マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

故人を偲び、精神世界について改めて向き合ってみて

2020年08月14日 00時32分05秒 | ◆スピリチュアル:前を向いて歩こう
8/14お盆の時期になりましたね。

新型コロナの感染蔓延で多くの方がお亡くなりになり、
また数十年に1度と言われる豪雨災害が毎年のように
起こっており、非常事態、異常事態ばかりが発生して
いる年になっています。

3蜜を避けるため、今年は海開きも中止となっている
海岸も多く、そうなると海を避けて川へ行き、川で
災難に遭われる方が増え、悲しい事故の報道ばかり
のように思います。

ご冥福をお祈りいたします。

地元でも夏祭り、そして秋の祭りも今年は中止になった
と聞きました。

暗い話ばかりで、また多少は外出しても、不要不急の
外出は自粛してくださいと、これだけ報道されていまし
たら、心理的に出歩かなくなりますよね。

自分自身の健康にも良くないです。
やっぱり、どこか体調もおかしいと感じています。

・・・
最愛の彼女を亡くしてから、丸14年経ちました。
振り返ってみますと、月日が経つのは早いなぁと感じ
ます。
新たなスピリチュアルな書籍は、ここ数年読んでいませんが
このブログの記事に書いています通り、色々な書籍を読んで
みて、結論として「亡くなったのち、どうも目には視えない
世界、あの世=精神世界はありそうだ」という思いに気持ち
が固まったため、それなら寿命まで生き抜いて、いつか必ず
訪れる死、お迎えが来たときには、先立った最愛の人とまた
逢えると思って生きて行くという気持ちになれたように思い
ます。
なので、忙しなく、この現世であくせく働いている自分が
いるのだと思います。

・・・

なぜ、「精神世界(あの世)があるから、今はいまで生きよう」
と思えるようになったのか?

自分自身を振り返ってみますと、1つは最愛の彼女が亡くな
った当初は、あれこれと彼女の生きた証、彼女と一緒に
行った場所、彼女だけが行って来たという場所などを行って
見たり探しものを見つけるかのような行動をしていました。
故人の痕跡、故人が確かにここで生きていたんだという証拠
を見ては、そこに、ここに、今も存在している、生きている
それを確かめて実感したかったからなのだと思います。

そして、私の場合は、亡き彼女がベッドの枕元に置いて
あった江原啓之氏の「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」
を目にして、「何を読んでいたの?」と思って読んでみると
そこには、出会い(偶然ではないこと)、死後についてなど
が書かれていて、びっくりしたことから、人って亡くなった
あとどうなるのかを考えさせられたことからでした。

確か、ベッドで寝転がって何かを読んでいて、いいこと書いて
いるから私も読んでみたらいいと言われたことを思い出しました。
ですが、書籍のタイトルも中身を言わずでした。

何冊かのスピリチュアルな書籍を読み進めていますと、
「あの娘、こんなことに興味を持っていたのか」「当時は、
たぶん『変な人』とか思われるとか思って言わなかったのかな」
とも考えました。

確かに、たまに今でも、死のことや最愛の人を亡くして悲しい
という話を社内で聞いて話を振られると、熱が入って見えない
世界のことを話続けることがありました。

しかし、ふと気づくと、聞いている人はドン引きしている感じ
になっていました。
あぁ、語り続けるのはマズいなと思ったりしました。
私も彼女を亡くすまでは、スピリチュアルなことなど考えたこと
がなかったのでそうだろうな、引くだろうなと思いました。

色々なスピリチュアルな書籍を読んで、ふと気づいたことがあり
ました。
それは、カタチ、表現が違っても、どの書籍も言っていることは
同じだ、というところです。

凄く現世に近い(いわゆる現幽界、現世に未練や心配事を持って
いる未浄化霊がいるような世界)ところから、あの世でも幽界の
下層部(現世を生きたときの悪い面を持ったままの霊)から上層部、
そして霊界(生まれ変わりも含む)、神界の世界など、その一部を
表した書籍から、全体像を書いている書籍など、読み初めのうちは
「あの世」って、人によって見え方が違うの?
じゃあ、本当はどれなの?1つじゃないの?
話がバラバラで、やっぱり見えない世界のことなので胡散臭い
話ばかり?
と思いましたが、あれこれ読んでいますと、「なるほどね」と
見えて来ました。このブログを読んでいる皆さんも見えて来る
と思いますよ。あの世の地図、仕組みですね。

それが分かる(感じ取れる)と「なんだそういうことか」と思えて
きます。

そうなりますと、あとは「自分自身の気持ち(心)次第」かと
思います。
故人への想い方も変わってきます。
はじめは「どうして、居なくなったの・・・」「どこかにきっと
いるよね」と思うものです。
実は、自分の中で最愛の人の死は受け入れています。
葬儀もしたり、見送ったりしているので。

ですが、探し求めるものなのですよね。人は心というものを持って
いるからです。

人は悩んだり、何かしらにすがりたいときって必ずあります。
そのときに、何に出会うか。如何わしい宗教に出会ってしまう人も
います。これは「人対人、向かい合って話をいっぱいして、それを
分かってくれる人と出会うと共感してくれていることが、自分の
中で救い」となるからです。

確かに、悲しみを抱えたまま無言で独りいると悪いこと(自死)を
考えたり、マイナスなことばかり考えてしまいます。
これも心というものがある人だからです。性(サガ)のようなもの
です。

私の場合、亡き彼女が置いていったスピリチュアルブックがスピリ
チュアルへの入り口であったため、書籍で死後の世界、精神世界、
あの世というものを知りました。
幼い頃から神社仏閣は行っていましたが、あの世について深く考えた
ことは無かったです。

確かにおカネを出して見てもらったり(霊視)もしました。
そのとき、的確だと思ったことも落ち着いて考えてみると、抽象的
で誰にでも言えるようなことの言葉ばかりだったように思います。

私が思う霊視とは、
「間違いなく、私と故人しか知りえないことを語ってくれる=そこに
故人は見えなくても生きている(意識体・心・魂)からこそ語れるのだ」
という点です。

正直言いまして「幸せだったよ、ありがとう」とか、「大丈夫だよ、見守って
いるよ」と言っていると言われるよりも、「その故人の存在」そこを知りたい
わけです。機転が利く人なら、誰でも言えるような抽象的な言葉ではなく。

この点では、これは凄い!はっきりと故人は今も見えなくても存在すると
感じたのが、

飯田史彦先生の「生きがいの創造Ⅱ」でした。
飯田史彦先生の書籍ではじめて読んだがこの書籍です。

まさに、私が求めていたもの=故人の存在が分かる話 そのものが
具体的な話で書かれていました。
「故人は、死後も生きている(意識体・心・魂)」「故人は、現世
のことも覚えている」「それなら、先生のいう通り、いつか必ず
逢える(再会)」ということがはっきりと分かったことで、その気持ちを
持って、その後はあの世の仕組みや具体的なあの世とこの世の繋がり
を示すもの(臨死体験など)を書籍で読んで、自分の中に落とし込んで
いきました。

そして、今の私がいます。

・・・

今、転勤で北関東方面に来ています。
写真を載せているので、大体どの辺りかお分かりの方もいる
かも知れませんが。。。

そう言えば、会社の女性事務員さんと事務所の外で話をして
いたときのことです。
亡くなった彼女のことを聞かれて、こんな彼女だったと結構
力説していたように思います。

その後、事務所に入り数分経ったのちに、
「あのね、びっくりしたので言おうか、言わないか迷ったんだ
けど」「悪いことじゃないから言うけど」と言われて、何かと
思いましたら、
「〇〇さん←私のこと が彼女とのエピソードを笑いながら話をして
いたとき、ふと見ると、〇〇さんの頭の上に、鳥の羽がクルクル
と回っていたんですよ!」と言われました。
そこで、さらにどんな感じだったのか聞きましたら、羽毛の
のようなフワッとした小さな羽がいっぱい頭の上で円を描いて
回ってて、マジでちょっと怖かったと。
それを聞いた事務所の皆が私をビックリした目で見ていました。

その女性事務員さんは、「いるいる!ぜったいに彼女いるわ!」
と言っていました。

たまたまじゃないの?と聞いたのですが、「そんなどこからとも
なく羽が飛んでくる?」「それに流れもせずに、なぜ頭の上で円を
描いてずっと回っているの?」「話を聞きながら周りも見渡したけど、
他に羽も飛んでいないし、うずを巻いたように回っているところも
なかった」と言ってました。

さすがに私は天使(聖人君子)のようによい行いばかりしている
わけでないですから、そんなことがあったなら、それは亡き彼女
とか守護霊とかではないかなと思いましたね。

・・・

彼女の遺影となった写真で、その他に何枚か頂いたものがあります。
私も結構撮影していましたが・・・
彼女の当時の友人が撮った写真です。
プロ仕様のカメラで、当時のデジカメでしたらそこまでは写らないと
いうくらいの画素数でした。

その写真を見ていると、彼女の瞳の中に何か写っているのを見つけ
ました。これは以前ブログにも書きましたが、そこは京都の天竜寺
の石畳でした。
写真は天竜寺で撮ったとは聞いていました。

そのカメラのjpgのデータを拡大して見てみると、石畳と向こう側の壁、
そして門が写っていて、天竜寺のどこに立って撮影したのか、そのとき
亡き彼女の瞳には何が写っていたのかまで分かりました。

場所だけでなく、当時の故人の想いはどのようなものだったのか。
遺された者は、探し続け、探し求めるものです。

私は気が済むまで、思うようにされたらよいと思います。
そして、その探し求める気持ちから「故人はどうしているのかな」「最愛
のあの人は本当に無になってしまったの」「本当にもういないの」
と思ったとき、スピリチュアルの扉を開いてみたらよいかと思います。


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13 コメント

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Unknown (白雪)
2020-08-16 11:35:50
管理人さま
お盆休みは、ゆっくりできましたか?その後、体調はいかがでしょう。外出自粛で運動不足、心身ともに良くありませんね。コロナ鬱になる人が多いですから、私も何か気分転換を工夫しなくちゃ…と思っています。
江原啓之さんの「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」は、スピリチャルに興味を持ち始めて1番最初に読んだ本です。テレビ番組「オーラの泉」も流行りましたね。
会社の女性事務員さんの「鳥の羽」のお話、とっても不思議です。私も視えるようになりたいなぁヽ(´▽`)/
管理人さま、まだ猛暑日が続くようですね。どうぞ、自愛くださいませ♪
Unknown (白雪)
2020-08-16 12:27:18
ご自愛の「ご」が抜けてしまいました。すみません💦m(._.)m
今日は、静岡 浜松 気温40度に…。ニュースを見て、びっくりです!
Unknown (管理人)
2020-08-24 00:58:21
白雪さま、コメントありがとうございます。
また、大変ご無沙汰しておりました。

お盆は、実家にも帰らず、勤務先周辺をウロウロしていました。しかし、猛暑で外は大変暑い日が続いていますね。

もう少し経てば、気温も下がってくるとは思いますが、猛暑の中、コロナ対策のためのマスク着用は息苦しいです(>_<)。

マスクもひんやり仕様のマスクやスポーツ系?のマスクなど色々と買って試してみています。

白雪さまも、「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」が初めに読んだ一冊でしたか☆彡

オーラの泉、やってましたね。亡き彼女もよく見ていたので、死後の世界はどんなところかは分かっていたと思っています。

そうそう、鳥の羽の話、私も聞いて驚きました。
ふと、何気ないときに不思議なことって起こるのだなと思いました。

お互いに熱中症とコロナ感染には十分に気をつけて過ごしましょうね★

コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください♪

Unknown (のうめん)
2020-10-19 16:51:03
管理人さま。ギボさんの記事にコメントをさせていただいたものです。まずはじめに彼女様が管理人様の傍で笑ってお過ごしになっていることを祈らせてください。

ギボさんの記事でも述べさせていただいたとおり。私も彼女の死が近くなり元々大好きだった精神世界や死後の世界、死者との交信について調べていく中でこのブログにたどり着きそして管理人さんも大事な方をなくされた経験を持つ方だったという事実に驚きました。何かの導きでしょうか?

私が驚いたのは彼女さんと遊んだ場所や思い出の場所で痕跡を探したという点についてです。私と彼女は六年間福島県と長野県の遠距離で付き合ってきまして福島県から水戸の高速バスを介して東京へ行きそこから長野県へ向かう道なのですが彼女が癌になってから長野へ行く際には彼女の死を常に想像してしまい慣れ親しんだ水戸を通るたびに彼女の存在を感じ頭から足の先までかき乱されるような感覚に陥り吐き気さえも感じてしまいました。目を瞑ればこの場所にあの時いたのにとか鮮明に楽しかった頃の思い出が追憶され頭がオーバーヒートしてしまいます。時間軸が違うだけなのに確かに彼女はここにいたしいるんです。

彼女さんがなくなられてから14年という月日を知り再び驚きました。本当に本当に本当によく耐えて乗り越えられ生きてきましたね・・。本当に私はあなたを尊敬しています。今日たどり着きあなたについてほとんど知らない無知が失礼だとは存じますが本当にお疲れ様でした。

今私はフクシマに帰り彼女の夢である私の運転で美術館や買い物や旅行へいくという夢をかなえるために自動車免許をとっているところです。
今月の終わりには長野へ向かい。過ごせるだけ彼女とすごしたいと思っています。その跡の事は正直わかりませんがブログの記事をよませていただきながら またコメントさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。
Unknown (管理人)
2020-10-25 09:12:52
のうめん様、宜保さんの記事にもコメント頂いていましたのに、返事が遅くなりましてすみません。

私自身振り返ってみると、あれから14年も経ったのですね。このブログは亡き彼女が生前のとき「何かしたら」と進められて、マンション管理の知識やマンション関係の記事を書き始めたところから始まりました。

ブログの記事にもあります通り、はじめは去ってしまった見えなくなった彼女を探すためにスピリチュアルな書籍から「人は死んでも生きている(魂、霊、意識体)」ということをもっと具体的に知りたいと思い、手探りしながら「亡き彼女の存在」を探して続けていました。

スピリチュアルな記事が連載されている時期がそうです。今は、「お迎えが来た時、また必ず亡き彼女に逢える」と思って生きています。


のうめん様の最愛の彼女さま、3年も闘病生活をされて来られたのですね。彼女さまも、またのうめん様もお互いが支え合いながら今まで歩んで来られたことは二人の結びつきをさらに強くしたことと思います。

福島県から長野県と遠い距離の中、6年も通われたのですか。彼女を思う気持ち一心からですね。

スピリチュアルな世界から見ますと、出会いは偶然ではなく出会うべくして出会っているようです。また今彼女さまを支えたり、彼女さまとは今世ではお互いがこのような試練を経験しようと、見えない世界、精神世界にいるときに決めてきての今なのだと思います。

なので、きっと乗り越えられることと思います。

とは言いいましても、別れを考えるととてつもない恐怖と悲しみを感じます。私も病院で見守っているとき、脳死と聞いた時に、それまでは何とか意識を取り戻してほしいと祈っていましたが、彼女の「死」を感じたとき、彼女がいない生活なんて考えもして来なかったので、あらゆるものが崩れ落ちていく、とてつもない空虚感がありました。
今も・・・ある意味では、そのままです。この先もうどうでもいいや・・・と思って、ハローワークで見つけた地元企業に中途入社して今に至っています。

しかし、今の会社で出会った人達は、もちろん癖のある人もいますが、どの人も出会ってよかったと思える人ばかりで、これも見えない何からの導きなのかなと思っています。


福島県から水戸までの高速バス。

私、その高速バス知っています☆彡

納豆のオブジェがある水戸駅の南口に着く高速バスですね。福島県の二本松とかにも止まりますね。

コロナ禍の前に、朝早く水戸駅から仙台駅まで、高速バスに乗りました。
東北にもグループ会社があり、その会社へ行くために。

そうなんです。長野に向かうには一度、都内に出ないと、水戸から小山、宇都宮は繋ぎが悪いですもんね。

そうでしたか、あの高速バス、のうめん様と彼女さまの思いが乗ったバスだったのですか。


私は、大阪又は神戸から四国への高速バスはよく利用しています。
東京(上野)から京都間も乗ったことがありますが、高速バスに乗ると座席が近いため「隣の人って、何が待っていて、また何があってそこで向かっているのだろう」と考えさせられます。

私の場合、札幌駅から名寄方面のバスに乗っている時が彼女の所へ向かっている私です。
数年前まではJRで行っていましたが、亡き彼女の住まいから歩いて10分くらいの国道に札幌駅行きの高速バスの停留所があるのを知ってバスに変えました。
その分、お供えの生花や果物籠のグレードを上げました。

亡き彼女のお父さんが旭川駅まで送ってくれますので、帰りは旭川から電車か、時間があれば、旭川から札幌駅まで高速バスを使っています。

みんな無言で乗車していますが、その人その人に思いや目的、何かしらの覚悟や秘めたものを抱えて乗っているのですよね。

のうめん様のコメントを頂いたことで、あの日の水戸駅発、仙台駅行きのバスに乗ったときに、隣の人は何の目的のために載っているのだろう、このバスは初めてだけどみんなどこへ向かうのだろうと思ったことを思い出しました。

運転免許の取得を目指しているのですね。
ぜひぜひ、彼女さんを乗せて美術館や買い物、そして旅行へ行ってください!
思い出づくりというと寂しく思うかも知れませんが、それも大事なことです。
私も亡き彼女の写真はある程度持っています。

ただ残念なことに「動画」を撮っていなかったことです。
出来れば、動画も撮っておいたほうがいいです。
それは未練云々ではありません。

今ののうめん様の彼女さまがこの時代、この世に生きた証として、そしてどのような声で、またどのような語り口調であったかは、遺していくべきだと思います。
何でも話してもらってください。
そうしましたら、いつかきっと、その動画再生をしたときに学ぶべき言葉、考えさせる言葉が聞こえて来るはずです。

また、女性は元気なときの自分の姿を好みます。
今、旅行へ行けたりお出かけ出来るこのときに、何でもよいので、好きな話、思うことを話してもらってください。

それが、いつの日か、心も落ち着いた中で、彼女さんの言葉を聞くと悲しみを思い出すというよりも、「そうか、そういうことを言いたかったのか」が聞こえてくるはずです。

私は彼女が息を引き取る瞬間まで、じっと顔を見ていました。心音計がピーっと鳴ったあと、数秒のうちにそれまで薄いピンク色の肌だったのが白く変わりました。
血の気が引いたようにサーッと。その姿を見たときに、あぁ逝ってしまったと感じました。全ては終わってしまったと。

死ほど、怖いものはありません。私は怖いです。ですが、スピリチュアルな書籍を読むと、よく死の壁を越えて行ったなぁ、凄いなぁ、頑張ったねと思うようになりました。

いつかはみんな逝く道です。そして、また必ず再会できます。その気持ちは奥に秘めて、今は彼女さんとの時間をしっかりと過ごしてください。
それが今、のうめん様のやるべき使命です。

コメント有難うございました。またお気軽にお立ち寄りください。
Unknown (管理人(追伸))
2020-10-25 09:37:19
のうめん様、
私の職場にも、のうめん様とは逆と言いますか、彼氏さんがステージ3という女性社員がいます。

色々な部位に転移していると聞きました。
彼氏さんが入院中は洗濯にも追われて大変そうでした。懸命に尽くしています。入退院を繰り返す彼氏さんをそれでも支えています。
見ていて、正直、可哀そう過ぎます。
余命は1年半程と聞きました。


私の勝手な思いですが、
「彼を遺してこの世を去る」と「彼女を遺して自分が先に去る」とでは、私は辛いですけど先に彼女を見送るほうを選びます。

やはり、最愛の女性を遺してこの世を去るほうが辛いのではないでしょうか。

それに、あの世へ行きましても泣いて独り部屋にいる彼女の姿は見たくありません。

男が先にあの世へ逝くと、遺した最愛の彼女のことが心配でたまらずに成仏(悟り)できないように思います。

そして、1つ明るい考え方があります。自分に死が訪れたとき、怖いですが、その先には先に逝った彼女がいて、また逢えるという楽しみが持てることです。
そう考えると、自分の死と向き合ったときに「今から逢いに行くよ」と前向きに死を受け止められることと思います。

ですので、最後まで彼女さんに付いていてあげてくだい。
Unknown (のうめん)
2020-11-15 21:14:06
返信ありがとうございます。
コメントをさせていただいた当時はとても気が張っていて今自分の書き込んだコメントを読むととても読みづらく申し訳ないです。

すべて終わりました。
11月6日に亡くなりました。

話したいことは山ほどあるのですが今回は不思議な現象についてお話させていただきたいです。

この11月6日は実は生前彼女と彼女のお母さんがあらかじめ決めていたらしいのです。
彼女のお母さんの家はクリーニング屋さんを営んでおり金曜日の午後からは配達がなく暇になるので死ぬんだったらそのときにしてくれと冗談交じりに話をした事があったそうです。
11月6日は金曜日でなくなったのは三時でした。

そしてまたもや生前の話でもし生きていたらクリスマスを一緒にすごそうと話を彼女としておりました。彼女は冬が大好きでクリスマスをとても楽しみにしていた子でした。
11月6日から49日後。そう12月24日なんです。

この事象をかんがみて感じたことは人が死に瀕した際にある程度死ぬ日を決められる融通がきくシステムがあるのかもしくはあらかじめすべて決まっていて運命の輪の中で私達は生きているのかということでした。

もう一つ不思議な現象があり(というより確信はありました)精神世界や死後の世界について興味があった私は彼女の死の後、どうすれば彼女と交信ができるか個人的にその他の文献を調べ推測を重ねていました。

その一つに電子音声現象というものがあります。
霊体になった声が録音機材に録音される現象です。

その中で過去にコンスタンティンラウティブという人がホワイトノイズ(テレビのざーっていう音)を用いて霊の声を録音するという研究をしていたことを知りました。わかりやすく言えばホワイトノイズはさまざまな音を重ねた音でその音と霊の声が重なり聞こえるというような原理らしいのです。

私はそこで彼女と生前よくいった近所の滝が脳裏に浮かびました。滝の音もホワイトノイズに似ていると感じたんです。私はそこに息子君とお母さんと三人で遊びにいきました。
私は動画を回しておりそのときは声などは聞こえなかったのですが保存した動画を見直すと
入ってるんです。
私の名前をよぶ声が。はっきりと聞こえるんです。
本当に驚きました。正直ホワイトノイズだけが作用し聞こえたとは思えません。当時息子君が子供の頃にお囃子でつかっていた笛をふいていたり三人という人の思いだったりそういったものがうまく作用し聞こえたのかなと思いました。

今日フクシマに帰ってきたところです。すいませんちょっと休みます。ただすぐにこのことを管理人様に伝えたくてお伝えさせていただいた次第です。
死後の世界はあります。絶対に。
また書き込ませていただきますね。
Unknown (管理人)
2020-11-16 01:46:38
のうめんさま・・・最愛の彼女さま、11月6日にお亡くなりになったのですか。。。

ご心痛、お察し申し上げます。
彼女さまへ心よりお祈り申し上げます。

ホワイトノイズですか。はじめて知りました。霊の声を録音する方法・研究があるのですね。

コメントののうめんさまの名前を呼ぶ声がはっきりと聞こえるという箇所を読んで、正直言いまして、鳥肌が立ちました。

間違いなく、亡き彼女さま居ますね。

また日にちというものは、不思議なことに一致するところがあります。そう、死の直前に融通が効くようなシステムかも知れませんね。


私は京都へ彼女に逢いに行き、帰ろうとしましたら、一緒に帰っていい?(以前は一緒に住んでいたのですが、京都で働いてみたいと言って離れていました)と言われて、帰ろう!帰ろう!と連れて帰りました。

仕事を辞めていたので、「国民健康保険」はちゃんと入っていないとダメだよと何度か話をしましたら、「今日、入って来たよ」と言って健康保険証を見せてきました。
そして・・・その次の日に、事故を起こして意識不明に。
また、赤十字病院で容体を見ている時に、以前働いていたお店の女性店長さんが泣きながら病室に来て、また採用してくれないかと、亡き彼女が訪ねて来たそうで、今は店員もいっぱいなのでごめんねと断ってしまったと。そこで、そのお店の2階で、違うお店の面接を受けることになっていたのが事故の翌日でした。

事故前日に健康保険に加入し、事故の翌日には新たな仕事場を求めての面接を入れていた。
その間の空白の1日に事故があり、言い方は良くないですが、誰にも迷惑をかけずに去っていったという不思議な時の流れがありました。

もっと驚いたのは、亡き彼女の妹さんが京都のアパートの部屋を片付けに来て、滋賀の私の住まいにも来たのですが、スポーツジムの会員証を見つけて、「これは解約しておかないと」と言うことで、そのジムに電話しましたら、5月の初旬に電話があって解約手続きをしているということでした。その解約の最終日は、事故の前日の日でした。

亡き彼女の実家も自営業で、色々やっていますが、スイミングスクール等もやっていて、そこで妹さんが解約の手続きはしないといけないと言って電話をしてすでに解約手続きをしていたことを知りました。

亡くなった日時・曜日は、クリーニング店の忙しさが落ち着いた時刻・曜日ですか。

そして、49日が12月24日。
必ず亡き彼女さまは、24日にのうめんさまの元に来ていますよ。また彼女さまの実家にも。

それまでに、不思議なことが色々と起こると思います。
まだこの現世に、我々の目では見えなくなっただけでいらっしゃいますから。

特に49日までの間、私も色々と不思議なことがありました。それはまた書きますね。

・・・

しかし、最愛の彼女さまがこの世を去ったのは、現実のことですのでとてもお辛い日々をお過ごしでしょうけど、のうめんさまも私もいつかは同じ世界、精神世界、見えない世界に必ず行きますので、今は亡き彼女さまとの思い出を偲んでください。

それも1つの供養だと思います。
色々な思いを遺して、この世を去らなくてはいけなかった彼女さま自身も、辛く悲しい気持ちでいることと思います。

私は夜中に、そっちの世界には現世から、現幽界→幽界→霊界→神界なんて言う世界になっているみたいだよ、とか、精神世界の書籍を読んで、どうもこんな感じ見たいだよと、語り掛けていました。

今話しかけている声が聞こえていたり、私が見えていたりしているなら、亡くなっても生きているということだよなど、色々なことを話しかけました。

なぜ、そのようなことをしたのか。
それは、亡くなった最愛の彼女に出来ることは、それくらいしかないと思ったからです。

のうめんさまも、夜寝る前に語りかけてみてください。1つは必ず不思議なことが起こります。それは、よく言われることですがラップ音です。
ピキッ、パキッなど、普段と変わらず(私の場合)、真っ暗の中で寝ていて、目を瞑って話しかけていると、いつもは聞こえない、そのような音が頻繁に聞こえました。
試してみてください。

・・・

私は総務の仕事をやっていますので、よく葬儀に参列しています。今は子会社に出向の身ですが、親会社にいたときは多い時で、1日3件の葬儀に参列しました。
社員のご家族の葬儀に行くのですが、清めの塩はかけません。

なぜか。それは「もし、恨めしそうに出てきたら『なぜ葬儀にも参列したのにそんな姿で出て来るのか』と怒ってやる」という気持ちと、何か伝えたいことがあるのなら聞いてあげよう」という気持ちからです。

私には霊感がありません。ですので幽霊を見たことはありません。

・・・あ、このようなメッセージを書いていましたら、キッチンから何度か爪を切るような音がしました。


もし、霊が視えるようになったら、亡き彼女も見えるかなという思いもあります。

・・・

目には見えなりましたが、亡き彼女の存在は生きています。必ず再会できます。

49日という日数も不思議でして、きっちり49日ということは無いにしても、もうどんなにこの世のことを思っても、自身はあの世=精神世界へ来たのだということを悟る時間は、霊、意識体、魂にも必要なのだと思います。それが自身の死を受け入れる時間=ときなのでしょうね。

その間は、まさにこの世を生きていたそのままの考え、想い、姿なのだと思います。
この49日の間というのもお互いにとって大切な時間、意思を伝え逢える時間だと考えています。

私の彼女は・・・もう「こんな感じの世界か。ふ~ん」と悟って、普段はあの世で色々なことをしているように感じています。ですので、いつもはそばにいないように思っています。しかし、いざという時や語り掛けたり、ふと思い出したときには亡き彼女の霊と言いますか意識体がそばに来ているように感じます。

・・・

のうめんさまは、最愛の彼女さまを亡くされたばかりですので、大変失礼な話かと思いますが・・・ご自身が亡くなるとき、そのときは必ず迎えに来てくれます。亡くなる直前には目で見えるくらいだと思います。

お迎え現象というものですね。

生かされている間は「生き抜く」、自分自身で自死はしない。それが亡き彼女さまに逢う最短の道ですので、ゆっくり1歩づつ、これからも歩んでください。

また、コメントをお待ちしております。

Unknown (のうめん)
2020-11-16 13:27:38
管理人さんもやはり不思議な現象を体験していたのですね。解約の件と私が経験したものは合致する事象だと感じました。

葬式もすべて終わり一ヶ月いた長野県から昨日フクシマへ帰ってきてひしひしとじわじわと虚無と孤独に苛まれて来ました。本当に寂しいものですね・・。
死んだ後になってからあの時もっと尽くして上げれたのにとかあの時もっとこうしていればという後悔の念が押し寄せてきます。

ただ少し落ち着いている自分もいて限りなく今の私は死に近いといいますか。自死などではなく境界が近くなって「どうせいきるかしぬかだそれだけだ」となんでしょうねうまくいえませんが。あきらめにちかいものなのかふっきれているのか、元々物質世界で生きることに対して疎外感が強く死後の世界や精神世界にのめりこんでいたことがある意味で功を奏している状況なのかもしれません。


ラップ音などもあの世からのメッセージらしいですね。どうにかしてあっちもこっちにメッセージを懸命に送ろうとしているのだと思います。
シンクロニシティなどもその一つですがどこかつながっているというか。生前私の運転でスーパーにいきたいという事を思い出し死後向かったのですが彼女の好きな食べ物を買い会計をしていると店員さんの名札にめがいったのですね、そうしますとその名前が彼女の苗字だったという事がありました。こういうことがやはりたびたび起きる。不思議だなあという認識よりも、ああみてくれてるなと思うようになりました。

いるいないあるないの話じゃもうないんですよね。
あるし、いる。これから12月24日までの間にまた何か起こると私も確信しております。そのときはまたご報告させていただきますね。



もう一つ、死別に関して検索していると素晴らしいサイトを見つけました。個人で十年以上死後の世界や故人との交信を模索している方のサイトです。
死別を経験して苦しんで苦しんで戦っているのは私達だけではないという事を当たり前の事実ながら見落としていて心が少し軽くなりました(管理人さんのサイトとの出会いも無論その一つでございます)


ありがとうございます
Unknown (のうめん)
2020-11-16 13:29:06
はるの忘れてました。
https://orpheus-j.com/index.html

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