ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

飯田ゆかりの地を歩く

2016-11-06 16:19:35 | ふるさとまわり
161030.sun.

昨日の能岳~八重山縦走を準備運動として(笑)、
在京飯田高校同窓会「第12回飯田ゆかりの地を歩こう会」に初参加。
上野~浅草~向島百花園~木母寺~浅草橋。

 集合は上野駅改札(ラグビー班が花園に出たときの旗!?)

おじ(い)ちゃん達もおばちゃん達はとっても健脚!
旧制飯田中学卒業87歳の会長を筆頭に80代2人、70代12人、60代が16人、50代が4人。
うち女子は8名。

浅草のアサヒビール リバービアでランチ。
寒い日でもランチビールは美味( ^ω^ )

打ち上げは北海道浅草橋店。
最後に応援歌と校歌絶唱。
案外、覚えているものですね。
昔の歌詞は美しい。
http://www.nagano-c.ed.jp/iida-hs/gakkouannai/kouka.html



昨日も今日も17000歩ずつ歩いて、
さすがにぐったりです(/ω\)

なぜかiPhoneの電池が急に無くなり、
写真は最初の数カットのみ。残念。

以下、同窓会事務局からの報告を転載。

【コース】上野・浅草そして墨東、向島から木母寺まで
【午前】上野から浅草まで歩く

      
   
     
    
    ○海禅寺(旗本近藤家旧菩提寺)、合羽橋から仲見世へ
     ・海禅寺は江戸前期の信濃近藤藩主であった
      近藤政成(堀秀政の四男、養父は近藤重勝)の菩提寺
    ○浅草寺参拝、同境内の「映画弁士塚」の石碑
     ・映画弁士塚は徳川夢声など、明治大正期の無声映画が
      活動写真として盛んだった頃の百余名の弁士達の名が刻まれている。

      

    ○河竹黙阿弥旧宅跡
     ・河竹黙阿弥の娘婿が河竹繁俊。
      河竹繁俊(飯田市山本出身で旧姓は市村)は日本の演劇学者で、
      早稲田大学演劇博物館館長を務め、演劇史を研究した。

【昼食】「アサヒビール リバーピア」にて

【午後1時】東武線東京スカイツリー駅から東向島駅まで乗車
    ○秋の向島百花園
     ・秋の七草の覚え方を「お好きな服は」と教わる
     (お:女郎花、す:すすき、き:桔梗、な:撫子、ふ:藤袴、く:葛、は:萩)。
    ○木母寺(もくぼじ。通称もっぽじ)(梅若塚)を訪ね、
     「天下の糸平」の大きな石碑を観る。

     

     ・田中平八は赤須村(現駒ケ根市)に生まれ、飯田城下の魚屋に丁稚奉公し、
      染物屋の娘と結婚して、田中家の婿養子となる。
      紆余曲折を経て、1865年に横浜に「糸屋平八商店」を開業し、
      生糸・為替・洋銀・米相場で巨利を得て、「天下の糸平」と呼ばれた。
      没後、1891年に伊藤博文の揮毫による「天下之糸平」の石碑が建立された。

【午後3時30分】東武線鐘ヶ淵駅から、浅草駅を経緯して、銀座線神田駅まで乗車

【午後4時】居酒屋「北海道 秋葉原店」で打ち上げ
     ・懇親会は33名が参加し、佐々木康夫在京同窓会長(高15回)のご発声で始まり、
      和気藹々とした雰囲気の中で同窓生同士の絆を深めました。
     ・恒例となっている世話役の下島明さん(高19回)が作成した歴史クイズを楽しみ、
      その後全員がスピーチを行いました。
      最後は応援歌「友よ若木の」と飯田高校校歌を全員で合唱し、
      歓声の中で散会しました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。