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心に花の咲くblog

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飛鳥涼論-けれど空は青-(著:石原信一)

2009-08-27 18:57:16 | CHAGE&ASKAの花の咲く方へ
このタイミングだからこそ、10年以上ぶりに読み返してみようと思った。

ページをめくると間もなくして、あるASKAの言葉にぶつかった。

「僕が売れるためのあいつはアイテムなんだよ。で、ぼくはあいつが売れるためのアイテム。このふたりの関係が作り出す音楽というところに、すごく共鳴してくれる人が多いということを、自分たちはわかっている。(以下略)」

「おそらくあいつ(CHAGE)がソロ・コンサートをずっとやったって失敗する。僕がソロをやったって失敗すると思う。僕らふたりがステージに立っている関係がたまらなく好きだという人たちが集まってきてくれて、CHAGE&ASKAがある。(以下略)」

きっとASKAの気持ちはいまもブレていない。
だけれど『SAY YES』からはじまる、社会的現象にまでなったヒット曲の増産でCHAGE&ASKAはあまりにASKAのイメージが強くなり過ぎたかもしれない。


山里剛氏はいう
「飛鳥が『声を聞かせて』を作ったあたりから、飛鳥は神になってしまったと僕は思う。(以下略)」

続けて山里氏はいっている。
性悪説のカリスマにもすごいものを感じるけど、性善説をのようにあたたかいものをもったカリスマはそうはいない。
そしてその方が好感が持てる。飛鳥はもちろん後者だと。

僕のCHAGE&ASKA歴は『SAY YES』からはじまるので、それ以前は分からない。
一番身近にいた山里氏はASKAが自分の思いとは知らぬところで、自分自身の存在が大きくなっていくことをこの時から既に感じていたのだろう。

CHAGEはいう。
CHAGEとASKAは出会うべくして出会ったふたりのような気がしている、と。


ASKAが思い描くCHAGE&ASKAがあり、それと同じような絵を描くCHAGEがいた。
ところが、それは大衆が見るCHAGE&ASKAと少しずつだけれど、確実にズレていった。
どこで、何がきっかけだったのかは分からないが、30周年を迎えたいま、彼らは別の道を進もうとしている。


昔この本を読んだ時は気が付かなかった箇所があった。
何度も聴き、何度も歌ったことがある『WALK』。
この曲には『PRIDE』に似た、人生の挫折や苦悩を乗り越えようとする力が隠されていた。
いや、隠れてはいない。目の前にいつでもあったのに、なぜか気が付かなかった。そう解釈はできなかった。
きっとサビのフレーズに気を取られすぎていたせいだろう。
今度この曲を聴くとき、歌うときは違う気持ちになるかもしれない。


そして本書は最後にASKAのこのフレーズが使われている。

「僕らは僕らの身のまわりにあるラブ・ソングを歌っていきたいと思います」

いまから18年前。
この言葉を聞いたとき。
きっと何かが僕の中で大きく変わった。そして、それがこれほど長く関係になるとは思いもしなかった。
いつもと違った8月25日。
いつかきっと賑やかなこの日が帰ってくることを願ってやまない。







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