美容師とネイリストから同じ話題で話しかけられることは、意外と少ない。実は似て非なるビジネス。少なくとも客層も違えば、スタッフも違う。
前者は今や老若男女普通に通う。立地やサロンのコンセプト、技術者、価格によって、客層が変わるくらいである。スタッフも男性が圧倒的に多い。意外に思われるかもしれないが、重労働、不規則勤務、個人サロンが多く育休などシステムもないので、女性は辞めてしまうから。後者は客層は女性、比較的若い。スタッフもいまだかつて男性ネイリストは1人しかお目にかかったことはなく、ほぼ女性が占め、そして平均年齢が若い。
さて、何の話題かというと『半沢直樹』。美容院の私と同世代の男性オーナーも、20代前半に見えるネイリスト女子も観ていた。客と話を合わせるためかどうか。そういう意図もあったかもしれない。そもそもネイリストは、内容の本質的な部分をおもしろがっている風ではなく、よくわからないと言っていた。
30%を超えると天下をとれるのは、視聴率だけではなく、もともと製品マーケティングの普及率でよく言われていること。このラインを超えると、うなぎ上りに普及が進むが、このラインを超えるのが難しい。携帯電話全体はもちろん超えている。正確な数字はわからないが、家庭用FAXは超えていないかもしれない。普及する前にメールにやられた感がある。スマホは今まさに超えようとしている(意外にまだ超えていなかった。世帯普及率は超えているらしいけど)。
タブレットはまだ少し時間がかかるみたいで、そうなるとまだまだ紙の書籍との併用から解放されそうにない。電子化されている出版物がまだそれほど多くないからだ。もちろん紙は紙の良さがあるけれど、ただ、ただバッグが重いのがつらい。
今のような普及の端境期は、ユーザー側だけでなく、供給側にも厳しい時期だと思う。タブレットユーザーは、本屋に立ち寄る機会が減り、心理的によほど読みたいものしか買わなくなるし、供給側もベストセラー以外は売りにくくなる。かといって、電子化したところで、タブレットの普及率が低い。もともと活字と親和性の高い世代は、スマホで本は読まないし(視力的にも厳しく)、八方ふさがりの感がある。
だからといって、活字のコンテンツビジネス自体に魅力がなくなり、価値が下がるのも困る。
『半沢直樹』も原作は小説。40代男性と20代女子に共通の話題があるのは、悪いことではない。知る権利を訴えるなら、そもそも取材され配信されなければ、ほとんどの人は世界の隅々を知ることができない。全面的に電子化されようが、紙のままだろうが、価値あるコンテンツには対価を払う意識を維持しなければ、成熟した社会形成からは遠のくように思う。
※Blog、Twitter、Facebook、すべて更新を止めていましたが、とりあえずほとんど人知れず再開できるblogだけ時々書いてみることにしました。