングのバイブルたる『遊歩大全』(The New Complete Walker)の著者コリン・フレッチャーや、翻訳者の故・芦沢一洋氏からの影響である。
 『遊歩大全』に2年先立つ1976年に刊行された芦沢氏の『バックパッキング入門』でも、「ホワイトガス・ストーブ」の項では、スベア123が主役に据えられている。ほかのバックパッキング関連の書籍でも、123がことごとくホワイトガソリンストーブの代名詞の感がある。
 
 70年代半ば、バックパッキングの潮流に呑み込まれ――それはかなり重症の熱病にも等しかった――ひたすら目新しく、宝石のような道具たちの収集がはじまったとき、何よりもほしかったのがコンパクトなガソリンストーブだった。
 最初の1台を8Rにしたのは、マスコミや世間があまりにもスベア123一色だったので、自分もそれに染まるのがちょっと気恥ずかしかったからであり、ちょっと外してみたいという生来の目立ちたがり屋のせいでもあったのではないかと、いまにして思う。
 
 むろん、8Rは天地が正方形の立方体だからバックパックへの納まりがいいという利点もある。ナベを置いたときの安定性についてもスベア123よりすぐれているはずとの計算もあったろう。とはいえ、8Rも123も、ストーブとしての基本的な原理は同じである。使う前にプレヒート(予熱)という儀式が必要なのも共通している。性能だって大差ないだろう。
 そうしてみると、やっぱり、他人があまり持っていないのを持ちたかったというのがいちばんの理由だったのかもしれない。
 
 8Rを手にしたときから、ぼくの野遊びのスタイルは一変した。
 それまでは、料理のみならずお湯を沸かすのも焚火一辺倒といってもいいようなものだった。もしものときのためにアルコールをゼリー状にした缶入り燃料を持参してはいたが、ほとんど使ったことがない。少々の雨でも焚火ができるように腕を磨いていたし、とてもじゃないけど火はおこせないような雨風になったら、乾パンと水で空腹をしのぎ、さっさと撤収していた。
 たとえ、牛缶のような高級缶詰(?)を開けても冷たい食事に変わりはない。そうなると、シャバのぬくもりがたまらなく恋しくなるからさっさと山を下りた。

 8Rというガソリンストーブのおかげで、食事が天候に左右されなくなった。
 最初のころは、持参する食料もガラリと変わった。バックパッキングにかぶれて、短期間ではあったがフリーズドライフードがメニューの中心になった。とにかく、お湯があれば簡単に作れるというのだから夢のようである。
 ただ、どれも実に高価だった。どれもひどくまずかった。軽い、かさばらないというだけの代物だった。「○○○は食えるぜ」とか「×××はうまかった」という仲間たちの情報を頼りに野遊びに持ち出してみたが、すべてガセだった。アメリカ軍の放出品の携行食(コンバットレーション)よりましかなという程度の味だった。
 ぼくの場合、長いトレイルを歩くバックパッキングはほとんどやっていない。大半がショートアプローチでのキャンプである。わざわざ高価でまずいフリーズドライフードを食べる理由がなかった。

 雨が降らなければ薪を集め、焚火で簡単な食事を作り、暖をとるスタイルに戻ったが、朝や昼の食事も8Rで作る場面が多くなった。プレヒートという儀式があっても、やはり焚火よりもすばやく熱源が得られ、また、ムラのない火加減で調理ができるのが魅力だったからである。
 ガソリンストーブ以前の野遊び食がどんなものだったのか、あまり記憶していない。焼き物が多かったような気がする。いつごろからだか、アルミホイールが一般化して、やたらに包み焼きをやっていた時期があった。なんでもかんでもホイールに包み、焚火のそばで焼いた。直接焼くよりも数段上品な料理に思えたものだった。
 8Rが加わったことで、煮る、炒めるといった料理らしい料理が増えた。だが、コンパクトさこそが8Rや123の特長である。ひとりあるいはふたりで使う分にはちょうどいいが、たとえば、一度に数人分のシチューを煮込んだり、フライパンで焼きそばを炒めるとなると役不足になる。
 それでも強引に、まるで家庭のガス台を使うようにして調理をすると、燃料タンクはすぐ空になる。高価なホワイトガソリンがいくらあっても足りなかった。やっぱり焚火も調理の大切な熱源だった。
  
 8Rは燃料タンクとバーナー部分が分離し、四角いフタつきのスチールボックスに横に並んでおさめられている。燃料タンクのすぐ横にバーナーヘッドがあるから、タンクにつけられた遮熱板によって燃料の温度上昇を防ぐ設計である。
 それだけに、タンクを覆うようなナベの使用は危険きわまりない。輻射熱で燃料の温度が上がると、タンクの内気圧が上昇して圧力解放バルブが開く。噴射したガスにバーナーから引火すればストーブは火だるまになるし、周囲への被害の深刻さがどんなものか想像に難くない。

 実際にそんな事故が起こったという話を仲間から聞かされるやいなや、そそくさと新大久保のICI石井スポーツに出かけていき、スベア123を買った。燃料タンクがバーナーの横に配置されている8Rと違い、123は燃料タンクの上にバーナーを配置したアップライト型である。大きいナベを使うには、123のほうが安全だろうというのが買った理由だが、本当のところはスベア123もほしかったからにほかならない。
 丸い構造だから、8Rよりもナベの座りが悪いし、背が高い分不安定である。たしかに輻射熱の影響は8Rよりも少ないだろうが、それとてもどれほどのものか……。
 
 燃焼音のすごさはどちらも大差ない。それが静まり返ったフィールドでは何倍にも増幅されて感じられる。それが心強く思えるときもあれば、耐え難いノイズに思えることもあった。使い終わり、バルブを閉じたあとに突然戻ってくる静寂と闇が、そのときどきの自分のコンディションによって心にしみ入る色合いも違った。
 
 8Rを持っていたために危機をすんでのところで回避できたささやかな事件もあった。このときばかりは、野遊びの道具はカネに糸目をつけちゃならないとしみじみ思ったものだった。
 ほどなく、ストーブはコールマンのピークワンに、さらに、コンパクトタイプとはいえ、やはりコールマンのツーバーナーへとスケールアップしていく。すでにガソリンストーブの持つ魔力の虜になっていた。
 
 いくつもの思い出を秘めてひっそりと出番を待ち続けている8Rをバックパックに入れて、若い日に通ったせせらぎのほとりへと出かけてみたいのはやまやまだが、果たして、その場所がいまもあるのかどうか……。喪失感に打ちのめされて帰ってくるのは、もう真っ平である。

 傷だらけの8Rを手にするたびに、なつかしさとあきらめと、過ぎていった時間の重さを噛みしめる。

飯盒で炊く飯

2006-09-23 22:09:49 | Weblog
 キャンプといえば飯盒がセットになっていた時代があった。
 セットというのは象徴という意味であり、むろん、テントがもうひとつの象徴だった。テントを張って焚火をおこし、その火で飯盒炊爨(すいさん)をする――それがキャンプのイメージだった。飯盒は「兵式飯盒」であり、テントはオレンジ色あるいはダークグリーン色の家型である。
 
 この組み合わせの大敵は雨だった。少々の雨でも火がおこせるように真剣に腕を磨いた。それができないと非常食の乾パンをかじって飢えをしのがなくてはならなかった。テントにはフライがないから、雨の日、テントに触れるのはタブーである。触ると、そこから雨漏りがはじまる。テントはおまけにグランドシートが一体化になっていないから雨水が床から浸水してくることもしばしばだった。そのためにテントを設営すると、雨に備えてテントのまわりに溝を掘るのが常識だった。
 まだ、ローインパクトなどという言葉はおろか、概念もなかった。直火による焚火にしろ、テントまわりの溝掘りにしろ、いまからみるとやりたい放題だった。
 
 大学の山岳部などはケロシン(灯油)を燃料とするラジュース(マナスル)など、炊事用のストーブを背負って繰り出していたが、個人レベルとなると炊事は焚火でおこなうのが当然だった。コッヘルなんて高価なものは高嶺の花だから炊具の主役は飯盒である。各自1個ずつ持ち寄り、ひとつは飯を炊き、あとので味噌汁とかカレー、シチューなどを作った。1個しかなければおかずは缶詰ということになる。
 わが家には飯盒が2個用意してあって、家族でのキャンプにはそれを持っていった。
 
 写真の飯盒は、当時、中学生だったせがれが使うために買った「兵式飯盒」である。当時から、ぼくはこれより小ぶりで弁当箱のような旧軍隊でいうところの将校用飯盒を使っていた。コッヘルはすでに持っていたが、焚火にはやっぱり飯盒が似合っていた。
 これらの飯盒を使って数え切れないほどの飯盒炊爨(すいさん)をした――といいたいところだが、実はそれほど使っていない。買ってほどなく、バックパッキングの潮流とともにガソリンストーブがぼくの野遊びの友に加わったからである。
 しかも、時代は自然へのローインパクトを尊重する風潮が強まり、やたら焚火をおこなうのがはばかられる世の中になっていた。
 
 オプティマス8Rであれ、スベア123であれ、コンパクトなガソリンストーブに飯盒はきわめて座りがわるい。しかも、登山用品店の棚にはこうしたストーブにフィットするコッヘルがたくさん並ぶようになった。イギリス製、ホットン社のビリーポットもそうしたナベのひとつだった。
 長年、飯盒で飯を炊きつづけてきたベテランたちが「ビリーポットやメスキットで生米を炊くのはまず不可能だ」などと断言するコメントを、雑誌などでときおり見かけたが、これは飯盒へのヒイキの引き倒しでしかない。メスキットで飯を炊いたことはないが、ガソリンストーブを使ったビリーポットでの炊爨はそれほど難しくはない。
 火から下ろすタイミングや火力の微調整さえ飲み込めば、焚火を使った飯盒炊爨のときと同じようなうまい飯が炊ける。ストーブの機種によっては火力の調整がきかないものもあるが、工夫次第でどうにでもなる。
 かくして、ぼくの飯炊きの主役はビリーポットやシグのスコーケトルへと推移していった。
 
 ときたま、直火が許されるキャンプ場を使うときだけ、同行させていた飯盒が晴れて復活したのは、家内がぼくの野遊びについてくるようになってからだった。
 キャンプ本来の伝統的な楽しさを味わってほしかったので、焚火がぼくらのキャンプの条件になった。ちょうど、アウトドアのブームが忍び寄ってきたころで、ディスカウントショップへいけば安価なバーベキュー用のコンロがいくらでも並んでいた。行動の足はクルマになっていたから、かさばるのさえ妥協すれば、重いスチールのコンロも苦にならない。
 おかげで直火で迷惑をかけたり、アホのような大きな焚火でヒンシュクを買うこともなく、つつましい火で炊事をおこない、さらにその火で暖をとり、あるいはコーヒーを沸かしながら森の夜を演出することができた。
 やがて、焚火専用のかなり完成された道具も現れ、値は張るがコンパクトに折りたためるのですぐに飛びついた。 
 
 焚火なら飯炊きはやっぱり飯盒である。飯盒を使って焚火で炊く飯は、ストーブを使ったときにくらべてダイナミックだから楽でいい。炎を飯盒にまんべんなくまわすことができるし、炊きあがったら火を落としてじっくり蒸らすことも可能である。
 いま、ぼくは3種類の飯盒を使い分けている。家内とふたりなら2合炊きの将校用飯盒を、もうひとりくらい増えたら兵式飯ごうを、4~5人なら5合炊きの円筒形の飯盒を持参する。
 4合炊ける飯盒でも2合くらいしか炊かない。5合炊きでもせいぜい3合程度でとどめる。釜で炊く飯も同じだが、飯盒のキャパめいっぱいの量を炊かないほうがいい。量によっては火を落とすタイミングを見極めるのにちょとばかり年季がいるが、飯盒に余裕をもたせて炊いた飯のほうがやっぱり美味しい。
 
 飯盒炊爨については、人それぞれにさまざまなスキルをお持ちだろうが、ぼくなりの飯炊きのテクニックについてもおいおいこの雑記帳に書きとめていきたいと思っている。

小さな調理台&食卓

2006-09-18 13:03:46 | Weblog
 これを教えてくれたのは田渕義雄さんだった。
 「ベニアの調理台 これは1人ででかけるときにもいつでも持ち歩いているベニアの小さな調理台。スベア123は縦長なので、ストーブの座りがよくない。つまらないもののようだが、このベニアの調理台の威力はすごいのである。写真のものは26×14cmで70㎏。この調理台は、もちろん食事のときにはかわいいテーブルになるのであります」
 そんなキャプションがついて、スベア123のストーブを乗せた1枚のベニヤ板の写真が紹介されている。
 
 写真が掲載されているのは、シェリダン・アンダーソン氏と田渕氏の共著になる『メイベル男爵のバックパッキング教書』(晶文社)。
 引用した一節(P.183)を読むやいなや、ぼくはすぐにホームセンターに走り、カットしてあるベニヤ板を見つけて買ってきた。30×22.5㎝(厚みは4mm)だから、ほぼA4判に近い。田渕さん愛用のボードよりはかなり大きいが、ぼくにはちょうどいい大きさに思えた。
 
 このボードがどれだけ便利かは使ってみてはじめてわかる。
 まな板になる。ストーブを安定させる調理台になる。テントの中でストーブを使うとき、グランドシートへの熱を遮断できる。ナベ敷きになる。最後は食卓になる。ほかにも、焚火のうちわ代わりになるなど、ソロでバックパッキングスタイルの野遊びをやろうとするときの必需品になった。
 
 一度使ってその威力を知ると、ぼくはすぐに数枚の同じボードを買い足した。グループキャンプでもなにかと重宝すると悟ったからである。なによりも、焚火の煤で汚れたナベを食卓に上げるときのナベ敷きとして活躍してくれた。
 『メイベル男爵の――』の奥付を見ると1982年に初版が出ている。ぼくのベニヤ板は、実に24年間活躍をしてきてくれた計算になる。ときどき洗ってはいるが、とても四半世紀を酷使されてきたような肌の色艶ではない。ぼくが現役の野遊び人でいる間は、まちがいなくベストパートナーでいてくれるだろう。
 
 さて、『メイベル男爵のバックパッキング教書』(原題『Baron Von Mabe.'s BackPacking』1980年初出)だが、フライフィッシャーマンでありバックパッカーのシェリダン・アンダーソン氏はすでに故人である。その訃報を受け取ったときの田渕氏の悲しみを、たしか、いまはなき雑誌『OUTDOOR EQUIPMENT』で読んだ。
 本書は、メイベル男爵のマンガイラスト入りの、バックパッキングのためのテキストであるが、「男爵のご親友であるヨシオの脚注」がこれまた素晴らしい。こちらのほうがページ数も多いし、“田渕義雄のエッセンス”のすべてが惜しげもなく詰め込まれている。
 うしろの見返し(表紙の裏側の見開き部分)にある男爵の装備のチェックリストもおおいに参考になる。

 1ページずつがきわめて濃密である。何度繰り返して読んだことだろう。
 台風に閉じ込められて野遊びに出かけられなくなったきょうのような日には、もう一度、スミからスミまで読んで、次の野遊びに備える絶好のテキストである。

スイスアーミーナイフからツールナイフへ

2006-09-12 23:35:13 | Weblog
 先週末、売れっ子の漫画家がナイフの不法所持で現行犯逮捕されたとの“事件”をポータルサイトのニュースで読んだとき、まず頭に浮かんだのは、「で、ビクトリノックス? それともウェンガー?」という疑問だった。
 いうまでもなく、ビクトリノックスとウェンガーはスイスアーミーナイフの二大メーカーである。“事件”自体がバカバカしくてそんな感想くらいしかなかった。
  
 この国は権力も民衆もナイフに対して潜在的に異常なまでの怖れを示す。今回の逮捕劇の主役となったスイスアーミーナイフなど、たかが刃渡り10センチ足らず(報道によると8.6センチ)のおもちゃのようなナイフである。家庭の台所にある包丁のほうが武器としての有効性ははるかに高い。
 それでもナイフというと大騒ぎをするのは、権力が民衆の武装を極端に怖れるからだろう。秀吉の刀狩り(1599年)以来の伝統であると同時に、男の本能が失われつつある国らしい現象だ。 
 
 現実には、法律(銃刀法)で、業務その他正当な理由による場合を除いて刃渡り6センチメートルを越える刃物の携帯が禁じられている。刃渡り8.6センチメートルを携帯した“正当な理由”を警察官に納得させられないとなると、売れっ子漫画家さんが「御用!」を食らってもしかたあるまい。運がなかった。
 以前、キーホルダーに「クラシック」という、全体で6センチに満たない小さなスイスアーミーナイフをつけていた時期があった。ナイフと爪ヤスリ、ハサミ、ツースピック(楊枝)、ピンセット(刺抜き)しかないが、何かとしごく便利だった。まわりの仲間もあいついで真似をした。
 だが、そのひとりがパクられた。銃刀法ではなく、軽犯罪法で挙げられたのである。
  
 たとえ、6センチメートル以下でも、軽犯罪法ならリッパに引っかかるというのをはじめて知った。ナイフの寸法に関係なく、やっぱり“正当な理由”なくして携行すると犯罪になる。
 それを知ってから「クラシック」はキーホルダーから外し、通勤に使うバッグにさえ入れていない。ぼくが正当と思う理由が世間では非常識になることくらいよくわかっているから抵抗する気はさらさらない。法律がナンセンスだと嘲笑してみても、これが日本という国の基準なら従うしかない。
  
 でも、あえていう。スイスアーミーナイフは、さまざまな便利ツールにナイフのブレード(刃)が含まれているという程度の代物である。ブレードの品質は高いが、武器としては物足りない。
 スイスアーミーナイフという小道具には、むろん、物を“切る”というナイフ本来の機能も求められるが、あくまでもそれ以外のハサミ、ドライバー、缶切り、栓抜き、ドライバーなどのコンパクトな工具類が魅力なのであって、ナイフのブレードはそれらと同列に位置する。
 これらのかわいい工具類は、シビアな作業に対してだと限界があるだろうが、キャンプをはじめアウトドアなどの非日常の状況下ではなにかと重宝する。それと、アウトドアにかぎらず、一般の旅のお供にちょうどいい。
 
 単身出張のパリで、帰国を翌日に控えた日の昼、たまたま荷物を置きに戻ったホテルの部屋でギックリ腰になってしまったことがある。取引先に電話をして、その日の午後から夜にかけてのミーティングを全部キャンセルし、ホテルのフロント経由で医者の往診を依頼した。そのあと、ぼくがやったのは帰国のための荷造りだった。
 痛みをこらえてクローゼットに掛けたスーツやコートを床に放り出し、ワードローブの中から下着やらワイシャツ類を取り出し、翌日に使うための必要最小限を残してスーツケースに詰め込んだ。こんな作業は意地でも他人にやってもらいたくない。
 ほかにも書類やら商品見本などを持ち帰るもの、航空便で送るものと分けて荷造りをした。包装紙は持参した社用の大型の封筒をばらし、クラフトテープで作った。それらを縛ったのは非常用に携帯していたパラシュートコードだった。床を這いまわり、寝転がりながら、スイスアーミーナイフを使ってこれらの作業をこなした。
 戦場で傷つき、動けなくなった兵士が、身を隠すシェルターを作るような心境だった。常々、本物のナイフはこんなヤワなもんじゃないとスイスアーミーナイフを侮っていたが、あのときは切れ味のいい薄いブレードがなんとも頼もしかった。
 
 ただ、いまならぼくはスイスアーミーナイフではなくてレザーマンのツールナイフを持っていく。ツールナイフの出現でラジオペンチの携行が不要になった。
 ぼくがもっているツールナイフはレザーマンのシリーズのいちばん最初のバージョンだからまだまだ完成度が低い。
 ときどき、2本目をどれにしようかと、ほかのメーカーのものも含めてカタログを眺めたり、ショップで実物を見ながら検討しているが、このところ、海外出張は若い人たちにお任せしているのでなかなか買う理由が見つからない。かといって、実際のキャンプでは専用のナイフやプライヤーがあるからツールナイフ自体の出番がさっぱりない。
 
 本当は災害などに備えてクルマのグローブボックスやコンソールボックスにツールナイフを放り込んでおきたいのだが、刃渡りが6センチを越えると、「銃刀法違反なのだ! 逮捕なのだ!」と職務に忠実なおまわりさんにインネンをつけられてしょっ引かれる可能性がある。

 災害など、いざというときに頼れそうな小道具なだけに悩みどころである。


<参考>
「銃砲刀剣類所持等取締法」
第22条 何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計った刃体の長さが6センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。(以下略)

「軽犯罪法」
第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
1.(略)
2.正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者(以下略)

スクリーンタープというすぐれもの

2006-09-07 23:30:32 | Weblog
 わが忘年の友にして、野宿の鉄人たるムッシュ・モルドが、最近、スクリーンタープに関心を示した。
 
 あらためて眺めてみると、スクリーンタープはこの10年の日本のキャンプシーンのヒット商品の最右翼に位置する道具である。雨が多く、湿潤な気候の日本に願ってもないソフトシェルターである。また、積雪さえ避ければ厳冬期のキャンプをかなり快適に保ってくれるのがなによりもうれしい。
 
 スクリーンタープの前身はメッシュタープと位置づけて差し支えあるまい。
 キャンプがブームになり、それまであまり野外と接点を持たなかった人々までが擬似アウトドアライフとはいえ、大挙してキャンプ場に繰り出してきた。彼らが求めたのは野外でも快適な環境だった。トイレは水洗、風呂があればそれに越したことはないが、せめてシャワーだけでもほしい。欲をいえば温泉に入りたい。洗濯機や乾燥機もあればいい。場内は整然と区画されていて、愛車を駐車しておくことができるスペースに隣接して生活できるキャンプ場だった。
 そうしたキャンプ場がたちまち人気を呼び、「高規格」という冠を戴くことになる。旧来の素朴なキャンプ場もそんな新興の客におもねて設備の充実に血道を上げた。
 
 だが、キャンプ場側がどうにもならないことがいくつかあった。そのひとつが夏の虫である。
 ハイシーズンのキャンプ場はキャンパーたちが競うようにして持ち込んだランタンで凶々しいまでの明るさである。擬似アウトドアとはいっても、やっぱり自然豊かな屋外だから、当然、蛾をはじめさまざまな虫が光に集まってくる。
 いや、すでに夕方、吸血昆虫が跋扈していた。虫たちの怖さどころか存在さえ知らないのか、夏の宵、半パンツにTシャツ姿でいれば、「さあ、血を吸ってください」といわんばかりで格好の餌食になる。
 
 ゴールデンウィークに連れて行ってもらったキャンプでハマり、6月のボーナスをはたいてテント、タープをはじめとする装備一式を整え、勇躍、夏のキャンプに出かけたものの、アブやブヨ、ヌカカなどにボコボコにされて意気消沈、すっかりやる気をなくした家族を何組か知っている。
 ちょうどそんなころだった。虫除けネットつきのタープが発売された。これはけっこうウケた。メーカーによっては従来の自社のタープに接続させるメッシュテントを開発、売り出したりもした。

 なるほど、“キャンプは夏の遊び”と心得る人々、あるいは、虫が怖かったり、虫の備えを知らない人々には願ってもない商品だった。発想は、おそらく蚊帳からきているのだろう。
 たったひとつの誤算は、蚊帳は畳の上に張るが、この屋外用蚊帳は当然、地面の上に張る。あるいは草地の上に張る。そこは虫たちの住処(すみか)であり、場合によっては、逃げ場を失ったおびただしい虫たちとひとつ部屋で何日間かをともに暮すことになる。
 虫たちのなかに吸血昆虫がいなければいいのだが、ヌカカのような凶悪なヤツを取り込んでしまったひには目も当てられない惨劇となる。
 
 それはさておき、メッシュの上に開閉可能なシートがつくのにさほど時間を要しなかった。
 たいていの製品が、きわめてシンプルな構造だった。とはいえ、初期の製品には重いスチールのフレームを採用したり、あるいは自立できない設計のため、初心者だとひとりで設営できないどころかバランスよく建てることさえ困難なものもあった。
 そんな試行錯誤の末、軽量で、そこそこに堅牢、設営の容易なスクリーンタープがいくつもショップに並んだ。それまで普及していた一枚布のタープのような開放感がないと批判する人がいたけど、ウォールが目隠しになるからプライバシーが保てるという見方もできる。開放感を問題にするなら、天気のいい日は一枚布のタープを張るより、蒼穹の下、なにもないのがいちばん開放感を得ることができる。
  
 このソフトシェルターは寒い時期のキャンプを格段に快適にしてくれた。
 それ以前だと、焚き火だけが頼りだった。火持ちのよさそうな薪をたっぷり用意して、しかし、薪を無駄にしないよう火力を調整しながら夜を過ごした。身体の前面は熱いほどでも背中には氷を背負っているように冷たい。そこで火に背中を向ける。背中が温まるころには顔を含めて身体の前のほうが冷たくなる……そんな繰り返しだった。
 
 だが、スクリーンタープだと内部にガソリンあるいはガスのランタン1個灯しておくだけでもかなり暖かい。床がない構造上、適度に換気できるから酸欠になる心配もない。床がない分、厳冬期、地面からの冷えはバカにならない。これを遮断するには段ボールを敷き詰めればいい。
 むろん、厳冬期だから、足元のこしらえから着衣にいたるまで、それなりの装備をしているのが前提にはなるけれど……。
  
 わが畏友ムッシュ・モルドがイメージするのは、このソフトシェルターを根城にしての野宿三昧らしい。このセンスのいい盟友の頭の中にあるイメージは、ぼくの想像をはるかに越える生活ぶりだろう。ぜひとものぞいてみたいものである。
 この鉄人なら、スクリーンタープに呑み込まれて軟弱になるといったぼくのような愚を犯すはずがない。

<追記>
 この稿を書き上げ、アップしたあと、ムッシュ・モルドが自らがトピ主をつとめる掲示板で、自分にとってスクリーンタープはモンゴルのゲルである旨の発言をしているのを見つけた。簡潔に明快、それ以上の説明はいらない。

 モルド大兄、お気に入りのソフトシェルターにめぐりあえるのを祈ってます。

ようやく知った夏キャンプの快感

2006-08-29 22:21:02 | Weblog
 この数年こそ、ときたま真夏にもキャンプに出かけるようになったが、それ以前だと、真夏は野遊びから遠ざかっていた。
 まず、どこへいっても暑い。朝夕は別にして日中は原則として暑い。夏だから当然だけど、涼を求めて野山に繰り出したのに熱中症と隣り合わせじゃ腹が立つ。
 また、夏は暑いだけじゃなく、天候も安定しない。若いころに出かけた日光の山中では、毎日ほぼ決まった時間になるとそれまでのピーカンが嘘のように一転にわかに掻き曇り、雷光が乱舞する激しい夕立に見舞われたものである。いまでもときどき利用する八ヶ岳の北麓にあるキャンプ場の真夏は終日、東の方角から遠雷が聞こえ、夜ともなるとときおり同じ方面の空を雷光が跳梁する。
 
 いまでこそ雷の避難場所として最適なクルマが身近にある野遊びになってしまったから雷雨であわてることもなくなったが、身ひとつで装備を背負ってフィールドに通っていたころには深刻だった。もちろん、いまでも、トレッキングに出かけたりするときには、もし、雷雨に遭遇したらどうするかを想定しておく必要がある。
  
 フィールドは害虫や害獣のテリトリーである。夏は彼らとの遭遇が跳ね上がる。とりわけ獰猛な吸血昆虫たちが跋扈(ばっこ)する季節である。
 吸血昆虫でなくても、とにかく虫が多い。どんな小さな灯であっても虫は確実に集まってくる。キャンプ用のランタンを使えばなおさらだし、ちょっと油断をすると飲み物や食べ物のなかへ飛び込んでくる。

 吸血昆虫以上に性悪な生きものも大挙してフィールドに押し寄せてくる。いわく人間という獰猛きわまりない生きものだ。子供たちは興奮して昼夜を問わず騒ぎ、大人たちも宴会キャンプで傍若無人のていたらく。親も子も締めくくりは花火でさらに興奮し、恬として恥じないのだから夏の日本のいちばんの害獣といえよう。 
 ほかにも夏の野遊びがうんざりする理由はまだまだあるが、愚痴になるからやめておく。
 
 25日から標高1400メートルの群馬県嬬恋村の鹿沢高原へキャンプへいってきた。顔ぶれはこの2年余り毎月キャンプにおつきあいいただいているMご夫妻とわが夫婦の4人。去年の同じころ、このキャンプ場へ案内してくれたのもMさんだった。
 着いた日、設営をはじめると空模様が怪しくなり、超特急でテントとスクリーンタープを張り終えた。Mさんもほぼ同時に設営完了。と、雨……。
 それから3泊は霧のなかで過ごすことになる。霧というより雲のなかだったのかもしれない。木々はしっとりと濡れて雫(しずく)を落とした。あたりにたちこめる水の細かい粒子が、ときおり、雨のように舞ってテントもタープも乾く暇がなかった。
 
 おかげで日中でも気温が20℃を越えない。せいぜい18℃止まりで、夜になるとさらにぐっと冷え込む。常に霧のなかにいながら空気は乾いているからそれほど不快を感じることがない。テントの外側はびしょ濡れでも、テントの内部は意外なほど快適だった。
 下界の様子はわからないが、天気がよくないから動こうという気になれない。今回はひとりでトレッキングをするつもりで仕度をしていったが、装備はクルマに積みっぱなしで帰ってきた。久しぶりなので非常食も本格的なヤツを準備したというのに……。
 それぞれに事情があって、M氏もぼくもたまたま小さいノートパソコンを持ち込んだが、当初の目的を果たすとふたりともそれっきり。やっぱり、フィールドにモバイルオヤジは似合わない。けっきょく、昼寝をしたり、本を読んだり、キャンプ場のまわりを散歩したりと、大半の時間を思いおもいにのんびり過ごすことができた。
 
 ここで思わぬ快感に出逢う。森林浴という快感である。
 今回のキャンプ場は、細い渓を抱いたミズナラの林を中心に、シラカバ、ダケカンバ、アカマツ、などが混生するエリアにあった。その先にはカラマツの森が広がる。若いころからさんざん高原の森や林に通ってきたが、今回ほど森林浴効果を実感した記憶がない。
 森林浴のキモであるフィトンチッドが木々の葉や枝から放出されているのが目に見えるようにわかる。自然の恵みマイナスイオンもしかり。霧に閉じ込められてはじめてわかった森林浴効果だった。 
 このキャンプに出かける直前、左足を傷めてキャンプの実行そのものを危うくした犬も、11歳の高齢にもかかわらず傷めた足がたちまち快癒して、2日目の朝の散歩では走りだそうとするありさま。もう一匹の、6歳の犬を相手に暴れはじめるのを必死に止めなくてはならなかった。
 
 天気予報が前線の通過で雷雨があるかもしれないと告げていたのと、キャンプ中に会社では仕事上の面倒な案件がいくつか発生したというメールが飛び込んできて、4泊の予定を前倒しして3泊で切り上げた。
 撤収が終わると同時に太陽がのぞき、たちまちにして霧を蒸発させてしまった。濡れた高原に夏の活力がみなぎった。悔しいとは思わなかった。霧に閉じ込められたおかげで森林浴の素晴らしい快感と出逢えたのである。
 
 今朝、本来ならまだ1400メートル高地にいたはずなのに、出社と同時にフル回転してきょうという1日が終わった。すでにススキの白い穂が風にそよいでいたあの高原に満ちみちていたフィトンチッドとマイナスイオンを求めて、秋たけなわのころにもう一度出かけてみたいと痛切に思った。
 陽気は安定し、秋の涼味があふれ、吸血昆虫たちも鳴りをひそめ、何よりも、この世でもっとも凶暴な生きものの群れもない。あるのは静けさだけ。そんな高原へ……。

旅は地図とともに

2006-08-24 21:30:25 | Weblog
 明日からの野遊びに備えて、地図を買ってきた。国土地理院が出している二万五千分の一の地形図と登山者用のエリアマップである。
 野遊びに出かけるときは必ず二万五千分の一の地形図を持参する。運がよければ1枚ですむし、運がなければ4枚必要になる。運不運はそのときの遊び場が地図のどのあたりに記載されているかによって変わる。4枚必要になるときやその旅の行動予定によっては五万分の一も持っていく。
 
 地図を広げるのはテントサイトからトレッキングに出かけるとき、あるいは周囲の山々の名前を知りたいときなどである。地図をじっと眺めていると等高線がイメージ化してきて、だんだん地形がせり上がってくる。やがて、目の前にそびえる山の裏側の光景まで想像できる。これも野遊びの楽しみのひとつである。
 むろん、地図の記号だけですべてがわかるわけではない。渓流の規模も地図だけではわかりにくい。イワナやヤマメをあてにしていってみたら枯れ沢だったという経験も一度ならずある。針葉樹林帯でもスギの林とカラマツの林では様相がだいぶちがう。等高線がゆるいから道も歩きやすいかと思ったらガレ場のようなルートで往生したことがある。

 そこで国土地理院の地形図とは別にハイカーや登山者向けに出ているエリアマップも持参する。登山ルートや所要時間、水場、避難小屋、眺望のよしあしなど遊び場周辺の情報が記載されていて重宝する。
 エリアマップにもいちおう等高線は描かれているが、植生の様子をはじめ想像力を刺激してくれる記号などの記載がほとんどない。決して迷うことのない整備された登山道をひたすら山頂を目指す旅ならエリアマップだけで十分だろうが、山麓をぶらぶらしながら自然を楽しむトレッキングとなるとやはり地形図がほしくなる。
 お仕着せの登山道を避け、新たにルートファインディングを試みながらの山麓歩きとなるとやっぱり二万五千分の一が最強である。
 
 若いころは出かける前に地図に4cm間隔の磁北線を記入しながら地図を読んでいる時間がたまらなく楽しかった。磁北線を4cmずつ平行に引くとその間隔は二万五千分の一で1km、五万分の一で2kmということになり、大まかな距離を知ることができる。
 この磁北を割り出すためにもコンパスはシルバ(SILVA)のオリエンテーリング用が便利である。
 
 あらためて説明するまでもないだろうが、コンパスが指している北は真北(北極点方向)ではない。地磁気という磁場の影響でコンパスの指す北の方角にずれが生じる。日本では真北より少し西に傾く。これを計算に入れて方位を見る必要があるわけだ。
 たとえば、いま、手元にある二万五千分の一「嬬恋田代」には磁北が「偏西7°10′」と記載されている。つまり、コンパスが教えてくれる北は真北よりも西に7度10分傾いているということになる。
 
 ものの本には、山歩きの途中、コンパスで方位を確認し、あたりの風景と地図を見比べながら現在位置を確認する方法が解説されていて、それらを読むかぎり、いともたやすいように思いがちだが、実際にやってみるとなかなかどうしてそれほど容易ではない。書いている本人を連れていき、実際にやらせてみたいものである。
  
 最近はデイパックを背にテントサイトからトレッキングにでかけることもめっきりなくなったし、山の中でのキャンプが減ってしまったので地図を携帯してもマップケースに入れっぱなしで一度も出さずに帰ってくることのほうが多い。
 それでも地図とコンパスを持っていくのはいわば習性になっているからだろう。
 
 海外へ出かけるときもその都市(まち)の地図を持っていく。日本で発行された日本語版の地図である。そして、目的地の街へ着いて両替をすませ、ホテルにチェックインすると真っ先に現地版の詳細な地図を買いに出かける。
 観光名所をめぐるだけの旅なら日本語版で十分だが、ヨーロッパなどの街を歩く旅だと日本語版だけだと限界がある。路地などが大幅にカットされているからだ。
 そこで日本語版と現地版の地図を使い分ける。ちょうど、エリアマップと地形図の関係に似ている。
 
 自然にひたる旅であろうと、異邦の街をさすらう旅であっても、その旅が充実していたかどうかは使った地図を見れば一目瞭然である。さまざまな書き込みで地図が汚れている旅ほど思い出も多い。そんな地図はわずか2、3日使っただけなのによれよれになっている。
 またここへ戻ってきたときのために――との思いからの書き込みをするが、次に同じ場所へ行く機会があれば新しい地図も一緒に持っていく。しかし、古い地図を広げるのは稀(まれ)である。二度めだろうが、三度めだろうが、旅はたいてい新しい感動を与えてくれるからだ。
  
 マップケースに入れっぱなしの地図ばかりが増えてしまわないような、そんな野遊びの旅を再開したいと思う。とりあえず、明日の旅から……。

ぼくがトートバッグを買いあさるわけ

2006-08-16 22:07:15 | Weblog
 会社のデスクにトートバッグが1個届いていた。だいぶ前に企画書を持ち込んできた青年がブリーフケース代わりに持参していたのと同じ製品である。「在庫が切れていて、お送りするのが遅れましたことをお詫び申し上げます」と、丁寧な文面の送り状が添えられていた。 
 無心したわけではなく、そのデザインのよさをほめ、昔、L.L.Beanのトートバッグを買うか買うまいかで長い間悩んだ話を手短に語り、いまは選択肢が無数にあり、しかも安価でトートバッグが手に入るいい時代になったと感想を述べたまでである。「小社の製品をお褒めいただき」とあるから、褒め代として気を利かせて送ってきてくれたのだろう。
 
 トートバッグといえばL.L.Beanの製品しかなかった時代があった。かれこれ30年近く前、L.L.Beanというブランド自体、はじめて知ったころである。L.L.Beanの目玉商品は「メインハンティング・シューズ」だった。値段はたしか12000円くらい。銀座・数寄屋橋のソニープラザで手に入れた。
 このとき、もうひとつほしかったのが赤い手提げのついたトートバッグだった。値段は6000円余りだったと思う。迷いに、迷って、けっきょく、買うのを断念した。シューズのほうは実用品だから高価でも惜しくはないが、6000円もするトートバッグはゼイタク品でしかない。
 「でも、いいな。ほしいな」と懸想しつづけた。
 
 ある夏、当時のぼくらの野遊びのホームグランドだった本栖湖へ仲間のひとりが使い込んだL.L.Beanのトートバッグを持ち込んできた。「クルマで動くようになってから、ザックのなかの小物類をこのトートバッグに放り込んでくる」のだと彼はさりげなく説明した。
 「ちょうどいい大きさなんだよね。クルマのトランクにも収まりがいいしさ」
 それを聞いて、ますますほしくなった。しかし、ためらいつづけた。

 すでにICI石井スポーツで買った似て非なる安物のトートバッグを使ってがまんしていた。色も形も大きさも一見したところL.L.Beanに見えるけど、生地がまるでちがう。L.L.Beanは空のままでも型崩れなんかしないで自立しているほどしっかりしたキャンバス生地。じっさいに試したことはないが、水を入れて運べるというほど目が詰まった生地である。安物のほうは簡単にたたむことができた。

 けっきょく、ぼくがL.L.Beanのトートバッグを手に入れたのはそれから10年ばかりあとになってからだった。おりしもキャンプブームで、コールマン製品をはじめ、ありとあらゆるキャンプ道具が大量に、しかもリーズナブルな価格であふれはじめていた。
 あるショップのバーゲンの目玉商品でL.L.Beanのトートバッグが出てきた。定番の大きいほうのが3000円あまり、ミディアムの小さいほうは2000円台で買った記憶がある。バーゲンとはいえ、はじめて出逢ったときのおよそ半額になっていた。
 
 それからおよそ20年、いま、手元にあるトートバッグは、L.L.Beanが5個(大2小3)、Colemanの大きなヤツが2個、ほかにモンベル、REI、FoxFireなどおよそ目につくアウトドア有名ブランドのトートバッグが20個以上あって野遊び用の小物の整理に役立っている。
 つい最近もFilsonを買う寸前までいったがかろうじて思いとどまった。女房がいなかったら確実にコレクションがふえていただろう。
 
 袋物フェチ――女房はぼくのことをそう呼んであきれている。
 長い間、あまりにL.L.Beanに懸想しつづけたためにそんな人間になってしまたのだろう。会社へ送られてきたトートバッグにしても、もしかすると、彼の持っているバッグを見るぼくの目が尋常でない光を宿していたので恐れをなして新しいのを送ってきてくれたのかもしれない。
 そのうち、お礼にどこかでおごってやらねば……。高くついたトートバッグである。

そういえば、ドキドキしたっけ……

2006-08-14 15:53:13 | Weblog
 この間から、通勤電車のなかで気になる広告を見つけていた。
 ヘッドコピーにしびれた。
 
   蚊帳を張ると
   ドキドキした。
   あれは、家の中の
   キャンプだった。
   
 蚊帳など知らない若い人たちにはわからないドキドキだろう。この広告を見たとたん、思わずうなずいてしまい、ニッコリ微笑んでいるのはある年齢以上にかぎられる。広告主は高齢者施設であり、そういう意味でも、「うまいなぁ」と感心した。

 夏の夜、蚊帳のなかで過ごす時間が好きだった。まさに家のなかのキャンプだった。キャンプを経験していなくても想像力のある子供ならだれもがドキドキしたに違いない。あれは家のなかの隠れ家であり、テントだった。

 蚊帳に入り、眠りに落ちるまでの時間、あれこれ想像してはドキドキしたものだった。とりわけ台風が近づいた夜など、外にテントを張り、そのなかで過ごしている情景を思い浮かべながらドキドキしていた。
 「そうだ、周囲に溝を掘らないと」とか、「風に飛ばされないようにロープをしっかり固定しておこう」と、父から教わったキャンプの基本を思い出し、イメージすると血が騒いだものだった。
 
 いまでもテントをキッチリ張り終えて、その夜の寝床を作るとき、とても幸せな気分になる。ここは森のなかの隠れ家である。だから、ぼくはどんなときでもペグダウンをしっかりすませ、張り綱でしっかり固定する。
 もし、激しい風雨に見舞われてテントがつぶされたり、裂けたり、吹き飛ばされたら、それはテントの能力の限界を越える悪天候だったのであって、自分の設営が甘かったからではないと納得できるように。 
 
 むろん、実際に大雨や大風に襲われたら、それなりの対処はする。そのために予備の張り綱やペグ、ショックコードなどをクルマに常時積み込んでいる。とくに大型のテントでは必需品である。
 
 台風が進路を変えたために群馬の山中から逃げ帰ってきたときも、テントは強風によく耐えていた。それでも逃げたのは、雨で林道が崩壊し、下界への道をふさがれるのを怖れたからだった。
 
 子供のころ、蚊帳のなかであれこれ想像した嵐の夜を、実際のフィールドで何度か経験した。かつての想像をはるかに越える刺激的な時間をドキドキしながら耐える快感もまたテントの醍醐味である。

思い切って荷物を減らす

2006-08-12 12:07:51 | Weblog
 ザックを背負ってキャンプへ出かけていた時代は、いかにして荷を軽くするかに腐心していた。歯ブラシの柄までギリギリの長さに切っているというアメリカのバックパッカーの気持ちがわかるような気がしたものである。

 たかが歯ブラシの柄だが、とことん無駄を省くという覚悟のあらわれだろうか。ほかにも、1本の歯ブラシを共用しているという夫婦のバックパッカーが雑誌に紹介されていたこともあった。
 あの国の人たちはなにかをやるとき行動が、ときとして、偏執的になるきらいがある。多民族国家ゆえ、意思の疎通をはかるためには端的という以上に尖鋭的なイグザンプル(実例、みせしめ)が必要になるのだろう。
 ザックを背負ってウィルダネス(原野)へ→荷物を極限までタイトにしなくちゃならない→歯ブラシの柄まで切る――たしかにわかりやすい。かつては、ぼくもそういうアメリカを無批判で真似していた。

 クルマでキャンプへ出かけるのが当たり前になってからというもの、荷物は急速に膨張をつづけた。クルマが大きくなり、キャパシティがふえると、それだけ荷物も大型化していった。
 装備がふえ、豪華になると設営は楽しい。目的地に着いてテンションは上がりっぱなしだから設営作業だってまるで苦にならない。
 ところが、撤収のときにうんざりする。雨が降ったりしたらなおさらだ。次回からは荷物を減らそうと誓い、これはいらない、こいつも次には持たずにこようと検討しながら荷をたたんでいく。 
 でも、性懲りもなく、次のキャンプにも山のような荷物をかかえていく。撤収の面倒よりも使っているときの快適さのほうが記憶に鮮明だからだ。文字どおりの「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というわけである。
 
 最近、こんなことじゃいかんと一大決心をして、装備減らしに手をつけた。
 7月のキャンプでは、まず、コールマンのツーバーナーを持たずに出かけた。いちおう、ホワイトガソリンを燃料とするピークワンストーブは持っていくが、真冬のキャンプ以外なら家庭用のカセットコンロのほうがはるかに役に立つこともわかっている。いまや、カセットコンロがメインのストーブでピークワンがサブにまわってしまった。
 
 7月でまだ吸血昆虫たちもあまり跋扈していないだろうとの判断からスクリーンタープも省いた。いつも一緒に出かける相棒のほうのスクリーンタープを共同装備で使わせてもらっているのでたしかに無駄ではあったのだが……。 
 ただ、梅雨が上がっていなかったので用心のためにヘキサゴンのタープを持参した。予想以上の雨に見舞われたので、これは大いに役立ってくれた。
 
 8月第一週のキャンプは1泊で勝手知ったるキャンプ場だったが、夏休みで混雑しているだろうからどんなサイトが割り当てられるかわからない。雨の心配はほとんどなかったものの、日陰サイトじゃないかもしれないのでやはりヘキサゴンのタープを持っていった。さいわい日陰のサイトが空いていたのでタープは張らずにすませることができた。
 ただ、外に出しっぱなしの荷物が夜露に濡れるのを防ぐために、寝るときはいつも持参しているグランドシート(写真)をかぶせておいた。
 
 このシートはとても役に立つ。適度にハトメがあるのでコード(細引き)を使い、木々の枝や幹を利用して予備のタープとして利用することもできる。知恵と技術があれば、何枚かを組み合わせてシェルターを作ることだって容易である。
 グループキャンプのときは、同じ5枚のシートが持ち寄ったテーブルのテーブルクロスに化けたこともあった。
 
 ランタンはいつも2個持参する。夏は1個を蛾のオトリに使うが今回は混みあっているだろうからオトリ用は省いた。
 ハイシーズンのキャンプ場は昼間のように明るい。みんなが競うようにして高性能のランタンを点けてくれるからだ。なまじ、オトリ用なんかを使うよりまわりにおまかせしておいたほうが蛾はそちらへいってくれる。

 ほかにもテーブルは1卓だけにしたし、細かいものもいくつか減らしたからクルマの荷台はかなりスカスカになった……はずだった。でも、コールマンのGIコットを2脚積んでしまったのでスッキリしたとはいえない。
 わが家のキャンプには二匹のワンコが同伴してテントのなかで一緒に寝る。4人用のテントとはいえ、大人ふたりにワンコ2頭となるとそれほど広くはない。犬は夜中に寝る場所を移動する習性がある。コットを使うとワンコたちはその下をくぐって移動できる。荷物もコットの下にまとめることができるから整理しやすくなる。

 夏場はただでさえ湿気に悩まされることが多い。コットの下を空気が循環すれば寝袋もあまり湿らずにすむ。
 コットの利点はほかにもあるので、かさばりはするものの、やっぱりなかなか削る決心がつかない。
 かくして、「荷物を減らす」という悲願は中途半端なまま推移していくことになる。

恥ずかしげもなくブランド志向

2006-08-07 22:25:05 | Weblog
 まだ、キャンドルランタンがアウトドアでの夜の定番だった時代、ザックのなかには家に常備してある懐中電灯を忍ばせていった。単一乾電池2本を使う筒型のヤツでけっこう重かった。単三乾電池2本を使うペンライトという軽いフラッシュライトも使ったことがあったが、メリットは軽いというだけで、光量はないし、なによりもすぐに壊れた。
 やがて、アメリカからマロリーのフラッシュライトが伝わり、まもなくミニマグライトが紹介されるとぼくのアウトドアはすっかり快適になった。かくして、20余年、野遊びの現場ではマグライトを信頼し、マグライトも信頼を裏切らずにきてくれた。
 マグライトのほかに野遊びの状況に応じてプリンストンテックのヘッドランプも使うし、フレックスライト(Flex-Lite)も愛用してきた。
 
 ところが、ふと気づいたら、ポケットに入れておくハンディライト、行動用あるいは作業用のヘッドランプ、テント内用のランタン型ランプ(写真)、クルマに常備している発電ライト――これらアウトドアでのフラッシュライト類の大半がLED(発光ダイオード)の製品に変わっていた。
 いつごろからアウトドア用品にLEDが入ってきたのかは知らないが、2年前、コールマンランタンの達人とキャンプをご一緒したときにはじめて実物をみせてもらい、そんな製品があるのを教わった。そのとき、LEDがどれだけすぐれているか、いかにアウトドアに向いているかをわかりやすく解説してもらって納得し、キャンプの帰り道にいきつけのアウトドア用品店へ寄って達人氏と同じ「PETZLジプカプラス」を手に入れた。
 
 使ってみてびっくりした。かつて、マグライトを手にしたときもその明るさと、手のひらにつたわる信頼感に驚愕したが、白色発光ダイオードを使ったランプはそれ以上のカルチャーショックだった。
 明るさもさることながら、振動に強く、寿命が長くて故障の確率も低いというのがアウトドアではなによりもうれしい。電池の寿命も長いそうだが、まだ実感できるほどに使い込んでいない。

 2年前、「PETZLジプカプラス」は5000円ほどの値段だった。
 高いけどそれに見合うだけの商品――達人の言葉に嘘はなかった。使うほどに5000円が安く思えた。しかし、「PETZLジプカプラス」を手に入れて半年ばかり経ったころ、ディスカウントショップで似たようなLEDのヘッドランプが1000円を割る値段で売られているのを見つけた。さっそく買ってきて使ってみると通常の使用にはなんの問題もない。
 ほかにマグライトのようなLEDの安いライトを見つけるのにさほど時間はかからなかった。手ごろなヤツをふたつばかり買ってきて、実際のキャンプで使いはじめた。いくら安物だからといっても新品だからそう簡単に不具合が生じるはずもない。
 そうこうしているうちに、この春、ある大型アウトドア用品店の新規支店のオープンでこの写真のようなランタン型のランプを特売品のなかに見つけた。
  
 フラッシュライト系の世界では、いまやLEDが主流になりつつあるように思えてならない。こうなったらマグライトもLED仕様が出てもおかしくないはず。さっそく調べてみたら、残念ながらLEDのマグライトはない。改造用のキットはあったが、むろん、純正品ではないという。
 いま、ぼくが持っているLEDのライトは、「PETZLジプカプラス」をのぞいて信頼できるメーカーのものではない。特に2個のハンディライトは見かけこそウォータープルーフ(防水)になっているものの、その性能はどれほどのものか未知数である。
 マグライトにまつわる伝説(6年間、コンクリートに埋められて石のような姿になっていたのに、スイッチを入れると当たり前のように点灯したという)のように、LEDの新たな“伝説”を作ることができるくらいタフネスだろうか。雨はいうにおよばず、雪、泥濘、砂塵などにまみれたハードな環境でも弱音を吐かずに耐えることができるというマグライトに肩を並べることができるだけの品質なのか。

 むろん、ぼくのアウトドア、野遊びはマグライトの性能を十二分に発揮させるほど過酷な環境にはならない。それでも、無名のLEDのフラッシュライトが、風雨のなかで雨水がしみこんだり、水溜りに落としたくらいで壊れたり、防水機能がすぐ役立たずになったりしないかと気になるのである。つまり、マグライトのように消耗品のバルブ(電球)は別にして、10年、20年にわたっての耐久性があるかどうかが問題なのである。 
 
 ぼくはアウトドア以外ではまったくブランド志向ではないが、アウトドアではかなりブランド志向の強い人間の部類に属するはずである。特に若いころ、安物を買って何度か失敗している。まがい物をつかまされてひどいめにあっている連中も何度となく見てきた。パクリ商品ではないけれど、見かけ倒しの製品にもずいぶんだまされた。
 安物買いの銭失い――この俚諺はいまやぼくの血となり肉となっている。
 
 アウトドアでブランド志向にならざらるをえないのには、もうひとつ理由がある。
 どんな道具であれ、その道具がアウトドアで役に立たなくなると、ときには、せっかくの予定を変更し、離脱を余儀なくされる場合がある。極端な言い方をすれば命にかかわることだってあるだろう。
 昔のことだが、当時、ぼくも使っていた山岳テントのグラスファイバーのポールがときどき折れることがあると知った。折ろうとしても容易に折れる代物ではない。それが、設営中に簡単に折れてしまう。長期縦走の途中で下山を強いられたくらいならいいが、(ぼくは関係ないけど)冬山での吹雪のなかだったらどうなってしまうのか……。
 このメーカーの商品は遠征隊も使っていたほどだから当然いい加減な製品ではない。むしろ、当時としてはもっとも信頼できる高級テントだった。そんなブランド品でもこういうことが起こる。ましてや、ノーブランドのギアとなると、代替品がすぐに調達できる日常生活と異なるアウトドアでのシーンではかなり厄介である。だから、ぼくはブランド志向になってしまった。
 
 そういうわけで、同じLEDのライトでも、「PETZLジプカプラス」以外はまったく信用してない。当面、これまで愛用してきたライト類との併用になって、結局、荷物を増やしただけのことらしい。