マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

ブログのテンプレート-「ちょぼ」のキャラクター

2007年12月18日 23時26分06秒 | ◆スピリチュアル:前を向いて歩こう
「ちょぼ」というキャラクターが気に入って、今ブログのテンプレートに
しています。

この二匹が揃って歩いている姿が、私と生前の彼女に思えたからです。

こんな感じで、二人でスタスタと揃って歩き、二人でいたからこそ、気持ちの
面でも「世の中、何とか渡っていける」と思っていました。

彼女と言い合い(くちゲンカ)をしたときに、最後に私から言っていた
言葉があります。

「二人しかいない世界なんだから」「もう言い争うのは止めようよ」と。
「二人とも、遠いところから、こうして出会ったんだから」と。

確かに、親も友だちもいます。
でも、一緒にこうして過ごしているこの瞬間は、二人だけの世界。

二人しかにないんだからと言うと、彼女も悪かったなぁという表情になって、
そして、その後はまた仲良く二人で過ごしました。

4月の下旬から、6月1日の事故で彼女がこの世を去るまでの間は、仕事以外の
時間はずっと一緒に過ごしました。

京都で住まいを借りていましたが、4月末に退去届けを不動産会社に出していて、
また、一緒に住むことになっていました。
部屋は家賃を払っていても、荷物の半分くらいは、私の部屋に移していました。

亡き彼女は、一度は京都に住みたいと憧れて、2年近く一緒に過ごした私の住まい
を出たのですが、一人では生活も厳しく、そして寂しいからと戻ってきました。
(その前は、名古屋市名東区で1年近く一緒にいました)

亡き彼女は彼女なりに「自分は何がしたいのか」ということと戦っていたように
思います。

私もそういう時期がありました。
「手探り」といいますか、「自分は一体何がしたいのか」
「どう生きたいのか」ということを考える時期です。

今の私は、やりたい仕事というよりも「自分にできる仕事」を「生きるため」に
選んで、そして働いています。
もういい歳だから気持ちの中では割り切れているのでしょう。

しかし、
働いて、稼いで、それで「あなたの目的は?」「将来の夢か何か無いの?」
「向かう先を創らないの?」と言われましたら・・・

今、私は彼女が生前言っていた「人生暇つぶし」
をしているだけなのかも知れないって思います。

暇つぶしというと、捨て鉢ぽい言い方に聞こえますが、
彼女とまた逢うために、そのときが来るのを待っているような状態の私である
ように思います。(何もせずというわけではなく、いまのように働きながらです)

・・・

このちょぼのように、また二人で歩きたいです。

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 町村官房長官「UFO絶対い... | トップ | 宅建業法違反 レオパレス2... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yoko)
2007-12-19 15:14:59
akiさんの気持ち、ほんとによく分かります。
ちょぼのように二人で歩いていた人生。何をしてもらうでもなく、ただいてくれるだけで自分も強くなれましたよね。意外かもしれませんが、私の方がkazuを引っ張っているという部分がありました。kazuといた頃の私は強くて逞しかったと思います。『はいっこれして!はいこっち!』世話を焼くのが好きで、それを有難いと言ってくれるkazuの存在がどれだけ私を満たしてくれたか分かりません。
その存在を失くして、自分がどれだけ中途半端で、一人では何も誇れるものもなくて、小さな存在であったか思い知りました。私もakiさんやわかなさんと同じく『手探り』の時期を今まさに過ごしています。江原さんの本を読まれていたわかなさんの気持ちもよく分かります。他人のようには思えないです。(学生時代のゼミは哲学でした)
akiさんが私と同じ葛藤を抱え、でも彼女への愛もいっぱいに生きてらっしゃる姿を見て、本当に勇気がわいてきます。やっぱり偶然でなく知り合うべくして知り合えたのかな?と思います。ブログの誕生日もそうですが、どうも前に言った大学の場所も県だけでなく街まで一緒っぽいです。M君は名古屋大学、Yさんは京都大学です。どちらも市内ですよね。ただの偶然かな?

返信する
Unknown (管理人)
2007-12-20 00:52:23
同じ境遇で頑張って生き抜いているyokoさんと知り合えて、とても気持ちが救われました。そうなんですよね、いてくれただけで凛として、そしてしっかり地に足をつけて生きて来れました。kazuさんがyokoさんのそばに居てくれているだけで、yokoさんもそうだったことと思います。わかなちゃんが居てくれたら、私は田舎の従業員5名の小さな不動産屋でのんびりと当面の間は、二人の生活をまだまだ楽しんでいたと思います。そして、ある程度貯蓄したら、彼女の郷里の北海道へ行っていたことに違いありません。しかし、今は何の目的も目標もないというのが正直なところです。だから、忙しい会社で気を紛らわそうと、またどうせ行くなら、もう一度上場企業という組織へ行ってみようと、そう思ってようやく行動し、今は時が経つのを淡々と過ごしていこうとしています。

私もどちらかというと、彼女のほうが親分肌で私は引っ張られていました。あんた小心者だねとよく言われたものです。こんな私では不動産業界は生き抜いていけないでしょうけど、でも「知っている、今すぐやれる仕事」となるとこれしかないので、そうしているだけです。

yokoさん、手探りの状態って精神的にしんどいですよね。「何でもやったらいい」「あなたは自由よ」「何も遠慮することなくやりたいことをやりなさい」ということがどれほど不自由で、そして自由でないのか、私はよく分かりました。彼女がいて、いつかは北海道へ行く。だから、今、どうしたらいいのか、北海道へ行ったらどうしようかと限定といいますか、決められた枠のようなものがあったときのほうこそ、今考えれば「自由」だったように思います。

yokoさん、ぼちぼちでいいですから頑張って乗り越えてください。私も今はとにかく慣れる事覚えることを覚える=そうして、生活の糧を得るのために働いていますが、将来の目標である税理士を諦めたわけではありません。きっといつか税理士になります。結局今の仕事にしましたのも、亡き彼女の法事(次は三回忌)は、彼女の実家が自営をしている関係で、水曜日に行われるので、私も水曜日が休みの会社を選んだ次第なんです。私にはもう土日祝日はいらないんです。また、税理士になったら、時間の都合はいくらでもつきますから。

県だけでなく街もですか!MさんもYさんも凄い大学を出てますね!京大は鴨川より東ですね。左京区。わかなちゃんも京都市内でも鴨川よりも東に住んでいましたよ。京大までは住まいから2度曲がり角を曲がったら京大に着く様なところにです。名古屋に住んでいたときには、住まいを出て、数十メートル先の一箇所目を左に曲がり、そして300メートルくらい進んで二箇所目の角を左、そして200か300メートルくらい先の三箇所目の曲がり角(ブックオフのオフハウス?SEEYOU?(古着専門店)が見える交差点を右に曲がり東山の裏道(表は星ヶ丘)を越えて抜けていくとUFJのATMが交差点の角に見えてきて、そこはもう名古屋大でした。

偶然なのかどうか・・・
ただ不思議なことは、京都市内でも名古屋市内でも市内は田舎と違ってあんなに広い街なのに、わかなちゃんは近くにいたということですよね。

不思議ですね。。。

またお気軽にお立ち寄りください。有難うございました。
返信する
Unknown (管理人)
2007-12-20 02:56:51
yoko様、そうそうもしMさんにお会いすることがあったら、聞いてみてください。確か、そのUFJ銀行のATMが見える近くに小さな神社か何かがあったと思います。確か赤い鳥居があって何層かくぐるように並んでいるような鳥居だったかと思います。

今、インターネットの地図で見ましたら、たぶん千代保稲荷神社?というところではないかなぁと思います。確か・・・もっと道に近くだったような、小さい鳥居が何層もあったと思うんですけどね。とにかくこの道沿いは1年間のうち少なくとも60~70回はわかなちゃんと一緒に車で通っていた道です。

わかなちゃんはよくその鳥居を見ては、ああいうの(雰囲気)が好きだとか、綺麗だとか言ってました。
住まいは、神丘中学校のすぐ近くに住んでました。私も1年間一緒に住んでいました。
gooマップの航空写真で見ましたら・・・写真と建物名称が出ていました。みどりの色の名前がついた建物です(スバリ建物名称を書くと、オーナーさんが何かの検索でこのブログが引っかかって読んでびっくりしたらいけないので伏せておきます。が、分かると思います)。

Yさんには、出町柳駅の近くって通る?と聞いてみてください。わかなちゃんは、そこにあるスイミングスクールに行ったことがあるようでした。百万遍の交差点付近にあるモスには私もわかなちゃんと一緒に行ったことがあります。反対車線にダイソーでない100円均一のお店があったので、そこにもたまに寄っていました。この百万遍の交差点のみずほ銀行の宝くじ売り場は、京都で2番目(一番は地下街)によく1等が出ると京都の方に聞いて買いに行ったことがあります。あと、わかなちゃんから唯一の「行きたい!連れて行って」とリクエストされて一緒に行った知恩院の日曜市?もこの付近だと思います。
返信する
Unknown (yoko)
2007-12-22 09:13:40
>「何でもやったらいい」「あなたは自由よ」「何も遠慮することなくやりたいことをやりなさい」ということがどれほど不自由で、そして自由でないのか・・
全く同感です。その通りですよね。私の場合、仕事もありませんので本当に宙ぶらりんで逆に窮屈です。一緒に支えあって生きていく人(kazu)も失ったばかりだから当然なんですけどね。頑張って税理士になりましょうね!私も頑張ります!
京都と名古屋の街並み、覚えられそうにないのでプリントアウトしないと(笑)M君は実家も市内なので、きっとakiさんの思い出の地も知っていると思います。大学も6年行っているから、ひょっとしたらすれ違っているかもしれませんね。
Yさんは薬学部だったので、左京区役所の近くですね。5年ほど前まで8年間学生でした。(かぶってるかな?)

返信する
Unknown (管理人)
2007-12-22 22:31:33
yokoさんは、今は充電期間ですよ。仕事は、急いでも焦っても仕方がありません。気持ちの面がある程度落ち着かないとね。私だってつい最近まで宙ぶらりんでしたから。新しいところ(会社)では、私の身の上のことなど理解などされません(何で辞めて帰って来たの?と聞かれた方には話しましたけどね)。面接の際、辞めた会社の理由を一づつ聞かれましたので、前職については事実を話しました。でも、「あ~そうだったんですか・・・なるほど」とか「大変だったんですね」なんて言葉の一言もありませんでした(別に同情して欲しいわけでないですけど)。ここだけではなく、世の中そんなものなのでしょうね。。。

そうですね、お互いに何かしらの目標を持って頑張りましょうね☆私も「税理士になる」という夢は諦めません。

私が京都に住んでいたのは今から約7~8年くらい前ですが、京都には前職の会社の京都事務所があったし、彼女も住んでいたし、よく京都へ行っていました。名古屋は、平成14年4月から15年2月末までです。ただ15年の8月までは土日祝はいつも彼女のいた名古屋に行ってました。名古屋市名東区にヤマダ電機が出来る前後の頃のことです。YさんやMさんともすれ違っているかも知れませんね。

またお気軽にお立ち寄りください。コメント有難うございました。
返信する

コメントを投稿

◆スピリチュアル:前を向いて歩こう」カテゴリの最新記事