3月末日に社長から事業譲渡の話が有った。
今の会社は年内くらいには無くなる。
合併ではないにしろ、社員移籍で事業部スタートする予定である。
退職金に加え、割増な手当てが出ることもあり、自分は移籍しないことにした。仕事の引き継ぎが全く見えないとか、有給1ヶ月の8月は就活しないで夏休みを満喫しようとか、色々と不確定要素があったけれど色々とはっきりしてきた。
あれからの進捗をまとめてみる。
移籍決定社員が発表された。
移籍希望者は譲渡先の会社で面接を受けて約2週間後、移籍決定メンバーのリストが全員送信でメールされた。 予想外だったのは今の約2/3も移籍するらしい。移籍しない社員については、希望して面接受けたけど落ちた人、行かないとしていたけど直前になって滑り込んだ人、年齢的に定年越えていて行かない人、僕のように初めから行く気の無い人、色々である。
有給の行方。
先日、6月の給与明細で有給が18日も付いているのに気付いた。7日だったような、、どうも5月に勤続1年半を迎えて、11日プラスされたらしい。
そして気になりだす有給消化。人事担当のお局様にメールしてみたら、長文で返信が来た。
要点をまとめると、、
・最終勤務日の7末前に、一斉消化はやめてほしい。
・7末前に就活で有給使うのはOK
はっきりとした理由とは言って無いけど、8月は丸々有給扱いなんだから、この件は飲んで欲しいというニュアンスだった。
10こ上の営業の独身貴族と話してみた。
僕と同じく、絶対に移籍しない派で面接も受けていない。 業界の斜陽感、上のやり方の閉塞感、譲渡先会社の数字に厳しい面を上げて事業の継続は信用ならない点、かなり自分と一致してた。
有給は38日も残っていて今日から休んでも消化出来ないと、、。夕方、20日分有給申請した。前に辞めた営業は、上の対応が遅く直前まで引き継ぎに入れず、有給消化できなかったらしい。同じ轍は踏まないとのこと。自ら引き継ぎを全くしない道を選んだ。
移籍しない社員向けに、説明会がある。
グループ会社の求人斡旋、その他出来ることがないか就活の支援的なことをしてくれるらしい。
これは驚きだった。かなり。
切りやがって!なんて思ってたけど、閉口するしかない感じ。大手企業の一グループ会社の特権とも言える。もし親会社がいなかったら、朝出社して会社のシャッターが降りてるのを見て倒産を知る可能性もあったわけである。親会社のコンプライアンス、待遇は悪くなかったと判断せざるを得ない。
上司に聞いたら、一部?資料が来ていて、僕の年齢で応募出来る生産管理職が有るらしい。
余程嫌なところじゃなければ受けてみようかなと思ってる。
移籍後はパタンナーが1人しかいない。
移籍しない僕が心配する必要なんて無いのだけど、僕は元パタンナーなので、これは非常事態だと思う。3人から2人になった時に、グレーディングを仕入先に任せることにしたとはいえ、年間600型くらい有るのに1人って。パタンナーという職種はアパレル系の学校を出ていない人間から本当に理解されない。社長はパタンナーがいない会社、パターン支給しない会社なんてザラに有るんだから、工場にやらせてもいいなんて言う。しかし製品を作っているのは縫製する工場ではなく、パタンナーである。 デザイナーは柄を作って絵を描いて、パタンナーが生地、風合い、付属、縫製を念頭に設計する。そして今まで数十年改良を重ねたパターンは会社の財産である。これも理解されない。
仕事の引き継ぎ。
先日仕入れ関係者との商談中に社長が自分の上司に言った。引き継ぎも有るし〇〇とか△△とか連れて現地に行くように。
なんとなく上司と社長はその話2回目感が出ていたが、、そんな話一言も聞いてねぇ。
しかも、現場仕事を4割抱える上司に問答無用で僕の4割を乗せようとしている。
思い返すと、社長と上司と先輩3人でなんか話してた。後で聞いたら、僕が移籍しないと言った為、僕が抱える仕事をどうするのか、社長から声がかかり話していたらしい。
僕の仕事は海外からの直貿仕入れである。
会社は親会社のOEMで十数年やってきたけど、業績改善に向けて、益率を上げる為社長のテコ入れが入った。それが僕が入社する約1年前。親会社の中間マージンを無くす為、海外と直接やり取りをして製品を作って輸入することになった。非常に手間がかかる。僕はそれをやるべく採用された。
春夏は多くないけども、秋冬は仕入れ全体の半分くらいは僕の担当である。生地50型、製品150型、仕入れ原価で約1.5億強ある。その他今期から担当になったODMも、、。
僕が入れば問題無かった生産管理3人目の枠には、営業歴の長い生産補佐の社員にパートで入ってもらったらしい。
とりあえず引き継ぎの目安は見えた。
1年間二人三脚だった嘱託元部長のテコ入れで、本来最繁忙期になる今、18AWバルクと19SS同時進行と今期残りの単価交渉から解放された。単純に上司に19SSやれとの指示。
重荷だったシーズン後半特価商品の進行スケジュールを組んで2人担当体制のデザイナーに柄の手配と仕様書、営業に発注書をやってもらい、発注して軌道に乗った。
サンプルまでかな。量産は丸々引き継ぎ、、。
あとは日々の問題をかわしながら7月〜8月の船積み段取り、残り9月の資材の手配、資材の再計算して親会社に提出、検品所に仕様書関連を送る、すれば切りがつく、、はず。
いい経験になった。
百貨店向け製品、商社仕込みの生産管理、生地からの生産作り、海外出張、日本の生地屋、縫製工場とのやり取り、、自分に足りなかった、経験したかった仕事だった。そして商社の仕事を超間近で見て聞いて教えてもらえた。さらに後継者、管理職候補での正社員採用、本来逆の営業より高いとされる給与ベース。体重は15kgも増えて健康診断も引っかかったけど良い経験が出来た。30過ぎてて繊維でこんな待遇で働けたなんて奇跡だと思う。お金払っても無理な話である。
デザイナーとイラレの話をして問題を見つけ、パタンナーと工場の間に入って縫製の話が出来るのは自分だけだった。渋谷系のチャラい服を作ってた9年の経験が無駄にはならないこともよく分かった。
とりあえず8月の沖縄でリフレッシュしたら就活しようという気になってきた。
今の会社は年内くらいには無くなる。
合併ではないにしろ、社員移籍で事業部スタートする予定である。
退職金に加え、割増な手当てが出ることもあり、自分は移籍しないことにした。仕事の引き継ぎが全く見えないとか、有給1ヶ月の8月は就活しないで夏休みを満喫しようとか、色々と不確定要素があったけれど色々とはっきりしてきた。
あれからの進捗をまとめてみる。
移籍決定社員が発表された。
移籍希望者は譲渡先の会社で面接を受けて約2週間後、移籍決定メンバーのリストが全員送信でメールされた。 予想外だったのは今の約2/3も移籍するらしい。移籍しない社員については、希望して面接受けたけど落ちた人、行かないとしていたけど直前になって滑り込んだ人、年齢的に定年越えていて行かない人、僕のように初めから行く気の無い人、色々である。
有給の行方。
先日、6月の給与明細で有給が18日も付いているのに気付いた。7日だったような、、どうも5月に勤続1年半を迎えて、11日プラスされたらしい。
そして気になりだす有給消化。人事担当のお局様にメールしてみたら、長文で返信が来た。
要点をまとめると、、
・最終勤務日の7末前に、一斉消化はやめてほしい。
・7末前に就活で有給使うのはOK
はっきりとした理由とは言って無いけど、8月は丸々有給扱いなんだから、この件は飲んで欲しいというニュアンスだった。
10こ上の営業の独身貴族と話してみた。
僕と同じく、絶対に移籍しない派で面接も受けていない。 業界の斜陽感、上のやり方の閉塞感、譲渡先会社の数字に厳しい面を上げて事業の継続は信用ならない点、かなり自分と一致してた。
有給は38日も残っていて今日から休んでも消化出来ないと、、。夕方、20日分有給申請した。前に辞めた営業は、上の対応が遅く直前まで引き継ぎに入れず、有給消化できなかったらしい。同じ轍は踏まないとのこと。自ら引き継ぎを全くしない道を選んだ。
移籍しない社員向けに、説明会がある。
グループ会社の求人斡旋、その他出来ることがないか就活の支援的なことをしてくれるらしい。
これは驚きだった。かなり。
切りやがって!なんて思ってたけど、閉口するしかない感じ。大手企業の一グループ会社の特権とも言える。もし親会社がいなかったら、朝出社して会社のシャッターが降りてるのを見て倒産を知る可能性もあったわけである。親会社のコンプライアンス、待遇は悪くなかったと判断せざるを得ない。
上司に聞いたら、一部?資料が来ていて、僕の年齢で応募出来る生産管理職が有るらしい。
余程嫌なところじゃなければ受けてみようかなと思ってる。
移籍後はパタンナーが1人しかいない。
移籍しない僕が心配する必要なんて無いのだけど、僕は元パタンナーなので、これは非常事態だと思う。3人から2人になった時に、グレーディングを仕入先に任せることにしたとはいえ、年間600型くらい有るのに1人って。パタンナーという職種はアパレル系の学校を出ていない人間から本当に理解されない。社長はパタンナーがいない会社、パターン支給しない会社なんてザラに有るんだから、工場にやらせてもいいなんて言う。しかし製品を作っているのは縫製する工場ではなく、パタンナーである。 デザイナーは柄を作って絵を描いて、パタンナーが生地、風合い、付属、縫製を念頭に設計する。そして今まで数十年改良を重ねたパターンは会社の財産である。これも理解されない。
仕事の引き継ぎ。
先日仕入れ関係者との商談中に社長が自分の上司に言った。引き継ぎも有るし〇〇とか△△とか連れて現地に行くように。
なんとなく上司と社長はその話2回目感が出ていたが、、そんな話一言も聞いてねぇ。
しかも、現場仕事を4割抱える上司に問答無用で僕の4割を乗せようとしている。
思い返すと、社長と上司と先輩3人でなんか話してた。後で聞いたら、僕が移籍しないと言った為、僕が抱える仕事をどうするのか、社長から声がかかり話していたらしい。
僕の仕事は海外からの直貿仕入れである。
会社は親会社のOEMで十数年やってきたけど、業績改善に向けて、益率を上げる為社長のテコ入れが入った。それが僕が入社する約1年前。親会社の中間マージンを無くす為、海外と直接やり取りをして製品を作って輸入することになった。非常に手間がかかる。僕はそれをやるべく採用された。
春夏は多くないけども、秋冬は仕入れ全体の半分くらいは僕の担当である。生地50型、製品150型、仕入れ原価で約1.5億強ある。その他今期から担当になったODMも、、。
僕が入れば問題無かった生産管理3人目の枠には、営業歴の長い生産補佐の社員にパートで入ってもらったらしい。
とりあえず引き継ぎの目安は見えた。
1年間二人三脚だった嘱託元部長のテコ入れで、本来最繁忙期になる今、18AWバルクと19SS同時進行と今期残りの単価交渉から解放された。単純に上司に19SSやれとの指示。
重荷だったシーズン後半特価商品の進行スケジュールを組んで2人担当体制のデザイナーに柄の手配と仕様書、営業に発注書をやってもらい、発注して軌道に乗った。
サンプルまでかな。量産は丸々引き継ぎ、、。
あとは日々の問題をかわしながら7月〜8月の船積み段取り、残り9月の資材の手配、資材の再計算して親会社に提出、検品所に仕様書関連を送る、すれば切りがつく、、はず。
いい経験になった。
百貨店向け製品、商社仕込みの生産管理、生地からの生産作り、海外出張、日本の生地屋、縫製工場とのやり取り、、自分に足りなかった、経験したかった仕事だった。そして商社の仕事を超間近で見て聞いて教えてもらえた。さらに後継者、管理職候補での正社員採用、本来逆の営業より高いとされる給与ベース。体重は15kgも増えて健康診断も引っかかったけど良い経験が出来た。30過ぎてて繊維でこんな待遇で働けたなんて奇跡だと思う。お金払っても無理な話である。
デザイナーとイラレの話をして問題を見つけ、パタンナーと工場の間に入って縫製の話が出来るのは自分だけだった。渋谷系のチャラい服を作ってた9年の経験が無駄にはならないこともよく分かった。
とりあえず8月の沖縄でリフレッシュしたら就活しようという気になってきた。