ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

故郷ゆかりの地を歩く。府中編

2017-03-21 03:40:47 | ふるさとまわり
170319.sat.

「東京の飯田ゆかりの地を歩こう会」の下見会。
本番は5月の予定ですが、本日は7名がエントリー。
昨秋10月に、上野・浅草そして墨東、向島から木母寺まで歩いたのが
初めての参加でしたが、それがもう12回目だったというわけで、
知ってれば第1回目から参加したかった~~という会です。

当日は快晴。ようやくの春の日差し。
10時に新宿に集合して、京王線で武蔵野台の本願寺へ向かう。

 
              樹齢ン百年?の大きなサイカチの樹とケヤキがすくっと立っている。

  浄土宗寺院の本願寺は、八幡山廣徳院と号します。
  本願寺は、頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた
  藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来を当地に祀ったことに始まったといいます。
  その後、総州の人大久保彦四良が兵火に焼かれたお堂を再建、
  永正13年(1516)鎌倉光明寺の教譽良懐上人を中興開山に迎えて中興開山、
  天正2年(1574)、宮崎久兵衛尉泰重
  (法名廣得院殿長譽月山道鑑居士、慶長4年1599年没)が造営、
  江戸時代には幕府より寺領11石4斗の御朱印状を拝領したといいます。
  http://www.tesshow.jp/tama/fuchukunitachi/temple_siraito_hongan.html

ここに出てくる徳川家康の家臣・宮崎泰重が飯田(正確には阿智村)の出身なのだとか。

 
                         車返の地名にもなった縁起がかkれている石碑。

隊長のMY氏が図書館で調べてこられた資料を見つつ、山門をくぐる。
境内には宮崎泰重及びその子孫の墓があるということで、手分けして探すも、なかなか見つからず。
思えば、本日、多磨霊園でのお墓探しの前哨戦であったかも?(笑)

 
                          「月山道鑑居士」と彫られています。

最後に行きついたのが、歴代住職の墓所。
やっぱり、同じ敷地内にありました。
そんな重要人物だもの、しかるべき場所にあるだろうと
最初に考えればよかったのよねえ。とほほ。

 

さて、次は明治大学の内海・島岡ボールパークへ。



明大硬式野球部監督として何度も明治に優勝をもたらし、
高田繁や星野仙一を育てたことでも有名な「御大」島岡吉郎氏は市田の出身。
先月、中学の同級会で泊まった「たかもり温泉 湯が洞・御大の館」は、
氏の野球殿堂入りの偉業をたたえて命名されたものとか。
ただいま当地は、おんな城主直虎のほうで有名になってますけどね。

 

立派な胸像が立っていました。
背には、「誠」「人間力」。
春の青空の下で白球を追う若者たちを久しぶりに見て、
こちらまで心爽やかになるのでした。

さらに北へ向かいます。
途中、トイレ休憩、買い物もできるスーパーをチェックして、府中の森公園へ。

 

公園内のレストランでランチ。
公共の施設で、自販機でチケットを買うシステムだけあって、廉価です。
私は豆腐まぜまぜ丼。500円。
ただ、5月に40名ほどのメンバーがここで、スムーズに食べられるかどうか?
青空弁当か、はたまたカレー限定で予約しておくか、、、下見段階での最大の検討事項です。(笑)

ついでに、少し足を延ばして、府中市美術館へ。

 

「歌川国芳」展が始まったばかり。
見たかったのでラッキー! (^^♪
府中美術館は、ときどき来ているが、なかなかいい企画展が多い。
いまをときめく国芳も、わかりやすい展示で、ますます魅力アップといいところか。
自画像や肖像画がないかわりに、絵画のところどころに自分の姿を入れ込むのも
西洋絵画にもある手法で、面白い。
国芳の画力が抜きんでているのはすでに周知のことだが、
見えないものも見えているような想像力と
まるで未来を見ていたのではないかと思われる予知能力こそが、最大の魅力。
そして、大勢の弟子を抱えていた国芳の、
弟子が書いた死絵がまたカッコいいのだ。
こんな親方の下だったか働きたいなあ、って感じのイナセな立ち姿。

あ、今日は美術館レポートではないので、このへんで。

折り返して、メインイベント?の多磨霊園まで歩きます。
都立霊園の中でも最大規模を誇るここには、各界の著名人の墓所が数多くある。
ここで、飯田ゆかりの人々のお墓詣りをいたします。

  クリスマスローズも墓所に似合う?

  椿は言わずもがな。。。

 見事な木瓜でした。

園内は樹々が多く、桜の季節はさぞ美しかろうと思われるのですが、
この季節もなかなかでしたよ。
梅の花を見かけることは少なかったですが、
山茱萸の黄色い細かい花が、曇り始めた白い空に可憐に映えて
春の始まりを告げています。
途中、赤い塊!と思ったら、大きな紅木瓜。満開でした。
お彼岸ということもあり、園内の花屋さんは大盛況。

 
番地札があるにはあれど。。。

 ポストみたいな名詞受け?ここも著名人か?

まず園内マップから、目的地の番地を調べて、GO!
正門から近い3区の中村不折の墓を探し始めるも、3-1-15-10がなかなか見つからない。
入り組んでいて、歩いていると、また前の番地に戻ってたりして・・広い、広すぎる。。。
7人で手分けして、あちこち歩き回りまって、3区の外れのほうにようやく発見。
「中村」でなく「中邨」と書いてあったので、見逃してたのですが、
さすがはMY先輩! これは不折の書体だね、と。



中村不折は、22歳の頃、飯田小学校で図画・数学の教師となり、
当時の教え子に菱田春草がいたそうな。
新宿中村屋のロゴ「中村屋」は不折の揮毫として有名だが、
彼の作品が多く所蔵されている鶯谷の書道博物館へ行くには、
妖しげなホテル街を突っ切っていかねばならぬのがやや難点。
向かいには、生涯の友、正岡子規の子規庵がある。
あ、また余談でした。

MH氏らが先に見つけていたのが、3-1-9-5の下村観山の墓所。
飯田の誇る日本画家・菱田春草の親友ということで、合掌。



MY氏の希望で、次に、北原白秋の墓所を探す。
歩きながらおっしゃるには、
「飯田中学の制帽をかぶって上京した時にね、親父から
『真っ先に北原白秋の墓参りにいってこい』と言われて、ここに来たんだよ」と。
「白秋と何か関係があったんですか?」
「いや~、田舎のおやじからみたら、白秋はあこがれだったんじゃないかなあ。
 行ってみて驚いたのは、土饅頭みたいな墓だったことだなあ」

北原白秋のお墓は、土饅頭ならぬ、石のドームでした。
「60年前に来た時には、もっと大きく感じたんだがねえ……」と
MY氏が何度もつぶやいておられたのが印象的でした。



バス亭に戻る途中で、今村力三郎の翠の石の立派なお墓にお参り。
1866(慶応)年、飯田市生まれ。
弁護士で、80歳で専修大学の総長を務めたというお方。
恥ずかしながら知りませんでした。



5月本番には、もっと多くのひとのお墓を訪ねる予定とか。
郷里にゆかりのあるなしにかかわらず、
墓所散歩が密かなブーム、というのはわかりますね。
ん?これは、、、というお墓は、たいてい功も名も成した方のもので、
手入れもきちんとされています。
ずいぶん広い敷地なのに、草ぼうぼうで、
奥の方に墓石がぽつん、というのもあったりして、
そこに私はいません~♬ なんて歌われても、
それはそれでまた寂しいものでありまして。。。

最終目的の(居酒屋のある)JR武蔵小金井駅へは
歩くと40分ほどかかるということで、園内のバス停からバスに乗る。
18000歩(24000歩という説もあり)13㎞の運動の後のビールの美味しいこと!
まだまだ明るいうちから堂々と、というのも嬉しい。
5月本番のときのルートをどうするか、
S氏が説明してくれてましたけど、みんな聞いてた?(笑)
っていうほどわいわいと食べて飲んだ、楽しい打ち上げでした。

ここしばらく仕事詰めで、かなりの運動不足だったので、
よく歩きよく笑った春の佳き日でございました。
(花粉ガードスプレーをしていったせいか?、
 花粉症の症状が出なかったのが、ほんとよかった!)

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