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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

色ちがいは同じ商品にあらず

2005-01-08 16:41:09 | コスメ・ファッション
COACHコーチ 帽子2793 ミニシグネチャー カーキ M/L COACH(コーチ)黒シグニチャーハット
百貨店の話と関連して、あるブランド路面店の対応について書いた。あるファッション商品が品切れの時に、別の色を勧められたというエピソードについて。

後から冷静に考えると、以前の物販接客の常識からすると、この店側の対応は間違っていない。顧客を逃してはいけないから品切れなら類似商品を勧める、さらには購入した顧客に関連商品を勧める(わかりやすく言えば、マクドナルドの「ポテトはいかがですか?」)。これにはユニット販売だとか名前がついていたような覚えがある。それとアソート販売(組み合わせ、ギフトなどのセット販売のこと)も推奨されていた。色違いは、ほぼ同じ商品と見なされていたのかも。

昨日、バイオtype-Tバーガンディーブラウンを買った。最初に行ったビックカメラでは既にこの色は品切れ。何でもこのシリーズは1月末に新製品が発売されるらしく、メーカーで生産をストップしているらしい(2004年秋冬モデルなのに、早すぎるよ、SONY!)。それでもミッドナイトブルーは残っていたが、店員は一言もそちらを勧めなかった。もちろん別のパソコンも勧めない。緊急性があったのはわかっていたから(別のPCを修理に出したので)、1月末まで待てとも言わなかった。この対応を私個人としては好感が持てた(結局、さくらやで買ったが)。パソコンの機能は色違いでも何も変わらないが、SONYがデザインを前面に打ち出してアピールしている以上、色違いは同じ商品ではない。ましてや冒頭のファッションブランド(帽子)の場合は、ベージュがワインレッドになったら、もはや「まったく異なるモノ」と言ってもいい。

比較対象がやや乱暴になるが、最近のマクドナルドの対応も良くなっている。よく行くわけではないので、たまたまかも知れないが、悪名高き「ポテトはいかがですか」などとは絶対に言わないし、単品を買ってもセットを勧めることはしない。そればかりか他店と共有のフードコートで率先して片づけをする、荷物をさりげなく進んで自分から購入商品とまとめてくれるなど、相手や状況に応じた成熟した接客をする人が増えた。とかくファストフードや量販店は接客がマニュアル的だとか、なっていないとか、槍玉にあげられがちだが、実際はそんなに悪くない。



ケータイ力

2005-01-07 00:42:41 | デジタル・インターネット
keitaiいきなり私事で恐縮だが、年末に急に母親がツーカーのケータイを買った。成人の家族で唯一持っていなかったのだが…。仕事柄、身内の消費行動もつい論理的に考えたくなるのだが、これだけは説明がつかない。かける所なんかどこにもないはずだ。パートを定年でクビになって以来(その定年すら会社に1年間忘れられて、余分に働いたくらい目立たない人だ)、だいたい家にいるし、友だち付き合いとか近所付き合いとか、そういう社交性はまったくない。本人もそう言って私の番号をせっせと登録していた。自宅の電話にすら、せいぜい月に1、2回しかかかってこないのに、ケータイにかけてきたことなど、これまでに数えるほどしかない。案の定、それっきり一度もかかってきていない。うちの母は10円でも安いスーパーに買物に行く典型的な関西のオバチャンである。しかも自分のダンナ(父)の月々の保険代を私に払えと、申込書を速達で送ってきたような人である。実家にある3台のケータイ料金で安い医療保険代くらい払えそうだ。

今更ながらケータイの普及力は超強力だと思う。そしてこれまでの空白層に、ツーカーが攻勢をかけたことが大きい。あの日本の高齢化の指標を見せる松ちゃんのCFはツマラナイ(何だか広告会社のプレゼンテーションをそのままCFにしたみたいで)。けれどもツーカーのケータイ操作は簡単で「あなたたちのためのモノ」だとアピールし、安価なプランを打ち出した施策は、ユーザーの裾野を広げた。そう、これまでうちの母のような層は、ケータイを「自分のためのモノ」とは思えなかったのだ。

でもさすがに母は俳優の小林桂樹さんがCF出演している固定電話の子機みたいなケータイ(ツーカーS)は買わなかった。高齢者でもあれは年寄りくさいと思うらしい。それにせめて番号登録(登録する先がないと嘆いていたが…)はしたいという。ついでに彼女は将来的(!?)に、メール習得を目指している。



百貨店は楽しくないけど必要だ

2005-01-06 00:29:36 | まち歩き
huku福袋は買ったことないが、今年の初売りでもよく売れたらしい。ここ数年デパートの初売りは好調。バーゲンを早めて初売りとほぼ同時に開始しているからだと思う。さらに今年は正月休みが短かったから、近場(かなり究極の近場だ)に流れたという分析をテレビでやっていた。

数年前にそごうが世間を騒がせた時、テレビのコメンテーターが百貨店業態を「オールドエコノミー」と切り捨てていた。確かにニューエコノミーではないが、何が何でも新しい方が良いという杓子定規な見解も疑問。また、中にはコンビニの総売上と比較する評論家もいるが、これを業態批判に転換するとしたら理解できない。モノを売っているという点のみしか共通点がないのに、業態のありようを比較することに何の意味があるのか。

また、昔のようなデパートに行く楽しさがないという意見もある。いわゆる「今日は帝劇と三越…」の時代を引きずった郷愁(私はリアルタイムでは知りません!)。確かにそれはわかるが、今は「楽しい」の選択肢が多すぎるし、前提となる物欲が萎えているのだから仕方がない。課題は百貨店業態そのものにあるのではなくて、個別企業や店舗の品揃えとサービス力の中にある。そしてこの2点が突出して優れた店舗は、評価されているし必要だと思う。ショッピングセンターが好調と言われているが、本当にモノを売ることを考えているデベロッパーは少数派で、大抵は専門店まかせ。例えば六本木ヒルズやヴィーナスフォートは、飲食店は盛況でも物販はどうだろうか?

路面のブランドショップで品切れして購入できなかったものがデパートでは普通に買えた経験もある。銀座の路面店では別の色を勧められ、「取り寄せましょうか」の一言もなかった。銀座の路面店はフラッグシップショップであり、「品切れ=よく売れている人気商品」というイメージを植えつける格好のチャンスと考えているとしか思えない対応だった。でもデパートでは売れないと意味がないから、売る努力をする。以前は悪名高かった化粧品売場のコンサルティングセールスにも、客が戻ってきている。客が成熟してプロにきちんと説明を受けて良い物を買いたいというニーズが高まったからだ。また、メーカー任せの委託販売も最近では是正されつつある。

顧客ニーズが多様化し、新業態が続々出ているにもかかわらず、これまで百貨店業態の総床面積は飽和状態だったが、不採算店の閉店や地方百貨店の倒産などで、適正面積に近づきつつある。「楽しい百貨店」という幻想を追うのは難しい。「気持ちよくストレスを感じないデパート」の方が客もうれしいし、存在価値が大きい。



サービスの質と繁盛の関係

2005-01-05 00:11:55 | まち歩き
yakei関西出身の私にとって、東北は海外以上に秘境。8年くらい前に宮城・松島に初めて行き、日本三景の名を受けながら、まったく飾り気のない、コマーシャリズムと無縁な土地柄にむしろ感動したことがある。ガイドブックに掲載されていた牡蠣の直売所は、単なる地元の作業場(売っている気配がない)だった。一瞬でもサンフランシスコやNYのフィッシャーマンズ・ワーフもどきを想像した私って…。それでも秋保温泉の有名旅館「佐勘」は、サービスも施設、料理の内容も申し分なかった。結局トータルで宮城・仙台地域に対しては良い印象が残っている。

そして2005年最初に過ごした東北の山あいの町。そこで宿泊した宿のサービスは決して良いとは言えなかった。差し迫ってから予約したため、空いていることを最優先にしたことから、多少の不満は致し方ないと思っていた。けれども迎え入れられた瞬間の印象は悪くなかった。200室以上ある規模は同温泉地内では大きい方で、設備や室内の美観はOK。問題は料理と仲居さんのサービス。夕食の吸い物は間違ったとしか思えないひどい味付けで、最後の料理から1時間以上経ち、催促してようやく出てきた。翌朝の雑煮は味こそ普通だったが、冷め切っていた。これは一例で言い出せばきりがないわけだが、都市部のサービス施設に対するように心から憤慨する気持ちにはなれなかった。多分200室強が満室になるのは正月だけに違いない。サービスに悪意があるわけではなく、不慣れという感じ。温泉や部屋の清潔は保てても、短時間で人が動かないと結果が出せない料理や仲居さんの仕事は、正月だけ急に増員しても対応しきれないし、1人が対応できる仕事量にも限界がある。常に忙しい宿であれば、繁忙期との小さな差は、スタッフのシフトを工夫すれば対応できるが、繁忙期と通常の差が大きければ大きいほど、繁忙期のサービスの質との落差も大きくなる。そして顧客側は一度きりの印象を引きずるから悪循環を生む。

地方の小さな町場は産業や資源に限界がある。出かけた地域の基幹産業は観光。伊豆・箱根のように広域・巨大な観光地域であれば、それぞれの旅館の問題で済むかもしれないが、小さな町や温泉地だと1旅館の印象が温泉地全体のイメージを形成する。それは昨年のニセ温泉問題でも実証されたはず。サービス力の向上を個別の課題とせず、地域で支えあう仕組みを作ることは難しいのだろうか。



住宅分譲の究極の販促

2005-01-04 02:08:56 | ニュース
福島県泉崎村で新たに造成した住宅団地「天王台ニュータウン」の販売活動の一環として、村周辺企業からの求人情報説明会を東京で開催するという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050103-00000001-khk-toh
捉えようによっては浅ましいと考える向きもありそうだが、住宅ローンを組んでも稼ぎがないと払えないわけで、ある意味首尾一貫している。特にUターンを希望する中高年家族にとって有効かもしれない。

別に正月だから望郷の念を抱いているわけではないが、私自身生涯東京で暮らしたいかと聞かれれば複雑な思いもある。家族・親族がいる故郷に帰るという選択肢、あるいは将来親が年老いた際に離れたままで大丈夫かどうかという不安がないわけではない。けれどもそう簡単に東京を離れられない理由は、仕事によるところが大きい。また、家族以外の人間関係がいったん途絶え、コミュニティに溶け込めないということもある。

Uターン就職者支援は各自治体で以前から続けられているが、過疎化対策として一時的に離れた若年層を呼び戻すという観点が主流のように思う。だが終身雇用制が崩壊し、人生平均80年の時代に、生涯の大部分を一定の場所にとどめておくことを考えるより、長く都市で生活した中高齢者の終の棲家を故郷で提供する方が現実的ではないか。ただ、そのためには単に仕事だけ、住まいだけという一つのファクターに絞らず、個々人の事情に応じて、包括的に生活を形成するための受け入れ態勢が必要。仕事と住まいはもちろん、医療や生涯学習の仕組みづくり、移動の利便性向上、コミュニティで疎外感を感じないためのケアなど、課題は多い。また、エンターテインメント、文化面などにおいても、都市部での楽しみのエッセンスを折に触れて再体験できれば、なお地方で暮らす魅力は増す。誰もが故郷に戻れば、手放しで受け入れてくれる家族がいて、数家族で同居できる大きな住まいがあるわけではない。故郷の方がむしろ寂しさ、不便さを感じることも多いから、現在は却って高齢者ほど都市部に住みたがる傾向もある。

けれども単身世帯が増え、あるいは結婚をしても子供がいなかったり、少なかったりしている現状下、地域内での人間関係が希薄で親族もいない都市部で、一人生涯を閉じていくことに不安を感じる人は今後ますます増えてくることは間違いない。