
■ たまにはサイトでのんびりしようじゃないか
駒ヶ根の二日目は、木曽方面にかけて午後から雨の予報が出ていた。しかも、まとまった雨量らしい。朝は雨こそ降ってはいなかったが、雲がどんよりたれこめていて、遠出をしたいという気になれない。
そこで、この日はどこへもいかず、まずは休暇村内にある「露天こぶしの湯」で温泉へ入り、そこで昼食をすませてから駒ヶ根という街を見てみようということになった。
まずは管理事務所が開くとすぐにとりあえず二日分の延泊の手続きを終えた。もう一日どうするかはまた先々で考えればいい。
前夜からの先客三組のうちの二組は、朝早くから撤収をはじめていた。雨の予報に追われているとの理由もあったろうが、このキャンプ場のチェックアウト時刻が午前10時と定められているので朝があわただしくなる。ほかのキャンプ場と比べるまでもなく、かなり早い。
「何もしない。どこへもいかない」と決めたキャンプ本来のキャンプはなんとものんびりできていい。女房がキャンプへくるようになってからサイトでのんびりする当たり前のキャンプから、クルマであちこちへ出かけていく観光キャンプに変わってしまっている。動いているのが嫌いじゃないが、どうも忙しくていけない。たまにのんびりできるとホッとする。
退屈してきたら持参したダッチオーブンのメンテナンスをすればいい。10インチポットとサービングポット、それにスキレットも持ち込んでいる。ダッチオーブンのメンテナンスについては、日本における「ダッチオーブンの伝道師」たる菊池仁志さんのご指南にしたがって最初はやっていたのだが、そのうち、自分なりの考えでまったく別の、もしかしたら邪道かもしれない流儀でやるようになった。正統派の熱心なダッチャーの方々の非難を覚悟で、いずれレポートしたい。

■ 何年ぶりのキャンプ温泉だろう
ひとりでキャンプをやっていたころは、キャンプで温泉に入るという発想がまったくなかった。
ちょうど20年前、家族に迎えたばかりのわんことふたりで奥日光の湯西川温泉郷の近くのキャンプ場へ出かけたとき、夜とともに数組いたグループが消えてしまい、戻ってきた彼らがいずれも風呂上がりだというのが遠目にもわかった。有名な温泉が近いのだからあり得る光景だったが、そんな彼らがぼくの目には物珍しかった。
やがて女房も一緒になって冬もキャンプを楽しむようになると、夜、寝る前に焚火で暖をとるだけではなんとも寒い。まだスクリーンタープが出現していない時代である。
女房がキャンプへくるようになって、まずテントを新調した。ダンロップのダルセパクトという、ロッジ型とカマボコ型とドーム型をミックスしたようなテントである。荷物を収納できる前室をそなえており、インナーの寝室を外せばスクリーンタープのように使える。ぼくが買ったのはインナーが小さくて前室が広めのタイプだったが、前室をリビングスペースとするにはやっぱり狭く、寒い時期は相変わらず焚火の前で過ごしていた。
日帰り温泉があちこちに出現しはじめた時代だった。ぼくたちがホームグランドのようにしていた田貫湖キャンプがある富士宮にもゴミの焼却施設の余熱を利用した「天母(あんも)の湯」ができて、ぼくたちはキャンプの度に通うようになった。
もともとふたりとも風呂好きだったから、ふだんは毎日風呂を沸かして入っている。キャンプでわんこをクルマの中に置いて日帰り温泉にいくのが苦痛ではなかった。むしろ、キャンプの新たな楽しみになっていた。

■ 冬でも温泉にいかなくなったわけ
このころのぼくたちのキャンプは四季を通じて日帰り温泉に通ったし、日帰り温泉ばかりか、キャンプ場によっては近くのホテルの温泉も利用した。それをピタリとやめてしまったのは、詳細は書かないが、ゴールデンウィークで出かけた富士五湖エリアにある日帰り温泉での不潔な光景を女房が見てからだった。
元々は、2日や3日風呂へ入らなくても森の中では平気でいられる。これがぼくらのアウトドアでの基本である。もし、汗ばんで不快だったら、昔のように濡れタオルで身体を拭けばいいし、いまどきのキャンプ場ならシャワーくらいそなえている。
温泉に出かけなくなった理由のもうひとつは、スクリーンタープの登場で、真冬でも焚火に頼らなくても暖かく過ごせるようになったからである。身にまとう冬装備も冬山なみに充実して寒さ知らずになっていた。
かつては焚火は調理のために、そして、お湯を沸かし、寒い時期は暖をとり、団欒のためのかけがえのなりアイテムだった。少なくともぼくにとって、焚火とキャンプは切っても切れない関係だった。
飯盒をはじめ調理道具を煤だらけにし、暖をとるために手をかざしても身体の前面は暖まっても背中が寒い。背中を温めれば火に向いていない顔から身体の前が冷えびえしてしまう。焚火を囲んでの団欒では、風下に座った不運な誰かが煙でいぶされてしまう。それが焚火だった。
以前はテントの中でガソリンランタンを灯していたばかりに二酸化炭素中毒で亡くなる事故が起こっていたが、フライシートで雨をよけてテント本体に通気性をもたせるようになって、そうした事故は聞かなくなった。
電源サイトにスクリーンタープを張り、その中に電気ストーブを引っ張りこめば酸欠の危険はない。石油ストーブをもってくる剛の者もいるが、ベンチレーションに気をつかえば大きな問題はないだろう。どちらにしてもキャンプらしくはないけれど……。

■ キャンプで温泉がヤバくなったなんて
かくして、ぼくと女房にとって、キャンプでの温泉は10数年ぶりだった。
最近の日帰り温泉施設の実情を知らないので論評できる立場にはないのだが、露天こぶしの湯は、こうした旅行村に造られた温泉施設としては標準的であろうと思われる。施設としては新しくないが、きれいに管理された気持ちのいい温泉である。温泉大好きのせがれはたっぷり入っていたが、ぼくも女房も申し合わせたようにさっと入ってすぐに食堂へ移動して彼を待った。
久しぶりのキャンプで温泉はたしかに気持ちよかった。だた、汗を流した程度だったにもかかわらず、食後に駒ヶ根の街へ移動してから影響が出た。スーパーマンでの買物の最中、「なんか湯当たりしたみたい」と女房がつぶやいたのである。
実はぼくもけだるくなっていた。湯治宿の畳の上でごろりと横になりたい気分だった。
スーパーから駐車場へ出ると、雨が降りはじめていた。スマホに大雨をもたらす雨雲が迫っているとの警報を受け取った。身体のだるさなど忘れて急いでサイトへ戻ってまもなく、雨は本格的な降りになっていた。
スクリーンタープにも雨水が流れ込んできて、足下はびしょ濡れになっている。モンベルのムーンライトには絶大な信頼をおいているが、念のためにスクリーンタープのアストロドーム内に移動して高い位置に置いた。万が一にもダウンのシュラフを濡らしたくなかったからである。
この日、遠出しなかったのは正解だった。
誤算だったのは温泉での湯当たりだが、午前中に入る温泉が老いの身にこれほどこたえると知ったのは収穫だったかもしれない。
かくして、午後5時過ぎまでの2時間あまり、雨の音を聞きながら、ぼくたちはひたすらスクリーンタープで無聊をかこつくとになる。湯当たりした身体を休めるちょうどいいひとときでもあった。
(つづく)