正月休みに、江戸時代の儒学者貝原益軒の『養生訓』を
ちらちらと読んだ。
その中で、人生の三楽という言葉が出てくる。
以下抜粋。
およそ人間には三つの楽しみがある。
一つは道を行い心得ちがいをせず、善を楽しむこと。
二つは健康で気持ちよく楽しむこと。
三つは長生きして長くひさしく楽しむことである。
いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ
真の楽しみは得られない。
それゆえに富貴はこの惨落にいれていないのである。
もし善を楽しまず、また養生の道を知らないで、
身体に病いが多く、短命となる人は、この三楽を得られない。
ひととして生まれたからには、この三楽を取得する工夫が
なくてはならない。この三楽がなければ、どのように富貴で
あっても楽しみないのである。
といわれても、なかなか三つの楽しみがピンとこないので、
自分なりにもっと言葉を入れて考えてみました。
①日々卑しいことを考えずに、他人を喜ばせることを常とし
②常に心も身体もともに健やかであることを心がける
③命を大切にして、けっして病いに傾かないように元気で
長生きを心がけていると、人生を存分に楽しむことができる。
ていうような解釈にしましたが、いかがでしょうか。
善を楽しむとは、他人を喜ばせることだと考えました。
いくつもの喜びがありますが、
自分が喜ぶ喜びよりも他人様に喜んでいただける喜びが
ずーっと気持ちいいんですよね。
ちらちらと読んだ。
その中で、人生の三楽という言葉が出てくる。
以下抜粋。
およそ人間には三つの楽しみがある。
一つは道を行い心得ちがいをせず、善を楽しむこと。
二つは健康で気持ちよく楽しむこと。
三つは長生きして長くひさしく楽しむことである。
いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ
真の楽しみは得られない。
それゆえに富貴はこの惨落にいれていないのである。
もし善を楽しまず、また養生の道を知らないで、
身体に病いが多く、短命となる人は、この三楽を得られない。
ひととして生まれたからには、この三楽を取得する工夫が
なくてはならない。この三楽がなければ、どのように富貴で
あっても楽しみないのである。
といわれても、なかなか三つの楽しみがピンとこないので、
自分なりにもっと言葉を入れて考えてみました。
①日々卑しいことを考えずに、他人を喜ばせることを常とし
②常に心も身体もともに健やかであることを心がける
③命を大切にして、けっして病いに傾かないように元気で
長生きを心がけていると、人生を存分に楽しむことができる。
ていうような解釈にしましたが、いかがでしょうか。
善を楽しむとは、他人を喜ばせることだと考えました。
いくつもの喜びがありますが、
自分が喜ぶ喜びよりも他人様に喜んでいただける喜びが
ずーっと気持ちいいんですよね。
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