ふと・・・私は、
「なぜ、このような書籍を読んでいるのかなぁ」
「彼女からのメッセージだと感じているのだけど・・・」
「知りたいことは、随分と知ったように思う。
だけど、私はまだ何を探っているのかなぁ。」
「私は、まだ何が知りたいのか。自分でも分からない。」
「寂しいからなのだろうか。」
などと、朝からぼーっとしながら考えていました。
今日は、遅めの出勤ですので、まだ少し時間があります。
そう考えていましたら、1つの答えに行き着きました。
それは・・・
「あなたは生かされているんです。」
「あなたは愛されているんです。」
「あなたは霊的な存在なんですよ。」
「人は、たましいの存在なんです。」
「みずから試練を与え、その課題を乗り越えるために、
この世に生まれてきているんです。」
「死後もあなたは生き続けるのです。」
「先立った愛した人とは、必ず再会しますからね。」
「また、生まれ変わってくるのです。」
という、霊的真理の「言葉」は、よく分かりました。
自分自身の前を向いて歩くための思考の育て方は、どのようにしたらよいのかよく
分かったように思います。
しかし、私の中で、
「今の私が実感できないこと、体験したことのない(記憶に残っていない)こと
を、『言葉』だけで、『そうなんですよ』『信じなさい』と言われても、どうも鵜呑み
にできない。」という気持ちが、いつもどこかで引っかかっているように思います。
私の心のなかにあるもの
それは「フィクションを求めているのではない。」ということです。
聞き伝え、言い伝えなどではなく、書籍の著者ご自身が、体験し発見した言葉を、
その言葉の裏づけをもって、私たちに語っている「想像から語っている言葉ではな
い。『真実の証言』を聞きたい。」のだということに、あらためて振り返ってみて
自分自身が何を求めているのか、よく分かりました。
賛否両論はあろうかと思いますが、
TV番組「天国からの手紙」や「オーラの泉」の江原啓之氏のように、多くの人々
に対して、物理的(有名人となりご多忙)に一人ひとり霊視できないなか、芸能人
の霊視をTVを通して伝えることで、多くの人に「死後の世界はある」「霊的真理
とはこういうものだ」「生かされている理由が見えてくるでしょ」という方法は、
1つの有効な「実演」を交えた説明(説得、証明とでも言いましょうか)であると
私は思っています。
ですから、私は江原啓之氏の語るスピリチュアルな話に耳を傾けることができます。
福島大学の飯田史彦教授もそうです。
大学の教員でありながら、まさに危険発言とも言える「霊的」な話は、先生ご自身
が職を失うかもしれないという、大きなリスクを抱えながらも、我々に多くの書籍
をもって語っていただいています。
なにもそこまでリスクを犯さなくても、大学の先生をやっていれば安泰ということ
は、皆さんも思うことだと思います。
しかし、それでも飯田史彦教授は、「人は何のために生まれ、生かされているのか」
を伝えようとされています。それは、やはり飯田史彦教授ご自身の実体験(霊が語
りかけてくる・臨死体験をした)から確信を得ているからでしょう。
そして、「私は、霊的真理を伝えなければならない使命がある。」という先生ご自
身の目覚めから、今の先生の行動へと繋がっていることと思います。
鈴木秀子教授にしても、坂本政道氏にしても、高橋佳子氏にしても、
また故:宜保愛子氏にしても、
「あの世をかいま見た」という実体験があるからこそ、
今の行動(霊的真理を伝えたいと思う気持ち)へと繋がっているのでしょう。
私は、この世にいる者です。
見えないものが見える人も世の中にはいます。
ですが、私には何も見えません。
ですから、「実演」「証拠」「具体的な説明」をされている方が書かれた、スピリ
チュアルな書籍には、素直に耳を傾け、真っ向から否定的な気持ちで読むのではな
く、真実を語っているのかを探りながら、読んできたように思います。
抽象的な、どうにでも捉えられる証言や説明には興味がありません。
正確には、「興味が無い」というよりも「信じることができない」です。
しかし、飯田史彦教授のように、実体験のほか、色々な研究成果を報告していただ
いたりすると、信じることができます。
故:宜保愛子氏でもそうです。
どのように宜保氏本人には霊が見えていたのかを語っています。
それも具体的に。
今後出てくる「霊能者」なる人物は、もしかしたら「これらの語りを聞いて、真
似をする似非霊能者」もいることでしょう。
今もすでに、たくさんそういう者もいると思います。
しかし、偽者は霊視の振りをしても、あてずっぽうですから、いつかは化けの皮が
剥がれ落ちるでしょう。
本当に真理を語ろうとする方は、自信に満ち溢れていると思います。
江原啓之氏や飯田史彦教授などのように、堂々と、そして「故人との関わりのあっ
た人しか知らない情報を知ることができる。」
これが、真実を語っているか否かの決定的な、そして客観的にみても分かる
「証拠(本当のことを言っている)」だと私は思っています。
霊的な話=人の弱みにつけ込む如何わしい宗教や詐欺
どれだけ的を得ているか。
抽象的な証明の仕方ではなく、いかに具体的か。
・・・
上記のような方法で、霊的真理を説いている方々しか、私は信じませんし、信じた
くても信じられない。
ブログには、「真実」を語っていると感じた方のお話を、これからも紹介していき
たいと思います。
「なぜ、このような書籍を読んでいるのかなぁ」
「彼女からのメッセージだと感じているのだけど・・・」
「知りたいことは、随分と知ったように思う。
だけど、私はまだ何を探っているのかなぁ。」
「私は、まだ何が知りたいのか。自分でも分からない。」
「寂しいからなのだろうか。」
などと、朝からぼーっとしながら考えていました。
今日は、遅めの出勤ですので、まだ少し時間があります。
そう考えていましたら、1つの答えに行き着きました。
それは・・・
「あなたは生かされているんです。」
「あなたは愛されているんです。」
「あなたは霊的な存在なんですよ。」
「人は、たましいの存在なんです。」
「みずから試練を与え、その課題を乗り越えるために、
この世に生まれてきているんです。」
「死後もあなたは生き続けるのです。」
「先立った愛した人とは、必ず再会しますからね。」
「また、生まれ変わってくるのです。」
という、霊的真理の「言葉」は、よく分かりました。
自分自身の前を向いて歩くための思考の育て方は、どのようにしたらよいのかよく
分かったように思います。
しかし、私の中で、
「今の私が実感できないこと、体験したことのない(記憶に残っていない)こと
を、『言葉』だけで、『そうなんですよ』『信じなさい』と言われても、どうも鵜呑み
にできない。」という気持ちが、いつもどこかで引っかかっているように思います。
私の心のなかにあるもの
それは「フィクションを求めているのではない。」ということです。
聞き伝え、言い伝えなどではなく、書籍の著者ご自身が、体験し発見した言葉を、
その言葉の裏づけをもって、私たちに語っている「想像から語っている言葉ではな
い。『真実の証言』を聞きたい。」のだということに、あらためて振り返ってみて
自分自身が何を求めているのか、よく分かりました。
賛否両論はあろうかと思いますが、
TV番組「天国からの手紙」や「オーラの泉」の江原啓之氏のように、多くの人々
に対して、物理的(有名人となりご多忙)に一人ひとり霊視できないなか、芸能人
の霊視をTVを通して伝えることで、多くの人に「死後の世界はある」「霊的真理
とはこういうものだ」「生かされている理由が見えてくるでしょ」という方法は、
1つの有効な「実演」を交えた説明(説得、証明とでも言いましょうか)であると
私は思っています。
ですから、私は江原啓之氏の語るスピリチュアルな話に耳を傾けることができます。
福島大学の飯田史彦教授もそうです。
大学の教員でありながら、まさに危険発言とも言える「霊的」な話は、先生ご自身
が職を失うかもしれないという、大きなリスクを抱えながらも、我々に多くの書籍
をもって語っていただいています。
なにもそこまでリスクを犯さなくても、大学の先生をやっていれば安泰ということ
は、皆さんも思うことだと思います。
しかし、それでも飯田史彦教授は、「人は何のために生まれ、生かされているのか」
を伝えようとされています。それは、やはり飯田史彦教授ご自身の実体験(霊が語
りかけてくる・臨死体験をした)から確信を得ているからでしょう。
そして、「私は、霊的真理を伝えなければならない使命がある。」という先生ご自
身の目覚めから、今の先生の行動へと繋がっていることと思います。
鈴木秀子教授にしても、坂本政道氏にしても、高橋佳子氏にしても、
また故:宜保愛子氏にしても、
「あの世をかいま見た」という実体験があるからこそ、
今の行動(霊的真理を伝えたいと思う気持ち)へと繋がっているのでしょう。
私は、この世にいる者です。
見えないものが見える人も世の中にはいます。
ですが、私には何も見えません。
ですから、「実演」「証拠」「具体的な説明」をされている方が書かれた、スピリ
チュアルな書籍には、素直に耳を傾け、真っ向から否定的な気持ちで読むのではな
く、真実を語っているのかを探りながら、読んできたように思います。
抽象的な、どうにでも捉えられる証言や説明には興味がありません。
正確には、「興味が無い」というよりも「信じることができない」です。
しかし、飯田史彦教授のように、実体験のほか、色々な研究成果を報告していただ
いたりすると、信じることができます。
故:宜保愛子氏でもそうです。
どのように宜保氏本人には霊が見えていたのかを語っています。
それも具体的に。
今後出てくる「霊能者」なる人物は、もしかしたら「これらの語りを聞いて、真
似をする似非霊能者」もいることでしょう。
今もすでに、たくさんそういう者もいると思います。
しかし、偽者は霊視の振りをしても、あてずっぽうですから、いつかは化けの皮が
剥がれ落ちるでしょう。
本当に真理を語ろうとする方は、自信に満ち溢れていると思います。
江原啓之氏や飯田史彦教授などのように、堂々と、そして「故人との関わりのあっ
た人しか知らない情報を知ることができる。」
これが、真実を語っているか否かの決定的な、そして客観的にみても分かる
「証拠(本当のことを言っている)」だと私は思っています。
霊的な話=人の弱みにつけ込む如何わしい宗教や詐欺
どれだけ的を得ているか。
抽象的な証明の仕方ではなく、いかに具体的か。
・・・
上記のような方法で、霊的真理を説いている方々しか、私は信じませんし、信じた
くても信じられない。
ブログには、「真実」を語っていると感じた方のお話を、これからも紹介していき
たいと思います。
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