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旧える天まるのブログ
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『輝け!80年代アイドル、不滅の恋愛ソング神セブン』#文化放送 #ミスDJ

2020-12-21 08:59:59 | ミスDJ神セブン

輝け!80年代アイドル、不滅の恋愛ソング神セブン』

12月20日・文化放送『ミスDJリクエストパレード』にてオンエアされました。

オンエア順で以下のような順位となりました。

7位・愛が止まらない 〜Turn it into love〜 / Wink

6位・まちぶせ / 石川ひとみ

5位・スローモーション / 中森明菜

4位・雪にかいたLOVE LETTER / 菊池桃子

3位・SWEET MEMORIES / 松田聖子

2位・赤いスイートピー / 松田聖子

1位・セカンド・ラヴ / 中森明菜

7位にwinkが入りました。80年代後半から瞬く間にトップアイドルになった記憶はあるのですが、活動期間はそれから数年と、リスナーの年代的には若輩層(50代以下~40代以下~)で、番組を含めリアルタイムで知ってる人もあまりいないのかなーと思ってました。なので、若輩層と言いますか、幅広くアクションしてほしいと個人的には思っていたので、ランクインしてて少しばかりうれしかったです。

6位・まちぶせ・石川ひとみさん。意外とまとまった票が入ったのかなと思いました。僕もリアルタイムで存じてましたので、石川ひとみさんへの想いは当時からありました。けど、でも、ですがラブソングでは「まちぶせ」は名曲のひとつだと思います。

4位に菊池桃子さん。80年代中期から絶大な人気がありました。桃子ちゃんファンはやはり健在なんだなと思いました。

恋愛ソングで言えば、松田聖子さん、中森明菜さんは、やっぱりなんといってもといった感じでした。僕は、恋愛ソングというよりも恋愛したアイドルに今回、視点を置いていたのでその中からラブソングにあたるものに投票しました。もしかしたら僕の1票は無効票になっていたかもしれません。手紙に書いて送ったのでその辺はカウントされてたかはわかりません。

聖子さんとか明菜さんは当時からファンのひとりでもありましたが、熱狂的と言いますか、僕は当時のトップアイドルのファン層とあまり共有できませんで、歌はもちろん好んで聴いてましたが、トップアイドルからちょっと距離を置いていたひとりでもありました。

ランクインに至らなくても、恋愛ソング、恋愛ものだから、しょうがないと、センチメンタルな気持ち。ハートブレイクな気持ち。それもあってよしかと思いました。

番組を通じて、1年の間に、僕はメンタル的にかなり追い込まれてしまいました。苦情を番組にも言ったこともあるんですが、それから数か月が経ち、死を決意してしまうほどの境遇にたつようになってしまいました。

メディアの番組に関わって、自らの死を選択してしまいそうな気持になるのを抑えてまで番組に関わる必要もないかなと思いました。はじめのころは「よくしてもらってたのかなー」と思ってました。去年の小田原ロマンスカーイベントなど、僕のために開いてくれたのかなーと思いましたし、文化放送の浜まつりへも去年、そういう気持ちで足を運びました。多くの方が僕のような気持ちでいたのかもしれませんが、記念に買ったカレンダーが家にはあるのですが、今年になって一度も飾ってみることもなく、12月も末に差し掛かりました。

1月ぐらいからですかねー。おかしくなったの。それから、いろいろと悩んできたものの、記念カレンダーひとつにしても知的財産が次々失うようになりました。死を目前に感じるほど僕は追い込まれました。被害者的な言い回しかもしれませんが、どう考えてもそのように思ってしまうのです。

どの番組も、「死にたい」と思ってしまうようであれば、無理してそこに関わる必要はないと思いました。

猶予というのはどのくらいあるのかはわかりませんが。しまらく番組には遠ざかりたいと思います。


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輝け!80年代不滅のアイドル

2020-12-15 08:41:27 | ミスDJ神セブン

 12月20日は文化放送・ミスDJリクエストパレード『輝け!80代アイドル 不滅の恋愛ソング・神セブン』ということで、僕はすでに投票をすましましたので、年代別に『復活不滅のアイドル』をご紹介します。

1980年・松山千春

 

 

僕にとってアイドルでした。松山千春さんの顔写真がプリントされた筆入れをみつけて買ったときはものすごくテンションがあがりました。松山千春筆入れとか「まさか!」と思いでしょうが文具屋さんには置いてあったのです。ナイロン素材でチャックで開け閉めできて、松山千春さんの顔写真が描かれていて、不合法の商品だと思うのですが昔から悪い人でした。

1981年・堀江 淳

 

アイドルでしたね。「あいつなんか、あいつなんか、あいつなんか、飲みほしてやるわー」おしゃれな曲でかっこよかったです。

1982年・嶋 大輔

 

不滅のアイドルでした。

1983年・森尾由美

 

ミスマガジングランプリの森尾由美さん。この方を一押ししていたファンがいまして。「森尾由美は絶対いい」と、歌手デビューする前から一押しされてました。レコードも前売り予約で買って、彼を囲んでデビュー曲のお披露目会。

「お・ね・が・い」という曲だったかな。おねがいされて曲を聴くことになりました。

「ごめん」と言われたような気がします。レコードからの演奏曲が終わって、反省会を開いたのは後にも先にもこのときがはじめてでした。「かわいく歌えばいいってもんじゃない!」「小学生が歌ってるみたいだ!」「プロヂューサーなに考えてるんだ!森尾由美が台無しじゃないか!」

「みんな、ほんとにごめん」と、いったような会でした。それからは森尾由美を応援する彼を応援するようになりました。

1984年・安田成美

 

 

多くの人がナウシカに恋をしたんじゃないでしょうか。

1985年・a-ha(アーハ)『テイク・オン・ミー』

a-ha - Take On Me (Official 4K Music Video)

北欧の不滅のアイドルでした。

1986年・とんねるず

 

アイドルを束ねたお笑い界のアイドルだったとんねるず。とんねるずからいろんなアイドルが飛び出していきました。

1987年・この年のデビューアイドルは『後ろ髪ひかれたい隊』『小川範子』『工藤静香』『後藤久美子』『酒井法子』『森高千里』『ゆうゆ』と、なんとも甲乙つけがたいです。

ひいき目で言えば

 

後藤久美子さん。昨年は女優さんとして復活いたしました。

1988年・西田ひかる

 

忘れちゃいけないのがこの方かもしれません。

1989年・wink

 

ここでは何度もご紹介してますが、レコード大賞にまで輝いたwink。80年代ラストを代表するアイドルと言えば、winkのふたり組ではないでしょうか。

 

 


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安全地帯 CM 詰め合わせ

2020-12-07 21:31:17 | ミスDJ神セブン

安全地帯 CM 詰め合わせ

 12月13日は『安全地帯神セブン』特集ということで、『安全地帯CM詰め合わせ』からご紹介いたしました。ひとつめのタイヤのCM。あの頃は冬タイヤはスパイクタイヤが主流で、僕が運転し始めた頃(1986.1987)はまだスパイクタイヤ規制が本格的ではなく、冬タイヤはスパイクタイヤを購入してました。ただ、スパイクタイヤによる粉塵問題は盛んに報道されていて、1988年ぐらいからスタッドレスタイヤの移行はスムーズに行われてました。

 もともとスパイクタイヤは高収入家庭世帯が履いていたタイヤで、それ以下はスノータイヤ(スパイクのないタイヤ)安価なタイヤにチェーンをつけて冬場は走行してました。うちの家庭もスパイクタイヤは履けない家庭でした。

 1986年に冬タイヤを購入した時は、憧れのスパイクタイヤもありましたが、買ったのは二本。残りの二本は当時売り出し中だったスタッドレスタイヤを購入し、予算をタイヤ二本分から抑えて、当時知人から3万で買った車に履いたことが冬タイヤの始まりでした。あの当時、まだ、スタッドレスタイヤに信頼性がなかったので、タイヤ屋さんでも安価な設定でした。今のように「説明は控える」ってこともなくて「スノータイヤ(スパイクの無いタイヤ)よりゴムを柔らかくして滑りを抑えるようにした」と、説明していただきまして、それでもまだ信用はできなくてスパイクタイヤを始めに二本買ったわけです。今なら「説明を控える」と責任転嫁され、ごり押しで高い冬タイヤを買わされ、財布の中身だけが冷えてゆく時代が多数派なんでしょう。今年はコロナ渦で冬タイヤも交換出来ずにいる世帯も多くいるのではないでしょうか。

 『安全地帯』を一言で言えば、オシャレ(ハイカラ)な音楽性とイメージで男女ともに購買意欲を高めたバンドだったように思います。まず、男性化粧品を世にひろめたバンドのひとつではないでしょうか。ボーカルの玉置さん。話題はいつもお顔のお化粧でした。一般ウケするようなお顔のお化粧で「男でも化粧してもいいんだ」と、そう思わされもしました。マンダムで有名な『ギャッツビーメンズフェイスパック』は、僕が若い頃はよく買いました。男性がお顔のお手入れすることが一般的になったのは『安全地帯』が出てきてからのことだと思います。

 あとはファッション。70年代はジーンズに裾を拡げたラッパズボンが主流でした。フォークグループからアイドル歌手までみんなラッパズボンと。中にはロンドンブーツを履いてましたでしょうか。中学に入学したのが1980年で、そのときの生徒手帳の校則が『ラッパズボン禁止』と書いてありました。1年生の1学期ぐらいにお兄さんがいた生徒だったと思うのですが、不良のマネ事でラッパズボンの制服を着て教室に来たことを思い出されます。その後、すぐにツッパリブームがあり、ラッパズボンは一気に吹き飛んで、長ランに太ももから太いズボンが若者(学生たち)には人気になりました。ラッパズボンは1980年を境に時代遅れのファッションになりました。

 それから不良(ヤンキー)を除いて、外着、普段着はトレーナーにストレートなズボンが一般的でした。僕が高校に入った頃は短ランが流行ってて、それにボンタン。足首を細くしたスタイルがお坊ちゃまクラスではよく着ていました。

 その時代に合わせて『安全地帯』が登場し、これまでは長方形なファッションから逆三角形。肩幅は広く足ものが細いファッションがトレンドになりました。ファッションによる購買意欲は景気の底上げにもなっていました。 

 僕は当時から二宮尊徳ではなかった。教科書を読まずに見たあの時代の景色です。早く言えば、バブル世代を象徴したアルマーニとでも言って言ってたのかな。ジャッケットスーツに足首の細いパンツ。それが『安全地帯』特徴であり、バブルファッションの発信的な存在だったと、今振り返れば思います。

 『安全地帯』をちょっと乱して出てきたのが『一世風靡セピア』なようにも思います。整った衣装とは対照的にルーズなスタイルの発祥が宮藤官九郎で、もともとバンカラな高校に在籍していたので。バンカラスタイルも『安全地帯』が出た時代は一目置かれてました。なんでもボロボロにして歩くといったことが注目され、トレーナーを裏返しに着るのが若い男性の間で流行しました。靴下も半分履いたぐらいにしてるほうが不真面目な感じで逆に自由っぽかったり。気が付けばルーズソックスが女子高生の必須アイテムになったりと、ルーズの発祥は宮藤官九郎と言っても過言ではありません。『ふざけたことが好き』。それを僕たちがマネして流行ったんです。今でもあの方はルーズな服装をよくしてますけど、あの方は気が付かないでいるだけです。『ルーズソックスの先駆者』だと。

 不真面目=自由ではないと思いますが、『説明を控える』ことを自由にやって、自由をもて遊んでいることにもうんざりです。

 『ラジオを聴いてれば感染はしない。ミスDJを聴いてれば感染しない濃厚接触』『VIVA濃厚接触』

 僕を感染者扱いしておいて、下北沢で集団散歩ですか、どの口が言ってたんでしょうね。こっちはPCR検査すらまともに受けれてないのに‥‥‥。最近、テレビドラマとかも観ていて、観てる分には楽しいのだけれど、『あの方々は特別にPCR検査を受けてるんだろうな‥‥‥』と、『特別に扱われているんだろうなーー』と、ふと思うこともあります。


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『生き抜く、負けるな、あきらめない!』歌手etc神セブン

2020-10-22 01:54:46 | ミスDJ神セブン

 10月25日(日)文化放送・『ミスDJリクエストパレード』にて

《生き抜く、負けるな、あきらめない!力をもらえる歌・神セブン》特集がおこなわれるということで、選曲に関しては番組内でオンエアで発表されるでしょうから。こちらでは独断で『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』をご紹介いたします。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト1は、『沢田研二』さん。

 70年代から80年代。ジュリーこと《沢田研二》さんが、この三拍子揃った歌手だったんではないか!と、思いました。

 1977『勝手にしやがれ』でレコード大賞を受賞し、翌年のTBS・ザ・ベストテンから、《スタイル、音楽、話題性》をとにかくふりまいてテレビ番組に出続けました。初期の頃は帽子。その次には《TOKIO》に代表されるように奇抜な衣装。そして、新曲が出るたび話題性をもって、歌を披露してました。

 

《カサブランカ・ダンディ》は、ウヰスキーボトルを持って、口に含んで吹き散らしてから歌うといったスタイルは、当時、小学生だった僕の間では人気でした。幼心に沢田研二さんを見ていて、『芸能人としてやってやろう!』と、ある意味、パンクでエネルギッシュに見えました。

 

 僕が中学生ぐらいになって盛り上がったのが《ストリッパー》。これは、当時、部活仲間の連中と部室で歌合戦を始めて、アカペラでみんなで盛り上がったことを思いだしました。

 けど、先輩が《ストリッパー》を歌ったもんだから、それを聴いてた下級生が悪い影響をうけて、その下がクドカンの先輩の3年生にあたるわけで、悪い影響をもろ植えつけちゃって、クドカンが3年生の頃は、尾崎豊の「窓ガラス割って歩いたーー」。も、別な解釈でとらえちゃって中学は荒れ放題。先輩もやってたから俺もみたいな感じで。それで今度は新しいことをやってやろうとなって、白鳥を踏むような子に育ってしまって、元を辿れば僕たちが悪かったんです。バカな先輩でした。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト2は、『郷ひろみ』

 

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト3は、元ピンクレディーの『未唯(MIE)』さん。

 ピンクレディーで一躍大スターになって、ザ・ベストテンでも大常連。80年代に解散して、ソロ活動を始めたのですが、最初にヒットしたのはケイちゃんのほうで、ミーさんは、女優からスタートし、映画『コール・ガール』で話題を集めたんですけど、歌手のイメージがあったケイちゃんに先を行かれた感じがありました。が、あきらめない感じが『NEVER』という曲のヒットにつながって、納豆のような曲でしたけど、躍動感はありました。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト4は、『篠原涼子』さん。

 東京パフォーマンスドールの1メンバーから、ソロになって、『とにかく歌手で売れたい』といった意気込みみたいなのが、タレント活動をしながらでも画面からひしひしと感じていました。飛びぬけて可愛らしい方でもなかったですけど、ちょい可愛いいと言ったら語弊があるかもしれませんが、僕はこのような感じの人がタイプだったりもするんです。非常に魅力的なひとだと思います。

 

 ヒット曲は、この曲だけといっても過言ではないかとは思いますが、見ていてよくあきらめないで頑張ったなーと思いました。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト5は、『マドンナ』。

言わずと知れた、世界的シンガーですけど、80年代に『ライク・ア・ヴァージン』から登場し、

Madonna - Like A Virgin (Official Music Video)

「ぷう~」とか可愛らしく歌ってたマドンナが、今じゃ、クイーン・オブ・ポップ。バイタリティーあふれる歌手としての代表格としては、外せない歌手のひとりです。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト6は、『和田アキ子』さん。

 

 長い間、その大柄なイメージと腕力と歌唱力は、日本を代表すると思います。ここ数年、紅白をお休みになってるようですが、紅組の司会者としての責任感は、紅白をフェアーにやってる方だなと、思って見てました。数年前だったかな、新曲を出してもう一度紅白を目指してた感じがしましたけど、残念ながら選ばれませんでした。また、返り咲いてほしいと思います。

『生き抜く、負けるな、あきらめない!歌手』ベスト7は、『みうらじゅん』さん。

 まあ、とにかくやってますね。中学生の頃から曲を作って歌手であったことを発表したり、『など』という職業でさまざまなことをやって生き抜いてる方です。

追憶のポルノ映画 恥戯のうた(1974年制作)/作詞・作曲:みうらじゅん

 

 


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毎日がPG

2020-10-20 14:34:25 | ミスDJ神セブン

PG(初心者)衣替え

 パークゴルフを始めて一ヵ月ちょい、雨の日以外はほぼ、18ホールはまわっています。

 最初は18ホールを二時間ぐらいかかりましたが、最近は1時間ちょいぐらいでまわれるようになりました。シティーボーイズのきたろうさんが、文化放送、大竹まことゴールデンラジオで「歩く速度と寿命は比例すると」いったことを聴いて、僕はドキッとしました。それで、パークゴルフを始めたわけですが、2時間から1時間、歩く速度が速くなり、寿命も倍伸びたのかな?と、思う今日この頃です。

 雨や天気と言いますと、先週、文化放送『ミスDJリクエストパレード』お天気曲神セブン。ベスト7曲が放送されました。先々週ぐらいから異常気象を感じていたので、僕が選びそうな曲はことごとく潰されそうだったので、そんなに熱は入れませんでした。

7位・雨あがりの夜空に / RCサクセション

6位・はじまりはいつも雨 / ASKA

5位・みずいろの雨 / 八神純子

4位・ブルースカイブルー / 西城秀樹

3位・雨 / 森高千里

2位・ドラマティック・レイン / 稲垣潤一

1位・晴れたらいいね / Dreams Come True

 

僕はプリンスのパープル・レインに投票しました。

この時代で気になってたのが

 

 モッズヘヤーで一躍脚光を浴びて、スターリンやストリートスライダーズなどいった。パンクロックで注目された時代に、ヒットチャートに躍り出たのが《ザ・モッズ》。

 ヒット後の『バラッドをお前に』で、消えていった感じでしたけど、『激しい雨が』の歌詞にもありますが、さまよった学生時代でした。

 あの時の暴力がなければ。今でも忘れられません。夢も希望も進路もすべて、謝罪のない暴力で人生を失いました。

 そして虚構の日々。「その顔を見たくて俺はーーボロボロになる」なりましたよ。僕はとくにいいんです。あの時代、必死に授業料と修学旅行代を工面してくれた親に一言、謝ってほしい。人の親になって、ようやくわかったことなので。生きてたら、一言、「あの頃は悪かった」と、言ってほしいですね。

来週は、『生き抜く、負けるな、あきらめない』といった曲の神セブンだそうで、呆れてる、あきらめてますけど、虚構はもうかんべんです。

 


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