我が家のペット、同居人、相棒で家族のハムスターのJOさん。
2022年4月10日
昨日亡くなって、天国に旅立ちました。
突然の別れでとても寂しいけど、けして短くない2年間、今まで傍にいてくれてありがとう。
50gの小さい身体の相棒には本当に世話になった。無邪気にご飯を食べたり、走ったり、寝てる姿を見るだけで、とても支えられてたんだなと思う。
2020年プライベートで色々あって、たまたま飼うことになったJO。
ある日仕事から家に帰ったら、机の下にいた。あれだけダメだと言ったのに。実は望まずして彼は家に来た。

約3ヶ月後、彼のオーナーは去り、彼が残った。当然、僕が世話をしなければと思った。最初は責任を果たしている気持ちの方が大きかった。
でも段々、いるのが当たり前な存在に。彼といることで、何か救われるような気持ちになった気がする。

動物は無邪気で、本能で生きている。
本来は人間も含めて、生き物の自然な姿だと思う。人間同士や、自分1人では見失うことを動物は教えてくれる。
だから動物は好きだ。ペットとして、家族になった動物は命をかけてそれを教えてくれる。
それに応える為に思い付く限りやれることは全部やった。彼が少しでも生き物らしく、何不自由なく健康的な家族として生活する為に。
JOの死因はストレスかもしれない。。
2-3日前から左目がショボショボしてて、涙目になっているのに気づいた。
気になるので、今日午前中に病院に連れて行った。行きつけの病院がやってなく、病院をハシゴして2時間くらいの外出。
目は大したことないけど、呼吸が荒く、肺が弱ってるかもとの診断。
先生に掴まれて診断中のJOは、確かに1年前に病院に連れて行った時よりも弱って見えた。
そういえば、ここ1ヶ月くらい寝てる時にキュッキュッ言ってることがあった。寝言の時もあったけど、少し苦しい時もあったのかな。
外出用のケージ内でも目を閉じて疲れてる感じ。
目薬とシロップ飲み薬をもらった。
家に帰ったら先生と同じように掴んで口元に飲み薬を1適、ぺろぺろと舐めてくれてケージに戻した。病院にいた時よりも呼吸も落ち着いてるように、普段通りリラックスしてるように見えた。

それから僕が外出して9時間後、家に帰るといつも寝る場所と違う回し車前でうつ伏せのJO。呼吸をしていなくて、触ったら少し冷たくなっており、体は硬直していた。
一昨日までの様子
毛並みは変わらずツヤツヤで、ご飯を食べる量、食欲、うんちの出方、おしっこの匂いや量も変わらず。
ご飯の時は楽しみ過ぎて、後ろ足でピョンと跳ねるくらい足腰も元気。手を使ってケージの入口によじ登るのも、子供の頃から変わらずにしてたな。
3ヶ月前くらいから、寝る時間が増えた。
夜10時のご飯の時に起きてる、または起こして食べたら寝る。夜中に回し車が回ることも減ってたかな。
1年前の皮膚が綺麗なままの脱毛は右足の付け根まで範囲が広がりながら、最近は新しい毛が生えてきてた。

ハムスターの死は突然なのかな。。
ネット見ると、さっきまで元気だったのに、、との言葉をよく見かける。
しかしJOの場合考えられるのが病院と外出のストレス。今日病院に行かなければ、もう少し生きられたかなとも思うけど、、
行かなければ、辛い症状になるかもしれない可能性もあったので、深くは問い詰めないようにする。
水で絞ったティッシュで身体を拭いて、出る途中だったうんちを抜いてあげた。
でも拭かなくても綺麗で、木の実のようなハムスターのいい匂いがする。
自分の髪を少し切って一緒に添える。11年前も猫の時も同じことをした。
少しでも相棒の役に立てば、自分の為にも。

家から運ぶ時は紙袋を切って箱の形にしたもので、床材を敷いてベッドにした。好物だった穀物やひまわりの種、乾燥昆虫を近くに添える。
動物霊園へ
日付が変わる前に会社の社長に連絡。
お悔やみの言葉も頂き、月曜日の午前半休を取得。行ってくる。
11年前に愛猫を供養、火葬してもらった霊園である。
愛猫が息を引き取ってすぐ、母がタウンページで見つけて、1時間以内にはタクシーで現地に。
今は実は近くに住んでいる。
お見送りしてきた。
予約制なんだけど、たまたま空いててお願い出来た。火葬場では担当の方がいて、案内をしてくれる。
火葬場では、薄いピンクの布が被せられた台の上に身体だけ乗せて、ベッドの床材と好物、髪を添えた。

焼香を炊き、合唱。
台はそのまま焼却炉へ。
凄く大きな音がするので、頑張れと思いながら涙が出る。昔もそうだった。
これは昔思ったことなんだけど、動物の財産というものがあるとすれば、それは身体である。当たり前かもしれないけど、人間と違って自分の持ち物のような物は無い。お金だって持たない。
最後にその身体を残していく姿を見ると、ペットの死と向き合うとはこういうことなんだと思う。
火葬や埋葬で供養することは、自然とは違う家の中で暮らすペットに最後にしてあげられること。
11年前の愛猫の時は、息を引き取ってすぐ
綺麗な身体のまま見送ったので、同じようにしたいと思った。
保冷剤は冷たいし、腐敗するのも可哀想かなと、遺体を1人にするのもなんか寂しい気がした。生きていた時に出来るだけ近い姿で見送りたかった。
火葬を待つ間、窓が空いてて火葬場が見える畳の待合室で待つ。火葬場の屋根の上は熱風が出ていて景色が揺れていた。外の空気の匂いが変わったような気がした。
ペットが傍にいるのは当たり前のようで、当たり前じゃないんだなと思う。
命に大きい小さいも無いな、とも思った。
出骨の為に呼ばれる。
火葬場に入ると台が出されていて、綺麗に骨が残っている状態。
ハムスターの骨はとても小さくて細い。
それでも、手足、背骨、肩、下顎と歯、頭蓋骨としっかり分かる。足から頭蓋骨まで、お箸で丁寧につまんで骨壷へ収める。
胃の中のものが黒く炭状に残ってた。
息を引き取る時は空腹ではなかったのかな。
箸で拾えない小さい骨は、残さずブラシで集めてもらった。
骨壷に蓋をして、名前と命日を書いたシールを貼った綺麗な布袋へ。大事に家まで運んだ。
霊園に納骨はせず、家の中に納める。これも猫の時と同じで、猫の骨は実家にある。
猫を見送った時は、スマホもブログも無くて、最後の姿を残せないのが心残りだったこともあり、このブログを書きました。

相棒がいないのは寂しいけど、もらった楽しい思い出、彼と生活している中で得たもの、その生活自体を大事にして、前向きに行こう。

素晴らしい相棒だったよ。
今まで本当にありがとうねJO。