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相棒CBR1000RR (SC59)でのツーリングや色々
趣味を楽しむブログです(^ω^ 三 ^ω^)

中小企業出身の僕が苦戦したビジネスの横文字用語について。

2018年07月20日 | 仕事
僕は中小企業でしか働いたことがない。
全て海外生産の繊維系メーカーである。
1番長い会社で9年だが、その会社は社員9人弱。年間売り上げ3〜10億の社長のお手伝いみたいな会社だった。
今の会社に転職して普通レベルの中小企業を久々に体験する。倒産の危機があってから親会社の融資を受けている為、代表取締役が本社から出向で来ている。
親会社はトリオンクラスの大企業である。
そして親会社の人間は代表を筆頭に、現場の営業、事務員でさえも横文字をよく使う。さも当たり前のように。
後述の例文も、言われたままの文面が多い。

中には分かるものも有ったが、分からない場合はとことん分からない。入社直後はエビ、、なんですか?なんて日常茶飯事で、辞書引いたり人に聞いたりする毎日。カルチャーショックだった。

はぁまた横文字かよ、、逆に何だか面白いわ。。wなんて思ったりもしたが、案外自分は井の中の何とかってことも自覚すべきかなと思ったり。

ネット検索でたまたま開いてもらったら、少しでも人の役に立つというのがこのブログの趣旨でもらあるので、まとめてみた。
まだまだ有るような気もするけど、思い出しながら書いてみた次第で有る。

~頻繁に使う編~
コンプライアンス
=法令遵守。
(例)
・親会社のコンプライアンスに従い、下請け法について学ぶ。

エビデンス
=証拠。
(例)
・工場に送り込んだ資材のエビデンスとして、インボイスと送り状を提出して下さい。
・資材の請求について、エビデンス(発注書)は有るんですか?

アメンド
=訂正。
(例)
・追加の契約製品のLCについては、前回のLCをアメンドしますね。
・契約書のアメンドお願いします。

ネゴ
=交渉。
(例)
今シーズンは益率改善の為中国と値段についてハードネゴするように。

サインバック
=サインして返す。
(例)
中国から契約書のサインバックを入手する。

スキーム
=ノウハウ。仕事の流れ。
(例)
・うちの工場管理している40代は長いですから、彼らのスキームに付いていけないと、人辞めちゃうんですよ。
・うちの事業スキームが有れば、譲渡先でも利益が出せると思いますよ。

トレース
=意を汲んで引き継いでやる
状況を把握しながらやる。
(例)
・共有の管理表に工場単価と益率入れてくれれば
後はトレースして本社協議用に資料作ります。

コミット
(例)
=責任を持ってやる。実現させる。
・親会社の益率指示は困難だが、発注に向けてコミットするように。

フィックス
=確定。
(例)
前シーズンの売れ行きと全体のバランスを見て
各社見積もり原価、予算をフィックスする。

アジェンダ
=箇条書き。議題のまとめ。
(例)
〇〇の件について先方と打ち合わせにあたり
最低限アジェンダは持っていかないと、話がまとまりませんよ。

バイセル
=buy-sell取引。有償支給取引。
(例)
親会社の優位性を利用して、加工委託先の工場との取引はバイセルである。

~辞書見たら何回か聞いたことある編~

アテンド
=付き添い。
(例)
仕入れ先通訳のアテンドで生地屋をまわる。

カンファレンス
=会合。
(例)
本社のカンファレンスがあるので、午後は出ます。

スタンス
=態度。
(例)
仕入れ先には強いスタンスで交渉する。

パートナーシップ
=協業。
(例)
本社以外のパートナーシップを探すことが急務だだったが見つからない。

フィードバック
=評価報告。
(例)
工場視察のフィードバックを社内に伝える。

プライオリティ
=優先度。
(例)
プライオリティから言って、予算の策定が第一条件だ。

ブリーフィング
=朝礼。短い会議。
(例)
これから毎週◯曜日はブリーフィングを行う。

ボトルネック
=妨げ。
(例)
ボトルネックになっていることは報告するように。

ヘッジ
=リスクヘッジする。危機回避。
(例)
レベルの低い工場ではあらゆることについて迅速にヘッジしていく。

リソース
=資源。人材。
(例)
〇〇の案件には相当なリソースを必要とする。

~海外貿易編~

デビット
=請求書。
(例)
キャンセルした生地のデビットを
中国からもらう。

インボイス
=納品明細。
(例)
船積みのインボイスを入手する。

TT
=電子送金。
(例)
・TTする。
・LC決済出来ない為、TTに切り替える。

LC
=レターオブクレジット。信用状による取引。
(例)
・LCオープン後、中国の取引先にLC番号が通知される。
・仕入れ先がLC決済の為、銀行に申請する。

クーリエ
=国際宅配便。
(例)
サンプルをクーリエで送るよう指示する。

ブッキング
=予約。
(例)
来週のSHIPはもうブッキングしたか?

ドレー
=コンテナ輸送。
(例)
春節前はドレーの確保が難しくなるので、早めの船積み予定報告を下さい。

フリータイム
=通関前のコンテナ保管時間。
(例)
倉庫のキャパオーバーで納入日をずらす場合は、必ず現地でフリータイムを取得して下さい。

デバン
=輸入貨物をコンテナから取り出す。
(例)
混載の場合、デバンに時間がかかる為コンテナの方が納入までが早い。

サレンダー
=サレンダードB/L。ノン・ネゴシエーブルB/L。
現地で回収されたB/L。輸入地にB/Lオリジナルの郵送不要。
(例)この貨物はサレンダーなので、御社からB/Lのメール提出は不要ですよ






引き継ぎが完了したが、、

2018年07月18日 | 仕事
親会社の膝下で長年再起に向けてやっていた今の会社。ついに事業譲渡で会社が無くなる為、8/末付けで退職予定である。移籍希望者は譲渡先で引き続き業務をする。僕は移籍しない為、最終勤務は7/31まで。



一昨日、引き継ぎが完了した。一応。
途中中段したりして一通りの資料を提示して話すのに4時間もかかった。やっぱり1日で引き継ぎ出来るような仕事じゃないなと思った。聞く方も聞く方だが、どちらかと言うと話す方が大変である。
2割くらいしか理解されてない気がするが、もういたしかたないので、後は知らん。

引き継ぎ翌日
引き継いだ上司は譲渡先で打ち合わせが有りNR。
今までと何も変わらず仕事をしていた。問題案件も有り、ちょっと後片付けしようかな?みたいに止まる暇が全く無い。案件は社長承認のもと、営業部長や上司、親会社も絡んでいて、非常にめんどくさい話である。とりあえず親会社の担当者と話し、自分がやるべき点のみ進めた。

ふと思った。引き継ぎは昨日完了している。
本来なら、自分はもう会社にいなくてもいいくらいである。しかし目下ハードな物事の真っ只中におり、引き継ぎした上司は直帰である。
夕方、翌日有給取ろうかなと色んな人に相談して根回したので、強行突破で休むことにした。
上司にラインする。
なんかめんどーだから明日休むわ!後はよろしく!
、、とは言えないが。そんな意味のコメントを送る。了解ですの返事。
それからが大変だった。
そもそも普通なら決して休めるような状況ではない。横たわる問題案件。ODMの補償や作り直しの件があった。その他毎日中国の工場からあれこれ問い合わせがあったり問題が起きたりしている。

先日デザイナーのプリントデータ処理ミスが発覚
した。デザイナーは退職済み。縫製が80%完了していた。先方に製品サンプルを見せたら、全部作り直せとの指示。工場にネゴして作り直しの算段は取れたものの、工場に半製品の支払いをしなきゃいけない。100%こちらのミスなのである。半製品80万、資材15万の損失。さらに、先方が2ヶ月納品遅れのペナルティとして、値引きで新製品を消化仕入れするから、それで販売機会損失の穴を埋めろとの要望。パッケージを先方仕様にする必要がある。それもまた非常に手間がかかる。専用の袋に専用のシール作成貼付に袋詰め。社長は譲渡先にそんな話は持っていけないとの判断で、急ピッチでの対応中である。その後処理に追われ、親会社と何度もやり取りするはめに。
そんな件を関連書類と一緒にフルスイングで上司に丸投げしてみた。

その他、追加生産品の上がりが悪い生地、別注商品の生地検査、次の期中製品のプリント見本など、これも普段は自分があたふたとやっていたが、完全に丸投げしてみた。
1日のこれやって下さいの内容をメモ帳にしたためて紙にしたらA4用紙2枚になった。メールして、さらにプリントアウトして、関連物を箱にぶっ込んだ後、1番上に貼り付けて置いてきた。
会社出たら22時を過ぎていた。

今日は、僕がいなくなったらこうなる、という状況を、会社が初めて経験した日になったに違いない。月曜に様子を聞いてみよう。
、、上司から電話が3回かかってきて色々聞かれた。紙を読んでないようだ。。

親会社の担当者は僕より丁度一回り、12歳年上の女性である。
先日、問題が多発する中、〇〇さん今めっちゃ楽しいんじゃないんですか? もう俺関係ないぜって感じなんじゃない?どないなん? と問われる。
たしかに言う通りである。
めっちゃ楽しくはないけど、気楽である。もはや入れ込んだところで何も得るものは無いし、移籍しない人間としては十分やった自負もある。
とか言いつつ、この人は夜21時過ぎに当たり前にいるだろうと電話をかけてくる方である。あれは?これは?と言われながらメールしたり電話してたら22時である。
そういえば、一つ釘を刺された。来週上司さん入れて3人で引き継ぎ打ち合わせしましょう!とのこと。あれ?引き継ぎ終わってなかったと気付く。そう親会社のこの方がいないと引き継げない仕事なのである。僕がいなくなったらどうなるか、親会社なりに想定している部分があるのだろう。

初めて?の有給をのんびり過ごしていると課の女性から電話がかかってきた。中国の公司から電話があったが上司が出かけており繋がらない。僕経由で、というか僕に問い合わせてくれとのこと。。
どうやら上司宛の1日のしおり、に書いた件は対応されておらず、仕事が回ってないらしい。。
上司の電話3回、同僚1回、中国の公司3社からwechat問い合わせ。
公司1 支払いはいつですか?
公司2 たたみ方これでいいですか?
公司3 あの件引き継ぐって聞いた上司さんいないんだけど?

中国の公司と話したらやはり追加生産製品の生地上がりが悪い件である。修正見本が会社に届くから確認するという件は完全にスルーされている。
修正は品質が安定しない、修理屋に出すと$2.00以上かかるがそんなのは大赤字だから出来ないと言う。
泥沼案件である。
キャンセルするなら生地屋と交渉して、事が最小限に収まるようにするとは言うが、そういう問題ではない。常套句は、こちらは小ロットでやっているんだから、である。そこは理解するが、駄目なものは駄目である。
追加生産品なのに風合いが違う。売れない。キャンセルしたら売り上げに穴が開く。
営業は納期をずらせないと言っていたので、品番変えて$1.00値引きか、作り直しをプッシュするか、2択になるかと思われる。

週末の1日だけでこの様子である。辞めた後、どうなるのか、、
ちなみに先週からメールは必ず上司にCCを落とし、中国wechatは各公司担当者と上司とでグループ作成して3人〜4人体制である。日本の主要取引先には退職の挨拶メールもした。
普通は、というか親会社は、上司が1ヶ月前に引き継ぎの連絡。本人が辞める前日に挨拶だった。それに習いたいと思っていたが、気付いたら退職2週間前である。自分だけで挨拶メールをして回った。

来週は片付けと請求書処理に専念したかったが、最後の最後まで元の現場維持で振り回されそうな感じである。
来週も無理くり有給を取るつもりである。









退職まで2週間の進捗。そうだ有給を取ろう。

2018年07月14日 | 仕事
3/末の事業譲渡発表から早3.5ヶ月。早い。
8/末退職に向けて、最終勤務日は7/31である。8月の1ヶ月間は有給扱いで、給与は出るけど出社出来ない。特別有給一斉消化と、僕が勝手に名前を付けた。譲渡先に移籍する社員は7/31-->8/1で退職-->入社になり、有給が40日有っても全く消化出来ない為の制度と説明があった。

大体片付いた仕事。
引き継ぎ書類を書いて、生産進捗表もまとめた。何が終わってなくて次に何をすればいいか分かる表である。船積みをいつまでにすれば納期に間に合うのかも逆算可能である。
資材の仕掛りもまとめた。金額、製品毎の単価、仕入れ、送り、販売済みかどうか、一目で分かる。LC代行用に親会社にも報告済みである。
昨年、これが上手く出来ず大変苦労した。上手いやり方を模索して今年は楽だった。
品番毎に数量、単価で資材計算--->集計
発注した資材のインボイス金額--->集計
この2つが一致しないといけない。後者は親会社に売り立てる金額でも有り、試算と親会社のシステム計上が一致する必要もある。
究極は全型に必要な資材を一回で発注すれば、絶対に数字がブレない。10品番程度ならそれが出来るけど、150品番も有るとそうはいかない。
親会社は、これを資材屋に丸投げするらしい。仕様書だけ渡して、必要な資材手配から単価まで管理して工場に送らせる。夢のシステムだが、もし僕の会社が同じことをやるなら、10%の手数料を頂くと資材屋に言われた。もちろん社内でOKは出ない。
発注ベースで金額を徹底管理するとか、もっといいやり方はあると思うけど、デザイナーがサンプルチェックして付属の最終決定を待つ必要が有る。また、縫製優先で資材を投入していく為に、ネーム類を優先して下げ札が後になるなど、資材発注回数も増える。なかなか一括で出来ない為にブツ切り状態の作業になると、途中で中断しやすい納品インボイスベースにした。今年は数字がほぼ合ったので、すっきりした。

同時に先輩からのアドバイスで工場ドル単価、上代、原価率も入れて、製品一覧も作った。輸入後に親会社が譲渡先に売る時の決定単価を入れれば、LC代行輸入費用及び親会社マージンと、それを定数計算した仮原価に対しての係数が出る。譲渡先に、その係数が欲しいと言われているらしい。
仕入れ月毎の製品仕掛り表は社内システムで最低限カバーされてたので作って無い。今何が輸入済みで輸入してないか、金額の出る仕掛り表である。それは手が回らなかった。どうせ全量一発船積みだし。製品一覧を使って後は臨機応変にやってもらうしかない。
予約した為替金額合計・平均レート、工場及び親会社の契約書とその進捗もまとめた。輸入時に乙仲が関税率を確認する為の生地組成、仕様説明した仕様書も全型用意した。
未解決事項は都度上司にCC入れてたし、あとは説明だけでいいと思われる。
上司に来週の引き継ぎが終わったら有給を何日か入れようと思うと話した。それがいいよと言ってもらえた。ありがたい。

会社解散前の飲み会があった。
親会社の提案?で予算高めのホテル飲み会である。金額にしては料理はいまいちだった。あのホテルには2度と行かないと思われる。食べ物は中華食べ放題の4000円くらいのほうが良かった。

ODMを担当している営業課長と話した。
元々、展示会で当社製品を選んで別注する方法だったのが、いつの間にか完全オリジナルになったらしい。しかし下代は1250固定。前に担当したデザイナーは10円禿げが出来て交代したとか、、。営業、デザイナー、パタンナー、生産管理全員が片手間でやっている為になかなか上手く進まない。専任を付けるべきだったとのこと。完全に同意である。
そして、先方の担当者がMDであることもやり辛かった。先方側に、ブランド機能、要は企画やデザイナーがいない。もしデザイナーがいれば、デザイン云々をその人が責任持って管理する。生産背景に対してどんな要望が難しく、コストに対してデザインを損なわない線引きが出来る。ODMはそれをサプライヤー側、メーカー側にやらせるのである。つまりは、消費者レベルの人間の言われたままに振り回されることを意味する。小売企業が既製品仕入れ以外に、オリジナル製品を作るとはそういうことである。

パタンナーと話してみた。
普段一番話すことがない。そして工場や生地に問題が有る時に、一番問題視を強めて生産管理に叱責を頂く方々である。色々やり取りしてきたが、やはりパタンナーは設計者であると同時に品質管理の番人である。それくらい経験が有って有能な方であるとも言える。
やはり原価率を下げる為に低レベルな工場に振ったことは良くないよとのこと。通常の3倍労力を使ってたとのことは完全に同意である。問題が直らず、サンプルを4着以上作った。通常は1着である。多くて2着。僕に至っては、通常やる必要の無い全資材のリストアップで色修正、確認の進捗管理や、修正サンプルの修正点のリストアップ、問題がある度に単価ダウン交渉、納期遅れを営業に謝罪しながらの船積み調整、納期交渉などなど。昨年末、担当の日本人、ロマサガの村長みたいな詐欺師に電話で怒鳴り散らした。色んな人に話しのネタにされた件だが当時はそれどころではなかった。年間600型を何年か前には4人のパタンナーでやっていたが、僕が入社前に3人になり、1年前には2人、そして譲渡先に移籍したら1人になる。僕は移籍しないが心配である。現状作業机も無く、製品サンプルも持っていけないという。要は、ワンルームの一口コンロキッチンに料理人を立たせるようなものである。ありえない。しかし思ってたより、タフでたくましい方で、床でやろうかと言っていた。私の仕事は周りに理解されないのかな、とボソッと。元パタンナーの僕も同じことを思っていた。

オーナー一族、歴代の社長2人が来た。
会社の歴史は非常に長い。良い時は繊維商社として、海外に製品輸出もしていた。
1人は4代前社長で40年くらいの会社を引き継ぎ、20年近く在任した。その弟は3年くらい。その後、サプライヤーとして長年のパートナーだった大手親会社に泣きを入れて会社を引き渡し、出向の社長を迎えた。今の社長は出向2代目で7年前にやってきた。その時点で年間売り上げは最盛期の1/3、今に至ってはその6掛けである。
僕は弟しか知らない。兄の方は、たまにファミリーセールで見かけたくらいである。親会社に引き渡した時、やめる人間もいたが、残るのも地獄、出るのも地獄とはよく言ったもんらしい。なんとなくこ綺麗な感じの男性である。僕は何の関わりも持たなかったので、この社長が会社を傾けた戦犯なんじゃないかと思ってしまった。
時代に合わせて色んなことをやり、会社が長く続いたと言っていた。逆に90年代以降、それが出来なかったからこその、今の解散である。尽くし続けてきた百貨店は未だに消化仕入れを基軸として自分のことしか考えてない。当時のシェア率や世間的に価値のある売り場を持つこと、ライセンスブランド契約に傾倒して、リスクの分散をしなかった。高品質な繊維加工のノウハウが有りながら、数十年間、日本市場にしか存在しない製品、年代が偏り先細りの市場に絞った。

僕が世話になった60代の元部長を呼び捨てするのを見て、会社には本当にいろんな世代がいるんだなと感じた。70代元社長、60代元社長・元部長、50代現社長・部長クラス、40代課長・次長・平、そして僕は30代平。
会社が続けば僕は管理職になると言われた。その為の元部長、教育係である。しかし次長を引き継いだのかな。。今更関係ないけど、先日次長の年収を聞いてしまい、なかなかショックだった。
保険料の率を加味して残業代が出る僕との月手取り差額は5万切るのではないだろうか。
良かった時は全然違うらしいが、、繊維には良い時などもう来ないのである。

譲渡先の会社で移籍者に説明会があった。
残業は完全に事前申請、土日出勤不可らしい。いいのか悪いのか、25時まで残業したり、毎土曜日出勤など出来なくて支障が出ると聞く。その他色々と決まり事が有り、堅い会社らしい。
今の会社は腰パン社員がいたり、席の周りが家になっている社員がいたり、けっこう自由だったんだなと思う。まぁ社員7人の会社にいた僕からしたらシャツとスラックスと革靴、昼時間がかなり固定的ってだけで堅いと思ったけども。

段々移籍しない社員が蚊帳の外感が出ており、良い意味で開放感を感じている。退職まであと少しだなと実感が湧いてくる。




引き継ぎまであと2日。

2018年07月11日 | 仕事
8月の1ヶ月特別一斉有給消化まであと3週間を切った。会社は事業譲渡と移籍に向けてバタバタしている。

会社社長の関係企業斡旋に断りのメールを入れた。
返信は短めに、こんな形になり申し訳無いが健勝を祈るみたいな感じだった。妙なやり取りも無く安心した。平和である。その日、様子を見てると、関係会社から電話が入ったらしかった。多分社長より上の人なんだろう。
返事遅いやないか?どないや?
いや、、あの、、ですね、〇〇は駄目っす。
多分こんな会話。さすが体育会系。

パートのおばちゃんがキレる。
月末の課内の経理事務の残務、引き継ぎに関して、上司から全く指示も無いし会社としても決めてなかったのが理由である。自分の予定が全く立てられないと言う。いつまで会社に来ればいいのか。何をどこまでやればいいのか。
あれ?うんうん、それ僕もだわ。ついでに教えてほしいわ〜。と口から出そうだったけど、そこはパートと正社員の違いである。
僕が突然の営業からの発注に対応した資材発注にも話は飛び火する。パートの方からしたら、社員が何か発注したら辞める前の仕事が増えるわけである。とりあえず請求書は仮電対応で落ち着いた。

さすが中国直貿、問題が多発する。
なんだかんだ上手く進んだODMのプリント生地に、変な柄が入っていると報告が来る。バルクの生地を見ると、点々と模様になってないゴミのような柄が混じっている。確認したらデザイナーが送ったプリントデータに元から入っていたデータ処理ミス。デザイナーは先月退職住み。一時は目立たないからこのまま行くかとなったけど、社長ジャッジで先方に見せることに。作り直したら約70万の損失。仮に先方に全返品かつ売り上げ保証を請求されたら450万+送料など。
単価も契約済み製品の生地が作れないという。
聞けば半年前くらいから影響が大きくなってきた環境問題によるプリント工場の閉鎖である。国が取り締まっており、操業に制限がかかっているらしい。体力の無い工場は無くなって、仕事が局所集中している。加工賃も上がり、プリント屋が仕事を選んでいるのが理由である。営業がキレそうなところ、中国には生地屋に交渉させている。

僕の代わりに中国出張した上司。
色々と確認ごとを頼んだが、ことごとくやってねぇ。そもそも何の報告も無いし、出張報告書もCC来ない。あれは?これは?と聞いてもやってない分からない、なので、結局自分で中国に確認するハメに。期限のあった件はwechatでプッシュしまくることに。めんどくさい確認ごとは現地でやるに限るのだが、、なんとなく直貿の仕事を分かってないんだろうと感じる。僕が出張に行く時は、B4の仕様書を全型スーツケースに詰め込んで、デザイナーや上司からパンパンに用件を詰め込まれたことを思い出す。たかだか5件あるか無いかの確認が出来ないのには呆れてしまった。その確認、ほとんど引き継ぎする為なんだが、、。僕が辞めた後は親会社はさんでOEMしてもらうのが中国の公司も譲渡先企業も安心だろうと思う。

問題はあっても、引き継ぎまであと2日。
本当に引き継げるのか、、、。
細かいことは大体終わらせたので、表面上引き継ぎ資料作って乗り切るしかない。上司には悪いが、仕方無い。こうなることは分かっていた。元からエンドレスな仕事を途中で断ち切るのである。分かっていても、残業し続けてこれである。会社の人事采配と、仕事の割り振りのせい、出張の成果だと思ってもらうしかない。

前述した会議後に、引き継ぎをしたら休みな!私は心配だよ!とパートのおばちゃんに言われ、少しはっとした。正社員とはいえ、自分の権利を主張することは必要である。1日も有給取っていないし、少しは休もうかなと思った次第。残業代は惜しいが、会社にいたらいたで引き継ぎの意味が無いくらい仕事をするだろうし。
世話になった隣の席の部長が来て欲しそうなので、一応最終日は末にしておく。

が、引越しは30日。
最終日の31日は、多分会社にいるのは移籍しない部長と60代のデザイナー、70代の総務部長に、社長。すごいメンツである。発注書や仕様書なんかの書類関係も引越しして自分の手元から無くなるし、30日で最終日にしようかと思っている。

週末は都内ホテルで全体送別会である。
特に行きたいと思わなかったけど、ただ飯をありがたく頂くことにする。






会社の求人斡旋を断ったった。

2018年07月07日 | 仕事
事業譲渡により会社が無くなる予定である。
管理人は移籍せず、退職金その他手厚い手当て金をもらいつつ、会社都合退職で8/末がXデーとなる。最終勤務は一応7/31予定。

先日書いた記事で、社長から直接求人斡旋の話があった。親会社のコンプライアンスに対する情熱と社長のメンツ?がかかる、グループ会社の求人話。客観視したら割とイイ話だったが、断ったった。
あやふやなのは良くない。僕は多分もう親会社とは関わりたくないのだ。世話になったし、手厚いコンプライアンスにも感謝しているが、人を人と思わない冷酷な感じと超長時間勤務、超体育会系で人を蹴落として進むようなイメージは拭い去れない。畑違いも含めて。
入社一週間で社長に飲みに連れて行ってもらった時のこと。物を作って売るのは楽しいぞ。と言われた。結局僕はその言葉の意味をはかり知ることすら無かった。

最初は、お疲れ様です。辞退します。とだけ、超短文で返信しようと思ったが、さすがにわざわざ資料まで書いてくれたんだから失礼かなと思い、理由も付け加え、やんわりと、自分でやるんで。ってニュアンスの文面にした。
月曜の朝か、今既に返事が来ていると思われる。
わかりましたの6文字か、何か社長目線で諭す的な文面が付いてくるかもしれない。ちなみに今まで社長のメール返信で一番短かかったのは、はいの2文字である。もし何か嫌なことを言われたら、きっちりと、大人気無い反論をすることもやぶさかではない。わずか1年半で半年弱の就活が無駄になったアラサー?平社員の恨みを思い知るがよい。
、、と言っても社内では割と紳士的な人なので、そんな斜にかまえなくてもいいかもしれない。

引き継ぎまであと1週間である。
遅い。自分で7/中くらいと言った手前、やるしかないのだが、周りはほとんど有給でいないし、きっちり出社してるのは一部のデザイナーと管理職くらいである。きっちり引き継いで、残りは高みの見物だな、などと定年予定の元企画部長に言われ、それも悪くないかななんて考えてしまう。
元企画部長は僕の教育係兼、デザイナーの相談、一部仕入先折衝役で、誰よりも働いていた気がするが、僕の親くらいの歳で嘱託の社員である。
僕が引き継ぐ予定の直近の上司も、この人の元部下だが、ひどい喧嘩別れをした為に表面上以外は絶縁状態である。全く正反対の2人。僕はどちらにも違う場面で世話になった。仕事でみたら、やはり元部長に軍配が上がる。
僕の直貿業務はこの人無くして成り立たなかった。教育係とは名ばかりの2人体制である。なにせ、他社や本社が2人や3人でやっているところを、僕1人がやる直命だったのだ。もし廃業しなかったら、部長は定年退職して、僕は2人分の業務をやる予定だった。
何にせよ、今の業務をしながら後片付けや整理など出来ないのである。さすがにそれをやりに休日出勤などしたくない。ただでさえ休みの日にも中国からwechatが入るのである。今までGWや盆などは休んだ気がしなかった。
引き継いだら、書類業務以外は完全に切ってもらわないと、完全に片付かないままで終わる可能性も高いと見ている。
間に合わせる為に、先月から残業してきたのである。もちろん手伝い名目で残業はさせてもらうが、残業代の為に。しかし8月は絶対に出社しない。させる方が会社としても難しいかもだが、、。








まさかのボーナス支給について。

2018年07月02日 | 仕事
今日通勤中にふとメールを見ると、銀行から振込みの連絡メールが来ていた。給料は入ったばかりだし、何だろうと思ったらボーナスだった。
会社無くなる寸前なのにボーナス。契約社員、パートの方にも慰労金との名目で支給が有ったらしい。親会社か社長の粋な計らいなのだろうか、、。
しかしボーナスなんて無くて当たり前で10年以上働いてきたせいで、この時期の振込みに、何だろう?の反応、、、。1/2ヶ月分という、無いよりはマシな金額ではあるけども、贅沢は言わない。思わぬ臨時収入だった。

先日調達した趣味軍資金、残り165kと合わせると、、仮に半分貯金したとしてもちょっとした小遣いになる。

しかし、何を買おうか。ちゃんと考える時間が無い為、このまま生活費に融合して知らぬ間に無くなる可能性が高い。。





会社の求人斡旋に迷う。

2018年07月02日 | 仕事
事業譲渡による譲渡先への業務移行の為、8末で退職予定である。最終勤務日は今月末。
親会社のコンプライアンスにより、移籍希望しない社員はグループ会社に求人が有れば、斡旋してくれることになった。
ネットで見ると、なんだかいかにも本社との繋がりが強そうで、不安を覚える。なにせ親会社には良いイメージが無い。なぜか、今の自分の仕事で親会社の人間や、関わりのある人々に話を聞いたりした結果である。特に出向の取締役から聞いた話。役員会の話である。聞かなければ良かったと思うが、聞くしかない状況だったので仕方ない。自分には関係無い上の方の話だけども。
この違和感、嫌悪感の正体は何だろうと考えると、畑違い、という考えに行き着く。

先日喫煙所でタバコを吸っていると、突然社長がやってきた。予期せぬ連れタバコである。せっかくの小休憩時にかしこまって話を聞く。関係企業の求人斡旋の件である。そういえば先月末の履歴書提出をスルーした。が、まさか社長から来るとは。。社名も提示して2社面談受けられる会社が有ると話を進める。片方は作っているものに興味が無かった。片方は元が分社らしく、ほぼ親会社本体。市場で一番売れてるアパレル2社と、最近元気が無いけどもトップクラスの量販をやっている。基本はODMらしい。企画としてデザイナーとパタンナーがおり、営業と生産管理で相手先企業とやり取りして量産していく。小売ブランドに対して展示会を開き、受注を受けたり、別注、OEMを請け負う。本社にはいわゆるブランドの機能が無いので、ODMをやる為に中途で人間を集め、量産までを業務委託している。だから生産背景は本社である。しかしネットで見ると縫製指導者まで募集していたので、かなり量産まで入り込んでると思われる。それこそ一部直貿なんじゃないだろうか。

小売というのは、デザイン業務をアウトソーシングする傾向にある。関係無いから名前を出すと、ビームスも、UAも、デザイナーではなくて、企画名義やMDが発端で自社生産品を作る。ようは、こんな感じのものをこれくらい欲しいと言えば、勝手に気の利いた商品が上がってくればいいのである。それこそ、ひどい会社だと元請けのOEMがODMに丸投げしているところもあるらしい。

脅すわけじゃないけど、バタバタしてるぞとのこと。大手量販はボリュームが半端ないので、ちょっとミスったら数千万のクレームが来るぞとも、、、脅しだろそれは。。過労死コース確定か。どうしたものか。机に戻ると社長から簡単な資料メールが来る。検討しますと返信した。 面接受けた後で辞めてもいいから、前向きに考えて欲しいと、間髪入れず返信が来た。その後は返信しなかった。

ぶっちゃけ、何か気味が悪い。
平たくみて僕の社長からの評価は低い。何か大きな失敗が有ったわけではないけども。なんとなく今まで本社の人間と比較されている感があったからである。
なぜそこまで斡旋したいのか。
1つに社長のメンツが絡んでいるんだろうと推察する。自分から本社出向2人目の取締役に手を上げ、数年前のどん底の今の会社にやってきた社長。益率改善の為、本社でやっていた直貿に切り替えた。やる人がいないということで、僕が採用された。新しい人間を雇う余裕など無かった時に。正社員で。多分クソッタレ役員会をかなり説得したんじゃないかと思われる。現に僕以降に入社した人間はいない。辞めてく人間は何人もいたが補充は一切無かった。
結局、直貿の費用対効果はあったにしても、結果は出なかった。
本社から言われてるんじゃないか。
お前のせいで路頭に迷う社員はどうするんだと。本社の名を汚すな。出来る限りのケアをしろと。
そして関係会社に頭を下げたかもしれない。頼んだ手前、相手も期待する。後述するけどおいしい話なのである。その期待にメンツがかかる。。。めんどくせぇ。。

面接だけでも受けてみようか迷っている。
仕事内容は聞かなくてもなんとなく分かる。バタバタの度合いを聞いてみたい。あと、その会社はメンズをやっている。今の会社への転職で、いわゆる洋服のアパレルから外れてしまった自分からすると、その点は魅力である。
求人アテンド企業による企業インタビューをネットで見ると。。(本社と違い)物作るの好きな人を募集してます。とのこと。
僕は前の会社はしょーもないアパレル企画だったけども、繊維業に関わって14年になる。デザイン以外の業務は一通りやってきた。絵型と仕様書を書いて中国人や韓国人と直接やり取りして9年間服を作った。デザイナーと同レベルでイラレもフォトショも使える。グラフィックは仲の良い前職の上司、今はフリーのデザイナーに任せられる。最初の会社ではパタンナーだったから縫製も分かる。今の会社で生産管理をやってほぼ一通り。広く浅くだけども。。
大卒で総合職の本社とは正反対の畑からやってきた人間である。
その会社が募集している農耕民として適しているような気がしなくもない。僕がいたのは全部ブランド側なので、メーカー畑といった畑違いもあるのだけど。。多分それはネックである。しかし一応畑を見てみたいという気もする。

いきなり面接をしてくれる理由。
単純にお金である。企業としては求人アテンドの会社を使うと本当に金がかかる。求人を出し続けてもかかるし、採用したら成功報酬も払わないといけない。今の会社は、僕を採用して100万以上をアテンド企業に支払っている。
タダで採用まで出来るなんてことは今の時勢、有りえないのである。

しかし自分で探す方が自由でいいしと思ってみたり。探し方も分かっているし気楽なのである。
何せ考える時間が欲しい。選ぶ時間も。今は少な過ぎる。なにせ今の仕事が引き継ぎまで重いのである。



最終勤務日まで1ヶ月を切った。

2018年06月30日 | 仕事
3末の事業譲渡説明から早3ヶ月。早いな〜。
まさかこんな早く会社都合退職になるなんて去年の今頃は思いもしなかった。月70時間の残業に溺れていた去年。今まで限りなく緩い小さな会社で働いていた自分には初めて社畜という言葉が浮かんでいた。それが今は終わりが見えているというあり得ない状況。悪く言えば後のことは知らんって感じで、仕事がさくさく進む。慣れと経験もあるけども。細かいことは気にせず、いかに引き継ぎをスムーズにやるかに邁進している。

有給よりも残業代。
事業譲渡になることは上ではほぼ確定していただろう2月。新しい勤怠システムが導入された。
それまでは、エクセルの勤怠表に自己申告だった。次長の印鑑を毎月もらうわけだけど、残業は25時間以内にするように指示されていた。実際は70時間超える月もあったけど。25時間超えると、勤怠表が管理部を通らない。表向きはみなし残業システムではないと言いつつ、実際はみなしだった。それが一転する。
タイムカードとリアルタイム勤怠システムが導入された。打刻と残業申請が必要になった。残業は次長に申請して許可が必要ということで、初めはめんどくせーとか結局みなしだろ?なんて思っていたけど、、
海外出張がからんで残業と休日出勤が重なった3月、給与明細を見て目が点になった。残業手当てが10万を超えていた。それまでは25時間みなし?で48000円が残業代。翌月も40数時間の残業で、9万円以上の残業代。月の手取りで5万増えたことになる。残業はやっただけ出るようになったらしい。
グループ会社は親会社のコンプライアンスをそのまま遵守しなければいけない。譲渡前になって、今までのグレーな勤怠に対する訴訟対策なのか知らんけど、棚ぼたである。
ということで、仮に有給で休もうものなら当然この残業代など付かないわけである。どうせ今の会社に勤務する7末までは就活しないし、有給使わずに残業代をもらうことにした。

次々といなくなる社員。
会社で最年少の営業が6末で退職した。彼は新卒でこの会社に入り4年目。子供が生まれたばかりで事業譲渡の件だった。次の会社が決まった状況での早期退職。世間的な見方では、会社の中で最も良い選択をしていると感じた。
20歳年上のお局デザイナーも先週末で退職した。
元々大手アパレルを渡り歩いたベテランデザイナー。僕も何度も一緒に仕事をしていて、昔ながらのデザイナーらしい人だった。
朝出勤すると、会社の席はスカスカである。あらゆる部署で有給を使いまくっている。

中国の仕入先に辞めると言った。
今年徹底した益率管理によって$120万以上の発注をしたメインの公司。さすがにヤバいと思ったのか電話がかかってきた。というのも、引き継ぐ上司は元々の担当で、公司的には管理が良くないと感じていらたしい。僕から上司には到底言えることではないけども。会長、総経理共々、30半ばの若い僕に対して、良く仕事をしてくれた。国内大手アパレル、商社の製品も作る古い公司である。次の会社に行って、紹介出来る仕入先の1つである。

親会社のOEM兼、直貿輸入LC代行担当者に辞めると言った。
直貿になる前にOEMで間に入っていた、僕から見ると前任者。繊維商社ウーマンの生き字引のような方である。10人前後で年間100億の売り上げを出す本社の精鋭で、社長の元右腕。送別会、、やりますか?事務の〇〇さん呼んで? 、、、すいませんバリキャリの方々に囲まれるのはなんか気が引けるので、、とは言わないけど、なんとなく濁した。

物流倉庫の所長と話してみた。
譲渡後は譲渡先の社名が下げ札に必要になる。それが入ってない製品が約10万枚ある。そのうち僕の担当製品は3000枚。7末少し前に日本に入る。なんでそんな遅いの?とのこと。元々7末納期だし、7月の船積みはコンテナぎりぎりな量なので、各公司の検品予定を鑑みて一まとめにした経緯を説明。じゃあ25日に倉庫で水着着て一緒に下げ札付けしようぜ!とのお誘い。 倉庫に行くと残業出来ないのでお断りしようか検討中。

ODMも問答無用で納品手配。
発注前にOKもらったはずの生地がなぜか修正指示。進行が1ヶ月近く遅れた。毎日いらん話もしながら公司を説得する日々。奇跡的な追い上げで製品が上がり検品所に入った。袋に入るシールも資材屋にネゴして4日前倒した。検品所も事前に根回しして1日で抜き取りから全力検査、たたみ箱詰めまでやってくれた。船積みも急遽前倒して、先方納期に間に合う算段に。親会社に確認したらLC手配出来てない、、早くやってくれと指示。結局LCの指定銀行名に問題発覚して、公司にネゴしてTT送金に。
検品所、社内検査でOKの出た納前を先方に提出したら、、シールの色がブレている、袋詰めがなんか中で製品が動いておかしいとのこと。確かに色は多少違うけど、近くで見ないと分からない程度、たたみも信じられないくらい指示通りで綺麗だった。シールも本番修正指示で確認の時間など全く無かった上、ただでさえ複雑なたたみも事前に確認提出してOKもらっていた。上司も直せねーから交渉して納品しろと営業に指示。最初の生地修正も営業が全て鵜呑みでもらってきた話である。出来る限りの手は尽くして納期は間に合わせたので後は知らん。
4月の面談で営業部長から譲渡後も続けると聞いていたODM。先日企画チーフから一言。来週、先方にお断りしに行きます。は? 次のシーズンからは辞めるらしい。

上司に少し引き継いでみた。
明日から僕に変わって中国出張の上司。僕が入る前は、直貿と国内を抱えて過労死レベルの残業の日々だったらしい。それが今は、国内と1番重い本社OEMの管理、そして当初と比べて型数が大幅に増えた僕担当の直貿を抱えようとしている。ぶっちゃけ、死ぬんじゃないか?って仕事量である。
出張前の打ち合わせで、進捗表を見せると、多いな、、、の一言。そりゃ仕入れ枠の30%近くあるので、、。 とりあえず検品所に入る数型の検品打ち合わせ、僕がいなくなる8月の船積み予定の詰め、その他素材の問題点などの確認を依頼。
話によると、移籍した後は直貿を本社OEMへ切り替えることも考えているらしい。手に負えないので。 この先親会社ではなくなる本社がマージン50%カットで受けてくれるのか、疑問である。
自社物流倉庫を使い、本社にとって破格の倉庫代で成り立っている輸入LC代行もどうなるやらである。物流倉庫は無くなる上に、譲渡先会社の倉庫は輸入貨物を置いておくだけのスペースが無い。

管理部トップさえ知らない移籍前後の予定。
事実上総務管理部トップのお局様から信じられない一言。8/1から移籍して出勤も向こうだけどさぁ、いつ引っ越しするの?8月度の支払い処理は誰がどうやるの? 引っ越しの準備は全く決まって無いらしい。考えてみると、自分も7/末まで出勤したら途中で引っ越し作業に駆り出されるんだろう。

内密にマンツーマンで依頼されている8月の手伝い。
営業事務など、移籍しない社員に対して手伝いの依頼があるらしい。自分はそんな話来てないので、報酬とかどうなるのか心配する必要も無いのだけど。仮に突然8月来てくれと言われたら、時給3500円なら行ってもいい。あと、沖縄旅行の飛行機代約30000円も支払って頂きたい。

唯一同年代男子の営業と話してみた。
全く移籍する予定は無かったけど、激しく説得されて移籍することにしたらしい。そもそも営業に関しては、部長から次長までの3人以外、全員移籍しない派だったとか、、。僕が入社前に、僕のポジションへの移動希望だった。通ってきた服の嗜好が近く、会社内で唯一タメっぽく話せる彼。こんな状況でなぜ、繊維を選んだのか、まじで後悔しているとのこと。友人の中でも1番給料が少ないのが理由である。確かに以前同年代の生地屋も同じことを言っていた。
僕らの世代は裏原を若い頃に通って繊維業界に入った人間が多い。裏原の作る側、ブランド、メーカーは、90年代の円高の恩恵を受けている。80年代のドメブラ出身のマンションメーカー、OEMが暗躍した。作れば売れて儲かるという、今考えるとそんな時代は二度と来ないと思える環境である。2000年に入ってデフレが進行して世の中な価値観も変わり、僕らが繊維業界に勤め始める頃には斜陽の一途を辿っていた。

まだまだ波乱が有りそうだけどあと少しである。
2年前の就活の勝手を覚えているからか、今の会社の経験で、どこに行ってもなんとかなると思えるからか、なぜか楽観視している感じは否めない。







会社の事業譲渡まであと1ヶ月ちょっとの進捗。

2018年05月21日 | 仕事
3月末日に社長から事業譲渡の話が有った。
今の会社は年内くらいには無くなる。
合併ではないにしろ、社員移籍で事業部スタートする予定である。
退職金に加え、割増な手当てが出ることもあり、自分は移籍しないことにした。仕事の引き継ぎが全く見えないとか、有給1ヶ月の8月は就活しないで夏休みを満喫しようとか、色々と不確定要素があったけれど色々とはっきりしてきた。
あれからの進捗をまとめてみる。

移籍決定社員が発表された。
移籍希望者は譲渡先の会社で面接を受けて約2週間後、移籍決定メンバーのリストが全員送信でメールされた。 予想外だったのは今の約2/3も移籍するらしい。移籍しない社員については、希望して面接受けたけど落ちた人、行かないとしていたけど直前になって滑り込んだ人、年齢的に定年越えていて行かない人、僕のように初めから行く気の無い人、色々である。

有給の行方。
先日、6月の給与明細で有給が18日も付いているのに気付いた。7日だったような、、どうも5月に勤続1年半を迎えて、11日プラスされたらしい。
そして気になりだす有給消化。人事担当のお局様にメールしてみたら、長文で返信が来た。
要点をまとめると、、
・最終勤務日の7末前に、一斉消化はやめてほしい。
・7末前に就活で有給使うのはOK
はっきりとした理由とは言って無いけど、8月は丸々有給扱いなんだから、この件は飲んで欲しいというニュアンスだった。

10こ上の営業の独身貴族と話してみた。
僕と同じく、絶対に移籍しない派で面接も受けていない。 業界の斜陽感、上のやり方の閉塞感、譲渡先会社の数字に厳しい面を上げて事業の継続は信用ならない点、かなり自分と一致してた。
有給は38日も残っていて今日から休んでも消化出来ないと、、。夕方、20日分有給申請した。前に辞めた営業は、上の対応が遅く直前まで引き継ぎに入れず、有給消化できなかったらしい。同じ轍は踏まないとのこと。自ら引き継ぎを全くしない道を選んだ。

移籍しない社員向けに、説明会がある。
グループ会社の求人斡旋、その他出来ることがないか就活の支援的なことをしてくれるらしい。
これは驚きだった。かなり。
切りやがって!なんて思ってたけど、閉口するしかない感じ。大手企業の一グループ会社の特権とも言える。もし親会社がいなかったら、朝出社して会社のシャッターが降りてるのを見て倒産を知る可能性もあったわけである。親会社のコンプライアンス、待遇は悪くなかったと判断せざるを得ない。
上司に聞いたら、一部?資料が来ていて、僕の年齢で応募出来る生産管理職が有るらしい。
余程嫌なところじゃなければ受けてみようかなと思ってる。

移籍後はパタンナーが1人しかいない。
移籍しない僕が心配する必要なんて無いのだけど、僕は元パタンナーなので、これは非常事態だと思う。3人から2人になった時に、グレーディングを仕入先に任せることにしたとはいえ、年間600型くらい有るのに1人って。パタンナーという職種はアパレル系の学校を出ていない人間から本当に理解されない。社長はパタンナーがいない会社、パターン支給しない会社なんてザラに有るんだから、工場にやらせてもいいなんて言う。しかし製品を作っているのは縫製する工場ではなく、パタンナーである。 デザイナーは柄を作って絵を描いて、パタンナーが生地、風合い、付属、縫製を念頭に設計する。そして今まで数十年改良を重ねたパターンは会社の財産である。これも理解されない。

仕事の引き継ぎ。
先日仕入れ関係者との商談中に社長が自分の上司に言った。引き継ぎも有るし〇〇とか△△とか連れて現地に行くように。
なんとなく上司と社長はその話2回目感が出ていたが、、そんな話一言も聞いてねぇ。
しかも、現場仕事を4割抱える上司に問答無用で僕の4割を乗せようとしている。

思い返すと、社長と上司と先輩3人でなんか話してた。後で聞いたら、僕が移籍しないと言った為、僕が抱える仕事をどうするのか、社長から声がかかり話していたらしい。

僕の仕事は海外からの直貿仕入れである。
会社は親会社のOEMで十数年やってきたけど、業績改善に向けて、益率を上げる為社長のテコ入れが入った。それが僕が入社する約1年前。親会社の中間マージンを無くす為、海外と直接やり取りをして製品を作って輸入することになった。非常に手間がかかる。僕はそれをやるべく採用された。
春夏は多くないけども、秋冬は仕入れ全体の半分くらいは僕の担当である。生地50型、製品150型、仕入れ原価で約1.5億強ある。その他今期から担当になったODMも、、。

僕が入れば問題無かった生産管理3人目の枠には、営業歴の長い生産補佐の社員にパートで入ってもらったらしい。

とりあえず引き継ぎの目安は見えた。
1年間二人三脚だった嘱託元部長のテコ入れで、本来最繁忙期になる今、18AWバルクと19SS同時進行と今期残りの単価交渉から解放された。単純に上司に19SSやれとの指示。
重荷だったシーズン後半特価商品の進行スケジュールを組んで2人担当体制のデザイナーに柄の手配と仕様書、営業に発注書をやってもらい、発注して軌道に乗った。
サンプルまでかな。量産は丸々引き継ぎ、、。
あとは日々の問題をかわしながら7月〜8月の船積み段取り、残り9月の資材の手配、資材の再計算して親会社に提出、検品所に仕様書関連を送る、すれば切りがつく、、はず。

いい経験になった。
百貨店向け製品、商社仕込みの生産管理、生地からの生産作り、海外出張、日本の生地屋、縫製工場とのやり取り、、自分に足りなかった、経験したかった仕事だった。そして商社の仕事を超間近で見て聞いて教えてもらえた。さらに後継者、管理職候補での正社員採用、本来逆の営業より高いとされる給与ベース。体重は15kgも増えて健康診断も引っかかったけど良い経験が出来た。30過ぎてて繊維でこんな待遇で働けたなんて奇跡だと思う。お金払っても無理な話である。
デザイナーとイラレの話をして問題を見つけ、パタンナーと工場の間に入って縫製の話が出来るのは自分だけだった。渋谷系のチャラい服を作ってた9年の経験が無駄にはならないこともよく分かった。

とりあえず8月の沖縄でリフレッシュしたら就活しようという気になってきた。

















事業譲渡先に移籍するかどうかの個人面談に応じてみた。

2018年04月12日 | 仕事


先日、勤め先の会社が事業譲渡で事実上廃業するとの宣告があって以来、細かなことが分からないままでモヤモヤしていた。
最近ようやく個人面談があって色々と明確になった。

譲渡先に移籍する場合は、7末退社、8/1から譲渡先の社員になる。
退職金は、規定+給与1ヶ月分。
これは、一斉有給消化を兼ねての1ヶ月分らしい。
移籍後は、、想像通り、契約社員。
移籍する社員全員共通らしい。
譲渡先で面接が有る。
正社員登用は無くはない、とだけ譲渡先から聞いているのみ。

今の会社の収益規模は維持したまま、各課人数絞っての再スタート。
どのくらい人数絞るかは、まだ譲渡先と決まっていない。営業、デザイナー、パタンナー、生産、総務は必要。物流倉庫は閉鎖。
仕入先、販売先は変わらない。スライドするのみ。
移籍社員で1つの事業部となり、譲渡先の社員は入ってこない。

移籍しない場合は、8/末退社、勤務は7/末まで。
退職金は、規定+給与3ヶ月分。
会社都合なので割増。
最終日から1ヶ月後退職は、やはり一斉有給消化の為。自分はまだ有給7日しかないから得をする。

今の会社は、8/1からもまだしばらく残るが、返品処理、在庫処理のみを行う。経理作業と、財務処理、バーゲンイベントでのセール販売のみ。
プロパー製品仕入れ、生産、販売は、8/1から100%譲渡先に移行する為、そういったことは今の会社では8/1から一切出来なくなる。
自分の生産の仕事は出来なくなる為、会社に残る選択は無い。

仕事は7/末までに強制的に誰かに引き継ぎ。。

、、、想定の範囲内とはいえ、会社はなかなかハードな状況だった。
一応、最終の返事は今月末にとのことで終了。

現実的に考えて、まず人数絞るのに、収益規模は変えないというのは、どうなんだろう。
型数を変えない。数十枚単位の別注、ODMもやる。低価格の期中もやっていく。
どこまで人数減るのか分からないが、仕事がまわるのだろうか。まわらないと思う。

譲渡先にとって、主力製品下の新規事業だから、業績に波があった場合、切られるのでは?との質問に対しては、3年〜5年で切るようなことがあるなら、そもそも譲渡を受けないだろう、とのこと。。
ほんとにそうだろうか、、
7年前から売り上げが下がり続けている事実。そして人が少なくなって親会社のバックアップも無くなる状況を目の前にして、なぜそんなことが言えるのか。。

自分の課がどんな人数編成になるか分からない。
仕事は増える可能性が高いと面談では言われた。
当然、その通りだと思う。
正直、入社から人数が減ってる今でさえ、オーバーワークだと感じている。でも人がいないから仕方ない、やるしかない環境。
なので、引き継ぎ出来る人間なんていないのである。誰でもいいから引き継いで辞めるしかないというのは、何だか気がひける気がしないでもない、、
7/末で辞めるなら、どこまでやればいいかは明確にできるけど、引き継ぎだけが腑に落ちない。
世話になった上司に一切合切振り渡していいものか。円満な別れは諦める必要が有るかもしれない。。

しかし、結局は自分にとって一番得をする選択をするしかない。得をする為には会社のことなど考えてはいけない。これは平会社員の特権である。
最終勤務日の終業時間に一歩会社の外に出た瞬間から、もう会社とは何の関係も無い人間になれる。
前回の会社は退職金なんて1円も出なかったけど、今回は出る。多分合計給与4ヶ月分くらい。親会社のコンプライアンスなんだろうか。。
そして会社都合ゆえに、失業保険も待機無しで国から出る。

辞めるまでノンストップで忙しいので、辞めた後のことは辞めてから考えようと思う。