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旧える天まるのブログ
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セクハラ自叙伝

2021-02-05 14:50:34 | 雑記の宿

「それ、セクハラって言うんだってよ」

 あなたは『セクハラ』という存在をいつ頃から知りましたか?

 僕が「セクハラ」という言葉を聞いたのは1987年、もしくは1988年、曖昧ではありますが、「それ、セクハラって言うんだってよ」と言われました。

 会社を2社退職して3社目の会社に就職した社内であったことです。これまで僕はそれ以前の会社ではコミュニケーション能力を発揮できないでいました。会社内では雑談が出来ない社員で、只々、黙って聞いてるだけの存在でした。

 高校時代の後遺症もあって、学校内で話せない生徒になっていたので、原因は、友達に友達の愚痴を言ったらチクられまして、その後報告を受けた生徒から顔面を殴られました。「チクったらいいか!」‥‥‥。

 その後、黙っていても顔を見れば鼻血まみれの顔と目が青く膨れたまま、治療も受けずに家に帰宅したので、親に「どうした?」「殴られた」「なんだと!学校に連絡しないと!」と、親が学校にチクリまして、その後、学校の薄暗いトイレで殴った生徒の仲間数人から「なんでチクったんだ!謝れ」。僕は身の危険を感じたので「すまん」と親にそして親がチクったことを謝りました。

 チクったらどうなるかを知り、僕の学校生活は、雑談がほとんど出来ないまま、高校を卒業して就職しました。学校の外では地元の他校へ行った友人とは交流があり、会話もしましたが、僕が話してることはだいたいは調子のいい嘘で、最近あった本当の話しはチクらないでいました。正直、地元の交流は四面楚歌状態で、腹を割って話せる相手がいませんでした。

 他校の友人から別な友人の彼女の電話番号を教えられ、その彼女に電話をしたらその彼女にチクられまして、えらい権幕で彼女の彼氏に怒られました。

「ヘボいくせに」と、罵声で叱られまして、僕の黒歴史に刻まれました。

「やめておこう」とも、その間なかった。他校に行った友達の紹介だったので、口を利いただけだったのですが、「ちょっかい出した」と大怒りでした。10代で未成年だったとしか言い訳にしかできませんが、心の傷はどんどんと深まっていました。

 高校時代、就職試験の面接がありました。「どうしてこんなに欠席日数が多いのですか?」と尋ねられたとき「身体を悪くしまして‥‥‥」と嘘で答えました。ほんとは「暴行に遭いそうだったから欠席が多くなった」と言わずに体調を理由にしたら、就職試験に落ちました。他校に行ったそのときの友人も一緒に試験を受け落ちましたから、僕が落ちた証拠は友人らも知っています。でも、他校の友人にも、面接で嘘をついたことはチクりませんでした。

 嘘をつき通してでも、高校を卒業するまでには会社に就職できたのですが、黙って黙々と仕事をこなすしかできず、会話がほとんどできない、上司から見ればつまんない社員でもありました。とりわけ作業ができるほうでもなかったので、初めの会社は、パワハラが酷くて退職届けを書かずに次の会社に移り(何も相談できなくて)。2社目は仕事が合わなくストレスが多く、最後は無断欠勤を続けて、一身上の都合と退職届けを提出して退社しました。

 会社内で話せないでいたのがストレスで、そして先輩社員からもどんどん下に見られて立場が失ったのと、作業能力の欠如。

 この辺あたりは、パワハラが原因でモラハラで会社をやめることになりました。

 作業能力は次の職場で頑張ればできると思ったこともあり、その他は、話し方を自分の中に取り入れました。前の会社の優秀と思っていた先輩社員の語り口調が上手で、周りからも信頼を得ていました。評価よりも給料が安かったのか、その方も途中退職しましたが、送別会まであって惜しまれるように退職してゆきました。

 僕もその方を見習い、語り口調をお手本に3社目の会社に就職しました。

 現場ではガッツで押し切って、語り口調は前の会社の先輩をお手本に雑談も話せるようにしてましたら、現場からデスクワークの仕事に配属されました。机をひとつ与えられた形になったので、表向きは昇格した形になりました。

 デスクワークをしていると、そのオフィスには各部門のリーダーの机があって、社長の机も置いてありました。

 社長クラスになると、女子社員のお尻をさわることもできました。コピー機に女子社員が立っていると、社長が背後からお尻を撫でるのが社長からの挨拶でした。

 僕から見ると、優秀な女子社員がよくお尻を撫でられてました。「お尻を撫でられる=私は優秀」と、思っていた社員(従業員)さんもいたかもしれません。

 他のリーダーさんたちは、そういったことはしなかったであろうと思っています。僕はわりと仕事の相談もしました。

 会社内では、社長の気分次第で他の部署に飛ばされるってこともちょくちょくあり、飛ばされまいと業績を上げていたリーダー方もいました。

 僕が配属されたのも、長年信頼を得てた課長さんが、単身赴任を命じられ、その抜けた部署に僕が配属されました。

 上役の転勤が決まって、送別会だったのか、飲み会を開いたときは上役さんもかなり酔っていて、給料明細まで見せられました。「俺の給料はこれぐらいだ!ーー」どういう意味があったのか知りませんが、惜しまれつつ、他の部署に行きました。

 僕はというと、デスクワークに配属されて、座った隣の席にデスクワークが板につく、たしか同期だったと思うのですが、年上の女子社員がいました。なんか、魅力的で年齢は10歳ぐらい差があったと思うのですが、仕事が板につく良い方でした。

 出社して、その女子社員も席につくと、犬なのか猫なのか、犬っぽかったかな、頬の辺りを触りたくなって、手で撫でたのが癖になりまして、その女子社員さんも、大らかな方で、可愛がられたのか、なついてくれたのか、頬にスキンシップをしても、僕を寛容に扱ってました。

 昨日、僕の家内にその話しをしたのですが、「キミみたいなひとだったよ」と言いました。

 会話術は学んだのですが、女性の本音まではまだ学んでませんでした。

 その女子社員さんを癒しのペットかぬいぐるみのように思って、頬に毎回スキンシップで撫でていましたら‥‥‥。

「それ、セクハラって言うんだってよ」と、やんわりと言われました。

「セクハラ?」二十歳を過ぎて間もなく経った時でした。それから「セクシャルハラスメント」というのが社会問題化されました。

 僕には理解不能なことでした。でも、イジメやパワハラは、モラハラも経験しました。

 その女子社員さんは、会社に来るのがストレスだったのかもしれません。しかし、会社に来ないと収入になりませんから、僕のセクハラも我慢していたようです。一度、退社したのですが、あてがなくまた職場に戻ってきまして、しばらくしたら妊娠したと聞き、産休に入りました。

 それから報告がありました。出産したが死産だったと。僕はそれを聞いて涙がこぼれそうになりました。結婚してしばらく子供ができないでいて、やっと出来てからの死産だったと聞きました。

 その後、僕は会社に居られなくなって退職しました。(他の上司の配慮で他部署へ移動後、その後説得を受けたが一身上の都合で辞職)その後の人生では、失敗ばかり繰り返してきました。僕の移動を受け入れた元上司とは、ハローワークで偶然隣同士の席で失業者(離職者)説明受けました。1986年から今日に至ることですが、ここで我をふり返り、自分を晒し犠牲にしてることすら辛くも感じます。

 今、僕が抱えている状態は何ハラなんでしょうか。

 「それ、セクハラって言うんだってよ」と、忠告してくれた。その女子社員さんが今の家内に面影がよく似ていて、運命の出会いがあったとしたら「この人なのかも」と、昨日、家内に「こんなことがあったんだ」と話しました。

 家庭内では、家内は僕のスキンシップには応じてくれますが、時々、それで不機嫌になることもあります。

 家庭内でもセクハラがありパワハラがありモラハラも発生してしまいます。日々自問自答している、私の自叙伝でございます。

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