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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

オーラはなかったシャラポワのプラクティス

2017-09-06 00:40:38 | スポーツ

この写真の主がわかるでしょうか。開催中のUS OPEN1回戦、シモーネ・ハレプ戦前のマリア・シャラポワです。

ちなみにほぼ同じ時間帯のシモーネ・ハレプです。その後のゲームの勝敗はテニスファンならご存知のとおりシャラポワが勝ちました。私自身は女子の試合はあまり観ませんが、近年観た女子の試合のなかではベストマッチのひとつで、1回戦にしてほぼ満席の会場(世界最大のテニススタジアムとされるアーサーアッシュスタジアム)のボルテージもすさまじかったです。

US OPEN観戦に訪れていたNYですが、私は二人の練習を見るつもりでこの場にいたわけではありません。

今年は多くの欠場者を出したUS  OPENですが、少なくとも1,2回戦は、体感にすぎませんが、2年前(男子BIG4、バブリンカ、錦織、アメリカでは一番人気のセレナもそろっていた)のUS OPENより盛況に思えました。一部の会場が工事中でキャパシティが狭くなっていたこともあるでしょう。それなりに著名なプレーヤーが出る会場は、どこも満席で行列ができています。

行列に疲れ、このあとに予定されていたサーシャ・ズベレフの練習を観たかったこともあり、反対側の狭いマッチコートにいたのです。

そのとき、どうもプラクティスコートにビッグネームがいるらしい歓声と熱気を感じました。

プラクティスコートというのは、時にマッチコートより残酷に、そこにいるプレーヤーの人気や動員力を表します。マッチコートなら相手があっての集客ですが、試合前は基本的にヒッティングパートナーやコーチと打ち合い、プレーヤーはひとりです。しかも試合をするわけではないので、勝ち負けも関係なく面白くない。必然的にそこに人が集まるということは、そのプレーヤー自身の人気のバロメーターになります。

だから裏側にいても、その反対側の主の人気の有無は雰囲気でわかります。

「誰かな?」と、好奇心で見てみましたが、一瞬はやや遠目であったこともあり女子選手であることしかわかりません。同じ距離感でもフェデラーやナダルならわかります。ジョコビッチ、マレー、セレナ、ビーナスでもわかるでしょう。

ただ、その人は大きな声も上げず、男性のヒッティングパートナーと淡々と打ち続けています。服装もいたって地味です。

やがてその人がシャラポワだとわかったのは、観衆の数人が「マリア」と声をかけたのを聞いたときです。

はっきり言って、オーラのかけらも感じませんでした。あとからやってきたハレプの方が観衆こそ少なかったけれども、「ああ、ハレプだ」というオーラはあり、やや悲壮感はあったけれども、「あなたならできる」(英語。固有名詞は出てこなかったけど、シャラポワに勝てるという意味でしょう)という観衆のひとりの声に手をあげて応えるサービスもありました。

しかし結果は日本でも放送されたとおり。

どこまで伝わったか知りませんが、最初は会場はかなりハレプ寄りだったのです。ドーピング問題でいわくつきで戻ってきたシャラポワに対して、プレースタイルは派手ではないけれども、まじめで人気はあるトッププレーヤーのハレプ。1回戦からシャラポワに当たってしまった同情的な声も多かったと思います。

しかしアメリカの土地柄でしょうか。本来、アメリカ人の多くは、カムバックを許す寛容さ、強者や成功者へのリスペクト、あらゆる背景を持った者への受容性は高いと感じています。やがて歓声の方向は、徐々にシャラポワに移り、最後は勝者を万感胸に迫る拍手と声援でたたえました。それはハレプの健闘を貶めるものとは感じませんでした。

もともと私はシャラポワに何の興味もありません。しかし今回、居心地が悪いであろう孤独な場所に戻り、彼女のトップパフォーマンスと言えない状態で挑み、1stWeekだけとはいえ、ビッグネームに乏しい男女ボトムハーフの日に、2万人強入るスタジアムを埋めたことには凄みを感じます。

ドーピングの記者会見前、(ドーピング問題を知らないなかで)引退会見ではないかと思った人は多かった。もうそれくらい機は熟したプレーヤーです。にもかかわらず、戻ってきました。その心の強さには感動します。そしてどこか物悲しささえ漂っていたプラクティスコート。相当な覚悟の復帰だったのでしょう。


日本人を応援しなきゃだめですか―白鵬とロジャー・フェデラー

2017-02-01 23:53:42 | スポーツ

1月22日(日)大相撲で稀勢の里が事実上横綱昇格を決める(のちに昇格)千秋楽、白鵬を破り、文句なしの初場所優勝を飾りました。日本出身横綱の誕生は、19年ぶりとか。国技とされている相撲ですから、相撲界やファンが沸き立つのは当然のことかもしれません。

同じ日、私はNHKではなく、WOWOWを観ていました。テニスの錦織フェデラー戦です。2つ前のエントリーから想像がつくと思いますが、当然のようにフェデラーの勝利を願っていました。この期間、ほとんど情報番組を観ていないので(環境ビデオのようにWOWOW流しっぱなしゆえ)、よく知りませんが、戦前は相撲だけでなくテニスも相当取り上げられていたようです。錦織選手が勝つだろうという論調で。

それはいいんです、ここは日本のうえ、35歳のフェデラーはケガでの休養明け。私もさらにその1週間後に、まさか優勝するなんて、そのときは夢にも思っていなかったですから。

結局、フェデラーは勝ったわけですが、その後のスポーツ系のニュースや情報番組は、稀勢の里一色になりました。もともと観戦スポーツとしてはマイナーなテニスと国技の大相撲では、ニュースバリューは後者が勝ります。だからそれもかまわないのですが、稀勢の里にはしゃぐ相撲関係者やマスコミの様子を見て、ふと思ったことがあります。

「白鵬をもっとリスペクトしたら?」「稀勢の里も大変だなあ」

19年間も日本出身横綱が誕生しなかったということは、その間綱を守り、相撲人気を支えてきたのは、外国出身力士たちでしょう。しかも決して相撲界は順風満帆ではなかった。八百長や暴力問題で逮捕者も出し、人気のあった過去の大横綱や大関が何人も若くしてこの世を去りました。そんな環境のなか、品位がないだの取組がどうのだの、ダーティーな相撲界に言われたくないわっと心の中で思っていたかどうか知りませんが、そんな批判も浴びながら勝ち続けてきたのです。しかも国際スポーツと違い、日本国内限定ですから逃げ場もない。

それが今後は一方的にヒール役となりかねない空気を感じます。稀勢の里も若くして横綱になったわけじゃなく、今後長く安定した成績が残せるのかも不透明です。しかし大相撲の横綱は成績を著しく落とした時点で、引退を余儀なくされる。王者の座を退いてもみずから望めば頑張れ、奇跡の復活を後押しするファンやスポンサーの力が強いテニスとは違います。

テニスの話でいえば、錦織選手が成長するまで、特に男子は松岡修造以来、グランドスラム本戦に出場できる選手すらほとんどいない時代が続きました。その間、有料放送に加入しGS観戦を続けてきたのは、フェデラーだけではありませんが、ナダルやその一世代前のサフィンやロディックなど外国人人気選手の熱心なサポーターたちです。

確かに、個人競技とはいえ、自国民を応援したい人が圧倒的に多いのはわかります。でもメディアは数の論理だけではかれない価値を伝え、発信していかなければ、いつまで経ってもスポーツは文化となりません。

おめでとうございます。稀勢の里、ロジャー。そして白鵬には、これからも頑張ってほしいです。

 


本家ウィンブルドン現象に終止符を打ったのは

2016-06-27 23:03:50 | スポーツ

EU離脱の住民投票結果でイギリスに注目が集まる最中、ウィンブルドン本戦が始まりました。サッカーはイギリスのプロリーグで働くEU域内の国籍の人(選手含む)がどうなるのかなど、話題になっていたようですが、テニスはそもそも個人競技なので、粛々と伝統を守っていく感じでしょう。

テニスファンとしても、これはこれ、それはそれですが、テニスに関心のないビジネスマンは、本家ウィンブルドン(テニス)というより「ウィンブルドン現象」という言葉のほうがなじみがあると思います。様々なケースに使われますが、代表的なのはサッチャー政権時代の金融ビッグバンといわれた規制緩和によるシティ(ロンドン金融市場)の急成長。しかし、そこを主戦場にしていたのは、外国資本だったという話です。

イギリスはユーロを導入しなかったわけですが、それでもシティは金融ビッグバンの時代よりもさらにグローバル化し、そのプレゼンスを高めています。

今回の騒動の陰で、今のイギリスにシティ以外何があるのか、シティを弱体化させて外国資本が逃げたあと、どんな未来のシナリオがあるのかと悪口を言っている人も少なからずいます。

産業革命発祥の国ながら、現在工業分野のGDPのうち、かなりの割合で、ドイツ、日本、アメリカなど外国籍の会社が占めています。アジアの新興国にとっても、英語でビジネスができる点でEUはもとよりヨーロッパ全体、一部中東地域などへの窓口として投資をしている背景もあります。

そしてイギリスのGDP比ベースで意外に大きいのがエネルギー産業です。実はエネルギー産出国なのですが、そのほとんどが北海油田にあることは、スコットランドの独立投票の際にも話題になりました。ウィスキーだけの地域ではないということです。ロンドンの拠り所でもある金融市場についても、エディンバラに欧州5位の金融センターがあり、スコットランド独立が絵空事にはならない程度には経済基盤があるのです。

イギリス目線でいえば、もはやこうなったら、せめてイギリス内は結束を固めなければEU離脱は欧州域内でのイングランドの孤立を深めるだけになりかねません。いくら連邦国があるにしても、東欧移民が去ってもインドから移民が押し寄せてきては、EU離脱派が望む形ではないと思います。そのうえ、北アイルランドとスコットランドが袂を分かつこととなれば、単なる経済の縮小だけにとどまらない問題を抱えることになるでしょう。

連合体からの離脱より、国家として独立する方が重いはずです。そもそもスコットランド人は、現在スコットランドに住んでいる人より、イングランド、アメリカ、カナダ、ニュージーランドなど、別の地域や国に根を下ろしている人のほうが多いのです。とくにスコットランド出身でロンドンで働くビジネスマンなどは、北海道から大企業が多い東京に働くためにやってきて住みついただけなのに、ほかの国になっちゃうって話ですからね。スコットランド王国を体験している人など、もう誰も生きていないのですから。

話を本家ウィンブルドンに戻すと、ウィンブルドンチャンピオンシップのウィンブルドン現象に2013年ようやく終止符を打ったのは(77年ぶりに自国民が優勝したのは)、アンディ・マレーでした。彼はスコットランド出身です。イングランドのオールドテニスファンは、マレーを「勝てばイギリス人、負ければスコットランド人」扱いすると皮肉られ、イングランドの一部の国民が持つ排他性の象徴のように言われてきました。オフィシャルなスポーツメディアでも、選手一人ひとりの国を表記する際に、多くはイギリスやイギリス国旗が使われていますが、なかにはスコットランドやその旗が使われている場合もあります。

グローバリズムや移民流入の先にある多様化は、自国民内の人心を多様にし、時に対立させる副作用もあるのです。もっとも、ナショナリズムに流れれば、大方の国民がそっちを向く国よりは、よほど成熟した民主主義国ともいえますが。

 


国籍を超えてチームジャパンをつくる

2015-09-22 20:38:56 | スポーツ

スポーツ好きと言いながらも、よくわからないスポーツも多いのですが、ラグビーもその一つ。ただ、知人が大のラグビー好きで(おそらくご本人も学生時代、プレーされていたのではないかと)、今イギリスまで観戦に行かれています。今回、南アフリカを破った快挙には、さぞかし興奮されているであろうと思います。素人なので、ラグビーが強い国というとニュージーランドとオーストラリアかなと勝手に思っていましたが、南アは世界ランク3位だとか。オッズも99%南ア勝利と予測しているといっていい数字が付いていたようで、遊び半分で日本に賭けていた人がいたら、すごくラッキーだったですね。

たまにテレビのスポーツニュースなどで、ラグビー日本代表が映像に映し出されているのを見て不思議だったのは、明らかに日本人ではない人がかなりの人数交ざっていることです。

たとえば、プロ野球には助っ人外国人がいますし、サッカーJリーグも同様です。テニスのダブルスも、国際試合であってもどこの国の人と組んでもかまいません。しかし、ひとたびワールドカップやオリンピックとなると、だいたいのスポーツで日本国籍を取得していない外国人が混合することは認められません。個人色が強いテニスも、オリンピックのダブルスは自国選手同士が組みます。ワールドカップやオリンピックはクラブ対抗戦ではなく国別対抗戦ですから、当然といえば当然ですが、ラグビーは3年以上日本に居住していることで出場できるそうです。日本があまり強くないから(それでもアジア1枠に入っての出場なのですね)助っ人を入れているというわけではなく、強豪国でも純血主義のチームはほぼないみたいです。

国籍に関係なく、そのポジション、役割に対してベストな人が時間をかけて国やチームに溶け込み、チームジャパン、あるいはチームオージーやチームアメリカを作っていく。スポーツというと、ナショナリズムの塊のような感情を呼び起こしがちですが、ある意味、もっともグローバリズムが進んでいるのがラグビーなのかもしれません。

そうかと思えば、イングランド、スコットランド、ウェールズ3地域がバラバラに出ているのですよね。北アイルランドも強ければ出てきたのでしょうか。そのあたりはサッカー同様、混成チームはできないようで、UK(だけに限りませんが)の持つ歴史から今もくすぶる地域間の軋轢を象徴しているようです。

日本の場合、こういうことはないわけで、国境を超えて適材適所に選手を配置し、チームジャパンとして組織力を発揮し、大金星を導きました。

こうなると、マスコミや世論は、日本チームならではの組織力強化の優位性に外国人選手が順応したことを取り上げて賞賛しがちです。現に、控え選手がレギュラーメンバーのために献身的に尽くす(ふつうは自分がレギュラーになるための努力が優先と思いますが)といった特徴を書いていた記事がありました。

その1点に関する是非はともかく、また冷静に日本チームや日本人の国民性の強みを分析する記事があってもいいのですが、一方で日本チームが外国人選手のアイデンティティやグローバルスタンダードのスポーツチーム育成に学んだ部分もあるはずだと思うのです。そのことをもっと分析して取り上げてほしいし、それはスポーツに限らずグローバル化が進むほかの分野に対する示唆にもなるのではないでしょうか。

まあ、その前に願わくば、23日のスコットランド戦、勝ってほしいです。一発のジャイアントキリングに終わらず、決勝ラウンドまで進めば、ラグビーへの関心は一気に高まり、アジア初開催となる日本での2019W杯に弾みがつくと思います。

もっとも、そう簡単なことではないのかもしれません。たとえば、テニスでいえば、グランドスラムでダニエル太郎がアンディ・マレーに勝った(大金星です)直後に、ケビン・アンダーソンへの勝利(金星です)を望むくらいの感じでしょうか。テニスを知らない人には、たとえ話の方がわかりにくいですね。しかも、前者がスコットランドの人で、後者が南アフリカの人なので、イマイチ符合していません。

とにかく明日のスコットランド戦、テレビを観てみようと思います。辛うじて、ルールはおおよそ知っているので、個人的にはゴールがなかなか入らなくてイライラするサッカーより楽しめるかもしれません。


夢の続き――US OPENから

2015-09-16 00:23:54 | スポーツ

誕生日を無邪気に迎えられるのは、一体いくつまででしょうか。

正直、もはやその区切りの年齢を迎えたときを忘れてしまいました。一般人でも、ある年齢を超えると、1つ歳をとるごとに、失うものの数が増えていきます。艶のある肌はもうずいぶん前に、体力、記憶力、気力や希望、夢。ときに人をも失います。

ましてや、世界のトップを争う個人競技のスポーツ選手なら、ゴルフなど一部の競技を除いては、選手寿命は短く、30歳はふつうのビジネスマンの45歳から50歳くらいの感覚だと思います。いや、ビジネスマンの50歳なら、多少の不調を抱えながらも、現場に居続けることができるでしょう。なぜなら、常に1位をめざす必要がないからです。

それでもときどき、移り変わる時代の変化にしんどいなとか、先行きに不安を感じることがあります。

この夏、ずっと行きたいと思っていたUS OPENに思いきって出かけたのは、Roger Federerがキャリアの終盤を迎えているからです。先のウィンブルドンのファイナルで負けたときに、さすがに即引退とは思わなかったけれども、US OPENを休むんじゃないかという一抹の不安すら感じました。出ないなら旅行ごとキャンセルも脳裏によぎりました。

ところが、Federerはウィンブルドンのあと誕生日を迎え、1つ歳を重ねながら、衰えるどころか、より強くうまくなって帰ってきました。テニスの解説者は、外国の元名選手含めて新技と言われるリターン攻撃の話ばかりしますが、私には全体的にレベルがまた1段上がったような気がしました。ここ最近は早いラウンドでも、もしかしたらちょっとしたフィーリングの狂いで負けるのではないかと思わせる、キャリアの終わりに近づいてきたアスリートにありがちな脆さを感じていましたが、それが一切ない。

スポーツって不思議なもので、生で観戦するよりテレビの方が大きく細かいところまで観られるのですが、観戦対象のアスリートの気迫や上手さ、技術の精度は遠目でもその場にいた方がわかります。

ニューヨークからは1Rを観ただけで帰ってきましたが、Federerはちゃんと決勝まで夢の続きを見せてくれました。優勝は逃して本当に残念でしたが、まだ終わりではないと思わせてくれる内容でした。

年齢を重ねても、努力できる意志と信念があり、そして自分の仕事と人生が好きでいられれば、より成長できる可能性がゼロではないことを見せてくれただけで感謝すべきかもしれません。