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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

あれからの1年……

2012-06-19 00:05:28 | Weblog

 最愛のキャンプ同伴犬・シェラ(♀)が死んでしまって4か月あまりになる。
 昨年の7月にむぎ(♀)を喪い、そしてまた2月6日にシェラを見送った。むぎは突然だったが、シェラはガンを宣告され、苦痛に耐えての最期だったのが辛かった。痛みに苦悶するシェラを見かねて最後は安楽死を選択した。
 前の晩、ぼくはシェラに朝まで添い寝をして、「明日は楽になろうね」と話した。じっとぼくを見つめてそれを聞いてくれたシェラの目がいまも忘れられない。
 睡眠薬を注射してもらい、穏やかに安らかに息を引き取ったシェラの姿にむしろほっとしたものだった。
 「シェラ、よかったね。これでゆっくり眠れるね。お疲れさま。むぎが待っているよ。17年間、幸せをくれてありがとう」
 ぼくは心からそう思い、覚めることのない眠りについたシェラに語りかけた。


 シェラが亡くなる4か月前、わが家はむぎ(上の写真)のいない喪失感に負けてコーギーのパピィを迎えていた。このルイ(♂)と名づけたコーギーがやってきたのは10月1日だった。
 むぎが消えてしまい、いかにも寂しそうなシェラがどんな反応をみせるかなと期待したが、容易には心を開いてくれなかった。ルイのほうはシェラに近づきたくてウズウズしていた。だが、すぐに跳びつくので、足腰の弱っていたシェラにはただただ迷惑以外のなにものでもなかった。一日の大半を寝てすごすシェラのじゃまにならないようにと、ルイは大半の時間をサークルの中へ閉じこめた。
 この子たちをキャンプに連れていったらどうなるだろうか。ぼくは暗澹たる思いで二匹の犬をながめていた。
 
 シェラの首にあるしこりの検査の結果、悪性だとわかったのは、ルイがきてまもなくだった。おそらく、年は越せまいと覚悟した。
 そうこうしているうちに年末になり、幸い新しい年を迎えていた。当然ながら恒例の年越しキャンプは見送った。キャンプ場から「予約をいただいていますが、どうなさいました?」という電話が暮れの30日の夜にあった。キャンプ場のスタッフのどなたかが気を利かせて予約を入れておいてくれたのだろう。
 
 2月にシェラを送り、5月のキャンプに躊躇したが、連休の前半を使って松本にある「美鈴湖もりの国オートキャンプ場」へ出かけた。
 ここはシェラやむぎと数回きているが、4年前のゴールデンウィーク以来である。直前にキャンセルが出たのか、幸いにして滑り込むことができた。


 ルイのキャンプデビュー(上の写真)である。
 4年前には場内のサクラが満開だったが、今回はまだツボミが固い。下界の松本市内がちょうど満開だった。
 ルイのために折りたたみのケージを買って持参した。クルマも買い換えていた。2週間前に衝動買いし、キャンプ出発の前日が納車という、わが家らしいドタバタぶりだった。

 結局、ルイのキャンプデビューは課題を残して終わった。音に対して敏感に反応するルイの性格が裏目に出たのである。夜、よそのサイトから聞こえてくるイビキに神経質になり、ときおり吠えて朝を迎えた。
 まだ薄明のなかをぼくはルイを連れて散歩に出た。どこからイビキが聞こえてくるかを教えるためもあったが、その夜も同じだったから効果はなかったといっていい。ただ、ルイのおかげで最初の朝は林道を歩き、二日目の朝は美鈴湖を一周することができた。
 
 さて、次は梅雨明けのキャンプとなるが、どんな展開になることやら……?
 ただ、シェラとのキャンプでもハプニングはときたまあった。1歳のときのゴールデンウィークはキャンプ場のたくさんの人の気配に落ち着かず、最初の夜をぼくとクルマの中で寝た。晩年にも何かに怯えて寝られず、やっぱりクルマに移動してぼくとひと晩を過ごしたことがある。そんなことが何度かあった。
 
 ルイはシェラのような神経質な犬ではないと思っていたが、デビュー戦での意外な展開に面食らった。そいうい意味では、むぎがいちばんキャンプ犬としての資質を備えていたといっていいだろう。まったくぼくたちに手間をかけず、いつも、テントの外で見張りをしてくれたのだから。
 ルイの今後に期待したいところだが……。

新しい防水カメラをゲットしたから……

2012-06-17 23:24:31 | Weblog

 新しいカメラを買った。
 デジカメは一眼レフも含めて10台近く持っているので今度のカメラは女房には内緒にしている。バレると、「わんこ撮るだけなのになんでそんなにカメラが必要なのよ」と嫌味をいわれかねない。ま、たしかにそのとおりなのだが……。

 6年前に買った赤い「μ 725SW」は、ヤフーの掲示板仲間の推薦もあり、「水深5mまでの水中撮影と落下衝撃に強い構造を実現」という謳い文句に惹かれて買った。以来、雨のときにかぎらず、アウトドアで酷使しても期待を裏切らなかったが、このところ、電気系統が不調になり出番がなくなっていた。
 
 新しいシルバーの「Tough TG-820」は、「水中10m、防塵設計、衝撃、寒さに強く過酷な環境で安心の動作」とますますタフネスになっているけど、ぼくのアウトドア・ライフにはまったくのオーバースペック。とくに水中撮影は、これまでそういう使い方をする機会がなかったし、これからもきっとないだろう。
 
 最初は、この6月に発売された「Tough TG-1」を買うつもりだったが、これはもっとオーバースペック。しかも重い。 
 ぼくにはいちばん安価な「TG-320」や、次に安い価格の「TG-620」でじゅうぶんなのだが、色が気に入らなかった。TG-820のシルバーがよくてこれにした。ネット通販だと2万5,000円代からあるけど、面倒なので近くの量販店で購入した。5,000円ばかり高いので迷ったが、結局、買ってしまった。

 昨日はアウトドア・ショップで夏用の衣類も数点買った。このところ、相次いだ愛犬の死に加えて仕事が忙しくてご無沙汰気味のキャンプだけど、新しいカメラをデイパックに入れて出かけたくなった。

どうしようもない親たち

2011-07-23 16:34:05 | Weblog
 梅雨が例年よりも早く明けたので急遽夏休みを取り、連休に絡めて、5月の大型連休以来のキャンプに出かけた。当初は14日(木)からのつもりだったがどうしても予定のやりくりがつかず、しかたなく15日(金)の出発になった。
 それでも、15日はいくつかの会議をドタキャンせざるをえなく、ご迷惑をかけた皆様、ごめんなさい。
 
 今年は運がよかった。
 梅雨明けが学校の夏休みがはじまる7月20日以後になってしまったら、わが家は夏のキャンプをやらない。梅雨が学校の夏休み以前に明けて、平日に出かけることが可能なときだけ挙行する。



 今回、さすがに平日の15日は実に静かな、理想的なキャンプを堪能した。キャンプ場全体に数えるほどしかテント泊のキャンパーはいなかったが、ロッジにきていた若者たちが、いっとき、夜中に大騒ぎをしていた。
 
 ぼくたちのサイトには、夜になってソロのキャンパーがバイクでやってきた。ペグを打つ音でそれと気づいたが、むろん、あとは何とも静かだった。
 気の毒だったのは、翌日の土曜日、彼のテントのすぐ横ギリギリに家族連れが設営してしまったことだ。なんという非常識。呆れたものだ。
 
 土曜日は、ぼくたちにとっても最低のキャンプになった。
 何組ものキャンパーがやってきたものの、大半が静かに時間を過ごしていたが、ぼくたちのすぐ隣にきた松本ナンバーのクルマのグループだけは、子供たちが興奮して大騒ぎをし、親でもある4人の大人たちは酒を飲み、BBQを食べるのに忙しくて咎めるふうもない。その騒がしさは尋常ではなかった。
 
 そのグループのひとりの女性が、設営前になぜか管理棟からリヤカーを持ち出してきて、使わないまま道端に放置して知らん顔を決め込むという体たらく。リヤカーの背後に見えるキャプテンスタッグのブルーのテントの主が張本人。この位置なら、ご自分のテントサイトから見えないわけじゃなく、「忘れた」とは言わせない。こんな連中だから子供のしつけなどできるはずもないだろう。

 夜ともなると、彼方のオートサイトでは、禁止されている打ち上げ花火を盛大な焚火の横ではじめる始末。これもまた子連れの家族である。
 禁止されているからやるべきではないという以前に、だいたい、キャンプで花火をやる神経がわからない。きっと、花火がなぜ非常識なのかさえ、こういう連中には理解できないだろう。
 
 夏のキャンプは年々凶悪度を増していく。とりわけ、親たちの質の低下は目を覆うばかりである。いかにも日本らしいと思う。




和紙を使うアイディア

2011-07-22 00:03:21 | Weblog



 7月のキャンプで3年ぶりくらいにご一緒できたペル大人は、信州は飯田のアウトドアーズマン。高級キャンピングカーのオーナーながら、もっぱら釣りや4匹の華麗なシーズーを連れての家族旅行が主な用途だった。

 このペル大人、釣りとなると、鮎、渓流、そして、磯やら船となんでもござれ。数年前には北海道でのサケ釣りのライセンスを手に入れて、わんことたちとチャンチャン焼きを食べるために朔北まで飛んでいった。

 ただ、信じられないことに、キャンプはズブの素人――とは本人の弁。どこで寝ようが、キャンピングカーで寝泊まりしていれば、それはそれで立派なキャンプだと思うのだが、いたって謙虚。
 今回、テント泊をするためにわざわざテントを購入しながら、単独参加のために持参せず、スクリーンタープを張り、床はブルーシートで覆い、コットとスリーピングバックでのキャンプとなった。

 この野営スタイルだけでも野人度はかなり高い。どこが素人だと思う。
 強いて指摘すれば、アロハに白いパンツとこじゃれた白い靴、長髪をうしろで束ね、そのルックスとも相まって、もう、森にいるよりワイキキビーチのほうがよく似合う。
 「ハワイへ行ったら、絶対に観光客には見てもらえないぜ」
 近々、はじめてハワイへいくかもしれないペル大人にぼくは確信をもってそう助言した。

 さて、前置きが長くなってしまったが、写真はペル大人が持参した乾電池式のランタン。光源はLED(発光ダイオード)である。
 点灯したとき、ホヤ(火屋=グローブ)が透明ガラスでまぶしいため、内側から和紙を貼ってLEDの放つ光を和らげている。
 ガソリンや灯油を燃料に使うランタンだと熱で燃えてしまうだろうが、乾電池だったらその心配がない。
 
 すりガラスのホヤもいいけど、和紙は和紙なりの味わいがある。
 これってすばらしいアイディアだと思う。


五平餅で目覚めたこと

2011-07-20 23:18:12 | Weblog


 今回のキャンプでは、信州・飯田の仲間が「五平餅」をご馳走してくれた。
 五平餅を食するのは、はじめてではない。たぶん、高速道路のサービスエリアなどで小腹を満たすために食べているはずだ。だが、このキャンプで食べた五平餅は特別うまかった。

 仲間が持ってきてくれた五平餅は、市販の真空パックのものである。炭火で軽くあぶって、添付のタレをつけたものだった。香ばしいゴマやクルミの味がキャンプにぴったりである。やや甘みがあるのもいい。

 写真のように一本がなかなか迫力がある。とても一人で一本は無理だと思ったら、なんのなんの、またたくまに食べてしまった。平たい杉板に練りつけてあるので見た目ほどのボリュームではなく、一人前がちょうどいい量になっている。
 キャンプ料理というと、どうも洋風に傾きがちだが、日本の素朴な味の捨て難さを思い知らせてくれたのがこの五平餅だった。

 わが家のキャンプメニューのひとつに奈良地方の郷土料理・飛鳥鍋のパクリの牛乳鍋があるが、きっとほかにもキャンプ料理にふさわしい伝統的な郷土料理がたくさんあるに違いない。いろいろ調べてみたいが、それはさておき、これから、信州や飛騨方面での野遊びなら、確実に五平餅をメニューに加えていこうと思う。
 ご飯を炊く手間が省けるし、おかずも一品減らせるから楽だし、身体に優しいメニューといえる。

 ただ、この五平餅を自分で作ろうとは思わない。どう逆立ちしてもおいしいタレなど容易に作れるわけがない。市販の商品で十分、いずれ、どのブランドの五平餅が好みかわかるようになるだろう。それもまた楽しみである。



むぎの追悼キャンプへ

2011-07-15 01:48:36 | Weblog


 今日から夏キャンプに出かける。
 先月、例年より早く梅雨入りしたときから、必ずや梅雨明けも早かろうと見越して、今月16日~18日の三連休にからめてのキャンプを予定していた。はからずも梅雨明けの予測は的中して今週からの出撃が可能になった。このキャンプには、姫路と飯田のキャンプ仲間も合流してくれることになっていた。
 だが、関東地方が梅雨明けした9日の前日、つまり7月8日、わが家を突然、予期しなかった悲しみが襲った。むぎ(12歳♀Wコーギー)の死である。
 
 金曜日のこの朝、いつものとおり散歩から帰ると、むぎの状態が尋常ではなかった。玄関ですぐには立てないほど苦しげに呼吸している。リビングまでやってきても、家人が声を震わせるくらい様子がおかしかった。
 午前中に遅刻して病院のオープンとともに連れていくことにした。家人が外出の準備をし、ぼくはパソコンに向かって昼までに入ると会社へメールを送った。送信は7時54分、そのとき、家人の悲痛な声が響いた。
 「むぎが息をしていない!」
 
 外出のしたくをする家人のそばにはりついていたむぎに、「むぎちゃん、だいじょうぶ? どうしたの? むぎちゃん……」という家人の声を聞きながら会社へメールを飛ばしたばかりだった。あわてて寝室に駆けつけると、たしかにむぎの呼吸は止まっていた。
 「むぎ、ダメだ! こんなに早く死んだらダメだ! むぎ!」
 もう手遅れとわかっていたが、ぼくはむぎを抱き上げた。目を閉じて穏やかな寝顔だった。胸の上でむぎの首がゆっくりと落ちていき、ぼくの腕で止まった。
 まさか、まさか、こんなことが……。激しい悔恨がぼくの全身を駆け巡った。
 12歳と6か月の生涯だった。せめてもう少し生きてほしかった。
 
 むぎは典型的な弱虫わんこだった。4歳年長のシェラ(♀雑種)に育てられ、守られて生涯を終えた。死ぬまで“母親”の保護下にあった、なんとも幸せな子だった。
 シェラ同様、むぎもまた物心ついたときからキャンプに連れ出された。シェラもキャンプにくると生きいきとしたが、むぎはシェラ以上にキャンプに順応した。
 
 シェラは、ときとして、得体の知れない恐怖から夜中に騒ぎだすことがあった。そのたびに、ぼくはシェラとクルマに籠り、朝までまどろんだ。クルマの中でぼくとふたりでいる分にはシェラの恐怖も軽くなるのか、吠えたり、怯えたりはしなかった。
 そんなときでも、むぎは家人とテントにとどまった。むぎがシェラを追ってこない唯一のケースである。
 
 キャンプの最中、むぎがシェラに張りついていることもたまにはあったが、たいてい、ひとりで行動した。テントの中から半身だけを外に出し、番犬と化していたのである。



 これはウェリッシュコーギー・ペングローブのあるべき姿そのものである。まだ1歳を迎えたばかりのころから、この天賦の能力を見せつけてくれた。
 しかも、いつのまにかわが家のテントを脱け出し、昼間、遊んでくれた女の子たちがいるテントへ出かけていってしまった。以来、いつもシェラに寄り添って行動しているむぎが、コーギーらしさを発揮できる唯一の場がキャンプだった。
 
 そんなむぎを失って、今年の夏のキャンプをぼくはやめようと思い、むぎの訃報に続いて姫路と飯田の仲間にキャンプ中止のお詫びメールを送り、快諾してもらった。 
 だが、家人の反応は意外なものだった。家にいればなおさら悲しいから、予定どおりむぎが大好きだったいつものキャンプ場へ行きたいと言い出したのである。
 
 むろん、キャンプ仲間もありがたいことに合流してくれるという。
 もうひと組、急遽駆けつけてくれることになった蕨の仲間は、ことのほかむぎをかわいがってくれて、また、むぎもそれをわかって、シェラに張りつくのではなく、蕨の仲間に張りついていたものだった。
 
 はからずも「むぎ追悼キャンプ」になってしまうが、にぎやかに、いつも以上に楽しんできたいと思っている。残されたシェラにとって、あと何回、キャンプに行かれるかわからないからだ。






野生の呼び声

2011-07-03 09:19:22 | Weblog
 このところハマっていたfacebookにもそろそろ飽きがきて、自室のデスクの前に座り、パソコンの電源を入れてもあまり気が入らない。

 なにか本でも読もうかと思い立ち、久しぶりに『野生学大全 OUTDOORMAN'S BIBLE』(CBS・ソニー出版)を引っ張り出した。「斉藤令介・著 佐藤秀明・写真」の手になるA4判の本である。
 ハンティング、フィッシング、そして、キャンピングを中心にアウトドア・スポーツにまつわるさまざまな要素がふんだんに織り込まれていて、この本を開くたびにフィールドへの想いが沸騰してくる。
 
 副題に、「ウィルダネス魂はカナダで生まれそして地球をめぐる」とあるように、カナダのウィルダネスを中心に斉藤令介氏のアウトドア・スポーツの迫力満点のドキュメンタリーが展開する。
 初版が1982年だから、そこに描かれている光景は30年ばかり前のアウトドアのスタイルではあるが、だからといってアウトドア・ライフの神髄が変わるわけもなく、むしろすべてがいっそう胸に迫る。

 心ならずもキャンプに出かけることができずに無為な日々を送っている無聊の慰めに読む本を、ぼくは何冊か持っている。そうした中でこの『野生学大全 OUTDOORMAN'S BIBLE』は、写真を見ているだけでも気持ちが昂ぶってくる。
 ぼくのやっているキャンプなど、この本に紹介されている本格的なアウトドアには比較すべきもないが、憧れだけはカナダやアラスカの原野にある。
 
 これまで何度となくアウトドア・ブームがやってきて、そのたびに新たなアウトドア・マンが現れた。フィールドにはたちまち喧騒が満ち、マナーは地に堕ちた。キャンプ道具、アウトドア関連商品のメーカーやそれを売るショップだけが潤った。
 やがて、ブームの終焉とともにフィールドには昔日の静けさが戻り、ホッとしている。嫌気がさしていたキャンプにもまた出かけようという気持ちになった。いずれまた、似たようなブームがやってくるだろう。それまで、つかのまの静けかなフィールドを満喫したい。
 
 『野生学大全 OUTDOORMAN'S BIBLE』とともに大切にしているアウトドア関連の何冊かの本は、きっと、ぼくがもっと年老いてフィールドに出ることが叶わなくなったときにも内なる野生の呼び声を満たしてくれるに違いない。
 いわば、ぼくの座右の書にして生涯の友である。

雨の日がうれしくなる

2011-06-19 21:04:24 | Weblog


 雨のキャンプが憂鬱になった。
 わりと最近までは、多少の雨の予報が出ていても、よほど荒れないかぎり、そして、撤収が、晴れないまでも曇りになりそうだったらどんどん出かけていた。土砂降りのなかでの撤収はほとんど記憶にないが、それでも雨のなかでの撤収は何度か経験している。
 いまでは梅雨の時期にわざわざキャンプに出かけなくなってしまったが、つい数年前までは、週末が梅雨の中休みにかかると知るや、週末に休暇をからめて近場のキャンプに出かけていた。むろん、雨支度はしっかりやって……。

 レインウエアはどんな時期のキャンプでも持参するが、この時期だと足のほうもそれなりの準備が必要になる。フィールドが濡れているのを想定していったほうがいいからだ。湿度も高いから雨が降らなくても靴が濡れやすい。
 これから夏にかけては、特に朝露で足元が濡れやすくなる。そんなときにちょうどいいのがガムシューである。30年以上愛用してきたL.L.Beanのメインハンティングシュー10"(写真後方)、通称・ビーンブーツ10"は、雨露への威力は絶大である。だが、脱着に手間がかかる。
 元々、湿地帯でのハンティングを想定したブーツだけにピーカンの夏場のフィールドにはいささか大げさに映る。

 ビーンブーツ10"は、雪の日の通勤に履いていくことはあっても、都会の雨程度だといかにも無骨すぎる。やはりフィールドにこそ似合うフォルムである。都会の雨にちょうどいいのがローカットのガムシューではないかと思いつつ、ついつい買いそびれてきた。まして、梅雨どきのタウンシューズに申し分ない。そう思いつつ、長い間、無精を決め込んできたが、今年、ようやくその気になった。
 異例の早さで入梅となったからでもあるし、原発事故のあおりを受けての節電対策で、会社でのクールビズが前倒しになったのもガムシューを買うきっかけになった。

 フィールドでの用途よりも雨の日の通勤時に履くためとはいえ、ニューヨーカーならいざ知らず、さすがに東京では、還暦過ぎた男がダークスーツにガムシューで行動するには度胸が要る。むろん、それが似合うひともいるだろうが、ぼくでは、とてもスーツを着てガムシューを履きこなすだけの自信がなかった。
 だが、クールビズが前倒しになり、早々とダークスーツを脱ぐことができた。チノパンにブレザー、そしてガムシューなら、ぼくでもなんとかカッコがつきそうに思えた。

 ローカットのガムシューは、元祖L.L.Beanをはじめ、Danner、BEAMSなど信頼に足るいくつかのメーカーからリリースされている。ほんとうは、それらすべての製品を実際に履いて、履き心地を試したかったが、行きつけのショップにはDanerスラッシャ-3アイレットだけしか置いてなかった。
 しかも、ぼくの足のサイズに合う製品は展示品一足のみ。ほかのメーカーの商品との比較検討ができないのが不満だったが、履いてみたらドンピシャリ! 履き心地はまるで誂えたようである。まして、Dannerの製品なら文句のつけようがない。躊躇なくその一足をゲットした。
 
 以来、雨降りの通勤が苦にならないどころか楽しみになった。そんな今年の梅雨である。ついでに、雨のキャンプが憂鬱ではなく、楽しみに変わってくれるとさらにいいのだが……。


「食」の楽しみあれこれ

2011-01-08 12:49:20 | Weblog
 キャンプの楽しみのひとつに「食」がある。
 三度三度の食事もそうだが、酒の肴を作り、食べる楽しみも野遊びのもつ非日常の愉悦といえる。「作る」楽しみと「食べる」楽しみのふたつだが主だが、もうひとつ仲間から「貰う」楽しみもある。
 
 今回は、実においしい差し入れがあった。ネット上の掲示板で知り合い、おつきあいがはじまった大津在住のPさんご夫妻からである。
 お酒をこよなく愛するPさんご夫妻は、ご主人がまた料理の名手。ぼくなどキャンプ以外は家でキッチンに立つことはないが、P家ではご主人のPパパが日常的にもマメにお料理を作っているらしい。
 
 さすがに味は玄人はだし、しかも盛りつけが美しい。キャンプのファッションも個性的でお洒落だけあって、料理にもそのセンスのよさがよく反映している。



 上の写真(いただいた半分近くを食べてしまってからあわてて撮影)は酒の肴にといただいた「馬刺し」である。わざわざ熊本・阿蘇から取り寄せた貴重な一品。

 これまであちこちで馬刺しを食べてきたけど、この馬刺しは馬刺しの概念が変わるほどのうまさだった。とろけるような食感は、醤油などかえってじゃまで、そのまま舌の上で転がし、ゆっくり噛みしめると極上の味わいが広がる。
 
 次に届けられたのがウナギのちらし寿司。これまた極上のうまさ。もちろん、Pパパの作である。舌を巻きつつ、舌鼓を打った。
 あまりのうまさに家人には分け与えず、ぼくがひとりで食べてしまった。



 今回のキャンプでわが家が用意したのは「トムヤククン」。
 わが家が年越しキャンプに出かけるのを知っているタイの取り引き先の社長が「キャンプでどうぞ」と、来日した社員に持たせてくれたタイ製のトムヤムクンセットを使った。これをP家とシェアしようとキャンプに持参した。 
 
 苦労したのは中に入れるエビの入手だった。キャンプ場が海に近いから簡単に手に入るとタカをくくって行ったら、正月だからかもしれないが、すべて剥き海老ばかり。クルマで走りまわってようやく天然の豪勢な海老8尾を手に入れることができた。
 
 この辛さというより、明快な味がなんともキャンプにふさわしい。
 ぼくがキャンプではじめてトムヤムクンのおいしさを知ったのは1998年6月20日の夜。
この日、ぼくはまだ若かったシェラ(当時3歳♀雑種)とふたりで道志渓谷のとあるキャンプ場にいた。タイの会社からおみやげにもらったトムヤムクンのレトルトパックをソロ用のポットで温め、カーラジオでワールドカップ・フランス大会の日本VSクロアチア戦に耳を傾けていた。
 試合の過程と結果には口惜しさが残ったが、トムヤムクンの切れのいい辛さと味の奥深さを堪能することができた。
 
 まだタイへトムヤムクンのお礼メールを出していない。この稿を上げたら、写真つきでメールを送ろうと思ったが、写真を撮るのをうっかり忘れていた。


どこで踏ん切りをつけようか

2011-01-03 20:21:43 | Weblog
 二、三年前から、そろそろ終わりかなと思いつつ、今年もまた伊豆の里山のキャンプ場で新しい年を迎えることができた。
 年が明けてほどなく16歳と12歳を迎える二匹の老犬たちが元気でいる間は年越しキャンプを続けようと思っていたが、犬たちよりもこちらのほうがバテはじめている。今年も初日の30日の曇天以外は晴天に恵まれたというのに……。

 元旦の朝はぐっと冷え込んで、朝の6時で気温はマイナス6℃、サイトの枯れ芝の上はもちろん、テントやクルマの上にも霜が降りて白く染めた。 



 今年の年越しキャンプでいちばんうれしかったのがキャンプ場がイーモバイルのエリアになったことだった。毎年、一応はノートパソコンを持ち込んではいたが、インターネットにアクセスするにはキャンプ場のクラブハウスの無線LANを借りる(有料)か、携帯電話につなぐしかなかった。
 今年は、この休み中に、可能であればやり終えておきたい仕事もあったので、イーモバイルのPocket WiFi(ポケットワイファイ)にノートパソコンとiPadを持参した。

 去年までのイーモバイルのサービスエリアは、とりわけ伊豆半島ではお粗末だった。ほかの会社の同種のサービスへの乗り換えを検討しようと思っていた。サービスエリアマップを見ると、伊豆半島もかなり改善されたのがわかる。

 でも、本当だろうか? ぼくは期待半分、懐疑半分のままでマシン類をデイパックに詰め込んだ。もし、本当にキャンプでも、携帯電話やスマートフォンではなく、PCでインターネットにアクセスできたら安心感がある。

 設営が終わり、ひと息ついてからさっそくポケットワイファイをオンした。里山の一角にあるキャンプ場でもバリバリに電波が届いていた。iPadのサファリでインターネットにアクセスしたり、メールをチェックしてみる。マシンはストレスなく動いた。

 だが、どれほどポケットワイファイが役に立ったのだろうか。
 三泊四日のキャンプ中、実際にポケットワイファイを利用したのはほんの二回か三回ほど。メールをチェックしたのと、いつも世話になっているキャンプ関係の掲示板に一度書き込みをしただけだった。

 チェックしておこうと思っていた仕事に手をつけることもなかった。時間はたっぷりあったはずなのだが、まったくそんな気にはなれなかった。仕事を忘れるためにやってきたキャンプなのだから当然と言えば当然だろう。
 もうこれからはパソコンもiPadも、いっそiPhoneさえも家に置いていったほうがいいとも思う。
 問題は、踏ん切りをつけるだけである。

 年齢的にも辛くなってきた年越しキャンプをそろそろ終わりにするのもどこかで踏ん切りをつければすむことなのだが……。


一泊キャンプで見えるもの

2010-10-31 20:24:39 | Weblog


☆一泊キャンプにいってみようか
 今年のわが家のキャンプの予定は年末年始の「年越しキャンプ」までは空白である。11月に祭日は二度あるが、どちらも連休ではない。休暇をとり、祭日をからめて連休にすればいいのだが、このご時世にどうも立場上やりづらい。

 11月のキャンプはあきらめつつ、土曜日から日曜日の1泊でもいいからキャンプしたいという気持ちを捨てきれないでいる。それもかなり本気で……。

 ついぞ一泊キャンプから遠ざかっている。
 一泊くらいならあわただしいし、のんびりできず、疲れにいくようなものだからやめておこうと、このところ計画さえしないできた。それでもあえて、いま、一泊キャンプをやってみたくなったのには理由がある。
 一泊ならば必要最小限の装備でいい。結果、理想的なシンプルキャンプ・スタイルで出かけていける。

 二泊だろうと三泊だろうと、本来、シンプルなキャンプ・スタイルでいいはずなのだが、このところ、ゴチャゴチャといろんなギアを持ち込むようになっている。久しぶりに一泊キャンプをやってみることで本来のシンプル・キャンプに戻れるかもしれない。そう思いついた。

 ひとりでキャンプを楽しんでいたころは、ひと晩、森で寝るだけでもうれしくてさっさと出かけていたものだ。あのころは、クルマで出かけるにしてもザック1個に収まる道具類でキャンプを楽しんでいた。

☆いつのまにかオート・キャンパーに
 あれば便利だけどなくてもいいキャンプ道具が増えてしまった。最初からなくてもいいような道具さえある。そんな道具にまみれていると、だんだん見栄張りキャンプ・スタイルになってきたような気がしてならない。
 この辺で一度、リセットしてみたいという思いが強くなってきた。

 二十余年前、女房がはじめてキャンプについていきたいと言い出したとき、それまでのソロキャンプの装備にぼくが加えたのは、モンベルのヘキサゴンのタープ、コールマンのワンマントルのガソリン・ランタン、スノーピークのフォールディング・テーブル、ガダバウトチェアなどだった。

 たっぷりの広さのタープがあって(それまではグランドシートをタープのようにして使ってきた)、テーブルと椅子があるだけでなんともリッチな気持ちになれた。嘘のようにまぶしいガソリン・ランタンに照らされたフィールドになじめず、落ち着かない一夜を過ごしたことをいまでも鮮明に記憶している。

 テントはモンベルのムーンライト3を使い、シュラフはぼくの冬用の天山を女房に与えたが、あのとき、いわゆる“オートキャンパー”に一歩近づいた。次のキャンプでは、テントがダンロップの大型テントに変わっていたし、ガソリンランタンももうひとつ増えた。
 調理用のストーブは、スベア123あるいはコールマンのピークワンからツーバーナー・コンパクトに変わっていた。
 
 それでもまだセダンのクルマのトランクに荷物が収まった。やがて道具たちが後部座席にまで進出し、女房とふたりではなく、ほかのだれかもまじえた三人、あるいは四人のキャンプに備えてクルマの屋根にキャリーを装着した。
 すると、運搬できる能力が高まるのを追いかけるようにして道具たちも大型化し、あるいはますます増えていった。かくして、たいした時間を要せず、ぼくは正真正銘のオートキャンパーに変身してしまった。

☆シンプルキャンプへの道のり
 激変して久しいキャンプスタイルをいまさら元に戻すつもりはない。ひとりで出かけていくなら昔のような素朴なスタイルもいいが、家族連れでの不便なキャンプをやるとなると、すでにぜいたくキャンプに慣れてしまったので何かと不安が残る。

 ただ、あまりにも贅肉がたくさんついてしまったいまの自分のキャンプスタイルを再検討する必要はある。それを一泊キャンプで試してみようというわけだ。
 道具を選別することで設営や撤収がいまの半分の時間と労力ですむとしたら大変な魅力である。たったそれだけのことでもワクワクしながら、頭の中で一泊キャンプ用の道具のリスト作りをはじめた。 
 
 そうしてわかったのは、キャンプ道具を減らすのは、身体についた贅肉を落とすよりも苦労しそうだということである。
 さて、どこまでシンプルな装備に戻れるか、せいぜい一泊キャンプで道具減らしに挑戦してみたい。

恐怖の夜の訪問者

2010-10-30 17:44:08 | Weblog
  

 先の清里での夜のことだった。

 かつてイノシシの訪問におびえた経験を持ち、今季はクマがくるかもしれないと家人がナーバスになっているさなか、イノシシでもない、もちろん、クマでもない、もっとかわいい小さな生き物が、さびしいキャンプ場のぼくたちのサイトへやってきた。
 写真のカエルである。だが、闇のなかで何か生き物の気配を感じ、それがカエルだと気づくまでの間の緊張感は尋常ではなかった。

 月の写真が撮れないものかとリビングシェルから出た。夜の闇に枯葉を踏みしめ空を見上げているとき、足元の異音に気づいてギョッとなった。風が枯葉を動かしている音ではない、何か生き物がぼくの足のすぐ脇で動いている。

 真っ先に浮かんだのがヘビだった。変温動物のヘビは寒さに弱い。動きが鈍くなってぼくの足もとにうずくまる姿を想像した。弱っていたとしてもうっかり踏んだりしたら噛みつかれるかもしれない。ビビった。
 
 そっとその場を離れ、リビングシェルに戻るといつもはクルマの荷台に常備してある大型のフラッシュライトを持ち出して、先ほど、音が聞こえたあたりへ戻って足元を探った。
 やがて光の輪の中に、枯葉の色にまぎれてはいたが、枯葉とは別の動きをする個体を見つけた。よく見るとこのカエルだった。
 昼間、気づいてはいなかったが、そのあたりには小さなU字溝があり、枯葉が覆っていた。カエルはその排水溝の中にいた。
 
 クマやらイノシシに比べて、なんと愛らしい訪問者だろうか。これから春までの長い眠りにつく直前である。
 早く冬眠の場所を見つけることができるといいね。
 ぼくはホッとして、一期一会の記念写真を何枚か撮り、リビングシェルに戻った。
 恐怖と緊張の夜の心なごむひとときだった。
 

わが家の掟

2010-10-22 22:25:08 | Weblog


(前のエントリーからつづく)

 「ムギ! ムギちゃん!」 
 姿の見えないムギに、女房があわてた。急いでもう一度インナーテントから出たぼくは、リビングシェルのジッパーを開いた。
 外へ踏み出すもなく、薄明の中、ムギが足元にいた。飼主たちの騒ぎ方が尋常ではないと思ったからなのか、外へ出て「伏せの姿勢」で静かに見張りについていたのである。
 
 モノの本によれば、コーギー(ウェルシュ・コーギー・ペンブローク)というイヌは、英国ウェールズ地方の牧場でウシや飼われていた牧畜犬だという。
 ウシやヒツジの足元を素早くかいくぐり、かかとに噛みついて追いたてるのだそうだ。そして夜は納屋に陣取り、ネズミを追い払って過ごすようなイヌである。
 
 警戒心が強い犬種だけあって、ふだんも家の玄関の前がムギの定位置になっている。外敵が玄関からくることを想定し、見張っているつもりなのだろう。いつも同じ場所で壁に寄りかかっているので、そこだけ壁が黒くなり、汚れが落ちなくなったしまったほどだ。

 キャンプへくるとそんな本能を持ったイヌだというのがよくわかる。下の写真のようにテントから半身を外へ出し、見張りをはじめる。そして、ときおり、テントの周囲を見てまわり、また出入り口近くで見張りに戻る。
 四六時中、歩哨をやっているわけではないが、イヌの本能で何かを察知すると見張りに出ていくらしい。



 ほかのイヌが飼主といっしょに自分たちのサイトの前を通っても、ムギが吠えることはない。だが、ふだん、家にいるときの行動から類推すれば、もし、異変を感じたら激しく吠え立てながらシェラへ報せに戻ってくる……はずである。
 こんな特性ゆえに野遊び同伴犬としてはうってつけのように思える。ところが、これが役に立ったためしがない。
 
 たとえば、本栖湖で野生のキツネが二度にわたって食べ物乞いにやってきたときも、はたまた、昨年、今回と同じサイトでイノシシらしき野生動物が脇の藪を通っていったときもテントの中でおとなしくしていた。キャンプ同伴犬として15年のベテラン犬もまた同じである。
 
 イノシシやクマなどの大型獣に対してはもちろん、キツネやタヌキが相手であっても、飼いイヌ風情がなまじ騒いだりすると面倒を引き起こしかねないだろう。ましてや、うっかり、突っかかっていったりしたらとうてい無事にすむはずがない。なんせ、相手は日夜命がけで生きている野生である。
 
 野生との遭遇にあたって、わが家のイヌたちがおとなしくしていたのは、(ちょっとうがちすぎかもしれないが)野生の持つ迫力に圧倒され、とうてい比較にならない実力の差を悟っての知らん顔だったのかもしれない。

 アウトドアでは、決してツッパらず、「蛮勇を捨て、安全に徹する」のがわが家の掟。
 「キャンプに雨は関係ないよ」なんて勇ましい気持ちはまったくない。多少の雨の予報や、現地で想定外の雨に遭うのはしかたがないが、まず、悪天候の可能性があったら最初から出かけていかない。
 キャンプの最中、天気予報で「○○地方の今夜は雷を伴った風雨で荒れ模様になる」とか、台風が速度を上げたり、コースを変えたりで影響が出てきそうなときはもちろん、なんだか知らないが気分のよくないキャンプ場だというだけでもさっさと撤収して帰ってくる。

 物心つく前からキャンプを経験してきたベテラン犬二匹だけあって、ちゃんとそんな家憲を守っている……と見るのもまたうがちすぎだろうか。

クマがきた!?

2010-10-19 22:13:50 | Weblog
☆その朝…
 この週末に出かけたキャンプ2日目の朝、突然、隣で寝ているはずの女房に起された。
 「何か動物がいる。足音が……」
 真剣な顔である。
 腕時計を見ると午前5時少し前、外はまだ暗い。女房は、枕元のフラッシュライトを点けると、音がしたというリビングスペース側のウォールを叩いた。ぼくは何の気配も感じない。
 シュラフから脱け出し、インナーテントのジッパーを開く。
 「危ないわよ」とおびえる女房に、「大丈夫だよ」と答えてリビングスペースをのぞいた。女房のいう動物の姿はどこにもなく、なんらかの狼藉を受けた痕跡さえない。念のために外へ出てみたが、まだ眠りの秋の風景が薄明に浮かんでいた。

☆弱虫ワンコたち
 動物がテントに入ってきたというが、いっしょに寝ている二匹のイヌたちはまったく反応していなかった。ぼくがインナーテントに戻ると、ムギ(コーギー♀11歳)の姿がない。どうやら、ぼくといっしょに外へ出て行ってしまったようだ。
 「ムギが食べられちゃう!」
 女房があわてた。

 わが家のイヌは二匹ともひたすら弱虫である。とりわけムギは闘争本能が欠落しているとしか思えないほどの弱虫ワンコだった。野生の動物と対峙したらひとたまりもない。最初の一撃でおしまいだろう。まして、女房は、クマがきたのではないとおびえているのである。

 全国でクマが山から下りてきたというニュースがあふれている。今回のキャンプにあたって、彼女はそれを危惧していた。昨年の春、同じキャンプ場で、夜、イノシシ(たぶん、ウリボウ)と遭遇しているからだ。姿こそ見ていないが、すぐ脇の笹薮をブヒブヒいいながら通り過ぎていく動物を確認している。
 元々、八ヶ岳山系にイノシシはいなかったが、いまは秩父のほうから集落の橋を渡ってこちら側へもやってくることがあるという。

 ぼくも三十代のはじめ、渓流釣りで出かけた奥多摩で子連れのクマに出くわして、それは怖い思いをしているので、女房のおびえ方を笑うわけにはいかない。
 あのときは本当に怖かった。パニックというのがどういうものか、ぼくは身をもって知った。恐怖で全身の体毛が逆立つというのも体験した。思考が混乱するのをどうしようもないこともわかった。



☆だからこそムギが危ない
 女房がクマにおびえる伏線が前日にもあった。
 昼食にでかけた富士見高原のレストランで、クマに注意してくださいと書かれたポスターを彼女は見ていた。夜が深まるにつれて恐怖心が募ってきたところで、隣接する集落の防災無線のスピーカーから何か聞こえてきた。だが、遠くて、何をいっているのかまったくわからない。
 「クマかイノシシが出たから気をつけるようにっていう放送じゃないのかな……」
 彼女は、そうやっておびえながら就寝していた。

 月曜日のこの朝、キャンプ場には二組しかテントを張っていない。もう一組のテントは、はるか数十メートル先である。そんな心細さも手伝っての緊張状態にあった。少しの音でも鋭敏に反応できたのだろう。
 キャンプ場独占状態のキャンプの夜は何度も経験してきた。自分たち以外はそのフィールドにだれもいない心地よさを知っているはずなのに、この夜の女房はクマやイノシシの気配にナーバスになっていた。
 
 そして、コーギーのムギがいなくなった。
 わが家へきて以来、11歳の今日まで、ずっと先住犬のシェラ(雑種♀15歳)の庇護の下に生きてきた幸せなイヌである。いまもって、ちょっとでもシェラの姿が見えないとあわてにあわてて探しまわるほど依存している。
 それなのに、キャンプのときだけは、コーギーらしさを発揮する。外敵の接近を見張り、ときおり、テントの周囲をパトロールするために出ていってしまう。
 だからこそ危険なのである。

 なんらかの野生動物がきたという話は半信半疑ならがら、ムギを見失ってぼくも少なからず慌てた。
(つづく)

わが家の新兵器<キャンプ用カセットコンロ>

2010-09-12 15:18:49 | Weblog
☆わが家の最終兵器か?
 新兵器というよりも、火器に関してはわが家の「最終兵器」になりそうなのが昨年から使っているイワタニのカセットコンロ(カセットフー マーベラス CB-MVS-1・ほかにグリーン色がある)である。
 
 これまでのぼくの火器の変遷を振り返ってみると、最終兵器がカセットコンロというのは、ずいぶん遠まわりをしたものだと思う。
 最初は炊事用の火器などなく、キャンプといえば焚火が基本だった。雨の中でもどうやって火を起こしたらいいか真剣に工夫し、本番のキャンプがすべて訓練の場でもあった。
 雨の中で、せめてお湯でも沸かせるようにとひそかに固形燃料(スイスメタあるいはエスビットなど)やゼリー状の固形アルコール燃料をザックにしのばせていた。
 
 革命的な変化は1970年代なかば、アメリカからやってきた「バックパッキング」の潮流だった。故・芦沢一洋氏などによって紹介されたバックパッキングは、その後の日本のアウトドア・シーンを大きく変えた。
 火器に関していえば、ぼくははじめてホワイトガソリンを燃料とする「スベア123」や「オプティマス8R」の存在を知ったし、その両方を使ってアウトドアを楽しむようになった。
 
 やがて「オートキャンプ」という和製英語が作られ、クルマを使ってキャンプに出かける楽しみ方が定着していった。子供のころからアメリカのカタログ雑誌で眺めていたコールマンのランタンやツーバーナーが身近になった。
 このふたつはオートキャンプの象徴的なアイテムであり、キャンプをリッチに演出するのに不可欠な存在ですらあった。

☆カセットコンロに勝るストーブはない
 クルマを使っても、ソロでキャンプを楽しんでいたうちは、コールマンのピークワンストーブが活躍してくれたが、家人も参加するようになるとキャンプ道具も次第に大げさになっていった。

 すぐにツーバーナーが必需品になったが、クルマが乗用車だったので、標準型よりひとまわり小ぶりの「コンパクト」を購入した。このコンパクトは15年以上活躍してくれたが、グループでキャンプをする機会が多くなった数年前に標準型も導入した。
 だが、当時すでにわが家のキャンプキッチンの主役はカセットコンロになっていた。といっても、家庭で使うありきたりのコンロである。

 このカセットコンロをメインにして、ツーバーナーやコールマンのシングルバーナー、あるいは、カートリッジのストーブがサブのバーナーになっていた。文字どおりの主客転倒であった。
 
 カセットコンロの弱点はただ一点、寒さに弱いということだった。厳冬期といっても雪上キャンプのようなハードなキャンプではなく、せいぜい伊豆の里山にあるキャンプ場での年越しキャンプや、3月もしくは11月などの時期、ときには小雪が舞う程度のキャンプでも火力が若干弱くなった。
 そんなときは、ボンベをコンロから外して手のひらに包んだり、暖房用のストーブにかざして暖めてやりながら使ってきた。一見、面倒なようだがツーバーナーを使うよりは使い心地がよかった。
 
 カートリッジ式でオートキャンプ用に開発されたストーブもあるが、まず、ランニングコスト面で勝負にならない。それにカートリッジが荷物になるし、カートリッジがどこでも入手できるとはかぎらない。その点、カセットは安価だし、日本中で入手可能であり、操作もきわめて簡単である。
 
 それなら、いっそカセットを燃料にするツーバーナー・ストーブにすればいいのだが、なぜかそこまで徹底できないできた。いざとなれば、卓上用の(安価な)コンロをふたつ買えばすむし、クルマへの収納(わが家は運転席の座席の下に入れている)も楽である。

☆目をつぶってゲットしたが…
 アウトドア・ショップで、写真のカセットコンロ(カセットフー マーベラス CB-MVS-1)を見つけたとき、思わず手が伸びた。プライスカードを見てすぐに手を引っ込めた。
 「たけえなぁ~。いくらなんでも……」
 それが最初の感想だった。
 
 しかし、造りは頑丈だし、蓋が風防にもなる。キャンプに適したように設計されているので五徳もしっかりしていて小ぶりのポットやヤカンを置いても安定性がある。蓋は外せるから鍋ものをやるときだってじゃまにはならない。
 1万円台もなかばというとほかの火器だって手が届くし、コールマンのツーバーナーよりも値がはるが、カセットコンロの使い心地のよさを知った身にはよだれが出そうなほど欲しいシロモノだった。
 
 かなり躊躇しながらも、去年の秋、目をつぶって買ってしまった。
 使ってみた感想だが、高い買い物ではなかった。蓋があるから収納に気を使う必要がない。10年ほど使った家庭用のカセットコンロは、買ったときについてきた段ボールの箱がボロボロになるまで使ってきた。このイワタニのカセットフー マーベラスは蓋を閉じてそのまま収納すればすむ。
 
 もっとも、カセットコンロじゃカッコつかないという方や、料理なんか作らず、テントの前にこれ見よがしに磨き上げたツーバーナーを飾って悦に入っている手合いには無用の長物になるが、アツアツ料理をおいしく食べたいノーマルなキャンパーには強い味方になってくれる。
 
 だからこそ、わが家の最終兵器なのである。