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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

30%超で天下をとれる

2013-09-28 15:06:12 | テレビ番組

美容師とネイリストから同じ話題で話しかけられることは、意外と少ない。実は似て非なるビジネス。少なくとも客層も違えば、スタッフも違う。

前者は今や老若男女普通に通う。立地やサロンのコンセプト、技術者、価格によって、客層が変わるくらいである。スタッフも男性が圧倒的に多い。意外に思われるかもしれないが、重労働、不規則勤務、個人サロンが多く育休などシステムもないので、女性は辞めてしまうから。後者は客層は女性、比較的若い。スタッフもいまだかつて男性ネイリストは1人しかお目にかかったことはなく、ほぼ女性が占め、そして平均年齢が若い。

さて、何の話題かというと『半沢直樹』。美容院の私と同世代の男性オーナーも、20代前半に見えるネイリスト女子も観ていた。客と話を合わせるためかどうか。そういう意図もあったかもしれない。そもそもネイリストは、内容の本質的な部分をおもしろがっている風ではなく、よくわからないと言っていた。

30%を超えると天下をとれるのは、視聴率だけではなく、もともと製品マーケティングの普及率でよく言われていること。このラインを超えると、うなぎ上りに普及が進むが、このラインを超えるのが難しい。携帯電話全体はもちろん超えている。正確な数字はわからないが、家庭用FAXは超えていないかもしれない。普及する前にメールにやられた感がある。スマホは今まさに超えようとしている(意外にまだ超えていなかった。世帯普及率は超えているらしいけど)。

タブレットはまだ少し時間がかかるみたいで、そうなるとまだまだ紙の書籍との併用から解放されそうにない。電子化されている出版物がまだそれほど多くないからだ。もちろん紙は紙の良さがあるけれど、ただ、ただバッグが重いのがつらい。

今のような普及の端境期は、ユーザー側だけでなく、供給側にも厳しい時期だと思う。タブレットユーザーは、本屋に立ち寄る機会が減り、心理的によほど読みたいものしか買わなくなるし、供給側もベストセラー以外は売りにくくなる。かといって、電子化したところで、タブレットの普及率が低い。もともと活字と親和性の高い世代は、スマホで本は読まないし(視力的にも厳しく)、八方ふさがりの感がある。

だからといって、活字のコンテンツビジネス自体に魅力がなくなり、価値が下がるのも困る。

『半沢直樹』も原作は小説。40代男性と20代女子に共通の話題があるのは、悪いことではない。知る権利を訴えるなら、そもそも取材され配信されなければ、ほとんどの人は世界の隅々を知ることができない。全面的に電子化されようが、紙のままだろうが、価値あるコンテンツには対価を払う意識を維持しなければ、成熟した社会形成からは遠のくように思う。

※Blog、Twitter、Facebook、すべて更新を止めていましたが、とりあえずほとんど人知れず再開できるblogだけ時々書いてみることにしました。


高い歴史と心の壁に挑む~Why not ワーグナー?

2011-08-27 18:51:51 | テレビ番組

先日放送されたwowowのドキュメンタリー『Why not ワーグナー?』を観た。

リヒャルト・ワーグナーは生前彼自身が反ユダヤ思想を持ち、死後ヒトラーがその音楽を重用し、遺族とも親交を深めたために、彼の曲を演奏することはイスラエルでタブー視されてきた。それをイスラエル室内管弦楽団がワーグナーゆかりの地「ドイツ・バイロイト」で演奏するプロジェクトを立ち上げ、実際に行なったというのがこのドキュメンタリーの内容。

イスラエルにおけるワーグナーへの宿怨が並大抵のものではないことは、この番組に紹介されるいくつかのエピソードでわかる。バイロイトでのコンサートで、演奏されるワーグナーはたった1曲だけ。しかも『ジークフリート牧歌』というワーグナーらしさには乏しい、文字通りどこか牧歌的な曲だ。この1曲しか演奏できなかった理由の一つにも驚かされる。イスラエル国内ではたった一度も練習されることなく、ドイツに入って初めて音を合わせるからだ。

観客は冒頭のイスラエル国歌を起立して聴き、『ジークフリート牧歌』にはスタンディングオーベーション。この事実は両国の新聞で衝撃をもって伝えられ、当然のことながら賛否両論を巻き起こす。

国家観の違い、歴史上起こった事実の程度の違いと言えばそれまでだが、日本人の感覚では計り知れない高く強固な壁が両国にある。

しかし演奏者の中には若く、音楽は音楽と割り切っている人もいる。それでもホロコーストで家族を失った祖母にお伺いに行くシーンにカメラが入った。祖母は「1人で行くのでなく、楽団で行くならしょうがない」と言う。心情的には許せず、孫が世間から批判されるのも耐え難いが、一方で音楽家としての孫の成功を願っているからのようだった。

激しい葛藤の中で皆が生きていることを、何を強調するでもない淡々とした描き方の番組の中で感じられた。と同時に、音楽やその他の芸術が歴史の中で長く守り継ぐために、欧州の人びとが払ってるリスクや強い思いを改めて感じる。1作曲家であるワーグナーとその末裔がユダヤ人に許されなくても、その音楽がどれほどの遺恨の対象になっても、ドイツ人にとって「どうでもいい」ことではない。芸術は人生の付録ではないというフィロソフィーが根づいているからこそ、欧州文化は世界を魅了し、長く繋がっていく。

別に私自身は何から何まで欧州文化好きというわけでもなく、日本にも良いものはたくさんあると思うけれど、こういうところはかなわないかな、と思う。

※ちなみにこの事実は、日本でも報道されています↓(NHKニュース)


地デジと水戸黄門

2011-07-23 23:18:00 | テレビ番組

アナログ放送終了までカウントダウン状態の今、まもなくうちのセカンドテレビが1台無用の長物となる。小さい液晶テレビなので「ジャマにならないでしょう」と、引っ越した時に「リサイクル費用がもったいない」と業者の人にアドバイスされた。

こういう捨てるに捨てにくい、無用の長物がまた増える。ノートパソコンも歴代の使っていないものがある。余談だが、前回引越し時にすっかりトランクルームの荷造りを忘れていて、勢いで全部捨ててもらったが、いまだに何も困っていない。ゴルフクラブを捨てたので、もし再開することがあれば困るくらい。

そんな感じで、テレビを「観ること」も捨ててしまう人がいるように思う。

私自身はWOWOWとGAORAを高画質で観たいので随分前に地デジ対応したけど、NHKが契約数が減ると危惧しているという記事をみた。今日何気にNHKをつけていたら「テレビはなくてはならない、楽しいもの」とタレントに言わせていた。

家族であれば親の確固とした教育方針でもあれば別だが、テレビは買うだろう。固定電話と同じで、問題は単身者。都市部を中心に増えている老若男女の単身者に今のテレビ番組はどうなのだろう。

偶然かもしれないが、40年以上続いた水戸黄門が終了することが決まった。時々番宣で出てくる配役を見ている限り、由美かおるの入浴云々以前に厳しいだろうなと思う。孫ができて以来、自分たちのことを「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び合っている両親も、水戸黄門は観ていないはずだ。うちは70歳前後だが、7時か8時頃夕食を食べ、日付が変わる手前まで起きている。高齢者のライフスタイルや好みは変化している。

ただ個人的には視聴率10%で打ち切りという目安には問題があるとは思う。水戸黄門に限らず、これだけ娯楽が増え、DVDや有料放送もあり、録画もできる今、生の視聴率10%はすごい。NHKで時々良質なドラマをやるが、大河ドラマなどを除くと概ね視聴率は1ケタ。この時代に15%超えを望んだ時点で、軽薄だろうがなんだろうが、その時々の流行や人気タレントに乗っかるしかない。あるいはライブに価値があるメジャースポーツの世界大会くらい。先日終了したTBSの『JIN』のようなケースもあるが、稀なこと。

地デジを契機にテレビ番組づくりへの考え方も変わらないと、難しくなるのではないだろうか。近年『FREE』という本が話題になったが、FREEの元祖は民放。だから「スポンサーメリット=視聴率」と、尺度は必要になる。「視聴質」など人によって評価が分かれるものが面倒なのはわかる。

しかし制作予算を削りながら、一方で視聴率を追いかけることで、各局横並びでつまらないものになり、テレビそのものを観ない人が増えたら、まさに負のスパイラル。視聴率が10%でも5%でも、その番組を好きな人が明確で、その人たちがほしい商品を売ること(CM)ができればいいのではないだろうか。

「つまらないお笑いをなくす」とか「安いタレントのバラエティをなくす」とか、そういうことではない。そういうものを好きな人もいる。まずは横並びをどこまで緩和し、局の個性を出せるかだと思う。有料放送のようにニュース専門とか、スポーツ専用チャンネルにするのはムリだろう。でも例えば他局が絶対にニュースをしていない時間帯に、ニュースがあれば、それだけでも随分違う。首都圏で『ミヤネ屋』の視聴率が高いのは、関西人が観ているからではなく、同時間に他がドラマの再放送ばかりしているからだ。プロ野球中継は、首都圏では各局ほぼ一斉に極端に減っているが、せめて日本テレビとTBSくらい頑なにやればいいのに。7時くらいにのんびりテレビを観られる主婦や子どもたちが野球離れしているということだと思うが、東京ドームに行けば自営業者風のおじさんたちが平日でもエキサイトしている。

本物のファンほど、強い視聴者、消費者はいない。GAORAでテニス中継を観て、合間のCMで何度も紹介されたサプリメントをうっかり買った私のように。多くの「ながら視聴者」より、少数でも限られた時間でも確実に観ている人をつかむ方が、テレビのビジネスチャンスは広がる気がする。


400年企業

2009-12-02 20:34:53 | テレビ番組

今に一喜一憂し、絶望的な気持ちになりかねない現代社会で、歴史に関心を持つ若い男女が増えていることは自然な流れのような気がする。言わずと知れた「歴女」とかいう現象だけれど、もともと戦国時代に興味を持ったり、歴史上の偉人に自分や人を例えたがるのは、男性、しかも年配者の専売特許だった。

今在宅率が高い日曜日の夜に、大河ドラマから「坂の上の雲」にシフトしたNHKに加えて、TBSでも歴史物と言えるかどうかわからないが(タイムスリップモノだし)、江戸末期を舞台にしたドラマ(JIN)をやっている。現代の外科医がタイムスリップして、坂本龍馬や緒方洪庵らと交流する話だ。もちろんタイムスリップは絵空事で、主人公が巻き起こす数々の出来事はマンガ(原作)の中の話だが、出てくる実在した人物はなかなか史実に沿って描かれている。この作品が評判が良い理由の一つだと思う。

その中でヤマサ醤油7代目をモデルにした人物が出てくる。主人公が市井の人びとを救うために伝授したペニシリンの量産に協力する設定なのだが、ペニシリンはフィクションにしても、実際にヤマサ醤油は歴史的に数々の社会貢献をしてきたことで有名だ。今でいうCSR優良企業だろうが、もちろん当時は今と同じ概念ではない。

この会社の前身はなんと1645年の創業で、このままあと30年くらい続けば、400年企業ということになる。500億円企業となっている今も世襲を貫き、非上場。激動の時代をくぐり抜け、もはや奇跡というべき存在。でも先進国でもっとも100年以上続く老舗企業が多いのが日本で、こういう奇跡のような企業がいくつか残っている。

古くさいとか、トレンドだとか、世襲はどうだとか、人はえてして簡単な一言で何かを規定したがるが、歴史の中に本物を見つけ、変わらない価値を突きつめて考えるきっかけになるなら、歴史ブームは歓迎すべきこと。もちろん歴史の中には失敗や不自由さ、残酷さもたくさんあって、現代の良さ、生きやすさを見直すこともあると思う。

ところでいやらしい話だけど、ヤマサ醤油、CM1本の何倍もの効果があったんじゃないだろうか。不景気でCSRなんて二の次という風潮になりかねない昨今だが、CSRは価値だけでなく利益も生む。もっとも今回は100年以上先の成果ではあったけれど。

それともう一つ、主人公が初めて江戸時代のヤマサの暖簾を見て、感慨深げに「あったんだ、この時代にも」とつぶやく。私もかなり昔だが、アメリカの田舎町で道に迷った時に、マクドナルドの看板を見つけて、ホッとして思わず意味もなく入った経験がある。ある人は同じアメリカの暗闇の中、デニーズを見つけて涙を流したらしい。アメリカの話は些細なことだけど、企業ブランドが人に与える価値って、こういうことにもある。


早い者勝ち

2009-07-14 23:50:47 | テレビ番組

  

都議会議員選挙で出口調査をしていたのが、それに猛然とクレームを言っている年配の女性がいた。結局調査員は私が入って出てきてもつかまったままで、私は答えることなくそのまま次の用事に向かえたのだが…。

クレーム女性の言い分は、投票後にいきなりどこの政党、誰に入れたかを聞くなんて失礼すぎる、というもの。一般的な感覚としては大いにわかるが、その標的となった超短期アルバイト(であろう)の女性もちょっと気の毒だった。

今回の選挙はふだんより調査がさかんだったように思う。事前動向もたまたま自宅にいる時に2回も別の新聞社から電話がかかってきた。同業ではないが、類似仕事をしている誼でちゃんと答えたが、これまで国政や知事選でもせいぜい1回つかまるかどうか。近所の投票所も出口調査対象ではなかったのではないか。だからこそ、クレームの女性も戸惑ったのだろう。これがあるから早い当確発表の精度が高まるのだけど。

でも政治や宗教の信条を聞くのは失礼という感覚も日本人にはあるので、考えてみれば選挙のたびに全国で同じようなクレーム光景は繰り広げられているのだろう。

マスコミの存在価値の一つである速報性とスクープの意味が問われることでもある。掘り下げ本質を突き詰める力を失ったと揶揄され(突き詰めた厚みのある内容にすれば、視聴者や読者はそれに対価を払うのか、という話にもなるのだが)、もはや速報性とスクープ力をとり上げては報道のプレゼンスはなくなりかねない。

でも生活者視点でいじわるな味方をすれば、スクープにはそれなりの価値があるとは思うけど、選挙のようにどうせ結果が出ることを1秒1分でも早く知りたいかと問われると、まあ知りたいような、どっちでもいいような…。知ってしまえば、早くそのこと事態については興味が薄れ、翌日の朝刊を見てむしろ響いたのは、日経の一面トップを飾ったキリンとサントリーに関するスクープ。同じ「早い者勝ち」でも、やっぱりスクープの方が一枚も二枚も上。選挙はまだしも、裁判所から死刑だ、無期懲役だと、飛び出してくるテレビでの記者の姿は申し訳ないが、ちょっと滑稽だし、裁判や事件の関係者に失礼だとも思う。