マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

下ヨシ子氏 -「流生命」の書籍より-色々と思うこと

2008年01月23日 23時55分27秒 | ◆スピリチュアル:精神世界を書籍で探訪
まぁ、喰わず嫌いなのはいけないでしょう。

そう思い、奇跡体験!アンビリーバボーで一躍有名になった下ヨシ子氏の著書
「流生命」実業之日本社 という書籍を買って読んで見ました。


この方の生い立ちはご自身のホームページでも詳しく語られていますので、
ご覧になったらよろしいかと思います。

修験真言宗の大本山 金剛寺で「阿闇梨」の地位を頂いています。
この修験真言宗の金剛寺は、
池田盛勉(瑞生)金剛寺開山上人という人物が、真言宗善通寺派より

「善通寺中国別院主監」拝命し、「大本山善通寺中国別院」を建立し、
これが金剛寺の前身なのだそうです。

そして「善通寺九州別格本山金剛寺」となって、

その後、真言宗善通寺派から別派して、宗教法人・金剛寺を大本山とする
包括団体・修験真言宗を設立したそうです。


香川県の善通寺は、私も幼い頃よりよく行きましたが、このブログでも
2006年8月に取り上げました

ように、「正真正銘の真言宗の別格本山」であり「真言宗の3大寺院」です。

弘法大師誕生の地としても有名です。

むむっ、出自は確かに真言宗ですね。

・・・


ちなみに「六水院」の院号をもらって、「院主」と名乗っていますが、
その寺院の代表の方はそう名乗られます。

勝手に名乗っているわけではないということですね。

・・・

この方は、はじめはカネ・金・かねの人生を送り、スナックや美容関係
のビジネスをやって来られた人ですが、44歳のときに突然の高熱(ここは
飯田先生に似てますね)で倒れてから、超能力に目覚めたそうです。
ただ、本書では幼い頃より予知的なものはあったように記されています。


・・・

さて、肝心な「あの世」「霊(魂)」の話ですが、

やはり決定的に江原啓之氏と違うところがありました。

それは、まず「守護霊」についてです。

下ヨシ子氏は、
「あなたは、守護霊様は誰にでもいると思っていませんか?」
「浄霊と同様に、守護霊様も自分で呼ぶことは出来ません。」
「ほとんどの人には守護霊様はいないと思ってください。」
とおっしゃっています。

出ましたね。故:宜保愛子氏も「ほとんど」とまでは言っていませんが、
守護霊がいない人もいると言ってました。それもごく一部の人ではなく、
けっこうたくさんの人が。

ただ、下ヨシ子氏の守護霊の話に関して、「まぁ、それは確かに」
と思うところがあります。

それは、
「たとえば『幼いころ亡くなった母親が、守護霊となって私を見守ってくれ
ているはずだ』と考える人もいるでしょう。しかし、子どもが心配で成仏で
きずに彷徨っている霊は、この世に未練を残した未成仏霊です。人を守る
力はありません。」
とおっしゃっています。

確かに、江原さん流に言いましても、この世で生前会った人というのは
その人もまだまだあの世での修行はこれからなので、見守る程度の補助霊
で、主護霊や指導霊ではないとは言っています。

そういうことでしょう。

しかし、守護霊がいない?って。

ここからが、なんとも大胆な話です。

下ヨシ子氏は、
「守護霊様とは、実は地獄で修行中の、その人のご先祖の霊のことです。」
「六字明王様(この神が44歳のとき下ヨシ子氏に降りて来たそうです)の真言
を唱えて、地獄から引き上げ、守り神として本人の中に招き入れます。」
と言っています。

もっと詳しく・・・
「『地獄から呼んだ霊で大丈夫?せっかくなら天界から呼んできてくださいよ』
と、思う人もいるでしょう。」

「しかし、すでに修行を果たし、天界へと昇天した霊は、この世までは降りて
きてくれません。」

「地獄は霊(魂)が修行する場所。地獄にいた魂は、人間の守り神になることで、
人間界での修行に格上げされ、天界への近道の切符を手に入れることになります。」

「未成仏霊や生き霊から人間を守り、願いを叶えることが守護霊様の修行です。」

「その人のためになろうと努力します。」

「人間のほうも『力を授けてください。よい方向へと導いてください』と唱え、
できるだけたくさんのお願い事をしてあげてください。」

「人間は願いが叶い、守護霊様は努力が認められたことで、霊格がぐんぐん向上
していくのです。」
と、このように語っています。

・・・

ちょっと、ヤバくないですか?
私は、寒気がしました。

「たくさんお願い事をしてあげてください」って。。。
何のお願いですか?金持ちになりたいとかでしょうか?

100歩譲って・・・
下ヨシ子氏の考えでは、死後、天界なんてほとんどの人が行けず、
ほとんどの人は地獄界へ行くという考えです。

これは、あの世の区切り方一つで見解も変わってくると思います。
例えば、「あの世で幽体を持っている=まだ浄化出来ていないと判断」や
「この世に遺した人のことを想う=まだまだ修行が足りない」という状況
にいる霊を、「地獄界(まだ何かしらのシガラミにひっかかっている)」
にいるという発想で、あの世を区切ると、

そりゃ「ほとんどの人は『地獄行き』」とも言えるでしょう。

しかし、驚いたのは「願いを叶えることが修行」って。

私も「あの世」は覗いたことがありませんので、はっきりとしたことは
言えませんが、「この世の人間(自分の子孫)の願いを叶える」ことが
天界に上る修行になるなんて、そんな・・・そんな、俗っぽいことが、
地獄から這い上がる修行だとは、到底思えません。

下ヨシ子氏は、確かに「霊が見える人」「あの世のことを誰か(六字明王と
名乗る者)から聞ける人」だとは思いますよ。

でも、こんな俗世まみれのようなことがあの世で天界に上る修行とは思え
ません。

自分(死者)が地獄から上へ上りたいから、人間の願いを叶えるって?
それこそ、上へ上りたい、楽な場所がありそう、と思いながらのこの世の人助け
をする=完全に俗世まみれで修行になるわけないじゃないですか。

「お願い事をするのではなく、今日も一日無事で幸せでしたと感謝する」
という江原啓之氏の話のほうが、普通考えてもそうだよ!と思います。

だいたい、本当のいわゆる高級霊は、

海外でも国内でも「わたしは○○○(日本書紀や聖書、神話伝説に出てくる神)
だとは名乗ったりしない」と言っています。

それは、江原啓之氏(飯田先生も言っていたと思います)のいうように、
「神界にいる魂や光(=飯田先生)は、この世での名前などに既に関心がない
(そのような小我に囚われていない)」からです。

江原啓之氏は、私は○○(神など)だと名乗るようなものは、神でもなんでもない
低級霊だと自書でそうおっしゃっています。
そして、霊的なものを与えて神だと思わせるとも。


あっ、そうか。
下ヨシ子氏は、地獄から天界へというルートの中で修行と語っていますので、
この王を名乗る神なる存在は・・・
私なりに考えますと、王を名乗る神に扮した修行中の霊ではないでしょうか。

だいたい、「私は○○王だ!」
なんて、やっぱり「神」と呼ばれるものは、自分の地位と立場、それに何者か
なんていちいち自慢のように語らないと思います。

だって「神」でしょ。「修行中の霊が教えてきた」とは言っていませんよね。
神というのは本当は降りてこない天界か、さらに遥か彼方の高次おられる方で
すよね。

下ヨシ子氏には、特別降りてきたのかも知れませんが、やっぱり「名乗る」のは
おかしい。名乗っているその何者かは、その名前や呼び名に固執しているという
ことです。

それに、
「すでに修行を果たし、天界へと昇天した霊は、この世までは降りてきてくれま
せん」と言い切っていますよね。

霊って、上へ上るとそんなにも傲慢になるのでしょうか?
私は、マザーテレサのようにもっと心広き魂になっていると思いますけどね。

でも、下ヨシ子氏には、もっと高次の霊を超えた神なる存在の六字明王様という
ものが来てくれて、今の能力を与えてくださったのですよね。。。

神様なる存在へ、また守護霊様に何か言えるのなら、
「ちょっと、私にもあの世を見れる目をくださいよ」
「下ヨシ子氏は、いっぱい願い事をしたらいいといっているので、じゃあお願い
しますよ」
「私は、見たままの世界を個人活動で宗教団体なんか創らずに、この世に伝え
ますから」
「それを歪めて伝えたなら、一番きつい世界に落としてくれて結構ですし」
と言いたいです。

見えない世界の話だとしても、真相を知りたいですよね。

しかし、まぁマンガの孔雀王に出てくるような話ですね。

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