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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

6月の森の蝉時雨(せみしぐれ)

2006-06-25 22:22:51 | Weblog
 雨の予報が出ていたのに、昨日の関東地方は夏本番の到来と錯覚したくなるほどの夏空が広がった。1泊キャンプに出かけてしまおうかとも思ったが、日曜日に予定があったので、とりあえず中央高速へ乗って山梨方面へ向かった。最初に目指したのは森の中のレストランである。
 
 八ヶ岳南麓――。7年ばかり前、ぼくと女房は小淵沢方面へ住まいを移そうと本気で計画したことがあり、1年余りの間、足繁く通った。移住計画は断念したが、いまなお、キャンプ以外に森の中でひと息つきたいときに向かうのが八ヶ岳の南麓だった。
 今回のパートナーは、この2年間、いつもぼくらの野遊びにおつきあいいただいているM夫妻である。何週間か前に、M氏が、「そろそろ清泉寮のアイスクリームが恋しくなってきた」と発言したのを思い出し、「幸い天気になったことだし、それじゃ行ってみるか」と急遽思いついたのである。
 
 小淵沢のインターを通過したのが午後1時を少しまわったころ。勝手知ったる通称・鉢巻道路を富士見高原へと向かう。開け放ったクルマの窓から高原のさわやかな風に乗って虫の鳴き声が聞こえてくる。道はカラマツとアカマツの混生する森を貫いている。
「あ、あいつらだ!」
 予期していなかった出逢いだけに喜びはひとしおだった。
 
 ハルゼミ――その名のとおり、春から初夏の森で鳴くセミである。
 ぼくがはじめてそのセミの存在を知ったのは、いまからちょうど10年前、5月の連休直後に犬とふたりでキャンプをやるために訪れた裏磐梯のとある湖に面した森のなかだった。その森はブナやコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹だったから、ハルゼミも「エゾハルゼミ」というわけである。
 そんな季節の蝉時雨なんかはじめての経験だったからとにかく驚いた。最初は東北地方特有の現象なのかと思ったくらい。5月から7月の寒冷地で鳴くセミがいて、落葉広葉樹を好むのが「エゾハルゼミ」、マツの林でしか鳴かないのが「ハルゼミ」だと知ったのは、何年か経ってからだった。
 
 ハルゼミやエゾハルゼミの合唱に包まれた富士見高原のレストランで食事をしたあと、ぼくらはまだ春には遠かったころからオープンを心待ちにしていた森のなかのカフェへと席を移した。
 木々に覆われたテラスでは、セミたちの合唱どころではない、大演奏会の真っ最中だった。ここではっきりと、二種類の鳴き声があることに気づいた。おそらく、「ハルゼミ」と「エゾハルゼミ」だろう。双眼鏡で一生懸命頭上を探したが、ついに一匹のセミも見つけることができない。それはまるで、木々が太陽の恵みに歓喜の声を上げているかのようでさえあった。
 
 運ばれてきたコーヒーを味わいながら、何気なく頭(こうべ)をめぐらせたとき、椅子に坐ったぼくの目線と同じ高さに写真の脱け殻があった。それは、ぼくが知っている都会のセミたちに比べてずいぶんと小さな脱け殻だった。きっと、エゾハルゼミだろう。
――殻しか見せてくれなのか。いつか、かならず木にとまっている姿を見つけてやるからな。

 陽が西に傾きはじめ、ハルゼミたちが1日の終わりに未練を残すような鳴き方をするなか、ぼくらもセミたち同様、まだしゃべり足りずに不完全燃焼のまま、当初の目的だった清泉寮のアイスクリームを食べようとテラスの椅子から立ち上がった。
 彼らの鳴き声が健在のうちに、今年、もう一度くらいはあのテラスでのんびりと休日を満喫したいものである。

惜しまれる名品――シェラザル

2006-06-24 09:02:30 | Weblog
 ソロでの野遊びのとき、重宝する小道具というのがいくつかある。正確な商品名は忘れたが、「シェラザル」と呼んでいる一品もそのひとつ。ぼくが持っているのはれっきとしたマスプロ製品だが、このアイディアは、イラストレーターにして作家――というよりは、野遊びの第一人者・本山賢司さんである。
 
 本山さんの数ある野遊び指南本の1冊、『大人の男のこだわり野遊び術』(共著・山と渓谷社)によれば、かねてから生活臭のない小さなザルがほしいと思っていたところ、とある野宿の旅で、洗い終わり、重ねて置かれたシェラカップを見た瞬間にひらめいた。
「このシェラカップと同じプロポーションのザルがあれば、これは便利に違いない。収納も今のままで、何ら差しつかえがないぞ」(本書104ページより)
 さっそく、金網屋さんにシェラカップを持参して作ってもらったのが、シェラカップとおなじプロポーションの、本山さんいうところの「シェラザル」である。本山さんのは手作りだからハンドルから伸びるフチの部分は金網を針金で巻き込んで、なかなか味わい深い。
 
 このシェラザルのことを読んで1年後か2年後だったと思うが、アウトドア用品のショップにシェラザルが商品化されて並んだ。『大人の男の――』の初版発売が1994年だから、商品化されたのはちょうど10年前くらいになるのだろう。
 わたしの記憶によれば、メーカーはアウトドア用品の大手であり、金物のキッチンウェアの製造販売の会社を母体としている某社だった。わたしもこのメーカーの製品はたくさん使っている。値段がリーズナブルなせいか、プロショップよりもディスカウントショップでお目にかかる機会が多い。
 
 しかし、金物メーカーだけあって、少なくとも金属製品はおおむね信頼に足るクォリティーを維持している。このパクリの「シェラザル」は、ひときわ素晴らしい造りである。本山さんが書いているとおり、「こす、すくう、のほかに工夫さえすれば、使い方は無限にも展開する」(同)はず。
 しかし、この10年、ぼくはソロキャンプの機会がめっきり減ってしまったせいで、無限の展開がなかなかままならない。いまだに新品のままである。
 
 残念なのは、商品としても短命だったことである。たぶん、初期製造分だけで終わった寿命だったかもしれない。ファミリーキャンプだ、オートキャンプだと、リッチな道具のラインナップに目を奪われやすいキャンパーたちが幅をきかすご時世に、シェラザルのような遊び心はなかなか広く理解はされないだろう。
 こんなことなら、5、6個買っておいて、このワクワクする遊び心を共有できる友への贈り物にすればよかったと悔やむことしきりなのである。

雨ニモ負ケズ 五感ヲ磨ク

2006-06-18 01:22:04 | Weblog
 なぜ、こんなにキャンプが好きなのだろう。「いずれ、沖縄へ帰って百姓をやるんだ」というのが口癖の、実に素晴らしい音楽センスの持ち主だったラジオディレクターの畏友Kは、ぼくがいそいそとキャンプへ出かけていくのを見て、「わざわざ地面に寝るなんて信じられない」とあきれていた。なるほど、そのとおりである。そればかりか、なぜ、あんなせまいテントにもぐりこむと幸せな気分になれるのかも不思議である。

 先週、関東甲信越が梅雨入りしたと思ったら、天気予報は土曜日から日曜日は晴れだと伝えていた。その後、予報は曇りに変わったが、雨は降らないという。
 5月の大型連休に長野・美ヶ原に近いキャンプ場へご一緒したR夫妻に、「6月は、梅雨の中休みにでも近場へキャンプにいきますかね。どうせ、ゆっくりしゃべるのが目的だから、簡単な装備でいいでしょう。それと、梅雨明け後にまとめてお泊りやるわけだから、6月は1泊だっていいし……」なんて言っていたから、さっそく、「どうですか、例のキャンプ場へ出かけませんか?」とお誘いがあった。むろん、野駆け遊びに異存のあろうはずはなく、一も二もなく賛成して、さっそく準備をすませた。

 山中湖は、すでに初夏を迎えた都会が忘れかけている春の息吹をいまだ濃密に匂わせていた。名残の雪をまとった富士山が趣のある雄姿を見せているのもこの季節ならではの風情である。キャンプ場は、山中湖にほど近い道志村の一角にある。場内には渓流が貫き、クヌギやコナラが茂る理想的な環境が気に入って、昨年から通いはじめた。
 初日はなんとか曇り空のままで夜を迎えたが、夜半になって、ときたま煙るような粉糠雨がスクリーンタープを舐めていく。朝からしゃべりづめにもかかわらず、午前12時を迎えてもなお、酒は飲まず、お茶だ、コーヒーだと飲み物を変えながら、ただひたすらしゃべり、笑い、話題によってはシリアスになっていた。
「さて、今朝が早かったから、そろそろ寝ますか」と、未練たっぷりにお開きにしたものの、すでに午前12時をまわってからだった。1泊というので、あちらのご夫妻はキャンプ仕様にしたアルファードクルマのベッドへ、わが家は小川テントのスクートへともぐりこむ。ほかに2組のテントがだいぶ距離をとって張ってあるが、どちらもとっくに灯は消えていた。
 
 鳥のさえずりとテントの屋根をたたく水滴に促されて目を覚ましたのは午前5時――。雨粒の音なのか、それとも木々の葉叢(はむら)にたまった水滴がしたたり落ちているいるだけなのか、寝袋のなかに縮めた身の五感を研ぎ澄まして外の様子をさぐってみる。テントを叩く音のひとつひとつを検証し、鳥たちの声からも情報を得て、朝を迎えた森の様子を想像するのである。
 音の大半は葉叢からの迷惑な贈り物、しかし、わずかではあるが雨もふっているようだった。ぼくの顔をのぞきこむ犬たちに、「雨だし、もう少し寝ような」と声をかけ、再び寝袋の温もりと大地のパワーに包まれていく。
 そう、朝のこんな時間、五感を集中させて外の様子を探る楽しみがキャンプの喜びだった。大地からのパワーを感じることができるからこそ、信じられないといわれた「地面に寝る」ためにやってくるのだ。

 いや、ほかにもある。
 昔、渓流のほとりに張ったぼくのツエルトのすぐ脇を、気配を消し、呼吸さえ控え、足音を忍ばせて通り過ぎていった動物がいた。ぼくも同じように気配を消そうと呼吸を止め、ヤツの動きを感知しようとした。ツエルトの薄い布の向こうをそいつが通り過ぎる瞬間、ぼくとヤツとの心臓の鼓動が重なったのを、ぼくは研ぎ澄ました五感ではっきりと聴き取った。

野遊びの必需品ジップロック

2006-06-08 23:15:53 | Weblog
 いよいよ梅雨入りである。梅雨でなくても、野遊びに雨はつきものだから防水対策にはけっこう神経を使う。装備が貧弱だった昔はなおさらだった。その名残のせいか、いまでも防水、防湿にはちょっとばかりナーバスになってしまう。
 ラフな野遊びをやっていたころは、衣類や濡らしたくないファーストエイドキットはビニールの買い物袋などにくるんでテントの浸水や、不意の雨に備えたものだった。やがて、防水液を塗ったナイロン生地製や透湿素材のエントラント製のスタッフバッグが出現し、それらを使うようになるころには、テントの性能も向上していて、めったな雨では浸水なんかしなくなった。
 
 それでも、8年前からぼくは野遊びに出かけるとき、キッチンで使う「ジップロック」を常に何枚か持っていって防水用の袋として使っている。
 ジップロック(Ziploc)とは、アメリカで開発された食品保存用のポリエチレンの袋である。その名のとおり、口の部分が同じ素材のジッパーになっていて、これがけっこう頼りになる。簡易にして安価、袋自体が薄いにもかかわらずなかなかタフなヤツなのである。
 野遊びでは、防水対策用のみならず、もちろん、本来の食品保存用にもおおいに役立っている。
  
 テントが進化するのに伴って、水に塗れたら即オシャカという精密機器まで野遊びに入り込んできた。ぼくの経験では、アマチュア無線のハンディ機が最初だった。
 70年代、ぼくらは野遊びにCB無線機を持って出かけていたが、実際にはほとんど役に立たなかった。一念発起して野遊び仲間たちでアマチュア無線の免許を取り、ハンディ機を買って意気揚々とウィルダネスへと入り込んでいった。
 ある夜、仲間のひとりが、木の枝に無線機を引っかけたままで忘れて寝てしまい、夜半の雨でずぶ濡れになった。かれこれ20数年前になるが、むろん、IC回路が組み込まれた機器である。しかし、当時のぼくらは無知ゆえにのんきなもので、「乾かしてからスイッチをオンにしたほうがいいんじゃねえか」程度の認識しかなかった。
 
 もうアマチュア無線機は持っていかないけど、それに代わって携帯電話やデジタルカメラがある。むろん、雨に濡れてもいけないし、それらを身につけたまま川や湖水で転んだりしたら、やっぱり即オシャカになる。
 ウォータースポーツをやるなら、迷うことなく携帯電話もデジタルカメラもさっさと防水機能があるアウトドア仕様の製品に切り替えてしまうけど、通常の野遊びだとそこまで神経質にはなれない。ほかにも、家の玄関やクルマの鍵が電子キーときているから、これもきっと水には濡らさないほうがいいはず。
 
 移動のとき、そんな水嫌いの道具たちを、デイパックやヒップパック、あるいはフィールドジャケットなんかのポケットに入れるわけだが、少しでも濡れるリスクが伴えば、ジップロックを使う。携帯用のファーストエイドキットは、防水防湿の目的以外に、中の薬が何かの拍子に外へ漏れてしまわないように、常時、ジップロックで保護してある。
 そんなぼくの様子を見て、「オーバーなこった」と笑うヤツがいるかもしれないが、その笑いが不意のアクシデントで泣き顔に変わらないよりはいい。野遊びには何が待っているかわからない。ちょっと経験を積めばわかる。
  
 この「ジップロック」の存在を教えてくれたのは、文字どおり日本における“ダッチオーブンの伝道師”である菊池仁志さんの、なんとも楽しい著書『ダッチ・オーヴンと行くロッキー山脈冒険ノート』(雄鶏社/初版1998)だった。
 台所用品にこんなすぐれものがあるのを、ぼくは不明にしてまったく知らなかった。菊池さんも本書の中で絶賛していて、「用途は工夫次第、無限である」と書いてある。まさにそのとおりで、キャンプの必需品であるばかりか、海外へ出かけるときにもずいぶん重宝した。
 アウトドア用のスタッフバッグとの違いは透明なので中に入っているものが一目瞭然だということである。中が丸見えだから見た目は必ずしも美しくはないが、利便性では比較にならない。特に“ミニオフィス”と化したピギーバッグ(伸縮する把手とキャスターがついてゴロゴロと引っ張るバッグ)内部は、ジップロックでかなり整理ができる。
  
 菊池さんの本を読んだ直後、ぼくはさっそくスーパーマーケットでSML三種類を買ってきた。女房を呼んで、「どうだ、スグレモノだろう」自慢気に披露すると、「わざわざ買わなくてもウチにたくさんあったのに」と軽くスカされてしまった。
 とても悔しかった。

居酒屋はキャンプ料理の情報源

2006-06-05 23:27:29 | Weblog
 あるとき、居酒屋で酒を飲みながら、ふと、気がついた。目の前に並んだ酒の肴がどれも野営食――つまり、キャンプでの料理にはピッタリだということである。とりわけ、豚キムチをキャンプで食べたらうまいだろうなと思ったのが最初だった。

 以来、ぼくはキャンプに酒の肴をメモして持ち込むようになった。材料のリストと簡単な手順のメモである。調味料を含めて分量なんかほとんど必要ない。実際の調理は、行き当たりばったりのオリジナルである。
 火を通しすぎたり、反対に、強火で一気にやるべきところを火力が足りなかったりと、ふだん、家の台所に入ったことがない人間だけに、失敗もたびたびあるが、どうせ簡単な料理ばかりだから、ま、こんなもんかと割り切れる。失敗しても食えなくなるほど悲惨な結果になったことはない。

 アウトドアクッキング、野外料理、キャンプ料理などと銘打った本をさんざん見てきたが、野営食にふさわしい簡単メニューが並ぶ本にはめったにお目にかかれなかった。キャンプ料理というだけで、どことなくあざとさがある。
 たしかに、キャンプは非日常を楽しむ遊びだから、食べるものにもふだん口にしているものとは一線を画したい。だからといって、こだわって凝ると手間ばかりかかってしまう。しょせん、アウトドアなんて不便だからいいわけで、料理もおおざっぱでうまいというのが理想である。ぼくの場合は、“酒の肴”あるいは“簡単”というキーワードに野営食のメニューを求めることにした。
 
 飲み屋でたまさか出逢った個性的な肴を、さすがに作り方を教えてくれとは言えないので、想像をたくましくして、こんな感じかなというのをメモしておく。うまい料理は、プロの作った完成品にはおよばなくてもそこそこの味には近づける。これがまた楽しい。あるいは、テレビのバラエティー番組などで紹介される簡単料理もさっとメモする。フリーペーパーやフリーマガジンも情報源になる。
 なじみの店ではなかったが、板前さんと雑談のなかでそんな話をしたら、「こんなのはいかがですか?」と簡単でおいしい料理をいくつか教えてくれた。彼が若いころに作っていたまかない食だという。どれもが野営食にピッタリの料理だった。料理人にかぎらず、さすがデキる人間は想像力も豊かである。
 
 選択の基準は、くどいようだが簡単なこと。材料もできるかぎりシンプルなほうがいい。仕込みに時間がかかるのも論外だ。それと、特殊な材料や調味料を使うものは最初からパスする。手に入りにくい材料とか都会のスーパーマーケットにしか置いてないような材料が問題外なのは説明するまでもない。調味料もしかり。手に入りにくいだけじゃなく、経験上、買い忘れたり、買っても次に使う機会がなくてあらかたを捨てる結果になるからである。

 これらのメモをキャンプに持参したとき、その日に使う分だけをツーバーナーストーブのフタに固定(写真)しておく。最近は、ツーバーナーを本来のストーブとしてはあまり使わなくなってしまったけど、このメモを固定するボード代わりになるのでなかなか捨てがたい。
 
 いざ、作る段になったら、大胆にいさぎよく――料理ばかりでなく、すべからく、それが男ある。

<簡単料理>
 熱くなったフライパンに油を引き、ひと口大に切った長ネギと豚肉を投入して炒める。ころあいを見計らって塩・コショウし、最後に醤油を適量たらして、醤油の香ばしさをネギと肉にからめる。熱いうちに、熱いご飯と一緒に食す。冷めるとうまさが激減する。

忘れられない野外料理

2006-06-03 09:19:19 | Weblog
 たくさんの野外料理を食べてきたけれど、いまも忘れられないすこぶるつきのうまい料理がある。これからも思い出すたびに、まだ、充分に若かったあの夏の日の、きらめくような記憶とともに、きっといつまでもセピア色になんか変わることなく、ぼくを幸せな気分にしてくれることだろう。
 そんないくつもの思い出に浸りながら年をとっていくというのも悪くない。

 それは、遠い夏の日――。
 会社の電話に聞きなれた声で野遊び仲間からキャンプの誘いがあった。
 「いま、どこにいると思います? いつものメンバーで艇を持って本栖湖にきてるんですよ」
 「艇(てい)」とは、当時のぼくらの遊び道具だったグラスファイバー製のボロカヌーである。メンバーのひとりがどこかからもらってきた中古のヤツで、扱いも悪いからとんでもないシロモノに成り下がっていた。それでも遊び道具としては立派に役立ってくれた。
 「あ、それとね、ブラウン(トラウト)がしきりに跳ねてるんで、お知らせしておかなくちゃって……」
 
 その夜、わたしはギャランのトランクににソロ用の野営装備を積み、アイスボックスには、昼間、女房に買っておいてもらったたっぷりの肉を入れて本栖湖へと向かった。むろん、リアシートにはルアーロッドとタックルボックスがあった。
 現地で待っているのは、いつも小学生のせがれと一緒にぼくまでもご厄介になっているボーイスカウトの若きリーダーたちである。全員が、ぼくよりもひとまわり以上年下の、聡明で、底抜けに楽しい連中だった。
 彼らは、大学生の特権である夏休を、以前教えておいた本栖湖で有意義に過ごしているらしい。ぼくはといえば、30代もなかばを過ぎてはいたが、野にあっては彼らと同じ年齢で精神の成長が止まっているだけに、その蠱惑の電話によって遊び心に火をつけられてしまった。
 
 本栖湖で、彼らはぼくの到着を信じて、遅くまで焚火を囲んで待っていてくれた。彼らとは出発した日の夜を含めて3泊くらいしか一緒にいられなかったけど、それは楽しい日々だった。
 カヌーは1艘しかなかったから、交代で使うことになる。カヌーに乗っていない者がカヌーを追いかけ、追いついてひっくり返す。ひっくり返されると交代となる。そんな遊びを日がな一日飽きもせずに繰り返していた。
 水は思ったよりもぬるかったが、それでも長時間、湖水に漬かっていれば身体が冷えてくる。疲れたらカヌーにつかまって休み、あるいは岸に上がってしばし身体を温めた。二十歳前後の連中と同じようにはしゃぐから、ぼくは夜は早々とテントにもぐりこんで熟睡することができた。
 ブラウントラウトのことなど頭の中から消えていた。
 
 子供のころから野営で鍛えられた彼らの野営食作りは見事というしかない。食担はわざわざ決めるまでもなく、いつものようになんとなく分担が決まっていた。ぼくが着いた翌日の夜のメニューは、彼らがお待ちかねの焼肉だった。全員が唇を脂でテカテカ光らせながら笑っていた。
 そして、最後の日、彼らのリーダー格であり、この日の食担でもあったひとりをのぞいて全員が遅くまで遊んでいた。水から上がったのは、夕闇が落ちはじめたころだった。
 サイトに戻ると、大鍋の中からいい匂いが吹き出している。肉ジャガだった。喉がゴクリと鳴り、腹がキュルキュルと悲鳴を上げた。
 ぼくらの姿を見て、食担が羽釜をの下に火を入れた。「え~! これから飯を炊くの?」などと不満をいう者はいない。隣のカマドからの余熱で、釜のなかの水はいい加減ぬるくなっているはずである。当時、流行しはじめた彼らの口癖を借りれば、ソッコーで飯が炊きあがるのは目に見えていた。
 
 ぼくらが各々のテントで渇いた服に着替え、もう一度焚火の前に戻ると、食担が「最後の仕上げだ」と称して大鍋のフタを開けた。そして、スプーンでバターをすくっては次々と鍋の中へと落としていく。200グラムのバターがすべて消えると、あたりにはえもいわれぬ芳香が充満した。
 
 飯が炊きあがるのなんか待ていられなかった。バターが鍋の中でなじんだころ、ぼくらは先を争って肉ジャガを貪った。大鍋はまたたくまに空鍋と化した。バターのこってりとした味が、冷えた身体に染み入るようなうまさだった。
 やがて炊きあがったご飯のおかずは何もない。でも、ぼくらは大鍋の底に残した肉ジャガの汁を分けあい、これまたソッコーで釜の中も空にしてしまった。
 
 疲れ果てた身体に、ソッコーでエネルギーがみなぎった。