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旧える天まるのブログ
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レコードプレーヤーに想ふ・ノックノック

2020-08-28 20:24:25 | ノックノック(雑記の宿)

2020-08-26|#02「ナポレオンフィッシュ・UKレコーディング・ドキュメンタリー」(初公開)

8月26日に、Facebookからの告知により、こちらの配信を観ました。
 
 アルバムリリースが1989年で、その以前1988年、当時、またはその以前のことが映像を通して僕の中にも思い出が沸き上がってきました。1988年~というのはレコードからCDに完全とまでは言いませんが、ほぼ完全にCDに移行された時代でした。
 
 僕が高校生だった1985年度1986年卒業時まではまだレコードが主流でした。1983年~1985年には、レンタルレコード店がちらほらあった時代で、都市部では個人経営によるレンタルレコード店がいくつかありました。僕が佐野元春さんのアルバムを手に持ったのは行きつけのレンタルレコード店で借りたのが最初でした。
 レコードプレーヤーのお話しを申しますと、物心ついた頃、記憶にある音楽は、『シルバー仮面』や『不思議なメルモ』」といった子供向けシングルレコードを、モノラルタイプ(ワンスピーカー)のレコードプレーヤーで、
 

 

映像にすると、Amazonの商品にあるようなのが家にあり、それでシングルレコードを幼稚園ぐらいから自分でかけて聴いていました。

 ある日、父親が家具調といいますか、箱型の木製のステレオプレーヤーを買ってきまして、けっこう大きなもので、LPレコードも余裕で聴ける自動で針が動く式で、豪華な感じのステレオを買って家に置くようになりました。カラヤンやそういった類いのLPなどをステレオの収納庫に入れて満足していてて。

 けど、家具みたいなステレオなので、僕のうちの部屋は狭く、以前使っていたレコードプレーヤーは処分し、ステレオだけが置かれた部屋にその上にはこけしとか、おみやげ物みたいな置物を飾ったりして、レコードを聴くプレーヤーボックスの上にまでこけしとか置いて、手軽に音楽を聴ける状態ではありませんでした。両親がいない間にレコードを聴くときは大変で、ステレオの上にある置物をどかし、部屋の中がひっちゃかめっちゃかになった状態で、母が帰ってきたりして怒られたり、もともと母は音楽にはあまり興味がなくて、あったとしたら北島三郎とか石原裕次郎ぐらいで、父の趣味には無視してましたから、せっかく買った大型ステレオも、怒られる対象の威圧家具となり果てていました。父がマイホームを建てる計画が誤算だったこともあるようですけども、せっかく買った高級なステレオはうちでは邪魔な家具となっていました。

 父は時々『およげたいやきくん』とか、『ザ・ドリフターズのちょっとだけよ』のソングが流行った時におみやげとしてレコードを買ってくることはありました。渡哲也さんの『くちなしの花』とかがあの頃大好きで、その時は、母も一緒になって聴いていた覚えがあります。けれど、僕個人としては、レコードを聴くといった作業が大変で、その反発でお寝ショをよく布団に漏らしてました。ある日、お寝糞をしたときぐらいだったかなー。さすがに親も寝糞にはまいったようで、姉もいましたけど、子供用にとプラスチック製のステレオレコードプレーヤーを買ってもらいました。小学生時代はそれで過ごして、『いとしのエリー』や『燃えろいい女』とか、さまざまなシングルレコードを聴きながら中学に上がりました。

 ステレオレコードプレーヤーだけだと、次には録音作業が大変で、友達だと男兄弟の家庭だと、メカにもこだわりがあって、ステレオコンポをお兄さんが先に買ってもらうことがよくありまして、そのお兄さんからコンポを借りて、レコードのダビングをしてもらうことも稀にありました。弟のほうは裕福な家ではラジカセを買ってもらってたかな。

 僕の家は機械音痴な姉だったので、高校に入ってからぐらいにようやくモノラルタイプのラジカセを買ってもらって、それでも「いいなー」と僕は思ってました。姉からラジカセを借りても、すぐ返さなくてはならなくて、けっこう怖かったでした。僕にはポケットラジオを買ってくれたりもしたので、中3ぐらいまではそれで凌いでいました。おもちゃみたいなステレオレコードプレーヤーがあったおかげで、うんこを漏らす以上の反抗はなかったですけど。中学時代両親は、父は働いてる最中に怪我をしたり、母はママさんソフトボール大会でアキレス腱を切って入院したりと、毎年のように家庭内事故が起きていました。僕はなんかそこから現実逃避した暮らしをしていて、良く言えば動じず(不動心的な)感覚で、悪く言えば、現実から背いて好きなことばっかりしてました。

 そういう中でも、父親は僕のことも気にかけて、中3で進学も決まった頃に、レコードプレーヤー付きステレオラジカセを買ってくれました。僕がとくにおねだりしたものではなかったのですが、父が(母もでしょうけど)わざわざ買ったくれたのが

SAHRP dual-play stereo system vz-v20

Обзор sharp vz v20 часть 1

この赤色のタイプを買ってもらいました。

 縦型のレコードプレーヤーが発売されてちょっと話題になって、主流はコンポ型ステレオだったのですが、ラジカセタイプの物を父がみつけて僕に手渡しました。

 これを持って下宿生活を始め、あの頃、ステレオコンポを持って来てない下宿生もいたので、レコードのダビングはすぐに頼まれました。が、音質にはうるさい方々で、音が良くないと言われすぐに嫌われました。YMOといった音源革命もあった時代で、最先端技術に囲まれた時代の中を育ってきましたから、イコライザーがあればまだよかったんでしょうけど、自分たちに満足がいく結果にならないとすぐ相手にされなくなるのが男性社会でした。カセットテープもソニーじゃないとテープじゃない、みたいな時代だったので、マスセルとか僕は熱に強いというフレーズで、富士フイルムのカセットテープでよくダビングしてましたけど、高校を卒業してカーステレオで音楽を聴くようになると、僕の持ってるカセットテープを差し出すと「なにこれ?音わりー、デッキがだめになりそう」とか、まともにつき合ってもらった体験があまりないのです。ソニーのテープで録音すると逆に変なノイズに変わっちゃったりして、テープが無駄になってしまって王道といった道は歩けませんでした。ソニーを非難してるわけではないんです。僕の環境ではどうしようもなかったんです。

 僕はこのステレオラジカセで満足してましたから、レコードの時代が終わるまで、このデッキを家に置いてました。時代はCDショップに代わっていたので、カセットテープを聴くぐらいで、最終的にカセットボタンのほうが故障したときに、リサイクル税がかかると聞いたので、その駆け込みで燃えないゴミの日にまだ家電製品も置けたときに、後ろ髪ひかれる思いで処分した思い出がございます。

 1986年はまだ、レコードの時代でした。84,5年にレーザーディスクが世に出始めてはいましたが、CDが爆発的に普及し始めたのは1987年ぐらいからでしょうか。いち早く公務員になった友達が、CDデッキ付きレコードプレーヤー付きカセットデッキ付きイコライザー付きステレオコンポをボーナスかなんかで買ったのを見せられまして、僕はそこまでの給料はなかったもので、ウォークマンに代わる、ポータブルCDプレーヤーを探してました。

 ステレオコンポは置いてても、ポータブルCDプレーヤーは、どの店でも売り切れ状態でだいぶ探し歩いて見つけたのが

(*オークションサイト参照)

ケンウッドのポータブルCDプレーヤーで結構高かったな。カーステレオにも接続できるようにとオプション品も購入して、けっこう頑張って買ったCDプレーヤーでした。配信を観ても思ったのですが、僕も若く時代を駆け抜けようとしてました。そのCDプレーヤーで何を聴こうかと思ったのが、佐野元春さんの曲で、あの頃、僕にとってはブランド品を手にするような気持ちで、自分情報でたぶん発売日に買った思い出があるのが『ナポレオンフィッシュに泳ぐ日』でした。

 

ジャケットはこんな感じたったかな?って思うほど、中身だけCDで聴いてオシャレ気分を味わってました。今はCDのほうは家内の大事なものと一緒にしまってあるので、すぐには取り出せない状態になってますが、配信を観て、あの頃のことが思い描かれました。

 レンタルレコード店に通ってた頃から、佐野さんのLPジャケットを持って歩くのが僕としてはステータスで。また、そのレンタルレコードショップでもLPが見えるような透明なビニールケースに入れて渡しくれてまして、おしゃれアイテムのひとつにして街を歩いてました。

 CDで聴いた曲が佐野元春さんのこのアルバムで、その後、テレビドラマで『約束の橋』が流れたときは、「やっと認められたー」という思いが滲み出たひとときでもありました。

ツイッターではこのようなことも書かれてました。

 ラジオ番組もあるみたいで、ラジコのほうで聴き逃し配信もあるようなので、勝手ながら告知させていただきました。

今、コロナ渦でリモートを題材にした演目をやっている最中で、間にひとつ挟みましたが、こちらのほうもご視聴したいと思います。


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『リモート・ボナール』画家とモデル

2020-08-26 00:17:19 | DQX リモート・ボナール

<画家とモデル>

「衣装これなんかどうを?」

「リハ撮りしてみようか」

「うん」

「もうちょっと、こっちによって…」

「この辺?」

「写実主義のフェルメールっぽいね」

「フェルメール?」

「ボナールは本質的にはアンティームな作家なのさ。写実主義とは異なる印象派のボナールは室内の明るく静かな雰囲気のすわる女」

「すわる女?わたし立ってるけど…」

「ああ、作品のことさ、すわる女っていう」

「で?」

「そこでの光の親密さでは、17世紀オランダのフェルメール以来のものなんだって」

「へえー」

「フェルメールの光は一見、現実の光のようであるけど、実はまったく別のものであったように、ボナールの明るさも、普通考えられるような光によるものでもなく、印象派の外光でもないんだってさ」

「写実的印象派ってこと?」

「さぁね、フェルメール以来のことってあるけど、アンティームは親密派っていう意味でもあるんだってさ」

「すわってみる?」

「う、うん」

「こんな感じ?」

「ちょっとカメリハしてみる」

「そもそも、すわる女ってどんな絵なの?」

「ちょっと待って…」

「帽子かぶってるじゃん。帽子も用意しないと」

「リハだから。ただ、ボナールが描いてる姿を撮りたいんだよねー」

「メール来てたっけかな。ちょっとまって」

「妹から返信があった。コロモちゃんから、こっちのアカウント付きメールが送られてきたんだって」

「だれから?」

「あの哲学者さん。コロモちゃんにコンタクトしようとしたみたいで」

「あははは、どこまでも追っかけるんだね」

「わたしたちも知らない人じゃないから、まずは、テストで撮ってもらいましょうか」

「そうだね、ボクらも稽古しないといけないし」

「浴衣に着てくるわ」

「その間に連絡入れてチャットしてみるよ」

「やあー」

「わこつです」

「見えてますか?横からしか見えてないんだけど」

「こちらからは大丈夫です。キーボードが邪魔でカメラが前に置けなくて…」

「ボクらのカメラの位置はどう?」

「ふたりとも映ってます」

「描いてるシーンを撮ってくれます?」

「はい」

「ガンガン指図しちゃってくださいね」

「はい」

「じゃ、用意スタートみたいなこと、言ってください」

「はい」

「ようい、スタッ!」

「カットッ!」

≪マティス・画家とモデル≫

「おつかれさま。ご飯にしましょ」

「稽古しつつ、衣装も揃えつつだね」

「知識も入れつつだし、カメラワークも大変だろうな…」

「ツイッターでなにかある?」

「8月31日、21時からYouTubeプレミアム公開というのがあるよ。のんびりとみようか」

『リモート・ボナール』風景

 


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『夏と恋と20曲ラブソング』の放送感想

2020-08-24 12:24:27 | 夏と恋とラブソング

8月16日放送。文化放送・ミスDJリクエストパレード

『夏と恋と20曲ラブソング』ベスト20

1位 ふたりの愛ランド・石川優子とチャゲ

2位 真夏の果実・サザンオールスターズ

3位 夏の誘惑・西城秀樹

4位 ふたりの夏物語~NVRE ENDING SUMMRE・杉山清貴&オメガトライブ

5位 夏の扉・松田聖子

6位 LAVELAND.ISLAND・山下達郎

7位 世界でいちばん熱い夏・プリンセス プリンセス

8位 Mr.サマータイム・サーカス

9位 シンデレラサマー・石川優子

10位 夏の日1993・class 

⒒位 夏のクラクション・稲垣潤一

12位 secret bast~君がくれたもの~・ZOEN

13位 波乗りジョニー・桑田圭祐

14位 Vacat ion ・The Go-Go’s

15位 SPARKLE・山下達郎

16位 青い珊瑚礁・松田聖子

17位 夏祭り・Jitterin’Jin 

18位 あー夏休み・TUBE

19位 想い出のサマー・ナイツ・ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョン

20位 夏のヒロイン・河合奈保子

といった内容で放送され、そこでの感想メールを番組に送りました。

『200回記念『夏と恋と20曲ラブソング』の感想

 先週のベスト20曲の放送を聴いた結果の中で、山下達郎さんが2曲ランクインしていたことにリスナーとのセンスの違いを肌で感じました。

 僕はサマームード曲は、1983,4年頃に高中正義さんやカシオペアの曲を聴いていた覚えがあります。絵画ではヒロヤマガタさんが注目を浴びていた頃で、ラッセンもその頃から出始めたかと思います。僕は演奏ではサックスを交えた曲がファッショナブルに思え、佐野元春さんの『ヤングブラッズ』を聴いてから、僕がみつけたアーティストとして支持してました。周りは浜省さんにシンパシーを抱いていた頃でしたので、その頃からちょっと僕は孤独ぎみでした。『ヤングブラッズ』は冬に撮影されたPVですもんね。山下達郎さんとの乖離は、その辺にあったのかなと思います。山下達郎さんの曲は、結婚してからラジオ等など含めよく聴くようになりました。

『ふたりの愛ランド』が1位ということで、文句なしの夏の大ヒット曲だと思います。僕より年上の年代の方々が支持していて、90年代までは夏の定番ソングだったのではないでしょうか。僕はその曲が流行っていたときは、おこがましくて、『ふたりの愛ランド』を口ずさむことができませんでした。口ずさんでたとしたら、チェッカーズの曲でした。

 サザンは当然、何かひとつは20曲以内に入るだろうと思ってはいましたが、『真夏の果実』が2位になるとは意外でした。一時期、湘南、茅ケ崎を拠点にして、全国区のサザンからちょっと距離を置かれた時期の曲だったので、映画「稲村ジェーン」は二回ほど観ましたけど、僕の住む地域ではサーフィンがそんなに盛んな地域でもなかったので、サザンと言えば『チャコの海岸物語』。が、サザン=夏の定番ソングでした。集計結果でみれば、地域差があったのかなと、思いました。『波乗りジョニー』はアップロード後のサザンの曲でしたから、新鮮味がありました。

 西城秀樹さんが3位に入ったいうのは、ファンの熱意というのは凄いと思いました。その妹分としてデビューした河合奈保子さんもランクインしてまして、その熱意に圧倒されました。僕は曲を絞って投票できませんでしたが、今回20曲すべて名曲だったことが番組全体としての感想です。

 僕は人生の中でバーベキューやカラオケボックスといった社交場でのお誘いに乏しく、20代前半までしかみんなでワイワイという思い出がないんです。あとは結婚後に家族とぐらいなので。そういう意味では『ミスターサマータイム』は、時代の流れの中にちゃんと刻まれた曲のひとつだとも思いました。

僕としての夏物語は、熱意がちょっと足りませんでした。上からの物言いで、誤字脱字、もしくは長文失礼いたしました。

 

リクエスト曲は、・・・・

 

追伸 ・・・・。今回もご紹介がなければ、ブログにて改めて掲載するかもしれませんがよろしくお願いいたします。』

『・・・・』部分は編集しています。リクエスト曲のほうは番組のほうにあずけています。

 前もってメールを送り、今回、記事にいたしました。感想メールに書いてなかったことについて、お祝いの気持ちを記載してなかったのは、僕としては失礼しました。改めて、放送200回 おめでとうございます。

 サザンオールスターズは、『勝手にシンドバット』が流行していた時は僕は小学生で(5年生ぐらいのとき)中学校の学園祭に遊びに行ったときに生徒が集まってレコードプレーヤーで聴いていた姿を見て「僕たちの曲ではないのかな…」と思いました。その次の『C調言葉にご用心』は、C調言葉の意味が分かりませんでした。『ご用心』とありましたので、小学生の僕は音楽を手にすることには気をつけていました。

 3枚目シングルで『いとしのエリー』が発売されたのですが、そのときは小学生でも上級生になった頃で、B面に当時、ピンクレディーがカップ焼きそばのCMをしてまして、カップ麵とか、焼きそばは当時、子供のおやつだったので、B面にカップ焼きそばに使われてた曲が入っていたので「これなら、僕が聴いてもいいだろう」と思い、初めてレコードを自分で買ったことが始まりでした。おっぱいの歌にも聴こえ恥ずかしかったのですが、あの頃、サザンの曲が欲しくていました。ニュアンスとしてはそのような感想です。

 

 


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『リモート・ボナール』人物のいる静物

2020-08-19 19:17:34 | DQX リモート・ボナール

≪クロード・テラスの家族・ボナール≫

「?」

(LINE)遅くないか?

「あれ、電話してみようか」

(電話)はい。

(電話)今、どこ?

(電話)会社。昨日この時間になるって言ったじゃん。あと10分ぐらいでおわるから

(電話)あゝごめん、ごめん。

「ん?、もう2時間過ぎてる。LINEだけしておくか…」

(LINE)どうかした?

「もう…」

「ただいま」

「おかえり」

「昨日、言ったじゃん」

「それが、2時間も遅れるわけ?」

「あれからいろいろあったの!」

「あと10分って聞いたあとだから、その後にでも帰ってくるかと思ってた。でも、1時間たっても、連絡ないし、こっちは「仕事中なんだな」と思った。だから、あとは電話入れるのはよしておこうと思ったよ。でも、二時間過ぎても来ないから、LINEだけで「どうかした?」だけ、入れておいたのに「昨日、言ったじゃん」だけがきみの説明?」

「思いのほか、手間取ったの」

「じゃーさ、まず、順を追ってそこから言わないとさ、そのほかにボクに言うことないか?」

「ごめん…」

「ボクはそれが欲しかった。なんでボクだけ先に「ごめん、ごめん」言った切りなんだって、正直、ムカムカした。まだ子供同士なんだよ、ボクらは。それだけで済まされないことだってあるんじゃないか?」

「ごめん、その後にちゃんと理由も言わないとイケなかった。」

「手間取ったんだね。おつかれさま。心配したよ。シャワー浴びたら?」

「うん…」

「マイナンバーカードの申請書が届いたわ」

「証明写真とか役所に提出してから一ヵ月かかったね」

「そこでまた役所に行って、今度はパスワードとかいろいろ登録するんだって」

「パスワード?。あゝそれでいろいろとトラブルがあったね」

「忘れないようにしないと」

「給付金とかがあった場合、銀行とかにも紐づけするようになるんだよね?」

「まだ決まってないけど…」

「情報漏れたら大変だからさ、責任の所在はっきりしようよ」

「どうやって?」

「郵便局の暗証番号と一緒でいいんじゃないか」

「なんで!」

「情報が漏れて悪用されたら、どこ経由かわかるじゃん」

「で、いいの?」

「知らない。被害が最小限にとは思ってる。下手にネットに使ってる暗唱番号にしたりさ、忘れたり、そういったことで自己責任で押し付けられたらいやじゃん。いずれ金融機関と紐づけするんなら、悪用された場合のことも考えておかないと」

「総務省からのマイナポイント、わたしのスマホからじゃ出来なかった」

「コンビニからもできるようだ」

「できた」

「一回目は苦戦したなー意味がぜんぜんわかんなかった」

「騙されないようにしておかないとね。おつかれさま」

「本屋さんに寄ってくる」

「いってらっしゃい」

 

≪人物のいる静物・ボナール≫

『リモート・ボナール』画家とモデル

 


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夏と恋と『ラブソング』&告知

2020-08-15 12:53:00 | 夏と恋とラブソング

 8月16日に放送される文化放送『ミスDJリクエストパレード・夏と恋と20曲ラブソング』を何回かに分けて記事にしましたが、夏恋についてはいろいろと述べさせていただきました。けれど、ラブソングについては、語ってないということに気づいて。

『ラブソング』とは?

 相手に自分の気持ちを伝える曲のことを『ラブソング』というのでは?と思いました。これまで、僕の紹介だと、伝えられる側にたっての聴いた曲が多かったと思います。僕は男性なので、女性側からが主で、僕からのメッセージというのは、片思い、別れたあとの曲だったりが強調されてたんじゃないか?と、あとで思いました。

 僕の場合、相手に愛を伝える曲は、どこかズレていたりもしました。

 体験談で言えば、佐野元春さんの曲が好きで、それで口説き落とそうともしたこともあるのですが、夏にそれをしたか?といえば、そうでもなかったです。

 夏と言えばチューブと言った時代も過ごしてきました。チューブの曲をかけて、語り合ったり、ドライブで曲を流したりとかの思い出はあまりないです。しいて言えば、夏の同窓会の二次会で、チューブの『だって夏じゃない』をカラオケで歌って、その年は記録的な大冷夏でとくに東北地方は涼しい日が続いて「夏はチューブ」といった空気ではなかったです。暑い夏を偲んで、あえてチューブの曲で騒いだ程度のことで、拍手もまばら、僕的には空気の読めない歌を披露してしまった夏の思い出でした。

 「誰かに聴かせたい」と思って、かける曲が一種の『ラブソング』であれば、まずは洋楽では、クイーンが当時、いち押しでした。

 どの時代の夏だったかと言えば『レディオガガ』が発表された年。1984年の夏『ザ・ワークス』というアルバムを当時の仲間らに聴かせました。

 近年になって映画『ボヘミアンラプソディ』で話題にもなったクイーンのフレディーマーキュリーでしたが。その当時は『レディオガガ』がプロモーションビデオ(PV)でも有名ヒット曲だったのにもかかわらず、その頃、同世代の若者にはあまりウケませんでした。テレビの時代にラジオというニュアンスは、変り者扱いされたのかな。僕は『ブレンズ』という映画に出会ってからが始まりではないか?と思うのですが、エルトンジョンの歌に(メロディ)にも共感してましたし、カルチャークラブもすぐに受け入れてて、デッド・オア・アライブも好んで聴いてました。

 今でいう、マイノリティーもしくは、ゲイと噂されてた方々で、僕はとくにゲイではないのですが、彼らの曲。とくにクイーンのフレディーマーキュリーの歌声には魅了されてました。僕はゲイだからといった目線はいっさいなくて、ただ、曲が好きで周りにも聴かせたりしていたのですが、共感という反応はまったく感じられなかったです。1984年の夏は、かなりのイジメにあったり暴力があった年でもありました。イジメまではいかなくとも、周辺の同世代からは「どこか変」な目で見られていたんだろうと、今になっては思うのです。『おまえが鈍感なんだ』と言われれば、そうだったのかもしれません。あの時代、僕のクイーン愛は、友達にはまったく伝わりませんでした。

 ただ、今回のテーマ『ラブソング』をひとつ、発するのであれば、当時聴いていた『ザ・ワークス』

 

の中に収録されている

『永遠の誓い・クイーン』を僕の洋楽ラブソングベスト1にいたします。『ザ・ワークス』のアルバムの中で、この曲で聴き惚れてほしいと思っていました。

 次に邦楽部門では、体験談からお話ししますと、独身時代。二回ほどデートをした女性がいました。会った時から、ほとんどなにもしゃべらずに食事を一回。ドライブデートを一回ずつ行いました。ドライブデートでは、僕はその頃、殻に閉じこもっていたこともあり、特定の音楽しか聴いていませんでした(購入)。その時は、アン・ルイスさんのベスト盤のカセットアルバムを車で聴いてました。

 ベスト盤だったのでちょっと過ぎた曲ばかりで、一緒に乗っていた彼女も只々黙って聴いてるだけの様子でした。しまいには、ラジオ放送を流しながら、行先の見えないドライブデートをしていた時にですが「家では誰の曲を聴いてるの?」と、尋ねました。

 彼女は小声で『B’z』とこたえ、僕は「ビーズ?」「ビーズ?」と言えば、丸い結晶のことしか想像できずに一瞬「はあ?」と思いました。次第に「あゝ最近よく耳にするバンドのことだ!」と、思いまして「今どきからズレてるな俺…」と思いつつ、その後は進展もなくその場を終えました。やがてB’zのことも知り、ラブソングに選ぶとしたら、

『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない・Bz』

が、僕からの邦楽ベストラブソングです。1993年、3月のリリースで、翌年の1994年は僕は95年に結婚してますので、94年が自由恋愛ラストの年にあたります。

1994年、夏、親友に「結婚するかもしれん」と友人宅を訪れ、報告がてら独身最後の夏を横浜で過ごしました。その時、コーラのCMかなんかでも流れてて、ジュリアナ東京もまだ話題沸騰中で、trfが夏の印象に残ってます。

 

この曲は僕としての『ラブソング』とは言いませんが

結婚後の恋愛は現在進行形なので、1994年が、今現在で言えば、Free Love Period/Last Summer Songになります。

 8月16日の番組へのリクエストメールは今回は送らないことにしました。番組はどのようなかたちでも聴くようにしますが。理由は、僕のほうで番組の楽しみを奪っちゃってるかたちにもなってますので、ここはあえて番組を楽しみにして、僕はここで閉めたいと思います。

先駆けての告知になりますが、

ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の生副音声配信ライブの前に、映画のほうだけ、半分ほど観させていただきました。僕の中ではいろんな思いが入り乱れてますが、僕以外のひとが、その場面、その場面での感想をどのように考えているのか?が楽しみでございます。勝手なまでに告知させていただきました。

 


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